第17回 最初の就職先と勤務時間
専門学校で色々なことを学びましたが、結局それがその後の就職で役に立ったかと言われると、まるで役に立っていないと思います。何より専門学校で学んだことはかなり専門的な物であり、今でこそどうか分かりませんが、当時は就職先もある意味まだ限られていたと思えます。その意味では学校選びから間違いがあったのかもしれませんが、それを今さら言ったところで運命は変わりません。
最初の就職先は東京23区内に本社のある大手企業でしたが、そこでの私の業務もある意味専門的な物で、当時一応それなりに知識はありましたが、専門的な勉強などをしたわけでもありません。今ほど細分化されてはいませんでしたが、いわゆるコンピュータソフトウェア開発職を主とした仕事でした。そうは言いながらも、実際には社内ネットワークの管理をしているサーバーと言われるコンピュータの管理とメンテナンスや、場合によってはネットワークの敷設など、単にソフトウエア開発とは言えなかったと思いますし、それこそ社内ネットワークを一部ではありますが、管理権限まで入社1年目にして持っているなど、今考えれば正直恐ろしいほどの兼任です。
そもそも当時は一般的にパソコンといってもOSと呼ばれるパソコンの基本ソフトウエアはアップル社以外ではマイクロソフト社の家庭用や小規模企業向けのWindows95や98が主流で、一部の大きな企業ではWindowsNT 4.0と呼ばれるOSが使われている程度であり、その後に登場するWindows2000やその後のWIndowsXP、Windows8、現在主流のWindows10などとは、その機能を単純比較することなど無意味でしょう。他にもUnixやLinuxと呼ばれるOSもありますが、現在もあまり一般的ではないため割愛します。
ただ偶然にも私はそれらのWIndows系OS以前にあったMS-DOSと呼ばれるマイクロソフト社のOSなどからパソコンを使用していたこともあり、また私としては遊び感覚でプログラミングなども行っていたり、自宅でネットワークを構築していたりと、普通よりも早くパソコンに触れる機会があったことも事実です。そういった中でプログラミング言語などを独自学習していたりと、まだインターネットが一般的で無かった頃からそう言った世界にのめり込んでいたことも、就職のきっかけになったのは事実だと思います。ただそれらにのめり込む原因が自宅を含めた色々な先で自らの居場所をきちんと作ることが出来なかった事もありますが。
まあ良くも悪くも趣味のような物が仕事になるわけですが、もちろん私も最初から『趣味の延長線』で仕事をするつもりなどありませんでした。当然といえば当然ですが、そもそも趣味は遊びであり、当然仕事は遊びではありません。
まあ世の中には趣味の延長線だけで十分に仕事が出来る方も中にはいるかもしれませんが、普通は早々その様な事は出来ないと思います。そもそも『趣味を仕事にすべきではない』といった意見もありますし。今では私もそれに強く賛同します。
その様な経緯を経て就職は何とかなりましたが、現実はかなり厳しい物でした。それは今までの知識が役に立たなかったという事ではなく、その業務があまりに過酷であったことです。
午前8時30分出社で業務は一応午後6時までという内容ではありましたが、現実には出社時間こそ変わらないものの、業務が終わるのは午後11時30分頃であり、昼の休憩時間こそ1時間確保されていましたが、それ以外の休憩時間となるような物はありません。
また残業(時間外労働)となる午後6時以降であっても残業代は認められず、一応書類状は1ヶ月につき10時間程度の残業を行っていることになっていましたが、実際には1日で毎回4時間30分の残業を行っているのですから、3日もあればそれ以外の残業は全て無休残業になってしまうわけです。
また就労する日も週6日で、日曜日以外は就労日になるわけですから、単純に1ヶ月を30日とした場合にその労働時間は8時間×24日と残業時間であり、土曜日であっても退勤時間は変わらなかったので、時間外労働として考えると4時間30分×24日であり、108時間の時間外労働をしていた事になります。
後で知ったことですが、労働基準法では、1日8時間労働で週の勤務時間は40時間までと定められており、『36協定』と呼ばれるものを個別に従業員と契約を結ばない限り、その上限を守る必要があります。また36協定を結んだとしても、最大で認められる時間外労働時間は45時間であり、これを元にすれば完全に36協定すら無視した勤務形態であった事が分かります。
また私の場合は月に何度かの『泊まり込みをしながらの業務』があり、私が記憶している限りにおいて最大勤務時間は連続64時間でした。もちろん途中に睡眠時間など確保されていませんでしたし、昼食の時間も実質勤務していたため、これだけで十分に違法な労働形態であったと言えると思います。それが月に数度あったわけですから、実際の実勤務時間は通常の勤務時間が1ヶ月あたり204時間で、泊まり込みをしていないと考えた場合の時間外勤務が108時間、泊まり込みを考えると実質130時間以上となり、合計すると最低でも334時間は月に勤務時間として消費していたことになります。
まあそもそも労働基準法において週40時間労働までと決められているのですから、週の労働時間が51時間になっている以上、その時点で労働基準法違反ですが。それを踏まえて40時間を超える時間を時間外勤務と計上した場合、月の労働時間は労働基準法基準で週40時間として月160時間、時間外労働は通常の業務時間とされていた部分の超過分を除くと月44時間が加算となり、時間外労働の合計は最低でも174時間となるわけで、合計すると334時間が月の労働時間になりますね。
現在では月の残業時間が80時間を超えると『過労死ライン』と言われていますが、単純計算だけでその倍の労働時間となるわけです。
当然その様な勤務が続いたわけですから、どこかに無理が来ます。その時は内臓の機能が悪化し、肝臓においては当時GPT(現ALT)やGOT(現AST)、γ-GTPなどの数値が軒並み悪化しました。GPTやGOTに関しては、検査当時最大で基準値の10倍を超えていたこともあり、医者に『何故生きているの?』と真顔で言われたほどです。そうは言われても私自身検査するまで疲労以外の自覚症状などありませんでしたし、こちらが聞きたいくらいでしたが。
その様な経緯もあり、結局最初の就職先は1年ほどで辞めることとなりました。
正直今考えれば、最初から就職に関しても躓いていたと思えます。




