マハーバリプラムの母子
南インドの海沿いの街、チェンナイから南へ30㎞に位置する、マハーバリプラムという遺跡がひしめく観光地。インドの神話を外壁一面に刻んだ寺院、丘の上にある今にも転がり落ちそうな岩。古代の人々が、信仰という最も強い信念で作り上げた作品たちがひしめき合う。
乗り合いバスを降りると、さっそく客引きや物乞い達に囲まれる。この状況にも慣れたもので、「ナヒーン、ナヒーン」と言いながら人混みをかき分け進む。客引きたちは自分の店からある程度離れると諦めて帰っていったが、ここの物乞いたちはしぶとかった。
腕が片方ない者、足が奇妙な形に変形している者たちがどこまでもつきまとってくる。私はこの旅の中で、彼らは物乞いという “職業” なのだと理解した。彼らのバックにはマフィアのような集団がおり、あげたお金の大半は上納金として彼らに渡るという。一方で物乞いたちは彼らから多少の食糧と賃金を得て生活をしているため、それなりに肉付きは良い。
私も最初のうちは耐えきれず物乞いたちに金を渡すことがあったが、「もっとだ、もっとくれ」と騒ぎ立てられ、しまいには他の物乞いまで呼び寄せられてしまって以来、物乞いは無視するようになった。
「ついてくるな!」
日本語でまくしたてる。もちろん彼らは日本語を理解できないが、怒っているという感情は伝わる。すると彼らは睨みつけるような目を向けて、渋々とバス乗り場の方へ戻るのだった。
マハーバリプラムの一番の見どころは、何といってもショー・テンプルだ。海辺の寺院と言う意味で、この地方のガイドブックの表紙を飾ることもある。そんな有名な観光地だからか、東洋人や白人、黒人とありとあらゆる人々が参道を歩いていた。
その参道の中ほど、道の端にボロボロの服をまとい、文字通り骨と皮しかない人間が座っていた。一目見て苦行僧であると分かった。彼らは人間の苦しみの根源を探るべく、自らに過酷な試練を課し、苦しみと向き合うのだ。頬は痩せこけ、腕も棒切れのように細い。その細い腕で何か黒い物体を抱えている。一言もしゃべらず、動こうともせず、土でできた小さな皿を前に置き、うなだれるように座っていた。
奇妙なのは、腕に抱えている物体であった。まるで全身の毛が抜け落ちた、黒いガリガリの犬のようなカタマリを抱えていた。
苦行僧の存在は話に聞いていたが、その異様な雰囲気に思わずたじろいでしまう。しかし気を持ち直して、他の観光客に紛れて前を通り過ぎた。
その後は屋台や土産物屋が並ぶエリアを抜け、難なくショー・テンプルへと到着した。ガイドブックと同じ構図で写真を撮ったり、遺跡を見学したりと、初めて観光らしいことをしている状況を楽しむ。また、裏手がビーチになっており、多くの人が海に浸かっていた。
私も初めて間近で見るインド洋に気持ちが昂ぶり、靴を脱いですねまで浸かってみる。海水は思ったより綺麗で、ほんのり温かかった。指先に付いたしずくを舐めてみると、日本の海よりも塩気がマイルドに感じた。これがインド洋か! と柄にもなく興奮するのだった。
靴を盗られないか心配になったため、早々に浜辺へ上がる。砂浜で足を乾かしながら、楽しげに遊んでいる周囲の人々を眺めていた。
苦しいことばかりではないと、チェンナイのスラム街で出会った老人は言った。日々の中でこういった楽しみを見つけられれば、あるいはもう少し頑張れたのかもしれない。しかし日本での生活で、こんな余裕に浸ることができるとは到底思えなかった。日本人としての生活に戻りたいとは、まだ思えなかった。
足がある程度乾いてから、別の観光スポットへ向けて移動を開始する。目的地はバス乗り場の反対側にあるため、またあの客引きや物乞いたちの中を通り抜けるのかと思うと嫌気がさす。
バス乗り場へ戻る途中、道の端にあの修行僧がいた。相変わらず毛の抜けた犬のような物体を大事そうに抱えている。
私はふと興味がわいて、その物体をよく見てみたいと思ってしまった。
道の端側、その修行僧の近くを通るように歩く。だんだんと近くなるその物体に、頭があることが分かった。やたらと細い手足、残酷なほどあばらが浮き出た胴体。そこから歪なほどに膨れ出た腹。
それは決して修行僧などではなかった。母親だったのだ。
鬱陶しいハエが容赦なく、ぐったりとした赤子に群がる。そんな様子を、モノクロになった視界で眺める。すぐそばを通り過ぎる観光客たちの騒々しいしゃべり声も、耳に入ることはなかった。
ここまで飢えている物乞いを私は見たことがなかった。どうしたらいいか分からず、呆然と立ち尽くす。
ほんの数秒立ち止まっていただけかもしれない。あるいはもっと長い間、色彩の失せた世界に立ち尽くしていたのかもしれない。
服の裾を引っ張られる感触で我に返る。脇を見ると、先ほどの片腕のない物乞いが恨めしそうにこちらへ手を差し出していた。
「マニー」
物乞いはしわがれた声で言った。周りを見ると、他の物乞いもふらふらとこちらへ向かってきていた。えも言われぬ恐怖と胃酸のような苦い感覚がかけ上がり、私は思わず走り出した。
物乞いをかき分け、土産物を連呼する売り子をかき分け、もうたくさんだ、もう勘弁してくれ、と声にならない叫び声を上げる。偶然インフォメーションセンターを見つけ、転がり込むように入った。壁沿いに並べてある椅子によろよろとたどり着き、倒れこむように座る。
そんな私の様子を見て、受付の女性がカウンターから出てきた。
「大丈夫?顔が真っ青だけれど」
「・・・・・・ここで少し、休ませてください」
私がそう言うと、女性は大きく頷いてカウンターの奥へと戻って行った。しばらくすると、チャイを淹れて持ってきてくれた。
「これを飲んで」
そう言ってカップを渡してきた。私はお礼を言おうとするも、口がうまく回らず会釈だけ返した。女性もこちらの意図を察してか、また頷いて受付へと戻って行った。
とても何かを腹に入れる気分にはなれなかったが、薬だと思ってチャイを一気に流し込んだ。スパイスが強めに入っており、おかげで頭が少しすっきりした。
しばらく休んだ後、先ほどの女性に帰りのバスの時間を確認した。時間が空いていたが、観光を続ける気にもなれなかった。時間が来るまでうなだれるように椅子に座っていた。
バスが到着し、運転手に運賃を渡して適当な席につく。座席はすぐにいっぱいになり、市街地へ向けて発車した。
海沿いの幹線道路を走るバスの中で、私は先ほどの母子について考えていた。今まで見かけた物乞い達は飢えてはいるが、飢え死にするほどではなかった。しかしあの母子、特に赤子の方はもう長くはないだろうと素人目にも分かった。
だんだんと日が傾き、空が真っ赤に染まる。夜が近づいていた。道路沿いの街灯の明かりが流れてゆく。車内は誰一人として身じろぎひとつせず、フロントガラスに付けられたキーホルダーだけがゆらゆらと揺れていた。
もしあの赤子がこのまま死んでしまったら、あそこで施しをするという選択肢を選ばなかった私は、殺人者であるとも言えるのではないか。自分の認識の甘さと恐怖心によって、救えたはずの命の灯を消したも同然ではないか。
そこまで考えて、私はこれ以上頭を働かせるのを止めた。
市街地に入ったバスは、けたたましいクラクションの渦の中を縫うように進んでいった。チェンナイ市内の駅前で乗客全員が下ろされた。なんでも運転手が夕食の時間だから、このまま家に帰るらしい。私がバスを降りると、路上で横になっていた物乞いたちがゆっくりと近づいてくる。
ふと、この街を出ようと頭に浮かんだ。物乞いをあしらいながら駅へと入り、乗車券売り場へと向かった。行先は特に決めていなかったが、あと3時間ほどでニューデリー行きの寝台列車が来るらしい。私はその寝台列車のチケットを取り、駅のベンチに座って行き交う人々をぼうっとする頭で眺めていた。
ときおりチャイ売りが声をかけてきた。日本語で「オイシイ、オイシイ」と言うので一杯だけ買った。
夜が更けるにつれ人々の喧騒もまばらになり、いつしかチャイ売りもいなくなっていた。この時間になっても蒸し暑く、風も吹かなかった。
予定の時間になったが列車は現れなかった。それも毎度のことなので、もはや気にならなかった。私はリュックサックを枕代わりにベンチで横になった。
金属が軋む音で目が覚めた。夜明けのもやの中、ニューデリー行きの列車がホームへ入ってきていた。他の乗客と同じように列車へ乗り込み、三段ベッドの一番上を確保した。リュックをベッドの隅に放り、ベッドに横になる。眠気は無いが、何かをする気にもなれなかった。
日本の生活から逃げるように放浪を始め、旅先では赤子の命を見捨て、逃げるようにチェンナイを後にする。もはや自分の居場所など、この世界にあるのだろうか。
ふと最後にもう一度、スラム街のあの老人に会いたいと思った。彼なら今日の出来事を聞いて、何か助言をしてくれるのではないか。あるいは厳しく叱責されるだろうか。
そう思いリュックに手をかけたとき、鉄のかたまりがこすれ合う鋭い音とともに列車はゆっくりと動き始めた。朝もやの中を荒野へ突き進んでいった。