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背中のフジツボ


 あの中学生はどうしただろうか。


 夜の九時に目を覚まし、しかし未だぼんやりとしている冴えない頭を覚ますため、熱めのシャワーを浴びる。コンビニの夜勤で生計を立てているぼくのルーチンは、まずこの行動から始まる。

 滝行のように勢いのあるお湯に晒され、だんだんと意識がハッキリしてくる(気になる)と、思い出したのは八時間ほど前に見た光景だった。



 新幹線の停まる駅から電車で二十分、更にバスで三十分、おまけに徒歩で十五分という、何処に出しても恥ずかしくない田舎に住んでいるぼくは、しかしながら車に乗れない。持病のてんかんのため、専ら徒歩か、自転車で移動している。というか自転車移動が九割だ。


 今日、夜勤上がりに生活圏で一番近い本屋に赴いた帰り、地元の人間しか知らないような小道に入った。とは言え、もうすぐ華の二十台を終える年齢のぼくにしてみれば、何度となく通った道だ。クリスタルなケイさんが見れば、道に咲いた花にさりげなく笑いかけるぼくを歌にしてしまいたくなるほどに、つまりは脇に咲いている花の場所さえ覚えてしまうほどに、熟知している道。


 ところが、今日は初めて目にする光景に心を奪われた。


 猫が居たのだ。野良猫が、それはもうたくさん、車座になってくつろいでいた。


 確かに、ここ二週間ほどは来なかった。けれどいつの間に、特に広場というわけでもない、ただのコンクリートのこの道が猫の集会所になったのか。今日は野良猫のお祭りでもあるのか。はたまた昭和の不良よろしく、新入りの顔見せでもあるのか。舐められたらいかん、そう思ったベテラン猫たちが集団で取り囲んでいるのか。


 野良猫と聞くと、自由気ままに生きているとばかり思っていたが、もしかしたら人間よりも上下関係に厳しいのかもしれない。

 瞬きをするほどの時間で(嘘だ。何ならカップ麺ができそうなほどの時間で)そんなことを考えたのも束の間、車座の中心には女子中学生が居た。

 十年以上前から変わっていない制服に、ぼくの母校の生徒だということはすぐにわかったが、何とも圧巻と言える光景に、ぼくはたまらず自転車を止めて魅入ってしまった。


 アレだ、インドか何処かの蛇使い。ピーヒャララと陽気に、しかし巧みな笛捌きで見事に蛇を踊らせる、日本人からすると年齢不詳のおじさん。決まって上半身は裸のあのおじさん。頭にはもちろんターバンを巻いている。

 きっとあのおじさんが女子中学生に生まれ変わったのだと、ぼくは疑いもなく信じ込んだ。膝にくすんだ白い猫を侍らせ、右手は白黒の猫の顎を、左手は茶と黒の猫の背中を撫でている。こうして文章にすると、まるでオーケストラを操る指揮者のようだが、やはりぼくには蛇おじさんの霊が少女の背後に見えたのだ。


「すげえ」


 自然と口から漏れた言葉に少女は反応した。それに伴い一斉に蛇たち、もとい、猫たちもぼくを見る。そして逃げる逃げる。次にああっ、と声を出したのはぼくだったか少女だったか、それとも二人ともだったか。とにかく、ぽつねんと取り残されたぼくと少女。ダブルスコアの年齢差を考えると、人に見られたらまずい場面でもあったかもしれない。

 これで少女も走って逃げるようなら、きっと激しい罪悪感に苛まれていたと思うが、そんなことはなかった。ゆっくりと立ち上がった少女はぼくを一瞥し、


「チッ」


 と舌打ちを一つ残し、悠然と歩いて去った。



「聞いてくださいよ、ぼく昨日女子中学生に舌打ちされたんですよ神田さん!」


 無事にと言うか何と言うか、いつも通りに夜勤を終えたぼくは、朝になって出勤してきた神田さんに早速報告した。

 彼女はぼくの一つ年上で、美子よしこさんという名前の読み方を変え、クルーのみんなから「みこちゃん」と呼ばれ慕われる、うちのコンビニの三本柱の一人だ。残った柱の一人はぼくであり、最後の柱は、これまたベテランのおばちゃんが担っている。この三人、戦友とでも呼ぶべき間柄だと、ぼくは勝手に思っている。

 もう何年も「みこちゃんって呼んでも別に怒らないよ?」と彼女からは言われているが、なかなかに畏れ多くて気軽に呼ぼうとは思えない。


「なんで舌打ちされて嬉しそうなんだよまっつん、気持ちわりいよ」


 そう、あくまでぼくたちは「神田さん」「まっつん」と呼び合うべき仲なのだ。誰が何と言おうと、戦友の癖に他人行儀じゃないかと感じられようと、この距離感が一番心地よいのだ。

 事の経緯を簡単に説明したぼくは、何とかこの熱を伝えようと言葉を続けた。


「いやだって舌打ちされたんですよ? よっぽど仲が良いか、逆に嫌われてないと普通はされなくないですか? それだけでも貴重な経験なのに、しかも相手は女子中学生とか、向こう数年分の幸運を使ったんじゃないかって怖くなりましたもん」

「わたしは今まっつんが怖いんだけど、わかるかなあ、わからないよねえ」

「それに、猫に囲まれてるあの光景! カメラに収めてたらたぶん、そういうアマチュアの写真コンクールとかに投稿したら賞を取れたと思うんですよね」

「それ盗撮だからね? よかった、まっつんが捕まるのはいいけど、その子が犯罪に巻き込まれなくてわたし、今ホッとしてる」


 コンビニのバックルーム。各人の荷物が置いてあったり、棚に並べ切れない商品を保管してある場所で、神田さんは備え付けのパソコンに向かって発注をしている。自分の担当している発注は終わらせているぼくは、いつもこうして神田さんとお喋りしてから家に帰る。何時までと時間の決まっている発注という仕事に勤しむ神田さんを、さらりとホッとさせてあげられたことにぼくは内心、達成感を噛みしめた。


「でね、ぼくは考えたわけですよ。さっき、よっぽど仲が良いか悪いかって言いましたけど、今回のは良い方のパターンだろうと。それでですね? 昔、友達と、初対面でプロポーズして成功させるにはどうしたらいいかって二人で考えたことがあるんですけど、昨日のはそれに近いものがあると思うんですよね」

「さっき犯罪に近いことをしようとしてた男は考えることが違うわね。見て、わたし今、鳥肌が立ってる」


 初手プロポーズ。それは人類の夢。果てなき理想郷。はじめまして、の代わりに結婚しようと言って、首を縦に振らせる。如何にハードルの高い所業だろうか。二十歳を過ぎた頃に、友達と鼻を突き合わせて真剣に話し合ったときは、残念ながら有効だと思える口説き文句は思い浮かばなかった。でも、あれから幾ばくかの人生経験を積んだ今なら、何とかなるような気がするんだ。

 袖を捲った神田さんの、透き通るように白い肌を、血眼になって凝視しながら「気持ちわりいよ、近いよ」ぼくは、その答えを導き出した。


「ぼくがキミの猫になってあげるニャン! って」

「ハッ」


 気持ちよいほどに鼻で笑った神田さんの目は、何故か笑っていない。きっとこういうのを冷笑って言うんだなとぼくは思って、彼女の白い肌と両目に視線を這わせながら(四往復ぐらい)、もう一度答えを告げる。


「ぼくがキミの」

「いや諦めろよ」

「もう、最後まで言わせてくださいよー。ちょっとときめいちゃったじゃないですか」

「知ってたけど末期だよね、まっつんって」

「末期とは失礼な。ドMが原因でぼくが死んだら、看取るのは神田さんですよ?」

「骨がなくなるまで焼くけどいい?」


 一般的な火葬に於いて、ありえない提案をしてくる神田さん。その目はやっぱり笑っておらず、ぼくという存在を塵まで抹消する気が窺えた。要するに本気。本気と書いてマジと読む。


「骨壺とか用意しなくて済みますね!」

「だから喜ぶなよお前。つーか今わたし発注してんだよ」

「いや親愛なる神田さんにヒドいこと言ってもらえたら嬉しいでしょ。言っときますけど、ぼくのドMスイッチは全部で百八個ありますからね、こう背中にビッシリと」

「ドMスイッチってなんだよ、ていうか気持ちわりいよ、フジツボかよ」


 ドMスイッチとはこれ即ちフジツボなり。

 神田さんの見事な返しにぼくは腹筋が攣るまで笑い(フジツボって!)、晴れやかな顔で店を後にした。

 女子中学生をときめかせたと思ったら、神田さんにときめかせられ、フジツボの神秘に思いを馳せることに至った今回の出来事。

 もう一度あの少女に出会ったら、そっと背中のフジツボを見せてあげようと思う。猫たちも案外、フジツボに誘われて集まっていたのかもしれない。


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