恋の伝道師、お話の趣旨を語る。
今、舞台の幕が開ける。しかし、男の物語は始まる様子をみせない。いい加減なのである。
諸君ご機嫌よう。恋の伝道師、片桐上ノ助である。突然の名乗りでにさぞ驚かれたことだろうが、物事はいつも突然に始まる。油断していてはいけない。こうして突然舞台に上がった私のことを受け入れる寛容さが世を渡っていく上では必要である。だから、どうか、無慈悲にページを閉じるその手を止めていただきたい。わかっています。このように偉そうに語る輩にろくなヤツがいないことは。しかし!しかし、しばしお待ちいただきたい。これから始める恋のお話には、まず誰がそれを語るのかくらいは明らかにしておかねばならぬのです。
だが、私はあくまで恋の成り行きを語る者。恋の当事者には路傍の石ころ。盲目になっている輩には目にも入らず、蹴られた先で大抵トラックに轢かれる運命なのであります。甘ったるい恋愛成就の嬉し恥ずかしのいきさつを、成就した当人から聞いたのならば、ただののろけ話で聞くに堪えない。だが!ワタクシやみなみなさまのように恋の成就を生暖かく見守らざるを得なかった者が語る話ならば、「よし、仕方ないから聞いてやろう」という太っ腹な方もおられるのではないか。甘酸っぱい想いを打ち明け、見事結ばれた軟弱者、あるいは叶ったことがあるのに不幸だ、などと嘆く不届き者に、聞かせる話はない。去ね。
さて、ここから先をお読みになられるという方は恐らく、恋愛劇場の袖に立ち、勇者でも姫でもなく、村人Aかもしくは黒子の役が自分にはお似合いだとお思いの方に違いない。さらには、自分は舞台を縁の下で支える照明係や効果音係だとのたまう人もおられよう。頭の中でも主役を張れない、そんな崇高な魂を感じる。当たっていますか?もし当たってしまっていれば、青春を先送りしているみなみなさまの広いお心でどうかお見逃し頂きたい。まあ世間がどう言おうとも、モラトリアムの遥か先に見えんとす、恋路の滑走路を予約しておられるみなみなさまには測定不能の度量が用意されているはずだ。そうして誰も見たことのない秘境に飛び立ち遭難する前に、地に足付け小さな一歩を踏み出すべきだと感じないこともない。すみません。軟弱なことを言いました。
伝道師というからにはその道に従事していなければならない!その魅力を余すとこなく諸君に伝えるために、事物の艱難辛苦、苦心惨憺、坐薪懸胆、四苦八苦を熟知して、ちょっぴりほのかに感じる隠し味のような甘味をぺろりと舐める。こうではなくてはいけない。甘味ばかりを舐め続けていては、人間が軟弱になる。恋とは戦いだ。傷つく覚悟がない者が戦いに加わる資格はない。
しかし本当のところ、むやみに傷つく必要も、また、ない。
これは、むやみに戦いを挑み、いたずらに傷を負い、いたいけにぷるぷると草を食べ続ける子羊の物語である。といいたいところだが本当のところ、牧場で色恋にキャッキャウフフと戯れる男女にならんとする人々の物語である。恋の伝道師は、他人が主役の物語を語るところに味がある。苦味が深くてクセになる。深みにハマって抜け出せない。難儀なことである。
恋の伝道師になるための三か条
1.恋多きこと
2.いつも恋が本気であること
3.その恋が実らぬこと
まだ続くご予定。このへなちょこ野郎にお付き合いいただければ幸喜に存じます。