殺虫スプレーは身長差を越える
最近、身長が縮んでいるのではないか、と不安になることがある。もっと詳しく言うと、三十路を前にして早くも縮んでしまうのではないかという不安に見舞われるのだ。
ぼくの身長はちょうど百七十センチだ。高くも低くもないと思うけど、家族の中では一番高い。詳細な数字は忘れたが、ついでに言うと座高も高い。義務教育の九年間はずっと学年でトップの座を争っていたぐらいに高い。決して名誉なことではないのが腹立たしいが、連帯率百パーセントというのは驚きの数字だと思う。事が事なら非常に誇らしいのだけど、ぼくの貧弱な胸筋では張る胸もない(だから張らなくていいんだってば)。
別段、特別な何かがあったわけではない。ないけれど、根底にある言い知れぬ不安。それは昔、父の言った恐ろしい台詞に因る。
中学校の頃か高校の頃か、とうとうぼくの身長が父の背を越えたあたりのことだ。
当時のぼくは、できることなら身長は低いままがよかった。母の背を越え、兄の背を越え、ぼくは罪悪感に苛まれていた。自己肯定感がまったくと言って良いほどなかった(今でもないが)ぼくは、一つでも目に見えるステータスで誰かより優れたくなかった。それが家族ならば尚更で、何もない空っぽな自分はずっと弱者でいたかった。甘んじていたかったのだ。
ちなみにぼくは甘えることが苦手である。いつだったか神田さんと話していて、「彼女ができたらちゃんと甘えられる?」と聞かれたことがある。ぼくはそれに無理ですと即答した後、「ただ、常に甘ったれたことを吐かすと思うんで、優しく見守ってほしいですね」と続けた。
「てめえ最低かよ」
と詰ってくれた神田さんはやっぱり優しい。この優しさを理解してくれる人はきっと、ぼくに近い感性を持っていると思う。やったね(何がだ)!
と、そんなぼくであるけれど、自らの成長期だけは止めようがなかった。でも、モラトリアム真っ最中の葛藤をするっとそのまま口にするのは恥ずかしくて、
「やったぜ。ついに越えたな、身長」
と強がってしまった。
これで父が「とうとう抜かれたか」なんて感慨に耽る様子でも見せれば、ぼくの心の棘はもっと大きくなったことだろう。けれど父の反応は違った。
「俺、バスケしとったからな」
なんて言ったのだ。
「……は?」
「いやだから俺、バスケしてたから。何十年も前。高校の頃」
「そりゃ知っとるけど。いや普通バスケしてたら身長伸びるって話じゃん」
ぼくの父は当時、地元では強豪校として知られるバスケ部のレギュラーで活躍していた。そんな父に憧れ、父の集めるスラムダンクに心酔していたぼくは小学生の時分、ひとりドリブルの練習に精を出し、たまに父が一緒に遊んでくれるときは決まってワン・オン・ワンを挑んでいたものだ。
「ジャンプシュートってあるだろ? そのジャンプのとき、身長は伸びるんだ。でもな、着地した衝撃で伸びた以上に縮むんだよ実は。俺、バスケする前より低くなったもん」
「自分の父親が何言ってるかわかんねえ」
「だからお前、まだまだジャンプシュートの数が足りないんだって。俺の息子ならその内、俺を低く越えるときが来るはずだ」
「はずだ、じゃねえよ。低く越えるってなんだよ」
万が一、父の言うことが正しいのであれば、世のバスケット選手は軒並み膝のサスペンションがぶっ壊れていることになる。なってしまう。いやだからなってしまうじゃねえんだって。
幸いにも、この頓珍漢な父のお陰で、ぼくの抱えていた罪悪感なんてものは吹き飛んでしまった。
ただ怖いのは、その後もドリブルとジャンプシュートの練習を黙々と続けていた事実があるからだ。ぼくはバスケ部でもなかったのにだ。後遺症という言葉があるが、今ほどそれを不安に思うことはない。
「どうします? 神田さん。父の理論によれば、ぼくはそろそろ身長が縮んでしまうわけです」
「んー、正直に言うとね? 興味ねえな」
「素直だ! 最近ツッコミの代わりに足が出るようになってるだけはありますね」
「ちょっ、ほんとにやめてよ。女としてどうなんだってマジで悩んでるんだから」
「でも蹴られてる側の意見を述べさせてもらうと、ちょうど良い強さでグッドですよ?」
「強弱の問題じゃねえから」
果てしなく残念な男と会話をしてくれる優しい女、神田さん。何ならそこにいるだけで優しいと思ってしまうぼくは末期な信者なんだと思う。例によって神田さんは仕事をしているのに、傍らのぼくはもはや妨害をしている。
このとき、真面目に仕事の話をすることも実はままある。
「まっつん、これ今度の新商品なんじゃけど、どっちがうちの店で売れると思う?」
「個人的にはこっちですねえ」
「ありがと、違う方にするわ」
なんて会話もよくしているのだ。ぼくがどれだけ親身に扱われているか、自分で一番よくわかる。
真面目な話はさておき、神田さんとはだらだらと喋る。起伏ってものが一切ないのが、とても楽で心地好い。
「でもまっつんパパってさすがだよね。何回も接客してるから、平然とそう言ってたのが目に浮かぶわ」
「そうでしょう、さすがなんですよぼくの父は。正にさすがはちろう! なんつって」
「ごめん誉めてねえから。まっつんパパには悪いけど。あとそのネタ知らねえから」
一つしか歳の違わない神田さんに、まさか通じないとは思わなかった。これが父なら「お、やるな」とか言うものだから、つい身内のノリで言っちゃったけど。こういう小ネタにしろ、好きな曲なんかにしろ、小さい頃から親の好みのテレビ番組ばかり見ていると、同世代に理解されない人間ができあがる。それで何度も味わってきた気まずい空気を神田さんは出さないから、ぼくも気楽に言えるんだけど。
「あー、確かにこの前、さすがはぼくの父親だ! って思うこと、ありましたよ」
「聞く前からろくでもない予感しかしないわ」
「この前、なんとゴキブリが出たんですけどね、我が家に」
「待って、まだ聞いてあげるって許可してないんだけど」
神田さんはしばしばこんなことを言う。ぼくもそれに異論を唱えたことはないけど、ぼくの話というか発言は、基本的に許可制らしい。言論の自由なんてものはぼくに限って認められていない。あと一年もすればおそらく、健康で文化的な最低限度の生活なんかにも神田さんの魔の手、否、女神の手が介入してくるはずだ。そんな未来は考えるだにちょっとゾクゾクするから、これからも積極的に妄想を広げていきたい。
しかし今は目下の話。違う意味でゾクゾクするゴキブリの話だ。
「許可してくれるまでずっと涙目で上目遣いしますよ」
「あー……それもキモいな。じゃあ、うん、話して良し。しゃーなしやで!」
「神田さん、ラビュッ」
「ころすぞ」
これはぼくが悪い。ラビュッ禁止令が緩和される目処なんて立ってないからだ。ところで関係のない話なのだが、神田さんがしゃーなしやで! って言うときは大抵が笑いながらである。このときの、何と言うか、どうしようもない部下を持った仕事のできる女上司感が個人的にたまらない。ぼくはなかなか、重い十字架を背負ってしまっているなあと、ふと思うことが多々ある。業というか癖の重さなのだけれど、実はその重さもなかなかに気持ち良い。
「第一発見者は母だったんですよ。そしたらやっぱり悲鳴を上げて、まつお、ほら、まつお! ってぼくを呼ぶわけです」
「うむ」
「んでぼくは、父の読んでた新聞紙を借りて丸めて、突撃するんですよ。うおりゃああああ、そりゃああああって」
「倒したの?」
「ダメでした」
「役立たず! こんの役立たず!」
「すいません……んで、それからついに父の出番なんです。ゆっくり立ち上がって一言、貸せってぼくから新聞紙ソードを受け取って、あいつは何処だって聞くわけです」
「カッコいいじゃんまっつんパパ!」
そう、カッコよかった。正しくヒーローと呼ぶべき父親の背中を、その日、ぼくは久しぶりに見た。たとえ息子に身長を抜かれても、男っていうのはこうやって生きていくのだと、普段静かな父の生きざまを、その背中と新聞紙ソードが語っていた気がした。
「リビングからは見えない部屋の奥から聞こえるんですよ、おらあああ、そこかああああってゴキブリと闘う父の声が」
「ちょっ、いや……うん。それで?」
なんで今笑った?
「少しして、武器を片手に堂々と帰って来たんで、母が聞いたんです。倒した? って」
「どうだったの?」
「ダメでした」
「イヤだわ親子だわこの二人」
「ぼくもね、実感しましたよ。ああ……親子だなあ……って。結局殺虫スプレーを噎せるぐらいシューッてしてましたね、母が」
「お母さんかわいそう」
果たして神田さんのかわいそうが、ゴキブリの出た部屋で寝なきゃいけない羽目になったことになのか(親の寝室だった)、こんな男二人と暮らしていることになのか、どっちに掛かっているのかはわからない。両方の可能性もまあ、否定はしないでおこうとしか、ぼくの立場では言えない。
かくして我が家のゴキブリ騒動は、ひとまずの顛末を見た。今にして思うことは、身長の高い低いはゴキブリ退治の鍵にはなり得ないということだ。もしも今から思春期のぼくにラインでも送れるのなら、殺虫スプレーが最強だぞと教えてあげたい。まあ、ラインなんて使ったことないんだけど。