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(3)

 アスタロトは庭園に出て、レオアリス達のいた場所へ戻ろうとして、横から腕を引かれた。

 振り返って、眉を思いっきりしかめる。

「ブラフォード」

 振り解こうとした腕を、ブラフォードの声が押し止める。

「少しくらい、話をしてくれてもいいだろう?」

 いつになく、柔らかく頼むような口調だったから、つい足を止めた。

「――」

 アスタロトの手を取り、ブラフォードは彼女を庭園を望む露台の一つに(いざな)うと、置かれていた白い瀟洒な卓の椅子を勧めた。

 アスタロトは一度庭園へ視線を投げ、レオアリスの姿を探せないままそれを戻し、椅子に腰を下ろした。

「何。私も忙しいんだけど」

 怒ったような口調に、ブラフォードが笑う。

「昔は時折、こうして話をしていただろう」

「あー、そうだよね。お前は昔からヤなヤツだったケド」

「ははは」

 幼なじみと言えば、幼なじみなのだ。ブラフォードとは。これほど爽やかな思い出の無い幼なじみも珍しいが。

「相変わらずヤなヤツだよね」

「お前も相変わらず、口説き甲斐の無い女だが」

「そんな事いつしたっけ」

「せっせと贈り物を届けているだろう。せっかくの装飾品も服も見向きもせず、菓子程度しかお気に召さないようだがな」

 アスタロトはつんと顎を反らせた。

「お菓子に罪はないし。でもお前から貰った服はちょっと」

「クク。ならば今後は菓子ばかり贈るようにしよう。体型を崩すなよ」

 悔しいが、ブラフォードの方がずっと余裕がある。アスタロトは早く話を終わらせようと、語気を強めた。

「それで、何」

「何とは性急だ。急いでは礼儀に反するのだがな。まあお前に対してはその方が有効かも知れないが」

「だからさ、何の?」

「だから口説こうというのだろう。三年前の婚姻の件を、改めて」

「――今さら、何言ってんの?」

 つい先ほどエレノアから聞いていたから、アスタロトは驚きはしなかった。

 ブラフォードはアスタロトが驚く事を織り込み済みだったのか、意外そうな光を瞳に宿したが、すぐに笑った。

「心積もりはそれなりに出来ているのか? いい傾向だ。三年前、私は努力を怠っていたからな。もう一度、今度こそ真剣に口説こうと思っている」

 じっと向けられた瞳は、突き放す気持ちが鈍りそうなほど、それまでのブラフォードとは違う色をしていた。

「――」

 アスタロトは椅子の上で背筋を伸ばし、ブラフォードを見つめた。言うべき言葉は変わらないが、自分でも少し口調が弱い気がする。

「私はまだ結婚なんてしないよ。するつもりもない」

 それはブラフォードには大して痛手を与えなかったようだ。

「いずれ必要だ。アスタロト公爵家の当主として、避けては通れん」

 ブラフォードの言葉が胸の奥に重しを投げる。

『アスタロト』

 判っているつもりでも、未だに重い名前だ。

「炎帝公――、当主の証である炎を有するお前は、次代にそれを繋がねばならん。婚姻して子を成す事は、謂わば家系の存続の為の義務だからな」

「――判ってるよ。でも、相手はお前じゃないけど」

 きっぱりと言って立ち上がり掛けたアスタロトを、ブラフォードの言葉が追い掛ける。

「想い甲斐の無い相手を想ってどうする」

 ふっとアスタロトは息を止めた。

 ブラフォードの言葉はアスタロト自身がまだ意識していない――無意識に押し込めようとしている感情を拾い出し、彼女の意識の上にほとりと置いた。

「……何のこと」

 考えたくない、とちらりと思う。

 アスタロトは知らず、その感情を再び沈めようとした。

 それを考えたら、何かが壊れてしまいそうで。

 だがそんな複雑な感覚を慮るつもりは、ブラフォードには無い。

「剣士など、想ってみても甲斐が無いぞ。お前と同じ所での想いなど(いだ)くまい。元々がそういう種族だ」

「そんなんじゃないよっ」

 そんな事じゃあない。考えた事もない。

 考えちゃいけない。

「それは良かった。私にもまだ充分可能性があるという事だな」

「ないない」

 アスタロトは頬杖をついてそっぽを向いた。

「大体お前は女より男が好みなんじゃなかったっけ」

「どちらでもいいが。女ではお前が一番好みだな」

「……そんな事言われて喜ぶ女がいるかーっ!」

 アスタロトの憤りは気にした様子もなく、ブラフォードは椅子の背もたれに寄りかかった。

「お前の想いがまだ誰の上にも無いと聞いて安心したよ。今日の最大の収穫だ」

 皮肉に近い口調だった。

「――無いよ」

「今後も、近衛師団の大将など止めておく事だ。お前とはどうにもならん」

 アスタロトは堪らずブラフォードを睨み付けた。

「いい加減にしてよ! お前がレオアリスを勝手に嫌ってるだけだろ! 言っとくけど、三年前の事は、あいつには関係ないんだからな!」

「そんな事を本気で問題にしていると思っているのか。相変わらずまだ子供だな。三年前から少しも変わっていない」

 ブラフォードは薄く笑った。自分の無知を嗤っているのだと、それだけは判る。

「じゃあ、何」

「言葉通りだ。お前達では成り立たないと言っている」

 アスタロトはゆっくり溜息をついた。

「もし、レオアリスの過去の事を言ってるなら、今更……」

 ブラフォードの嘲笑が深まる。

「お前こそ、まだそんな事を言っているのか? それ以上に問題は大きいぞ」

 その言い方に胸が冷えるのを感じ、アスタロトはブラフォードを見つめ直した。

 少し前に、タウゼンも同じような事を言っていた。

「どういう、事?」

「まあ押し通す事もできなくはないが――無理だろう。特に彼は」

「だから、どういう事って」

「王はお前達二人をお認めにはなるまい」

「――王……?」

 ブラフォードは笑みを浮かべている。

「何……、言ってるの、いきなり……」

 唐突にとんでもない存在を目の前に突きつけられ、アスタロトは困惑して瞳を(しばたた)かせた。

 王など、それこそ意識の外の存在だ。こんな話に関わってくる立場にはいない。

(ああ、でも)

 伯爵位以上の貴族の婚姻には、王の許可がいるのだったか。

「でも、何で」

 王が、認めないなんて――。

 何でそんな話になるのだ。

 ブラフォードはアスタロトの戸惑いを面白そうに眺めた。

「私は充分に助言をした。後は自分で考えるんだな。考えれば誰を選ぶべきか、自ずと判る。――期待しているぞ」

 最後の言葉はからかいまじりだったが、アスタロトはもうそれ以上聞く気になれず、席を立った。

 逃げるように庭園に降りる。

 丁寧に整えられた植え込みの間に敷かれた玉石を鳴らして歩く間にも、来客達はアスタロトに話し掛けようとしたが、浮かんでいる想い悩んだ表情を見て口を(つぐ)んだ。

 先ほどのブラフォードの言葉が、ずっとアスタロトの頭の中に流れている。


『王はお前達二人をお認めにはなるまい』


(そんなの――)

 関係ない。

 鼓動が早い。

(そんなんじゃないもん)

 そんな事は考えた事もないし、考える気もない。

 レオアリスは、友人だ。一番大切な。

 友人である事の方が、ずっとずっと重い。

(そうだ……)

 こんな場所に生まれ色々なものが常に付きまとい、時折息苦しさを覚えたが、レオアリスの傍はいつも楽に呼吸できた。

 アスタロトにとって、それはとても大切な事だった。

 もし彼がいなかったら、多分自分は大きく違っていただろう。

 今の状態を変える事など、考えられない。

(全然、関係ないよ――)

 レオアリスが二つほど卓を挟んで、アスタロトに背中を向けて立っているのが見えた。

 微かに胸を鳴らし、ただすぐにそれを安堵に置き換える。

 ブラフォードの言った事など関係ないし、今までと、何も変わらない。

「レ……」

 近寄る為に踏み出して少し視界が変わり、アスタロトはぴたりと足を止めた。

 少女が一人、彼の前に立っている。

 確かアルマヴィーア伯爵の令嬢だ。アスタロトの二つほど年下で、つい先ほど挨拶をしたが、たおやかなとても可愛らしい少女だと思った。

 レオアリスの顔は見えないが、少女は喜びと恥じらいを頬に乗せ、俯きがちに笑っている。

 少女の(いだ)く淡い好意が今日の小春日和の陽射しに相応しく、周囲に微笑みを浮かべさせるような光景だった。

 その様子が何故か、アスタロトの心に朿を刺した。

 近付く事が躊躇われ、ただアスタロトはその場に立ち尽くした。

 少女が何事か語り掛け、レオアリスの顔を見上げて口元を(ほころ)ばせる。

 ちくちくと、心の奥で刺が踊る。

(何を……)

 話しているのだろう。

 そのうち少女がアスタロトに気付いて、遠慮がちに頭を下げた。

 レオアリスが振り返り、アスタロトを見つけて笑う。

「遅かったな」

 鼓動が跳ねる。

 それから、あの少女にも同じ笑みを向けていたのかと思ったら、ぎゅっと縮んだ。

 でも、別におかしな事じゃない。誰かと話をしていて、笑ったって――。

 アスタロトが傍に行く前に、少女は丁寧にお辞儀をして立ち去った。

「今の()

 口にしかけて、何を聞いたらいいのか判らなくなった。

 どうしたの、とか、何を話してたの、ではヘンだ。

「……ロットバルトは帰ったの?」

 レオアリスが一人でいるなんて、珍しいと思ったから、そう聞いた。

「いや、まだいるよ、そこに」

 レオアリスは苦笑を零し、少し先で五、六人の令嬢達に囲まれているロットバルトの姿を指差して見せた。

「あっという間に囲まれて、面白かったぜ」

「あ、私に頼んで来た()たち皆いるじゃん、紹介する手間省けたな」

「へえ」

 感心とも呆れとも付かない返事を返し、レオアリスは改めてアスタロトを見た。

「それにしても、戻って来てくれて良かったよ」

「そ、う?」

 背が伸びた、と最近良く思う。

 三年間で、同じくらいだった目線は少し視線を上げないと合わなくなった。

「邪魔しちゃったんじゃないの? もっとゆっくり話をしてれば良かったのに。もし何だったら席外すけど」

 何だか心と正反対の事を言っている。

「別に話す事が無いしな」

「――冷たくない?」

 アスタロトは少しほっとしたのを取り繕う為に逆に素っ気ない口調になってしまったのだが、レオアリスは言い方が悪かったと思ったようだ。

「いや、女の子って周りにいないからな。挨拶交わしたらもう話題が無くてさ。それで終わりってのも礼儀に反するし、かといってまさか師団の話する訳にもいかねぇし」

「――」

 女の子。

「……へぇ……そう。周りにいないんだ」

 アスタロトはすっと俯いた。

「ごきげんようって、要はこんにちはって事だろ。貴婦人ってあんな軍よりも面倒な話し方しなくちゃいけねぇのな。お前が苦手なのも判る……」

「――この、ばぁーかッ!! 知らない!」

 アスタロトは思いっきり舌を出し、くるりと背を向けて大股に歩き出した。

「アスタロト?」

 レオアリスは驚いて呼び止めたものの、アスタロトは立ち止まる気配が無い。

 周りはクスクスと笑っている。他愛ないケンカと思われているようだ。

 レオアリスは少し迷い、結局ただ息を吐いた。

「――最近、良く怒るな」

 何故なのかと思いはしても、普段通りに話していたつもりのレオアリスにしてみれば、何がアスタロトの琴線に触れたのか今一つ判らず、そもそもアスタロト自身も自覚しきれていない複雑な感情など、理解しろと言う方が無理かもしれない。

 ちょうどロットバルトが――こちらは女性達と卒なくお別れをして――レオアリスの前に立った。

「お帰りになりますか」

「ああ、疲れた。手合わせでもしたいな」

「付き合いますよ」

 そう言ってから、ロットバルトはアスタロトが去った方へ視線を向けた。もうとっくに姿は見えないが。

「もう一度挨拶をしてからでなくても?」

 怒らせた現場はしっかり見られていたようだ。

 レオアリスは少し迷ったものの――、そこで別の選択をしてしまった。

「――いや、いい。何か怒らせたみたいだが、原因も判らずに謝っても余計火に油を注ぐだけだしな」

 アスタロトならすぐ、明日にはけろっとして現われるだろうと、レオアリスとしてはその程度の認識だった事もある。

 幾つにも枝分かれした道は、後で振り返ってみても、どこで選ぶ場所を(たが)えたのか判らない事の方が多い。

「帰ろうぜ」

 ロットバルトは歩き出したレオアリスの様子を眺め、もう一度アスタロトが消えた方に視線を投げてから、館へ足を向けた。

 危惧は――ある。

 だが第三者が言葉に出すには、今の段階では不確かで早急で――、余りに感情面に寄りすぎた話だ。

 誰かがそれをしなければいいが、とロットバルトは思考の片隅で思ったが、彼ですらまた、幾つにも広がって伸びる道の先全てを想定することなどできはしない。

 ひどく些細な、分かれた先はすぐに交わっているように思える、その程度の分岐点だった。



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