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第14回 必要な学力の基準

 中学生時代で度重なるいじめを受けていた事と、後になって分かった高次脳機能障害の影響もあったかもしれませんが、正直言って私の学力はかなり偏った物になりました。それが全ての原因とは言えないでしょうが、結局高校への進学をしましたが、当時進学したその高校は必ずしも偏差値が高いとは言えない場所でした。当然その様なところですし、見知った中学生時代の人間もかなりいて、高校でもいじめは続く事となります。


 高校への進学がごく当たり前の昨今ですが、改めて振り返ると本当に高校という学校機関に行って良かったのか分かりません。


 確かに当時でも中卒での就職は色々と不利な面があったとは思います。また会社という組織においても、いじめなどがなくなる事はないでしょう。しかしながら明確に給与をもらうために仕事をする事と異なり、正直言って当時から高校に入学する事もある意味惰性だったと思えます。そこに本当に意味があるのか、今思うと私には分かりません。


 確かに高校を卒業しなければ得られなかった経験はあると思いますし、何よりそれなりの学力は向上したかもしれませんが、通常の生活に置いて高校で学習する数学などを役に立てている人は、実際にどの程度いるのでしょうか? これは高校だけでなく大学などでも言える事ではありますし、私自身大学こそ行ってはいませんが、高校卒業後に専門学校にも行っているので、こういった事を書く事自体がおかしな話ではあるとは思います。


 しかしながら以前にニュース番組の中でとある中小企業の社長が『今の若者は大学まで出ているから技術を学ぶのではなく盗もうとする。これでは教える事も教えられない。中卒で構わないから働きに来てくれれば、後はこちらで全て教えるのに』というような内容をコメントしていました。


 その企業はいわゆる小さな部品などを作っている会社のようでしたが、例え中小企業であっても企業秘密はあると思います。むしろ中小企業だからといってその秘密を馬鹿にする事自体がおかしな事であり、企業秘密にその企業の大きさは関係ないはずです。


 その社長はおそらく『技術を継承してくれる人材』を求めているのであって、その為に今の大卒といったような学歴ではなく、若いうちから学んで技術を物にしてくれる人材を求めているのと、一度就職したからには厳しくとも最後まで面倒は見るといった考えなのではないかと私は思いました。


 確かに学力としてある程度の知識は必要だと思います。それは紛れもない事実であり、それを否定するつもりは毛頭ありません。むしろ高度な専門知識が必要になるのであれば、それ相応の学力は不可欠でしょう。しかしながら全ての人がそれに当てはまるかと言えば、私はそうは思いません。


 そしてこの社長の言葉は、仮に専門的な知識が必要だったとしても、それを会社側で教えるという事ではないでしょうか? 何より物を作る場合、実際に制作しなければ分からない事も多いと思います。それは多くの場合普通の高校や大学で教えてくれるような事とは思えません。


 話を戻しますが、正直言って高校時代もいじめが続いていたため、良い思い出などありません。ですから今思えば、中卒で就職という環境がおかしくなければ、そのまま就職の道に進んでいた可能性が高いと思いますし、イジメを受ける事が分かっていればなおさらです。


 ただ、もっとしっかり勉強が出来ていればと思う事はありました。少なくとも私が聞く限り、一般に偏差値の高い学校は、いじめのような問題が少ないと聞くからです。もちろんこれは『たられば論』ですので、こんな事を書いても何も解決しませんし、今の環境が異なるわけでもありませんが。


 何事も経験する事に無駄は無いという言う方などがいますが、それはいじめのような事を受ける側にいなかったからこそ言える言葉だと思います。確かに色々な経験は時として無駄にならないかもしれませんが、一方的に受ける暴力(肉体的、精神的問わず)など、受ける意味があるとは到底思えません。何か悪い事をして怒られるとは異なるのですから、そこに意味を見いだす事自体が私は無意味だとしか思っていませんし、断言しています。


 そもそも高等教育の一部を行う日本の高等学校において、なぜいじめをする暇があるのでしょうか? そんな事をする暇があるなら、もっと高校で出来る事をしろとしか思いません。これは全てとは言いませんが、日本の大学にも同じ事が言えると思います。


 私も個人的に耳にする事が希にありますし、様々なメディアでは当たり前のように高校や大学時代の恋愛話がドラマなどを筆頭にありますが、本来であれば優先すべきは学校という場所なのですから、学業が主目的であり、その一環で恋愛に発展するならまだしも、それこそ一部では『大学に(恋愛の)出会いを求めに行く』という行為を普通に容認している事自体が、私には異常と思えます。


 最近では高校無償化により高校の授業料が免除されるなどが行われるようになりましたが、その目的は恋愛などの出会いを促進させるためでは無いはずです。あくまで学業のためであって、私はそれを疎かにするのであれば無償化など行うべきでないと思っていますし、そもそも義務教育ではない高校の授業料無償化など愚の骨頂であるとすら考えています。そんな所に貴重な税金を投入するのであれば、もっと育児関係の方に税金を投入して充実させるべきだと考えます。


 もし私が高校時代にいじめなどに遭う事なく、もっと勉強に専念できていればこの考えは異なっていたかもしれません。しかし中学時代ほどではないにしても、肉体的、精神的暴力は何度も受けましたし、何故か被害者側である私が実質的な『停学処分』になったこともあります。この時いじめをした側は肉体的暴力を行ってきたために文字通り停学処分となりましたが、なぜ被害者側の暴力を受けた側が、事実上の停学処分を受けなければならなかったか、全く理解出来ません。


 そもそもこの時は、相手の一方的な言いがかりというか、いつもの延長線のようないじめで暴行をしてきたため、流石に私も我慢できなくなり、1度だけ相手を殴った事がその発端でした。しかし普通に考えれば、相手から暴行を受けている最中に反撃する事はおかしいのでしょうか? これではまるで今の平和憲法をそのまま文字通りに読んだと同じで、例えどんな暴力を受けても反撃など一切してはならないと言っている事になります。しかし普通は自らに被害が及びそうになれば、それを避けるようにするでしょうし、暴力を受けている最中であればそれに対して最低限の反撃を行う事は、今の刑法でも認められた行為であり、相手に対して必要以上に暴行を行わない限り、それは緊急避難としての正当防衛として認められた行為です。これすら認められないとなると、どんないじめに遭っていたとしても一切の反撃は行ってはならない事になりますし、それどころか逃げる事さえもやってはいけない行為とされる恐れすらあります。到底このような事は認められません。


 ところで、こういった事について『昔のことを考えても仕方がない。前向きに考えた方が(行動した方が)良い』といったような事を口にする方がいらっしゃいますが、正直申し上げてそれは『トラウマになるほどの行為をされていない』からだと考えます。


 残念ながら日本ではいじめによるトラウマやPTSDは医学的に認められていないのが現状ですが、ヨーロッパでは既に認められている国もあるそうです。そういった意味でも日本はこの分野において遅れているとしか思えません。


 そしてトラウマやPTSDに陥るまでになった場合、現実問題としてちょっとした事で過去のことを容易に思い出します。私もいじめのニュースなどで容易に思い出してしまうほどですし、恐らくはそういった体験をされている方が日本では声を上げづらい環境にあるのでしょう。結局いじめなどでトラウマやPTSDになっていたとしても、日本では適切な医療すら受けられないのですから、どこまでもいじめられる側が不利な環境である事は疑いようが無いと思いますが、残念ながら前向きに行動すればよいと言ったようなことを安易に口にするような方は、自身がそういった事に無縁だった為だと思います。何より体験していないことを想像だけで想定するなど、それこそ限界があるのです。


 その上で現在はいじめを受けていて、それが原因である種の人間不信になっていたとしても、そのままいずれ就職するしかないのが現状であり、個人的には学校でのいじめが長期間であればあるほど、その後の就職にまで影響してしまうのではないでしょうか?


 現状それを解決する方法としては、極めて手段は限られていると思います。何より日本の医療体制は当てに出来なく、本人があまり望んでいなくとも上級学校に行くように周囲からも言われれば、いじめの被害者はどこに救いを求めれば良いのでしょうか?


 ならば希望する人には中学卒業でいじめに対して理解がある就職先を斡旋することの方が、よほど建設的であると思えます。


 もちろん社会で働いてもいじめはあります。しかし前提条件として受け入れる企業側が『いじめの被害者』であることを前提として受け入れるのであれば、大人数の中でいじめられる環境に身を起き続けるよりも、よほど精神的にも楽になるのではないかと思えるのです。


 そういった意味でも私が上級学校に進んだことは、今考えれば必ずしも良い方法とは思えなく、それこそ何らかの職人的な仕事をしていれば、仕事の内容で注意を受けることはあったとしても、それはいじめとは異なるのですから、全く違った人生があったのではないかと思えるのです。


 そもそも本当に高校以上の学力がなければならない世の中なのでしょうか? もちろん最新の研究など、さらに努力を重ねたいという人の進学を止めるつもりはありませんが、もっと昔のように中卒でも容易な就職が出来る環境がある事もまた、物作りの国としては1つの方法であると考えるのです。

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