百年の恋も醒める特別
雨に風情を感じたり、雨に濡れても尚楽しいと感じられたのは、一体いつ頃までのことだったか。
ただただ純粋に鬱陶しいと思うようになって久しい。肌が濡れるのも、服が濡れるのも、鞄が濡れるのも、眼鏡が濡れるのも、全てが嫌だ。家から徒歩で二分ほどの距離にスーパーがあるお陰で、雨の日の買い物は楽な分、傘を差しても濡れてしまうビニール袋を提げて帰るのが嫌だ。晴れの国なんて呼ばれる岡山県に住んでいるが故の贅沢な悩みかもしれないが、嫌なものはとにかく嫌なのだ。
中でも一番嫌なのが、雨の降る中、バイト先のコンビニまで徒歩で行かねばならないことだ。
てんかんという持病のせいで車の運転を禁じられているぼくは、歩くと二十分掛かる道のりをひたすら突き進む。そしてまた堪え性のない性格なので、道のりの半分は走る。このとき、なるべく頭の位置が上下に揺れないよう意識して、少し腰を落とし、一歩の歩幅が大きくなるように走る。その方が長距離を走る場合はタイムが短縮できると昔、風の噂で耳にしたからだ。
この走り方がまた、すこぶる不評である。実利を取った結果なので何と言われようと構わないのだけど、それでもやはり納得がいかない。ならばお前らも実際に走ってみろよと言いたくなるのだが、皆、口を揃えて「それだけは嫌だ」と言う。ド正面の友人に至っては「百年の恋も醒めそうな走り方だな」と直球を投げてくれた。この程度で醒めてしまうようなら、それは断じて百年の恋ではないと、百秒の恋の間違いだろうと思うのだけれど、未だその評価が覆る様子はない。
しかし、どんな走り方をしようと止まないものは止まない。しとしとと、或いはざあざあと雨は降り続ける。嫌だ嫌だと子供のように我が儘を言っても仕方がないので、充分に大人であるところのぼくはそんなとき、とある儀式をして気持ちを切り替える。
映画、「ショーシャンクの空に」ごっこだ。
やはり、自分が楽しいヤツになるしか、この忌々しい雨をすら楽しんでみせる方法はないのだ。
この映画、とても有名な作品だと思っているけれど、実は一度も見たことがない。パッケージを知っているだけだ。名作と呼ばれる映画でも見たことがないって人は、実はけっこういるんじゃないかなとぼくは思っている。
例外としてオードリー・ヘップバーンの映画は大体見たけれど、それは当時のぼくの感性で、彼女の顔があまりにもタイプだったからの話で。よっぽどのきっかけでもあるか、生まれながらに映画が大好きって人でもない限り、古典の名作なんてそんなに見ないだろうというのがぼく個人の考えである。
と、ここまで書いて少し調べてみたら、「ショーシャンクの空に」は、古典と呼ぶにはかなり新しい作品だったのでびっくりした。ろくに調べもせずに語るもんじゃないなあと、改めて見識の浅さを恥じた次第である。
さて、全身で思いっきり雨を浴びて、今ぼくは主演俳優のように輝いている! と悦に浸るのが「ショーシャンクの空に」ごっこの全てなんだけど。ごっこ遊びと言うのなら、忘れてはならないのが「情熱大陸」ごっこだ。
「雨に濡れるのは何のためですか」
「色々と理由はあるんですけど……そうですね、やっぱり単純に気持ち良いから、ですかね」
「雨に濡れるのは気持ち良い?」
「はい。傘なんかに頼らないぞ、というレジスタンス的な気持ち。あえて傘に頼らない自分は、人と違うという特別な気持ち。そういったものに加えて、擬似的なシャワーを浴び、精神的な汚れを落としていく気持ち良さ。あると思うんですよね」
こんなやり取りを、密着取材をする人とされる人、二役をひとりで演じる遊び。それが「情熱大陸」ごっこだ。「ショーシャンクの空に」ごっこよりも、こちらの方がポピュラーなごっこ遊びだとぼくは考えている。何せ、時と場合を選ばずに没入できる汎用性が、この遊び最大の魅力だからだ。
「まつおさんはいつも、カレーを食べるときに最後、ご飯が残っているように思うのですが、特別な理由でも?」
「特別、と言うと大げさですけど。やっぱりね、ルーが最後に残っちゃうのは、二流だと思ってるんですよ」
「ルーが残るのは二流」
「はい。ぼくも苦労しましたが、やっと、五回に三回はちょうどのペース配分で食べられるようになりました。もうちょっとアベレージを良くして、今後も意識して改善していきたいですね」
こんな具合に、まるで普段の生活をしている中にも介入できるポテンシャルをこの遊びは持っている。もしかしたら、「情熱大陸」ごっこオフ会、なんてものが、今も日本のどこかで開かれているかもしれない。あなたはどんなシチュエーションで? なんて互いに聞いたりして。そんな想像をしてしまうぐらい、きっとありふれた遊びだと思う。
そうやって遊んでいると、意外と早くお店に到着する。ショーシャンクしていたから若干全身が濡れているのはご愛嬌だけど、開き直っている分いくらかマシだ。学生の頃なんかカッパを着て自転車を飛ばしていたけど、どうしても蒸れてしまう以上、結果的に汗でずぶ濡れになっていた。その頃に比べれば全然問題ない。
ただ一つ、問題があるとすれば。
体の衰えを感じてしまうのは、もうどうしようもない。三十路を目前にしている現在、身体的な成長を感じたいとはぼくもさすがに思わない。けれどまさか、ここまで衰えを感じるとは思っていなかった。
具体的には、やはり体力の低下。それと、風邪を引いたときの症状だ。
若い頃、思春期の頃は全くなかったのに、最近は関節が痛むようになった。「ああああ、体の節々が痛えええ」と、気が付いたら口に出てしまっている。それに伴ってか、あ、これまずいな、風邪引きそうだなと感じるセンサーが敏感になった。いや、敏感になったと言うよりも、新しく搭載されたと言った方が正しい気がする。危機管理能力が向上したと言えば聞こえは良いけど、実際は単に衰えただけなのだ。自分をごまかすのはぼくの十八番だけれど、衰えてからの人生の方が遥かに長いことを考えると、ここらで向き合ってみるのが建設的なんじゃないだろうか。
「神田さん、三十路になってなんか変わりました?」
そして、先達に教えを請うのもまた、賢い生き方だろう。そう思ってぼくは神田さんに聞いてみることにした。三十路の壁を越えし者の言葉は、きっと有益な何かをもたらしてくれると信じて。あとついでに、ぼくがときめいてしまうような言葉をくれるとも信じて。
「変わると思う?」
「それが全然思わないんですよねえ」
「びっくりするぐらい変わらんで。まあ、肉体的な衰えはあるけどね」
「やっぱりそうですか。何ならぼく、中二の頃から精神年齢変わってないですもん。成長してないんですよ、全然」
「まっつん、その頃から精神的にジジイだったんだ」
「いやいやいや! こんなにナウなヤングメン、そういないですよ。悪い言い方をすれば、そりゃ中身は成長してないかもしれないですけど、それって子供の頃の、ピュアな心を忘れてないってことですからね」
「えっと、救急車呼ぶ? 色々、手遅れな人がいますって」
「自然に携帯を持ってるのがシャレになんないです神田さんごめんなさい。ちょっと調子に乗りました」
「ちょっとって言えちゃうのがさ、ほんまに手遅れだよね」
それはもう、お手本のように深い溜め息を吐いて、神田さんは続けた。
「まあ、思ってるより悪くもないし。かといって良くもないよ、三十路」
直前の溜め息のせいか、それはやたら含蓄のある台詞に思えて。だけどその言葉のお陰でぼくは、三十歳を迎える覚悟のようなものができたような、そうでもないような気持ちになれた。いやできてないな、やっぱりピンと来ないや。
そんな会話をした翌日。正しく因果応報と言うんだろう、ぼくは覿面に風邪を引いてしまった。神田さん相手に調子に乗った報いか、その前にショーシャンクした報いなのか。まあ完全にショーシャンクのせいなんだけど、ここでぼくは一つ、思い切って行動に移すことにしてみた。
風邪を引いたらとにかく汗を掻いて、そのあとぐっすり寝るのが良いと聞いたことがあったので、試してみたのだ。
幸い、自転車で十分も掛からないほどの距離に大きな運動公園がある。サッカー場やテニスコート、体育館に屋内プールの施設も備わっている場所で、ぼくは夜勤明けの足でそのまま、走って向かった。そのままと言うのは、ワイシャツにスラックスのまま、という意味だ。
仕事のときはいつもこの服装で、夜中は走り回って品出しや掃除、それに細々とした仕事をしているので気にしていなかったのだけど、何故かすれ違う人がめっちゃ見てくる。上下ジャージで揃えたジョギングをしている女性、散歩をしている老夫婦。ぼくはすれ違う度に会釈をしたり、こんにちは! と挨拶をしていたが、それにしても違和感が消えない。
ランニングコースを確認しようと、何周か走ったあとに立ち止まり、公園入り口の看板を見てぼくは納得した。すると同時に恥ずかしさが込み上げてきたが、気が付いたときにはもう、時間を巻き戻すなんてことはできなかった。
要するに、ひとり逆走していたのだ。
なるほど、これは確かに何度もすれ違うわけだ。まさか方向が決まっているなんて考えもしなかったけど、マナー的なものを考えればそれも当然なんだろう。それからぼくは、なに食わぬ顔で正しい方向に走り出した。恥ずかしさを打ち消すため、少しペースが上がっていたかもしれないけど、この辺は仕方がないというもの。カレーの食べ方と一緒で走るペース配分もなかなか難しいのである。
そうして初めて老夫婦の背中を見ることができたぼくは、如何にも初めてあなたたちを追い抜きますよ、といった顔をしてその横を通り過ぎた。するとだ、何度も聞いた「こんにちは」と同じ声で話し掛けられた。
「どうしてそんな格好で走っているの?」
ああ、そうかと。
逆走していたことではなく。最初から不審者であったのだと、優しい老夫婦の問い掛けによって、ぼくの謎は解決を見た。
一瞬で清々しいような、けれど悲しいような気持ちになってしまった。でもそれを老夫婦に悟られたら、罪悪感を与えてしまうかもしれない。そんなことを考えたぼくは、せめてもと、満面の笑みを作って答えた。
「趣味です!」
困惑している様子の老夫婦を置き去りにし、周囲に誰もいなくなったところでぼくは足を止めた。風邪とは違う熱を持った体に吹き付ける風は冷たく、背中に張り付いたワイシャツは絞れそうなほど濡れている。
汗だくになって思わず天を仰いだぼくの姿は、紛れもなく「ショーシャンクの空に」のあのパッケージだったろう。このときほど、精神的な汚れを落としてしまいたいと願ったことはない。確かにぼくは特別だったのかもしれないが、百年の恋も醒めるような特別ならば、ごくありふれた普通でいたいものだ。