2 そうげん
身体がふわりと舞うようにして、草原に放り出されます。
森が目の前に広がっています。
わたしはパニックになりました。
「はあ……さみしいなぁ」
わたしの視界の隅には、金色のさらさらした髪をした子が見えました。
一応、話が通じそうな人を見つけたので、少し落ち着きます。
彼女の服装は、白い薄手の半袖ブラウスに、薄葉色のスカートです。
なんだか学生服に似ているような、似ていないような……。
深緑と焦げ茶色が混ざったような、変わった色のマントを羽織っています。
白い長めの手袋をしています。白い肌と合っていて、おしゃれです。
左頭には桃色のリボンを蝶結びにして括りつけてあります。
靴は茶色のブーツをはいています。
わたしは教室にいたので上履きのままです。
上履き、泥だらけ待ったなしです。
「冒険に出るぞー!」
何やら叫んでいます。
見た感じ、中学生くらいの女の子です。ふわふわした短めの金髪です。
制服姿です。生徒さんでしょうか。
ですが、弓矢を背負っています。ちょっと怖いです。
わたしが怪しい女の子を観察していると、ふと、こちらに視線を向けてきました。弓を構えています。
えっ、ちょっと、待ってください!
「見つけたよ!」
「ひゃあ! 見つかりました!」
わたしは心臓をぎゅっと掴まれたような心地がしました。
慌てて頭を伏せます。
「あ、あのっ、そのっ、ごめんなさい!」
「もしかして、ボクのこと、素揚げにして食べるつもりだよね?」
素揚げ? から揚げはまあまあ好きですけど……。
人間の素揚げなんて、かわいそうで食べられないです。
「え、えっと、わたし、お腹を壊すと思います……」
むしろ、食べられないです。
「もしかして、保存食にして売るの?」
「売らないです!」
「じゃあ、ボクの制服が目当て? それとも毛皮?」
「違います!」
「なーんだ、そっかぁ! じゃあ、安心だね!」
不思議な女の子は、弓をおろしてくれました。
単純な子で助かりました。
でも、まだ、こわいです。
いつ襲われるか、わかったものじゃ、ありません。
「ねえ、君、ヒト?」
「えっと、はい……」
ヒ、ヒト?
この人は、人間ではないのでしょうか?
「ふーん、これがヒトかぁ。はじめて見るなあ」
「あ、あの……」
「ボクと身長変わらないし、可愛い生き物だなあ。キミ、女の子?」
「は、はい……」
可愛いなんて、祖父母に言われて以来です。
「珍しい服だね。髪の毛、黒いね。ちょっと、触ってもいい?」
「あ、ちょ」
くすぐったいです。
でも、ぐいぐい引っ張るのは、やめてほしいのですが……。
「ふーん。ヒトって、あんまりボクと変わらないね」
「あの! ちょっと、いいですか?」
「なーに?」
「あなたは、その……人、ですか?」
「うーんとね。ボク、メディア! キミは?」
メディアさん……ものすごく変わった名前です。
「わたしは、麦野梢です」
「むぎの、こずえ? ふーん、変わった名前だね」
「そうですか?」
メディアさんより変わった名前は、あんまりないと思いますけれど……。
「うん。まあ、ボクもちゃんと言うとメディア・メディアなんだけどね」
「へえ」
「よろしく! むぎのこずえちゃん」
「はい……あの、こずえでいいです」
「うん。じゃあ、こずえちゃんだね。よろしく!」
わたしが立ち上がると、メディアさんにがっちりと握手されました。
ぶんぶんとシェイクされます。
とっても力持ちです。右手がびりびりと痺れます。
「ボクの着てる、この服、ヒトが着ている服に、そっくり?」
「はい、そっくりです。お裁縫、上手ですね」
「だよね! キャンバスに縫ってもらったんだ!」
わたしとメディアは一緒に笑います。ちょっと気まずいのです。
キャンバスさん……ですか? お絵かきしたくなるのです。
「あはは……そうでしたか。キャンバスさんは、お友だちですか?」
「うん! 街に向かう途中で、キャンバスさんに会えるよ!」
「キャンバスさんって、どんな方なのですか?」
「うーんとね。ふっくらした、ねこさんって感じだよ!」
「ねこ、さん……」
ねこさん……撫でたいのです。
この世界にはねこさんがいるのですね。
「こずえちゃんは、どこから来たの?」
うーん。何て答えましょうか。
ちょっと変わった答えで返してみましょう。
「わたしは、地球から来ました!」
「へー、ちきゅう? ちきゅうって、どこにあるの?」
「……えーと、ここ、地球じゃないんですか?」
「よくわかんないや」
メディアは小首を傾げて、わたしを興味深く覗き込んできます。
つまり、ここは地球ではない……かもしれないということですね。
はぁ、どうしましょう。明日は英語の小テストなのに。
身体の力が抜けて、ふにゃふにゃになってしまいます。
「あのね。ボク、街に行くんだけど。こずえちゃんも一緒にいこうよ!」
「はい。いいですよ」
ちょっと投げやり気分のわたしは、困り顔です。
この子から、この世界のことを、よく聞いておきましょう。
「あっ」
ぴょこん、と、メディアさんの頭の上に獣の耳が生えました。
猫のような、うさぎのような、黒色のふさふさした耳です。
金色の髪とよく合います。
「あわわっ、耳が、隠してたのに!」
メディアさんは、なにやら慌てています。
わたしは、メディアさんの頭に生えた三角耳を、ちょっと触ってみます。
三角耳は、大きくて、黒くて、とくに先のほうが、ふさふさしています。
「わあ、くすぐったい! こずえちゃん? なにしてるの?」
「あ、あはは、ごめんなさい。ちょっと触ってみたくなって」
メディアはきょとんとしています。
「だって、耳だよ? 獣人の耳だよ? 怖くないの?」
今度はわたしがきょとんとします。
「獣人、ですか?」
「知らないの? 獣人っていうのはね、がおーって、吠えるんだよ。とっても恐れられていて、みんな、この耳を見ると、あんまり近寄らないよ」
「じゃあ、耳が見えなければ、みなさん近寄ってくるんですか?」
「うん! この耳は、獣人の象徴だからね。いろんな形があるんだよ!」
「はあ」
メディアはもふもふした耳をぴょこぴょこと動かしています。
この可愛らしい三角耳が、危険生物のサインだなんて……。
「それでね。獣人は、それぞれ得意なことが違うけれど、遠くまで見渡せたり、鼻がよかったり、耳がよかったり、あとね、あとね、足が速くて、大ジャーンプしたり、力持ちだったりするよ! それでね。びっくりなのは、動物の肉を食べちゃうことなんだ!」
「あのー……」
「うん? どうしたの?」
「メディアさんは、動物の肉を食べないんですか?」
「うーん。獣人だから、食べられないことはないけれど、食べたことないなあ。だって、動物の肉だよ? 生臭いよ? 街のほうには、ボクのような獣人や妖精を食べる種族もいるけれど……」
「この世界には、妖精さんもいるんですね」
「うん。森の奥に住んでるよ。ボクの友達にも妖精がいるんだ!」
「今度会ってみたいです」
「うん! ……あれ? なんの話だっけ?」
「お肉の話ですよ。獣人さんや妖精さんを食べる気はまったくしませんけれど、例えば、鳥肉なんかは、じっくり焼けば、生臭くなくなると思いますよ」
メディアは、ちょっぴり、のけぞりました。
びっくりしているようです。
「えー、焼くの? でも、ボク、マホウ、使えないなあ。火、怖いし」
「魔法? 魔法の杖とか、呪文とかのあれですか?」
「つえ? じゅもん? よくわかんない。木の枝を使って、火起こしができるって、古い本に書いてあったよ。ほかにも、ふしぎな道具があって、火を起こせるみたい。とってもふしぎなことだから、マホウって呼ばれてるんだ。もしかしたら、街に行けばそういうものがあるかもしれないね」
「ああ、そういうことですか……。それなら、わたし、魔法使えますよ」
「えっ、ほんとう? すごいや!」
メディアはにこにこしたまま固まっています。
はっとして、飛び上がりました。
「……あれ? キミ、もしかして、動物の肉を食べるの?」
「はい。まあ、食べますけど……」
「ヒトって、動物の肉を食べるの?」
「まあ、ヒトにもよりますけれど、食べられます」
「へえー! じゃあ、ヒトは、動物の肉が主食なの?」
「あ、いえ、そういうわけではないです」
「じゃあ、野菜が主食なの? でも、肉を食べるんだよね?」
世の中にはベジタリアンというものがいるのですが、置いておきましょう。
「ヒトは雑食ですから、大体のものが食べられますよ」
「ええー、平気? お腹壊さない?」
「はい。きちんと焼けば、平気ですよ」
「ふーん。そうなんだ。すごいね!」
聴いた限りですと、メディアって雑食なんですかね……。
「よーし、はやく街まで行こうよ!」
「街って、森の中ですか?」
「森はボクのふるさとだよ。街は反対側」
「メディアのふるさと、見てみたいです」
メディアは耳を垂れさせて、しょんぼりしました。
「うーん、また今度ね。ボク、里から追い出されちゃったから」
「む、なんてひどいことをするのですか!」
「いや、ひどいのはボクだよ。獣人や妖精が森じゅうから集めたりんごが倉庫にしまってあったんだけど。ボク、それを、ほとんど1人で食べちゃったんだ」
わたしはその場でずっこけました。
メディアはあっというまに、いつもの笑顔になっています。
「はあ。食いしんぼうさんでしたか」
「ボク、がんばって生きるよ!」
「はあ……がんばってくださいね。わたし、町に行ってみます」
ヒトがいるかもしれませんからね。
「街に行くの? 着いていってもいい?」
「いいですけど……」
「じゃあ、よろしく!」
「うっ」
メディアはわたしに抱きついてきました。
力が強くて、押しつぶされそうです。
「いたいです」
「あ、ごめんね!」
メディアは慌てて力を緩めました。
獣人というわりに、獣臭くありません。森の香りがします。
ふわふわした感触を堪能していると、メディアはすっと離れます。
「いち、に! さん、し!」
「…………」
メディアは、謎の準備運動をはじめました。
わたしもつられて、小学校の朝礼や運動会で慣れた体操をします。
中学生になってから、ひさびさにやりました。
「横まげのうんどーう!」
「うん? こずえちゃん、面白い体操をするんだね!」
メディアは、わたしのマネをはじめました。
深呼吸を終えて、ひと息つきます。
「よーし、準備できたね!」
「はい。行きましょうか。あっ、あのー」
「うん?」
わたしはメディアがずっと背負っているバッグが気になりました。
なんとなく予想はつきます。
「ちなみに、背中のバッグの中身は?」
「りんごだよ!」
「全部ですか?」
「ほとんど!」
「やっぱり……。りんご、食べちゃったんじゃ、ないんですか?」
「ボクが旅に出るっていったら、ほかの倉庫から分けてくれたんだ!
「へぇー」
「横っちょのところに、弓矢もたくさん入ってるよ!」
「ほぉー」
「うーん……」
メディアは三角耳をしんなりとさせました。
しばらくして、メディアの耳が、ぴん、と立ちます。
「ボクね、ほんとはね、獣人と妖精のハーフなんだよ!」
「ええっ、それは初耳です! メディア、妖精さんだったんですね!」
「うん! だから、弓は得意だし、ほかの子よりも高くとべるよ。妖精は、風のマホウが使えるらしいけれど、ボクはからっきし。あとね。ボク、小さいころに怪我して、羽がもげちゃった!」
「え、もげちゃったんですか!」
メディアは背中を見せてきました。
「バッグしか見えません!」
「あ、そうだった! えへへ。こずえちゃん、背中、見たい?」
「別に見なくてもいいですよ。ここ、外ですし」
「そっか!」
メディアはくるりと縦に一回転して、わたしの背後に着地します。
わたしは後ろを向いて、パチパチと拍手しました。
「うん! 平気、平気! そのうち生えてくるって!」
「生えてくるんですか?」
「わかんない!」
「……メディアと空のお散歩がしたかったんですけど、わかんないんですか」
「身体が大きくなったら、羽があっても空を飛べないから、なくても困らないよ!」
「はぁ、そうだったんですね……」
わたしがため息をつきます。
メディアは三角耳をぴこぴこと動かしました。
宙返りして、わたしの背後をとります。
「ボクがこずえちゃんを抱っこして、ジャンプしようか!」
「ふぁっ、ちょっと!」
メディアの手が背後から忍び寄り、わたしの脇に吸い込まれていきました。
「ふ、あはは! くすぐったいです!」
「いくよ!」
メディアは、ぴょいん、と軽くジャンプしました。
わたしの身長の2倍くらい高いところにいます。
景色なんて見ている暇、ありません。
命の危険を感じます。
「ひゃあー!」
「たかい、たかーい!」
メディアはすとんと着地しました。
わたしの脇がみしみしと音を立てます。足が震えています。怖くて痛いです。
「どう?」
「おろしてくださーい!」
「落ちちゃうよ? 危なくない?」
気がつくとメディアとわたしは、また、空高くにいました。
さっきより、ちょっと高い気がします。
「ひゃああ! 着地してから離してください!」
「わかった!」
メディアは地面に、しゅたっ、と着地します。
わたしは「うっ」と、うめき声をもらしました。
「ぜぇ、はぁ……」
「もしかして、こずえちゃん、高いところ、苦手? ごめんね?」
「あの、その、メディアの、ジャンプが、高すぎるんです……」
「うん。次からは、低めにジャンプするよ!」
いや、もう、やらなくていいんですけど……。
すると、後ろのほうで、ぐぅ、と妙な音が鳴りました。
「うんどうしたら、お腹空いてきちゃった。ひとつ食べる?」
「はい、いただきます!」
わたしはりんごをひとかじりしました。あまくて、すっぱいです。
よくよく考えますと、食料はメディアのりんごだけ?
「ねぇメディア、お金……ないですよね」
「おかね? なにそれ! 食べもの?」
「はぁ……なんでもないです」
「うん? そっかあ」
はぁ。なんだか急に心配になってきました。
わたし達の食費を、どう、やりくりしましょう……。
うーん。困りました。
とりあえず、街とやらを目指しましょう。
そこで、アルバイトと、宿、それから、十分な食料を確保します。
うまくいくと、いいんですけど……。