第13回 将来の責任はどこにある?
人の人生は一度きりです。一部にあるような小説のように人生をやり直せるならと思う人も少なくないかと思います。1度きりだからこそ『あの時ああしていれば』といったような話も出来るわけで、やり直しが出来るならそんな話題が出るわけがありません。
当然私も『あの時にああしていれば』といった類いの事があります。その中で中学生時代に焦点を当てると、一番は『進路』だと思います。
前回に1980年以降は中学から高校への進学率が100%近いことを書きましたが、私もその年代です。むしろ1970年以降に生まれた人は、何らかの事情でもない限りほぼ100%の人が中学から高校に進学していると思います。
前にも中学時代にいじめを受けていたことは書きましたが、正直かなりの回数保健室に授業中行っていましたし、当然保健室にいるような状況では授業を受けることなどあり得ません。また現在こそ分かりませんが、保健室などで授業が遅れがちになる人に対しての対応がある訳も無く、自ら授業の内容を自分で学習するしかなく、私の場合は教員からも疎まれていた節があるため、最初の頃こそ授業内容を聞きに職員室へ行く事がありましたが、結局一度も教員が授業内容を教えることはありませんでした。
当然ですが教員の協力も得られずに授業内容へ追い着こうとしても、1日の時間は限られています。いわゆる天才などと言われるような人であれば異なるのかもしれませんが、他の授業の内容で分からないことがあれば自分で解決するしかありません。休み時間などに授業内容を教えてくれるような人でもいれば違うかもしれませんが、まもとに友人と言える人物が皆無に近い中、学校内で分からないことを確認することなど至難の業となります。
それなりに親の協力があれば異なるかもしれませんが、当時はそれも十分には得られず、こうなってしまえば全て自分で解決するしかないわけですが、私は天才でもありませんですし、その様な事は不可能でした。
好きな教科がある人は大半の人に1つくらいはあると思いますが、そういった教科ならまだしも、普通は嫌いな教科の1つや2つはあるものです。当然私にもその様な教科はありましたし、そういった教科を自主学習するのは、教科書を見ただけで十分に理解出来るのであれば別かもしれませんが、そうでなければ難しいですし、応用が必要な教科ともなれば絶望的でした。
そういった状況が長く続けば続くほど、不得意な教科ほど露骨に成績として数値に表れます。特に中学ともなれば中間試験や期末試験といった物があるので、苦手教科ほどその回答が出来なくなるのは当然ではないでしょうか。
かといってその苦手教科のために他の強化を疎かにすれば、当然他の教科にも影響が出てきます。本来であれば授業を受けることによりある程度の理解は教員の説明などで出来るかと思いますが、それが出来ないとなれば八方塞がりといった状況です。
また前にも記載しましたが、生まれて間もない頃に『脳出血』を起こしたため、当時は気が付きませんでしたが多少の『記憶障害』なども影響したのでしょう。当時は原因が全く分かりませんでしたが、周囲の人と比べて集中力が続かなかったりなど、普通の授業ですら途中から内容が頭に入らなくなることもありましたし、自己学習ともなるとちょっとした事で集中力が切れることは当然のようにありました。
もちろんそれらが全て『記憶障害』が原因であるとは思いませんが、後に医師から『勉強などで苦労したのでは?』といった指摘を受けたときは、根本的なところで人生設計が間違っていたと思ったほどです。
しかし残念ながら当時の私はその様な事など考えてもいませんでしたし、そもそも当時は脳出血などによる記憶障害を含めた『高次脳機能障害』など、日本には言葉すらなかった時代でしたので、当然かかりつけだった病院でそういった指摘などあるはずもありませんでした。
結果として何が起きたかと言えばいじめなどによる勉強の遅れに、その勉強の遅れに伴う学習が十分に出来なかったため、一部の成績はかなり悪かったと言えます。そしてその課目は、高校への進学には重要な物も含まれていたため、中学の時の進路相談の時に希望していた高校へと行くことなど夢物語となっていました。
今でこそ思いますが、高次脳機能障害に伴う勉強の遅れなどは仕方なかったとしても、いじめが原因で十分に授業を受ける事が出来ず、その為に遅れてしまった学習内容は私の責任となってしまうのでしょうか?
小中学生などの義務教育期間で学校に行かなくなった場合に不登校や登校拒否といった言葉が使われますが、文部科学省の調査によると学童・生徒数は近年減少していますが、不登校になっている方の数はここ20年右肩上がりで増えているそうです。また同省2014年の調査によると、いじめなどを含んだ理由とする物が53%(複数回答の結果)で、これがそのままいじめでの不登校の割合ではないでしょうが、かなり高い割合でいじめが不登校の原因である事が予測できます。
他にも小4から中3までの間にいじめを受けたと回答した割合が89%で、いじめをしたという回答も79%と極めて高い値になっています。これは年齢やクラス、学校が変わるなどのことによって、それまでいじめを受けている側がいじめる側に移ったり、その逆が普通に行われていると考えるべきでしょう。
この中で長期間または短期間でも本人にとって深刻と思える事態になったときに、一定の方々が不登校になったと推測できます。
いじめが原因で不登校となった場合で、文部科学省の調査では病気については不登校の理由として別となっていますが、いじめが原因の精神的な疾患や、いじめが原因の重大な怪我などを負ってしまった場合の不登校も正確に集計した場合は、本来もっと多くの数値になると個人的に予想していますが、どちらにしても不登校となった方のかなりの割合で、いじめが原因であった可能性が高いことは否定できません。
当然その様な事になった場合は最悪人間不信に陥ったりと、社会生活にさえ重大な影響を受けることになりますが、そこまで極端な例でなかったとしても不登校の理由のうちにいじめを原因とした割合が相当数ある以上、不登校とならないまでも日常的にいじめを受けている方がいる可能性は高いと私は考えます。
当然ですが不登校になってしまった場合は、十分な教育を受ける事が出来ませんが、その原因がいじめにあった場合は学校側がいじめられていた方を保護できていなかった責任があるはずです。そして不登校にならなかったとしても、いじめが原因で学業に遅れが出ている場合なども、その原因の一端として学校側の責任があると考えます。
しかしながらこれらの事に対して今の学校制度がいじめを受けた『被害者』に対して、十分な対策などで来ているとは到底思えません。個人的には全く出来ていないと同義にすら思えます。
少なくとも義務教育期間であれば、その期間の学校で行われたいじめにおいて生じた学業の遅れは、学校側に大きな責任があると考えます。しかしながら今でもいじめがあった事自体を隠している事が自殺された方が出てから分かるなど、相当数の学校においていじめに対しての対策が行われていないどころか、対策すらしようとしていないのではないかと思えてなりません。
いじめで自殺されてしまった場合などは最悪の結果と言えますが、自殺をしていないからといってそれが良かったこととは絶対に言えません。場合によっては十分な教育を受けるチャンスを逃してしまうことになってしまっているのが、上記に記載した不登校などであり、本来であれば守られるべき被害者を疎かにし、いじめている側である加害者が守られているという、理不尽な実態が今の日本における、特に小中学校における実態ではないでしょうか。本来であればあってはならないことのはずです。
私自身がその立場であったと今では考えていますし、同じような状況に置かれている方々が日本中に多くいらっしゃるのではないでしょうか? これが正しい状態であるとは到底考えられませんし、すぐさま是正してしかるべき事のはずですが、一般的な犯罪の報道でもそうであるように、被害者の個人情報は簡単にニュースになっていたりするのに対し、加害者側については必要以上に個人情報が守られていると私は思います。それが遅くとも小学校から始まっている(個人的には保育園や幼稚園からその土台は出来上がると思います)と考えれば、これ程異常なことはないのではないでしょうか?
守られるべき側が守られず、守らなくても良い側が過剰に守られていると思える今の状況と、私が経験してきたいじめによる結果から考えて、日本は物理的な力が強ければ有利になりやすい環境であると考えます。そしてこれは、本来あってはならないことであると私は考えます。
少なくとも暴力で人生を狂わされた(狂わされている)と認定できる場合には、被害者側への十分な補償と、加害者側がその責任を負う事は、最低限必要ではないでしょうか。




