コラム1回 時期的話題として『教員』を考える
前にも書いているので分かるかと思いますが、根本的に私は学校の教員が嫌いです。嫌悪していると言えますし、そもそも信頼すらしていません。
もちろん他の方が『その様な事は言いすぎだ』というのは簡単ですし、それを否定するつもりはありませんが、少なくとも現状で私が学校の教員という存在を肯定的に受け止める要素は存在していません。
その様な中で神戸の市立小学校にて、ニュースで報道されているとおり教員同士の『いじめ』があったと報道されていますが、なぜ『いじめ』なのか、理解出来ません。
細かい事例は省きますが、私が聞く限りにおいて行われていたことは立派な『暴行』や『傷害』であり、即ち犯罪であるとしか認識していないからです。
そもそも傷害や暴行は
・傷害罪:人の身体を害する傷害行為を内容とする犯罪
・暴行罪:暴行罪の「暴行」とは、人の身体に向けた有形力の行使
※ウィキペディアより
であり、さらに細かく考えた場合には、直接の暴力以外の精神的暴力なども含まれるとされます。
ニュースをご覧になっている方ならお分かり頂けるかと思うのですが、どう考えても行われたことは暴行や傷害であり、立派な罪です。間違っても『いじめ』で表現されるような内容ではありません。
しかし残念ながら習慣的になのでしょうか、学校で行われた場合の『暴行』や『傷害』は、多くの場合において『いじめ』の一言で表現され、場合によってはその内容すらきちんと報道されないこともあります。当然これが児童や生徒の場合も同様であり、『いじめ』という罪は刑法に規定されていません。まるで刑法に触れていることを隠すために、あらゆる努力を報道機関も揃って行っているように感じます。
もちろん報道機関が正しい報道をしていない(表現や用語が間違っているなど)と感じる事は、個人的にはかなり多く感じる事があるのですが、報道機関に限ればこれらは『表現の自由』とは言わないと考えます。
そして学校側などが行っていることは『犯罪の隠蔽』であり、これもまた立派な犯罪です。
学校側は当然ですが、報道機関などもこれらについてきちんとした認識をしているのでしょうか? それとも何らかの報道管制的な事が、学校側の指示や、その他何らかの組織から行われているのでしょうか? 私にはそうであるように思えてなりません。
ニュースではこれらの教員同士の傷害・暴行事件に伴い、学校内での”いじめ”も行われていたと報道がありました。これは恐らく暴行や傷害となるケースもあったと考えられますし、何より一部の学童(小学生は通常生徒ではなく、学童と表記することが正しいです)が学校へ登校できなくなるケースも出てきているなど、学童に対して多大なる心理的な負担があったと考えるべきだと思います。そしてこれもまた、形を変えた暴力であり、犯罪であると認定すべきだと私は考えます。
これらの事が正しく報道されなかったり、当事者であるはずの学校側などが正しい姿勢で発表しない限りは、今後も同様のニュースが出てくることは間違いありません。これは予想でも予知でもなく、これまでの結果下から導き出される結果です。私は既に結果が常に出ていると考えます。
このようなことを繰り返す限り、現在の日本の学校教育が根本的に抱えると私は考える『差別の常態化』や『弱い者に対して何をやっても許されるような風潮』は続くでしょう。
私は残念ながら結婚もしていませんし、そもそも子供もいませんが、もし子供を持つような立場であるなら、早急にこのような問題が無くなるように、大人としての責任を果たすべきだと考えます。




