5 さいごのまち
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わたしは街の入口の地図を見上げますが、ボロボロでよくわかりません。
警備のヒトも見当たりませんし、活気がありません。
本当に街でしょうか。
「はぁ……」
「こずえちゃん?」
まだ、息をするのがつらいです。
洞窟は、さほど長くはなかったのですが……もしかして……風邪?
「あの、わたし、ちょっと風邪をひいてしまったみたいです」
メディアの耳が、びくっ、と伸び上がりました。
「ええー、大変だ! すぐに戻ろう!」
「ちょっとくらいなら、平気です」
「そう? こずえちゃんが平気なら」
わたしはメディアを説得すると、背筋を伸ばしました。
「入ってみますか」
「うん。無理はしないでね!」
街は、四角い、黒い建物が、たくさん建っていました。
ときどき、透明な三角の建物や、丸い鏡貼りの建物も見えます。
街のあちこちは、緑色の光の線で結ばれています。
地面は、鋼鉄のような、チタンのような、不思議な物質でできています。
空は暗くなりかけ、夕日がビルに差し込み、赤く澱んでいます。
街の噴水から溢れる清浄な水は、光を反射して赤く染まっています。
「うぅ、くさい! 空気がまずいよー!」
メディアは急に鼻を押さえて、くらくらしています。
わたしは、多少、息が詰まるくらいで、何ともありません。
「あっ、木がある!」
道端に、枯れかけた木が一本生えていました。
メディアは木にひっついて離れません。
わたしはきょろきょろと見渡します。
街は、ところどころ崩れていました。
奥の黒い硬質なビルは、倒壊して、ボロボロです。
ごてごてした金属状のパイプが飛び出した廃工場が、すぐ隣に見えます。
窓が割れていて、近くに飛散しているので、あまり近づきたくはありません。
煙突のようなものからは、何も出ていません。
この街は、おかしいです。
鳥の鳴き声がしません。人の気配がしません。
生き物が、どこにも見当たりません。
わたしは、遠くのほうで、白い煙が上がっているのを見つけました。
「メディア、あそこに行ってみよう」
「うぅ、こずえちゃんが行くなら、ボクも行くよ!」
メディアは木から離れると、わたしの背中にぴったりと鼻を押し付けました。
そんなに空気が臭いのでしょうか。
獣人の鼻は敏感です。
「あっ……あれ、まさか……」
「うん? どうしたの?」
崩れた屋台には、獣人の毛皮で作られたと思われる衣服や、魔族の角笛らしきもの、妖精を詰めるためのものらしきビンなどが散乱していました。
「なんでもないよ。行こう、メディア」
「うん?」
そんな、ひどいです。
でも、これって、人間がやりそうなことです。
もしかしたら、もっとひどいものがあるかもしれません。
わたしは、ぽろぽろと伝い落ちる熱いものを、乾いた腕で拭き取りました。
* * *
わたしとメディアは、工場地帯らしき場所に出ました。
建物は四角いものばかりで、黒色ではなく、白色ばかりです。
メディアの三角耳が、へなへなと倒れます。
「うぅ……あたまが、く、くらくらするよー」
「メディア、しっかり! もう、帰る?」
「いいや、ボク、こずえちゃんに着いて……行くよ」
メディアは、ぴとりと、わたしの背中に顔をくっつけて歩きます。
背中がぬくといです。
「これは……」
わたしは不思議な水槽のようなものを見上げて、それから……。
あ、あれ……? 息が、できないです……。
わたしは、背中から、ぱったりと倒れました。
メディアがわたしの身体を支えて、ゆっくりとおろします。
「こずえちゃん? こずえちゃん! しっかりして!」
「メディア……あたまが、ぼうっとします」
「わかったよ。ボクがなんとかするから!」
メディアはわたしを抱えようとします。
「待て」
艶のある姉さんの声が聴こえます。
メディアは立ち上がり、弓を構えました。
「だ、誰? こずえちゃんは、わたさないよ!」
「あ、魔族の、ディエスさんです……」
メディアは、おもむろに弓をおろしました。
じっとディエスさんを見つめています。
「魔族? キミ、魔族なの?」
「ああそうだ。けど、今は、お友達のほうが心配なんだろ?」
「そうだった。ボク、こずえちゃんを助けないと。ボクのふるさとに連れていって、ゆっくり休めば、治るはず!」
「それはないな」
メディアは三角耳をぴくりとふるわせます。
わたしは身を起こそうとしますが、身体がいうことを聞いてくれません。
「えっ、そんな! どうして? お願い、教えて!」
「あの……、ディエスさん。わたしからも、お願いします……」
「……しょうがねえなあ」
ディエスさんは、工場の本棚に背をもたれさせています。
手にした厚い本を、ぱらぱらとめくっていました。
「この本は、ヒトが生み出した、新種の生物兵器について書いてある」
「せいぶつ、へいき?」
「やばいガスの爆弾ってことだ。おおかた、暴発して、ここらに危険なガスが充満したんだろう」
「でも、ボクは平気だよ?」
「生態系を破壊しないために、ヒトだけに作用する空気感染性の毒ガスらしい。空気に長時間触れると毒性は弱まるが、効果範囲が非常に広く、ヒトが300km離れた場所にいても感染するように作ってあるらしい」
「むずかしくて、よくわかんないよ!」
「こずえは、どこにいても、いずれ毒にやられていたってことだ」
「ええっ、そうなの?」
「まあ、厳密にいうと、ちょっと違うんだが……そんなことはどうでもいい」
ディエスさんはため息をつきます。
「なあ、こずえ。このままだと、アンタ……」
「そうですか……」
「そんな、こずえちゃん!」
わたしは、顔を近づけてきたメディアの頭を、ぽん、と撫でました。
三角のお耳がふさふさしていて、気持ちいいです。
「待って! 待ってよ! いかないでよ! 死んじゃいやだよ!」
「まあ、待て。魔族は頭脳で勝負する種族だ。アンタのお友達にも、知識のある魔族と獣人の混血種がいるだろ?」
「うーん。もしかして、キャンバスさんのこと? そうなの?」
「でっかいツノは……折れたのか。あと、左眼に星の文様があるだろ?」
「左眼? 見たことないなぁ」
「おいおい……」
「あっ」
わたしはメディアの手を握りました。
メディアが優しく握り返してくれます。
わたしの頬に、ぽたり、と冷たい涙の粒が落ちてきました。
「昔、ボクと一緒にたくさんごはんを食べて、世の中の不思議について夜まで語り合った、獣人の友達がいたんだ。でも……いなくなっちゃった」
メディアは……。…………。
……メディアは、わたしと同じような経験をしたことがあるみたいです。
あまり思い出したくないですけれど……。わたしが10歳のころ、おじいちゃんが脳梗塞という病気で亡くなったと両親から知らされました。
最初は、現実味がありませんでした。いつもの、しわくちゃの笑顔で、おじいちゃんは、すぐに戻ってくるものと信じていました。……ですが、もう戻ってこないとわかると、わたしは、一週間くらい、ふさぎこんでいました。
「それから、ボクは、なんだかやるせなくて。りんごをたくさん食べたら、怒られちゃって。ボク、ばかだよね。最初は信じられなかったけれど……。生き物は、死んじゃったら、もう、戻ってこない……」
……わたしの胸元が、メディアの涙でぐっしょり濡れます。
わたしは、必死に勉強しました。おじいちゃんが読んでいた英語の本を、たくさん読みました。おかげで、英語はいちばん得意です。数学はちょっぴり苦手ですけれど……。
朝は学校まで毎日走りました。部活はテニス部です。病気なんてしたくありません。健康第一です。将来は、英語をいかして、世界を見て回りたいと思っていました。けど……。
「こずえちゃんは……だめだよ。また、ボクをひとりにしないでよ!」
メディアが、わたしを心配してくれています。
でも、どうしようもないです。
この街のヒトは、あとかたもなく消えていました。
わたしも、あとかたもなく消えてしまうのでしょう。
わたしは、精一杯の笑顔で、メディアに答えます。
心配しなくても、わたしは……ずっと近くにいますよ。
「こずえちゃん!」
「ああ、もう。落ち着けって。ちょっとはアタシの話しを聴けっての」
「うっ……うん。なに?」
「ざっと読んだ限り、妖精の羽を磨り潰して、吸い込めば、なんとかなるはずだ」
「ボクの、羽? でも、ボク、羽、もげちゃった……」
「ここに、さっき、屋台から、かっぱらってきた羽が4枚ある」
きらきらとした、掌サイズの羽を、ディエスさんが握っています。
メディアの三角耳が、ぴーん、と立ちました。
「うん? それ、ボクの羽かも!」
「どうする? 助けるか?」
「うん! ディエスさん、お願い!」
「いいのか? ヒトだぞ? また何かやらかすかもしれないぜ?」
「うぅ……助けてくれないの?」
「…………」
「うっ……」
「どうした? ヒトの信用に、自信がないのか?」
メディアは弓を構えようとしますが、わたしはメディアの手を離しません。
メディアが、わたしのほうへ振り返ります。
「……うぅ」
メディアはわたしの服をぎゅっとつかんで、ディエスさんに力強く叫びました。
「お願い! こずえちゃんは、ボクの友達だから!」
「へえ、そうかい。なあ、アタシ、助けないとは言ってないだろ?」
ディエスさんは、わたしの口に、羽の粉を注ぎました。
すうっ、と、胸の痛みが引いていきます。
そうして、わたしは力尽きました。
「こずえちゃん! 起きて! 死んじゃいやだよ!」
「あれ……おかしいな。あとは抵抗がついて、なんともなくなるはずなんだが」
「ディエス、どうして? どうして、こずえちゃん、起きないの?」
メディアのうでと、からだの感触が、わたしのからだを包みます。
息は楽になりましたが、からだがしびれて動けません。
「もしかしたら、ここの空気が悪いせいかもな」
「そっか。じゃあ、ここから遠くに、連れてってあげないと!」
メディアは、わたしを、お姫様抱っこしました。
「いくよ!」
メディアは、駆け足で建物を出ると、大きくとびあがりました。