第21回 面接と実際とで異なる勤務内容
会社案内や面接の時と、実際に働き出してから色々と現実が異なっていたという事は、現実に少なくないと思います。それは限られた時間内で双方が完全に理解することなど無理なことですし、ある程度は仕方ないと思います。
それでも現実との乖離があまりにかけ離れている場合は、流石に『おかしい』と思うのは当然ではないでしょうか。
もちろん人によってはその乖離が許せる範囲に違いがあると思います。またそもそも違いがあまり無かった(感じられなかった)場合もあるので、全ての人が経験するとは言いませんが、それでもかなりの方が経験すると私は思います。
私も転職は何度も経験しましたが、実際のところ事前の説明と実際の業務内容では、私の実感ではおおよそ8割に大きな乖離があったと思えます。まあ、事前の説明とは異なる業務内容を行わせる場合は、当然本来は説明すべきところなのでしょうが、それで『逃げられて』は意味がないのでしょう。しかしながら面接に来た人が『逃げる可能性がある業務内容』を事前にきちんと伝えないこと自体が、今の日本社会にある闇の部分であると私は思います。
そもそも仕事という性質である以上、全ての業務内容が希望に添った物であるかとなると、私は異なる場合が多いのではないかと思います。
それはよく聞く物で言えば実労働時間や残業の扱いでしょうか。他にもちょっとした近くにある作業程度は行う事を前提に会社側が考える場合もあるでしょう。
直接給与に関連する事に労働時間や残業の扱いはあると思いますが、しかしこれも人によっては許容できる範囲もあると思いますし、俗に言うブラック労働というのは、従業員に対して労働環境(実労働時間と給与など)があまりに乖離している場合が一般的に多いと思いますし、その他には現実の就業時間が人の生活を破綻させかねないような場合などが、いわゆるブラック労働などと呼ばれる大半ではないでしょうか。当然これら3つが同時に重なれば、人は限界となりどこかで破綻が起きるでしょうが、正直近年の企業が労働者に求めるものは、特に上級管理職と呼ばれるような立場を除けば、いわゆる『労働奴隷』を欲しているのだと思えてなりません。
今現在の日本では、奴隷は悪とされていますし、日本国内では一般に言う奴隷は無いことになっています。
ただ『奴隷』という立場を考えた場合には、私は実質的には存在すると考えます。それは一部で最近聞くようになった外国人労働者に対する扱いだけではなく、日本人労働者に対してもです。
そもそも奴隷を調べるとウィキペディアでは以下一部抜粋しますが
・奴隷とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物。名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制される。
では現実に日本の企業で行われていることをここで考えてみると、特にブラック企業と呼ばれるようなところで行われていることを聞く限り、以下のような物があると思えます。内容は順不同です。
・会社に対しての服従を求められ、年休(有給休暇)などが認められない
・会社での長時間の実質的拘束が行われ、その人の自由となる時間が限られる
・長期間雇用されても給与が上がることなく、最低賃金またはそれに近い状態で雇用され、貯蓄は元よりその人の趣味などの自由が制限される
・会社側に対しての文句は元より意見を言うだけでも、場合によっては人権を非手するような暴言またはそれに類ずる行為が行われる場合がある
・会社側に都合が悪い従業員は、その理由を明らかにせず突然解雇される場合がある
・会社側に貢献した内容が正しく評価されない。
もちろんブラック企業と呼ばれる企業にこれら全てが当てはまるとは言いません。ですがブラック企業と呼ばれない企業であっても、似たような事が場合によっては行われているといったとしか個人的には思えないニュースなどもあり、仮にそういった企業もブラック企業であることを認定するとなれば、かなりの数の企業が該当してしまうような気さえします。
もちろん企業から報酬として給与という報酬をもらうわけですから、入社時に契約した内容は少なくともある程度は満足する働きをする必要があると思います。無論最初から達成不能のような場合はこの限りではありません。
ちなみにウィキペディアで『ロボット』の語源を調べると
・チェコ語で賦役(強制労働)を意味するrobota
・スロバキア語で労働者を意味するrobotnik
から作られた造語であるとされています。
最初にこのロボットが世の中に言葉として搭乗したのは小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.(ロッサム万能ロボット商会)』だそうですが、2つの語源からそもそもロボットという物は『強制労働させる労働者』であると考えることが出来ます。
その後の様々な小説の中などでロボットは様々な役割を持って搭乗しますし、現在は人間の代わりに様々な物を製造する、現代では欠かせない物の一つと言えるでしょう。
ですがいわゆるブラック企業と呼ばれるような企業に関していえば、人である労働者をあたかも『ロボット』として扱う(ロボットは多くの場合『物』扱い)ため、そこに人権という物が無いようにすら感じるのは気のせいでしょうか? そして『物』として扱うため、その人が怪我や病気になった場合などは、様々な理由を付けて本人が自主退社といった形をとらせている場合もあると思えます。
そしてこれらの事が悪い意味で普通の企業でも大なり小なり取り入れられ、従業員を人としてしっかり見ない環境が現在は出来つつあるようにすら思えてなりません。
実際の勤務内容と、最初に聞く勤務内容の差異は、こういったところから出ている場合もあるのではないでしょうか?
現在労働環境などの見直しなど、国なども働きかけてはいますが、現実にはそれがしっかりと行われているとはあまり思えません。そういった事を規制する上でも、最初の労働環境の説明は、もっと何らかの補償的な物が今後は必要なのでは無いかとすら思えます。




