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トイレ監禁事件は拡散されない


 振り上げたこぶしを、どこに下ろせばいいのかわからない。


 いやに物騒な書き出しから始めてしまったけど、今日も今日とて神田さんは、朝から歌っていた。


「まっつんがあぁぁぁ、わたしを、いじめるうぅぅぅ」


 神田さんのレパートリーは多いが、「お客さんが多い歌」「揚げ物がめっちゃ売れる歌」の頻度が高い。そして、中でも多いのが「まっつんがわたしをいじめるの歌」だ。まっつんとはもちろんぼくのことで、わたしとは神田さんのことだ。

 意気揚々と、そう、こぶしを効かせて歌い上げる神田さんはさながらミュージカル女優の様だけど(ミュージカルでこぶしを効かせることがあるのかは知らないけど)、当然ながらぼくが神田さんをいじめたことも、いじめる趣味もない。むしろ隙あらばいじめてほしいと思っているぐらいだ。


「そうやって事実を曲げて歌にするのはいただけませんねえ、神田さん」

「え、いっつもわたしのこといじめてくるじゃん。毎日、いや毎秒じゃん。わたしが毎晩枕を濡らしてるの知らないの?」

「じゃあ枕の代わりになるんで、ぼくを濡らしてくださいよ。よだれでもいいですから!」

「うーん、真面目にそういうのがキモいし、いじめと同じくらい嫌だって思われても仕方ないと思うんだけどね。わたしが相手でも普通はセクハラよ?」

「え、マジですか。すみませんでした」

「まあわたしは優しいから許してやるけどな! ぺっぺっ」


 そう言って笑って唾をかけるふりをしてくれる神田さんは本当にめちゃくちゃ優しい。現人神とか女神と呼んでもいい。もし神田さんが宗教を開いたら真っ先に信者になる所存だ。涙やよだれのために枕でもバスタオルでも何でも献上したい。


「でもですよ、ぼくもセクハラには気を付けますけど、さっきの歌はマズいですよ。今はSNSの発展がすごいですから、うっかり女子高生のお客さんが聞いて、このコンビニやべーんだけどっつってツイッターで拡散とか、あり得る話ですよ」

「まっつんみたいなのがおる時点で、やべーのは間違ってないけどね」

「仮にそうだったとしても、そういうことではなく! ぼくらの学生時代はラインのグループで仲間外れにされるとか、そんなのなかったですけど」

「まっつんは時代が違うもんね。本当は五十代なのは黙っててあげるから」

「あんた一個しか歳違わねえだろ」

「ああ?」


 ぼくは未だにガラケー使用者であり、ラインだの何だのといった文明には周回遅れの差を付けられているが、今は昔と違う意味で怖い。ぼくも一通りのいじめられ経験はあるつもりで、例えば上履きに画鋲、椅子に画鋲なんてのは懐かしい思い出となっている。かろうじて回避した、ドアの上に挟まれた黒板消しとか。悪しき昭和の風習は思い出のアルバムの、何なら目次のページからでかでかと載っているけど、悪しき平成の風習には今一つ理解が及ばない。


 ぼく自身、ゆとり世代に引っ掛かっているのかいないのか、ギリギリの線で育ってきた年代だが、わりと古風な両親の影響で、少なくとも腰まではゆったりと昭和に浸かっている。


「まっつん、ポットン便所の時代の人だもんね」

「洋式ですー、ウォシュレットや温かい便座に強いこだわりを持ってる新人類ですー」

「新人類ってお前……意味はわかるけどさあ」

「でも確かに、最初はトッポン便所だと思ってましたね。今はポットンだって知ってますけど」


 何が「確かに」なのか、何をしたり顔で言ってるのか。確かにの使い方を、確かにこの男(ぼくのことである)は間違えている。

 対して神田さんは、ぼくのトッポン発言にハマったのか、俯いて笑いを堪えている。確かに、最後までチョコたっぷり詰まってそうな間違いではあるし。この場合詰まっているのはチョコではなくうん(自主規制)。


「トッポンとか何の音よ。ドッポンならまだわかるけどさあ。てかまっつんって多いよねそういうの」

「そういうのが何のことかわかりませんが、少ないに決まってるでしょ」

「だってけっこう前にもさ、そのときまっつんの使ってたガラケー、パカパカ携帯のことカッパカパ携帯って言ってたじゃん。覚え間違い? 多いよね」

「あんなもんカッパカパなんだから仕方ないでしょう? それに当時の携帯は、カッパカパの関節のところが壊れて、中のコードだけで繋がってたんですよ? あんなの、カッパカパ越えてガバガバでしょ。壊れてましたもん」

「カッパカパって何なんだよ。ていうか壊れたらすぐ買い換えろよ。トッポンにしろ、なんでアホっぽい方向に間違えるかなあ」


 物持ちが良いと言ってほしい。これはぼくの言い分だが、育ちの問題と言ってもよいこの習性、物持ちの良い人種は何処に行っても一定数は存在するのだ。見た目完全に壊れていても、まだ使えるのだから仕方ない。

 そういう人たちは得てして心が大らかであり、いざ壊れてしまってから初めて行動に移す。壊れたときに受けるショックに動じないからこそ、落ち着いて動けるのだ。おかげで中学校の頃の体育のジャージを、今でも寝間着に使用している。あれは非常に優秀なのだ。


「ていうか間違えてませんし。四捨五入したら正解ですし!」

「数字じゃないのに四捨五入するやつ初めて見たんだけど」

「ぼくは算数の授業で習いましたよ」

「たぶんお前の行ってた小学校、義務教育はやってねえな?」


 六年間も義務教育をしない小学校なんてあってたまるかと言いたい。可能なら襟首を掴んで言ってやりたいところだけど、相手が教祖様となると難しい。それによくよく考えてみれば、困ったときに概念的に四捨五入してみることを覚えたのは最近のことのような気もするので、やはり神田さんにはぼくの襟首を掴んでもらいたい。



 ところで最近は、トッポン便所、ではなく、和式便所で用を足したことのない子供が多いと聞く。だから太股の内側だかの筋肉が昔に比べて衰えて、運動の苦手な子が多いとかどうとか。なるほど、子供の頃から圧倒的に洋式便所に触れる機会の方が多かったぼくの運動神経が壊滅的なのは、それが原因に違いない。どうりで中学校の頃のジャージが今も着られるわけだ。


 でも、これって本当なのかなあと思う。和式便所を使ったことがないって。だってぼくは年に数回新幹線で一時間ちょっとの遠出をするけれど(それは遠出と呼ぶのか)、大概どこの駅でも見掛けるからだ。和式便所を見て使い方がわからないなんて、大袈裟に言って同じ日本に生きている人間だと信じられない。トッポン便所(違う)ならまだわかる。ぼくと同居している祖父母が昔、同居する前に住んでいた家のトイレがそうだったから違和感なんて感じないけど、今の時代、知らない子は多いだろう。


 それでも母が小さい頃は、水は井戸から汲んできたそうだし、服を洗うにも洗濯板を使っていたそうだ。二槽式の洗濯機ですら減ってきている今、洗濯板の存在を知らない子なんか山ほどいるだろう。そういう意味ではぼくも恵まれた時代に生まれたものだ。冬なんか、お米を研ぐのにも水の冷たさが堪えるのに、洗濯板を使うだなんて罰ゲームに近い。


 けど、洋式のトイレにも使い勝手の悪さはある。ずばり便座の冷たさだろう。ぼくは胃腸が弱いので、日に何度もトイレに籠ることだって珍しくないのだけれど、冬場、便座を温めるスイッチが切れていたりすると飛び上がる。男はまだ良いが、大も小も座ってしなければいけない女性の苦労を考えると頭が下がるというものだ。女性のそういうシーンを想像して興奮するような(へき)はないのでまだ助かるが、たまに母が悲鳴を上げているのを聞くと可哀想になる。いや(へき)とか助かるとか何の話だ一体。


 そしてもう一つ、人を選ぶとは思うが、侮れないのが睡魔である。

 最近の話なのだが、出勤前に寝ぼけ眼でトイレに籠った際、眠気と便座の温かさがいい具合に相まって舟を漕いでしまった。時間にすると一分ほどだったと思うけど、目が覚めると同時にぼくは軽くパニックに陥った。 (寝過ごした! ヤバい、ちくしょう何で寝たんだ遅刻する!)焦ったぼくは急いでお尻の後始末をするとドアノブを握った。


 開かない。


 当然である。何を隠そう鍵を掛けたのはぼくだ。でも、そんなことも忘れていたぼくは狼狽えた。(閉じ込められた……? 何だ、敵か! よりによってこんなタイミングで、アレか、日頃の行いとかそういうのか!)

 そのとき、ぼくの取った行動はと言うと。


「開けてくれ! 閉じ込められた、開けてくれ! 母さん、親父!」


 それはもう一心不乱に扉を叩いた。このまま出られなければ遅刻は免れないし、トイレの窓はぼくが抜けられるほどの大きさはない。外に助けを求める以外、ピンチを脱する方法を知らなかった。


「うるせえな、自分で鍵したんじゃろうが! ちばけな!」


 ちばけな! とは、「ちばけるな」の略語で、ちばけるなとはふざけるなという意味の岡山弁である。ふざけたつもりなど微塵もなかったけど、後々冷静になって考えてみれば、なるほど確かにぼくはふざけていた。自業自得と言うか、自縄自縛と言うか、そんな言葉しか思い浮かばない。神田さんになら縛られても良いのになあ、と思ってしまうのは間違いなく(へき)である。


 こうしてぼくのトイレ監禁事件は幕を下ろし、今後は二度とトイレで舟を漕がないようにしようと誓いを立てた。誰に立てたのかと聞かれると、トイレには神様がいるとの噂を聞いたことがあるので、何かそんなすごい存在に立てたんだと答えようと思う。

 ただ、ぼくの中ではまだ「トイレの神様=監禁事件の黒幕」という疑念が捨てきれていないことは、ここに記しておこう。マジぜってえ許さねえからな。


 神様に対する怒りの感情を思い出したぼくは、神田さんにトイレで寝ちゃダメだというありがたい教訓を話してみた。


「でもトイレの話で思い出しましたけど、ちょっと前にトイレ監禁事件ってのが我が家であったんですよ。これは間違いなく、トッポン便所なら起こらなかった事件ですからね。洋式にも悪いところありますよ」

「いや洋式トイレ悪くないじゃん、悪いの完全にまっつんじゃん。どんな生活してたらトイレで敵に閉じ込められるって発想が出てくるのよ。つーか敵って誰だよ」

「トイレで舟を漕ぐのは危険だなんてことも、義務教育の範囲でやってほしかったですよねえ」

「その学校、まっつんしか生徒いないからね」

「義務教育の九年間も放置プレイですか!」


 強制的にぼっちとか、縛られた上で襟首掴まれること以上の所業だと思うんだ。でもやっぱり教科書に載せるべき教訓だと思うから、誰か文科省に提案してみてくれないかな。



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