表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/42

第11回 命の危機と学校の対応は別

 メディアで毎月最低1度はいじめを苦にした自殺や、場合によってはいじめられた側がいじめていた側を殺すといったことなどが報じられると思いますが、多くの場合はいじめを苦にした自殺だと思います。


 しかし個人的な経験として、本当にそれだけか疑問に思わざるを得ません。


 私の場合でそれを感じたのは中学の時でしたが、死にはしなかったものの場合によっては死に至る行為をされました。そして学校側の対応は結局救急車を呼ぶだけで、それ以上の対応は何も無かったと思います。


 前の話でも書いたとおり私は中学時代も最初からいじめられていました。しかも中学生ともなればそれなりに体力がついていておかしくない時期で、元々体の弱かった私は格好の的だったのでしょう。


 そもそもとして今考えれば部活動になど入っていなければよかったと思うのですが、とある運動部に所属することとなり、しかも一つ上の上級生も私がいじめの対象であることを知っていたことと、同じ学年で所属した同期生には、それまでいじめには積極的に加担していなかった者も周囲の様々な悪影響があったのか、いじめが行われるまで時間などかからなかったことを考えれば、余計にそう思わざるを得ません。


 そこでもいくつかのいじめがありましたが、最も酷いというか、実際に今でも傷害事件であり、学校側は犯人隠避などの罪に問われても仕方がないと思える内容です。


 それは私がまだ中学1年の時に発生しましたが、既に最上級生の3年生は実質的に部活には参加しなくなってきた頃でした。ある意味どこかで3年生というブレーキが多少はあったのかもしれませんが、恐らくそれが無くなったことで一切のブレーキが無くなったのだと思います。


 その日部活動の場所に行くと、それほど時間もかからずに大半の2年生と同期生の数人に囲まれ、校舎と体育館を繋ぐ外廊下へ脅す形で誘導されました。そこからは殴るケルの暴行が始まり、しかも周囲を囲まれているので逃げるに逃げられません。それでも外廊下の方へ徐々に移動しましたが、今思えばそれすら誘導されていたのではと思えます。そして突然1人が私の頭を掴んだかと思うと、そのまま私の背後にあった外廊下の屋根を支える鉄柱へ頭を数度強く打ち付けられました。実際に何度打ち付けられたのかは覚えていません。何故なら恐らく脳震盪またはそれに類似する症状により意識を失ってしまったからです。


 気が付くとその近くの土の上に半身を横にして倒れていましたが、その時もまだ意識は朦朧としており、大半の者が何か様子を見ているような感じはしましたが、私に対して救援の手を差し出す者はその場にいませんでした。それでも誰かが教員に連絡はしたのでしょう。しばらくして救急車が到着し、比較的大きな近くの救急病院でCT撮影を行ったことは覚えています。そのくらいになってやっと意識がはっきりしてきたとも言えるので、意識がもうろうとしていた時間はそれなりに長かったはずです。


 ちなみに病院に来ていたのは、担任でも部活動の担当教員でもなく、学年主任や教頭、好調でもありませんでした。顔こそ知っていましたが普段はあまり接点のない教員であり、そかられ親が病院に来ましたが、私が受けた行為を直接私が話すまで、実質的に何もしていなかったと思います。少なくともとりあえず大丈夫なことが分かった後でも、謝罪どころか心配している素振りさえ無く、声すらかけられませんでした。


 今はSNSなどで暴力行為が撮影されてニュースになったりもしますが、少なくとも私が通っていた中学校ではその後隠蔽が行われ、私に部活を辞めるように言う始末です。それまで『部活に入らないことは認めない』という態度を手のひらを返したような態度に呆れてしまいました。


 そもそも再発防止などを伝えるのでは無く、当然謝罪なども無く、私からすれば『面倒な者がいなくなるのが一番』といった態度にしか思えません。結局部活動はそのまま在籍しましたが、中学校を卒業するまでまともな練習の指導は教員から無く、半分いない者といった感じだったと思います。


 学校側がそんな態度でしたから、流石に鉄柱に再度頭をぶつけられるような事こそありませんでしたが、少なくともそれが引き金となりある種の精神疾患に罹患しました。それは今だからこそ精神疾患だと言えるものではありますが、当時はその認識も無く、それによる症状が出ても保健室に行かされるだけで、一時期は保健室の対応では間に合わないほど症状が悪化し、救急車を呼ぶ事にすらなったほどです。しかし当時はまだそれが精神疾患であるとの認知はほとんど無く(今調べると、症状としてそれは当時から精神疾患扱いではありましたが、原因が不明とのことで精神疾患扱いにはならなかったようです)、王磁気化なりの時間を無駄にしたと思いますし、当然それにより勉強が遅れます。授業内容に追いつけなくなるまで、あまり時間はかからなかったと思います。当然それが大きなきっかけだったのだと思いますが、教員からはある種も問題生徒であり、関わりたくないといった雰囲気を何度も感じたものですし、教員がいないところでのいじめはむしろ加速しました。当然教員に訴えることもありましたが、結局卒業まで改善しなかったことを考えれば、ほぼ間違いなく把握しながら放置していたと考えるべきです。


 一度遅れだした授業内容については結局まともに取り戻すことは一部困難になり、当然それは成績にも影響します。しかも小学校と同じように教科書などの私物の破損も定期的に続いたので、私個人の全体的な成績が改善することは結局ありませんでした。むしろ一部強かは確実に習わない中で自主学習する形になるため(後から教員による遅れを取り戻すような行為は一切ありません)、中学生が1人で出来る事など限られてきますし、そもそもの大前提として授業内容に遅れているのは全て私が悪いという形で何度も教員から言われていたため、そんな状況で勉強が捗るほど私はがんばることも出来ませんでした。


 こう書くと私にも悪いところがあるのではないかと言われる方もいるでしょう。そもそも努力が足りなかったといった言われ方をする方もいるでしょう。


 今だと中学生までの医療費が無料の自治体など、色々な政策を行っている自治体や、そもそもとして国のバックアップが昔よりも良くなっています。


 しかし居住している自治体では当時その様な政策などなく、中学生以下でも普通に医療費がかかる時代で、尚且つ学校で発生し病院に救急車で運ばれても、学校側は一度も医療費の支払いをしていないことを後ほど知っています。当然その医療費は生活費などを圧迫したでしょうし、必要以上の出費を強いられたはずです。そんな中で自宅で十分に学習するというのはかなり無理な話があると私は言わざるを得ませんし、また1日の時間が限られている中で保健室や病院、自宅で寝ている時間を差し引いて周囲と同じレベルの学習をするというのは、私から言わせていただければ無理難題どころか、不可能を行っているのと同じにしか聞こえません。


 結局そういった事などがいくつも重なった結果、高校ははっきり言ってレベルの低いと言わざるを得ない場所にせざるのを得なかったのは、私の人生において大きなマイナス要素になったと考えています。


 いじめというたった3文字で、場合によってはその人の人生を根本から壊してしまうことに対して、今でも被害者であるいじめられる側は、社会的弱者になりやすい環境が今も尚続いていると私は考えますし、これが改善されなければこれからも未来を事実上潰された子供たちが量産されてしまうと私は警告せざるを得ません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ