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夜風を描く

作者: さむらいみ

 王にとって、芸術というものはどうにも無駄なものに思えて仕方がなかった。

 自国の領土を狙う隣国や、未だ整備されたとは言い切れない公共設備に、不満を抱える貧困層の市民たち。国を治めるためにやらなければならない事が山積みだった。

 健康である若い国民は、須らく国を発展させるために貢献すべきであり、それは戦士として、または医者や建築などの専門家として、特別な技術を持たない者は道路や建物を整備するための労働力として、優先してやらなければならない事がいくらでもあるはずだと考えていた。

 事実、自らも寝食を削り王としての務めに没頭し、より豊かな国を造り上げるためにその身を捧げていた。

 そんな王にとって、歌を奏でたり、物語を書いたり、絵を描いたりする行為は、まったくの時間の無駄で、国民としての義務の放棄に思えていた。


 しかし、彼は愚かな王では無かった。

 無暗な弾圧が良い結果を生まないだろうことは充分わかっていた。

 それでも、芸術家と呼ばれる輩どもに、自分たちの行為が無意味であることをわからせてやりたい、という思いを日々抱いていた。


 王国には、パラスという名高い絵描きがいた。

 パラスは下町の貧困層が集まって住む地区で、絵を描いて生活をしていた。パラスは絵を描くと、それを自分の家の前に並べた。周囲に住む人々は、その絵を自由に持って行って家に飾り、そしてお礼として食べ物や日用品をパラスの家の前に置いた。

 裕福では無かったが、パラスが生活に困るようなことは無かった。

 パラスは市井で暮らす人々の生活を好んで描いた。

 毎朝街の誰よりも早く起きてパンを焼くパン屋の姿や、仕事を終えて安酒場で乾杯をする道路工事の工夫たちなど、ごく普通の人々のささやかな喜びを表現豊かに描いていた。

 描かれたパン屋の店先からは、焼き立てのパンの香ばしい香りが漂い、酒場の絵からは喧噪や熱気、一日の仕事を終えた安堵感までもが伝わってくるようだった。

 やがてパラスの名声は城まで届き、宮廷の中にも家にパレスの絵を飾るものまで出てくるようになった。


 ある日、王はパラスを宮廷へ呼び出した。

 御前に畏まるパラスに向かい、王は言った。


「お前が本当に王国随一であるなら、夜風を描いて見せろ」


 暗闇の中に吹く風を描け。

 それは、はっきりと無理難題で、最初からパラスに恥をかかせて芸術家の価値を貶めようという意図なことは明白だった。


「夜風を描けと仰せですか」

 

 落ち着いた声で、パラスが答える。


「その通り。描かれたそれが夜風と認められないようであれば、生涯筆を持つことを禁ずる」

「暗闇に吹く風を描くことは、今の私にはとても無理でありましょう」

「それならば、今すぐに筆を置くか?」

「それは出来ません」

「ほう。王たる私の命令にことごとく聞けぬと申すか」

「お気に召さないようでしたら、私を牢にお繋ぎなされ」

「殊勝な心掛けよ。王の命令を聞かぬ代わりに自ら牢へと入るか」


 頑ななパレスの物言いに、本来名君である王も、多少意地になってしまい衛兵たちへパラスを牢へ入れるよう命令を下してしまった。


「一つだけお願いがございます」


 衛兵に引き起こされたパラスが言った。


「なんじゃ、申してみよ」

「牢に入る私に、筆を持たせてください。そして、一月後、王自ら一度私のいる牢へと足をお運びいただきたいのです」

「よかろう。どちらにしても牢にいる間は他に何が出来るわけではない。慰みに絵でもなんでも描くがよい」


 こうして、パラスは町の外れに建てられた牢に監禁されることとなった。

 王としては、牢での孤独な日々は、きっとパラスの心を折るに違いないとの目論見だった。


 一月後、約束通り王はパラスのいる牢を訪ねた。

 ベッドとトイレが置かれただけの殺風景な牢獄で、パラスは王を待っていた。

 王を前に落ち着いた様子で平伏するパラスの背後の壁いっぱいに、絵が描かれていることに王は気づいた。

 その絵は、ある家族の夕食の光景が等身大で描かれていた。

 決して高価な物ではない、粗末な食べ物を分け合って食べる一家の団欒風景は、お互いを慈しみあう心の温かさが絵から伝わってくるようだった。


「その絵はなんじゃ」


 問いかける王に、パラスは答える。


「夜風を描いてみました」


 それは、牢の壁の天井近くに造り付けられた小窓から、夜風に乗って聞こえてくる音と話し声、さらには流れてくる匂いを元に、パレスが描いた隣家の団欒風景だった。


 王は衛兵に燐家の住人をここに呼ぶよう命じた。

 やがて連れて来られた一家は、人数や年齢のみならず、その姿形までが絵とほとんど違わぬ物だった。

 人々は、国を富ませるために生きているわけではなく、ささやかな喜びを大切な人と分かち合うために生きていることを、王はその絵から教えられたように思えた。

 王は、パラスの前に片膝を着き、その手を推し抱いた。


「パラスよ。見事夜風を描き切った」


 王はそう言うと、パラスを牢から出し、褒美を与え、そしてその後は国の芸術家たちを手厚く保護するようになった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく、要点だけ描いて進行する短い話であるうえに、結末も小気味良ハッピーエンドであるがため、読後感が非常に良いです。 例えるなら、心をじんわりと温めて潤す、文章のホットドリンク。…
[良い点]   農夫が固い土を耕しているところ、道路人夫が石を砕いているところ、そこに 神はいたもう。  こんなタゴールの詩を思い出すようなラストです。  夜風という目には見えない、描けないものを…
[良い点]  とても面白く拝読させて頂きました。 画家の人間性や世界観が良いですね。執筆頑張ってください。
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