第30回 大人になっての障害
障害者。
最近では何故か障がい者といった記載の仕方を行う場合がありますが、私はこの記載の仕方を好みません。むしろ下手にも字を変えることの方が差別的であるとすら感じます。文字に罪はありません。使い方の問題であって、最近多いように感じる『言葉狩り』のような風潮には正直嫌気がさします。
さて障害といっても色々な種類があります。
ただし大人になってからの障害は、生まれながらの障害や幼少期での障害とは、若干意味合いが異なるような気がします。
子供の頃からの障害は場合によって生きていくだけでも大変でしょうし、いじめられる原因にもなると思います。様々な世の中の不合理に晒されるには、障害というだけでその様な立場になるとすればあってはならない事のはずです。それでも国などから様々な補助が金銭面を含めありますが、国の経済レベルから考えた場合には十分とは思えません。
では大人になってからの障害の場合はどうでしょうか?
大人になってからの障害は、主に2つの要因だと思います。1つは病気による障害。もう1つは怪我による障害です。どちらもその内容により障害の重さは変わると思いますし、病気、怪我にかかわらず医療は日進月歩しているため重度障害になる確率は少しずつ下がる傾向にあると思います。それでも事故などで物理的に手足を失ってしまった場合などは、医療の限界もあるでしょう。
ただし大人になってからの障害は、特に身体的障害の場合において子供の頃にあうようないじめには遭いにくいと思えます。もちろん障害者に対して快く思わない人などいますが、子供の頃と異なり色々と説明も可能なのと、障害の程度によってはまだまだ頑張れると思える人も多いと思えるからです。これが子供の場合では理不尽に理由のないいじめに遭う場合もあり、この点は大きく異なると考えます。
しかしながら最近増えている精神疾患、特にうつ病などに関しては、社会ノン理解が得られているかと問われれば私はまだまだ得られていないと思えます。その為理不尽なことを言われたり、理不尽なことをされてしまう方も多いと思います。
私は身体的障害と精神的障害の両方があり、どちらも手帳保持者です。次の話からはそんな私から見た世の中について書いていこうと思います。




