第三幕 老婆の休日2
夏の名残も少しずつ消えていき、秋の訪れを肌で感じる。秋は人恋しくなる季節。恋愛の季節がすぐそこへと迫ってきている。伝道師は、ひと夏の恋も経験したいし、恋人にはサンタクロースになって欲しいし、桜舞い散る中で新たな出会いに巡りあいという人種であり、彼にとっては一年中が恋の季節なのだが、差し迫り秋が一番近いので、そう言っておく。
夕闇に何をして遊ぶのか尋ねてみる。街をしばらく散策した後、行きたい場所があると言った。
「行きたい場所って?」
「ふふん、まだ内緒。それまではブラブラしてよ?」
深夜に立てたプランはその言葉で大方霧散したから、考えることを放棄した。何時にどこに向かうのかもわからぬなら、計画など意味がない。
小田野駅のすぐ傍には、「笠懸山」というハイキングに向いた山がある。休日はそれを目的とした登山客で駅が賑わう。じいさまやばあさまの中にちらほらと若い顔も見える。しかし、同級生は流石に見ない。学生はもっと開発された駅ビルがある湘南の方で買い物をするのが常だ。ワタクシたちもそうすればいいじゃないか、学生らしく。王道ならプランも立てやすい。人並みが嫌いなくせに人並みの人付き合いを望む若かりし伝道師はリードできない自分のふがいなさを人のせいにした。
駅の近くにはその山を眺めることができる公園もある。昔のお偉い方が一晩で建てたという夜城の跡地と言われているが、今はお年寄りたちが日がな一日ゆるやかに建設的でもない話をして盛り上がっている。時々、そのなかで子どもを連れて散歩をする夫婦を見て、幸せの瞬間を切り取った構図を見ることができる。ワタクシもよくそうして二人でベビーカーを押して歩く姿を夢想したものである。赤ん坊どころか、相手の顔すら未だに見えないが。
この場所には、自然は有り余っているものの、若者二人がショッピングやら映画やらイマドキの娯楽を楽しむための施設はほとんどなかった。同じ学校の人に出会いたくないという思いがあったのだろうが、それでも彼女が何故ここを指定したのかは分からなかった。子どもの頃何度か一緒に来たという思い出が薄ぼんやりと思い出された。
何をするでもないから、俺は辺りをきょろきょろと見渡して言った。
「ハイキングでもするか?」
「しないよ。まあのんびりしようよ。あ、ジェラート食べたい」彼女は猫のように自由だった。
ズンズンとこちらを気にせず彼女は進んでいく。それから、二人は駅近くで買ったジェラートを手に、公園内にある広場の一角で、石の塀の上に座ってそれを食べた。彼女は森のイチゴ味、ワタクシは小田野産の梅酒味だった。
「いただき!」と言って、夕闇明美はジェラートにスプーンを伸ばしてくる。
「んー。梅酒ってこんな味なんかね?ただの甘い梅味じゃないの?」
「さあ、梅酒を飲んだことがないからわからん。梅酒がそういうものなのかもしれん」
「うむ。これはいずれ確認する必要がある」と言って、夕闇はほいっと言って自分のジェラートを掬ったスプーンをこちらの口元に差し出してくる。俺はそれをパクッと食べる。
「森のイチゴ味ってファンシーだけど、ストロベリー味との区別がわからんよな」
「うん、それは思った。これも検証の必要があるな!」と彼女は笑った。
その後もぷらぷらと目的もなく商店街を散策し、かわいいサンダルを買ったのに結局今年は使わなかったと靴屋のウインドウを眺めたり、知らないうちにおしゃれなオープンカフェが建っていたのに気がついてはしゃいだりした。彼女があんまりきらきらした目でそのお店を見るから、入ろうと誘ったら、
「もう少しでお昼だから、それまで我慢」と返された。
彼女はその後、後ろ髪引かれる思いで、店内を何回も振り返っていたから、無理やり腕をとって、店内に入った。ぷにぷにと柔らかい二の腕だった。太っているという表現ではなく、女性らしい柔らかさであったという意味である。誤解しないように。
頼んだ珈琲から香ばしい良い匂いがした。彼女はよくそんな苦いもの飲めるね、と言って甘そうな湯気が立ち昇るココアを舐めた。お互いにちびちびと一杯で粘りながら、昼食もそこで済ませた。我ながら背伸びしたブラックコーヒーは辛味の強いペペロンチーノとはあまり合わなかった。
会計を済ませると彼女は「そろそろ行こっか」と言った。俺は黙って彼女の後を付いていく。目的の場所に行くのだろう。