25 アタック・オブ・ザ・キラードール
「なっ…!」
私は絶句した。
生まれながらに背負った宿命。そして。
……今では認めたくない事実。
「鬼橋 文」の身体には、生まれながらにして「子宮」がない。
これこそが御初様の施した魔導術式の中でも最大、そして最悪の選択の結果だった。
御初様は、その死に臨んだ時、自らの大半を削ぎ落としてしまった。精神も感情も、
そしてもちろん、自らの肉体も。
…御主様を守護するために必要な知識、そして使命だけを残して。
彼女はそれだけを、自らの「子宮」として次世代に遺したのだ。
「鬼橋 文」は「子宮」を得た代わりに「子宮」を喪った。
言葉遊びの様だが、それゆえ「鬼橋 文」は子供を為す事ができない。
しかしこの「子宮」があれば、「鬼橋 文」という「存在」は不滅になれる。
先代の「鬼橋 文」が死ぬと、これから生まれてくる一族の女の赤子の内の誰かに、その「子宮」が転移されるのだ。
だから「鬼橋 文」は、直系の血統でなくてもよかった。
宿命を背負って生まれた赤子の下腹部には、生まれながらにその証である「刻印」が刻まれている。生まれた子供は、成長しても子供を為す事ができないから、その子が生まれた家に他の子供がなかった場合、その家は断絶する事になるのだ。だから一族の女たちの中には、「どうか次の番がウチではありません様に」と願う母親もいると聞く。
幸いな事に、ウチのママは先代様ととても仲が良かったためなのか、それとも先代様に命を救われたという思いがあるためか、このシステムには肯定的だったし、私を鬼子扱いする様な事は決してなかった。むしろ最上の愛情を注いできてくれたと思っている。
こうして過去三代にわたって、各地に散らばった鬼橋一族の中から生まれ出た「鬼橋 文」は御主様にお仕えしてきたのだ。
たまたま、四代目はご本家のある和歌山から遠く離れた北関東、群馬県高崎市の分家に生まれたこの私だった、というだけ。
私自身は幼い頃からこの宿命を当たり前の様に受け入れてきたし、長じては御主様の為に生き、やがて御主様の為に死ぬ事になるだろうと理解していた。もしそうでなくとも、自らの身体に過度の負担を強いている「鬼橋 文」の寿命は短いのだ。
先々代は27歳。先代は今の私と同じ17歳でこの世を去った。
私は何歳で落命するのだろう。
己が宿命を不幸だと嘆くつもりは全くない。むしろ御主様――鮎子おねえちゃんと過ごせた人生は充実しているし、誇りにさえ思っている。「鬼橋 文」としておねえちゃんに出逢えた事は、私の人生の最大の僥倖なのだ。
そうだ。いつの日にか、私がこの世を去る時は、きっと笑顔で旅立てるだろう。
…そういった意識で生きてきた17年目の初冬。
私は、もう一人の「僥倖」と巡り会った。巡り会ってしまった。
志賀義治君。
魔導などとはまるで縁のない、ごく普通の男の子。
ギターが大好きで、妙な雑学的知識は持っている癖に、原子の周期表にすら音を上げてしまう、ちょっと頼りない文系少年。
それなのに、いざという時には思いもよらない大胆な行動と決断を示してくれる、どうにも目の離せない、ひとつ年下の後輩の男子。
出逢った時から私の事を「文ちゃん先輩」などと馴れ馴れしく呼んできた彼、志賀君。
彼との出会いは、私の中の価値観を一転させてしまう程の物だった。
子供を為せない以上、恋愛とか結婚、家族計画などといった物は「鬼橋 文」には無用。
…そう考えてきたのに。
彼と一緒にいる時間が、たまらなく愛おしい。
彼の爪弾くギターの音に、いつまでも耳を寄せていたい。
彼の温かな胸に顔を埋めていたい。
彼の広い肩に寄りかかって眠っていたい。
彼の唇に触れてみたい。
――――いつまでも、彼と一緒にいたい。
そう、いつまでも。
それは御主様に全てを捧げた「鬼橋 文」にあるまじき考えだった。
しかし当の御主様が、それを認めてくれた。
それはとても嬉しくもあったが、同時に切ない気持ちも芽ばえた。
ひとつしかなかった価値観に、選択肢ができた事は、私の人生観を大きく塗り替えたのだが、同時にその選択肢には、絶望的な未来図も含まれてしまうのだ。
『彼氏さん――志賀君とか言ったかしら?彼は貴方の身体の秘密を御存知なの?』
「慰撫」がまた質問を重ねてきた。表情のないはずの此奴の顔に、どこか邪悪な影が差している様に見えたのは気のせいなのだろうか。
「……ノー……コメント」
『きゃは!お話ししていないのね?』
「ノー・コメントだ」
『ひっどーい!貴方、最低の女だわ。恋人に、一番大事な事を伝えていないなんて』
「ノー・コメント!」
『可哀相な志賀君!貴男がいくらこの女を愛そうとも、それは実を結ばないのに』
「…お前…少し黙っていろ…」
『きゃはは!宜しいではないの。わたくしは、そんな貴方に救いの手を差し伸べてあげるのだから』
「…救いの…手?」
『そうそう。最後になったけど、このわたくしのお願いを聞いてくださればよろしいの。そうすれば、貴方はこの忌まわしい宿命から救われる』
「どういう事だ。言ってみなさい」
『その身体、わたくしに下さらない?』
「なっ…!?」
「慰撫」はまた、きゃははは!と黄色い声で笑った。
『”オンナ”としての幸せを望めない、そんな肉体なんか捨てておしまいなさいな。それはわたくしが大切に受け継いであげるから』
「…私はどうなる?」
『代わりにこのお人形の身体を差し上げるわ。貴方はこの身体の中にいて、誰か安全な母体となる別の身体を見つけたら奪っちゃえばいいのです。きゃはははははは!』
「冗談は…程ほどにしろ…」
…何という邪悪な事を考えているのだろうかこの魔人形は。
見た目は品よく振る舞っていても、しょせんは他に寄生するだけの異形…か。
『あら?ご気分を害してしまいました?きゃははは。変ですわね。こんなに素敵な御提案ですのに』
「…当然だ。私にだって”鬼橋 文”としての誇りがある。お前の下品な申し出など、聞く耳など持ち合わせてはいない!」
『あら。残念ですわね。交渉決裂、ですの?』
私は「慰撫」を睨めつける事で、無言の拒絶を示した。こんな下卑た申し出には、返答の声を出す事すら悍ましい。
「慰撫」ははぁ、とため息をついた。闇に包まれた部屋の中に白い息が広がる。
『…仕方ありませんわね。貴方がここまで意固地な方だとは思わなかったわ』
「知っていただろう?私は融通の利かない頑固者なんだ」
『うふ。さすがは”アイアンメイデン”と呼ばれるだけの”オンナ…あ、オンナじゃなかったのですよねぇ…間違えて御免なさぁい』
「…………」
『残念ですが、このお話は無かった事にいたしますわ。…その代り』
「慰撫」のガラス製の青い眼が、無機質で邪悪な色に輝いた。
「その代わりに…どうする?」
『愚かしい貴方に、絶望を差し上げます』
「絶望…?」
『そう、絶望。愚かで浅はかな貴方が、そんな肉体を捨ててしまいたくなる様な絶望』
…どういう事だ?
「慰撫」の狙いが、この私の肉体を奪い取る事ならば、この身体を傷つけずに手に入れたいのが本音だろう。どういう手を打ってくる?
『志賀義治君』
「…え?」
『可哀相な志賀義治君に、あなたのお身体の秘密をお伝えする事に致しますわ』
「なっ…!?」
『哀しむでしょうねぇ志賀君。最愛の文ちゃん先輩はぁ、僕を騙していたんだぁって』
「騙してなどいない!」
『じゃあ、貴方自身がお話ししちゃう?お話しできますの?』
「う…それは…」
「慰撫」は、皿の上のフォークを掴むと身構えた。
「…三又矛のつもりか?」
たしかに身長60センチの此奴には、手頃な槍程度の大きさなのだろうが。
「貴方は、たしかフェッチ棒とかいう武器をお持ちのご様子ですし」
「相手にもならないぞ?」
「果たしてそうかしら?」
「…………」
私が左手を振り下ろすと、パジャマの左袖から永年愛用してきた武器が飛び出した。
フェッチ棒。長さ50センチ程度の、自作の槍状の武器だ。
先端には鋭い刃、反対側の握り部分の先端には骸骨を模した小さな意匠が三つ取り付けられている。本来はゾンビなどのアンデットに絶大なる効果を持つ、魔力を帯びた武器なのだが、小柄な私にも扱いやすくて重宝している。
私がこの武器を露わにした時、それは戦う意思を明確にした事を意味する。
『おお怖い。何て無粋で醜くて野蛮な武器なのかしら』
「武器とは本来、そういう物だろう」
『御尤も、ですわね』
「慰撫」はフォークを身構えているが、戦いたくないのが本音だろう。此奴は私の肉体を無傷で手に入れたいだろうし、それにしょせんは非力な人形、戦闘力などたかが知れている。本気で私を狙ってくるとは思えない。
おそらく、奴はこの場から逃亡する事を念頭にしている事だろう。
そしてそのまま…志賀君の所に向かうつもりか。
「慰撫」は腰を低くした姿勢で身構えると、私に向かって一気に突進してきた。
だが、そんなのはお見通しだっ!
フォークの切っ先が届く寸前、私は身をかわした。
こと戦闘になれば、やはり場数が違う。私だって、これまで幾多の異形どもと対峙してきたのだから。
私に体当たりし損なった「慰撫」は、そのまま部屋のドアに衝突した。
『いったーい!酷いですわ。欠陥品のクセに』
「300円が何を言う。無様だな」
『そうかしら?』
「慰撫」は不敵にきゃははは!と笑った。
「む…?」
「文ちゃーん、どうしたのー?何騒いでいるのぉ?」
その時、騒ぎを聞きつけて起きたであろうママの声が、1階の方から聞こえてきた。
「へ…ママ?」
私が気を取られた一瞬の隙をついて、「慰撫」は部屋の反対側、自分が入ってきてから開けっ放しになっていた窓の方に向かって突進した。
「くっ…!しまった!」
『きゃははは!お馬鹿さーん。それでは御免下さいませ』
「慰撫」は勝ち誇った様に嘲笑った。
「逃がすかっ!」
私は隠し持っていた小瓶を、「慰撫」に向かって投げつけた。
「慰撫」は思わず瓶を払いのけた。その拍子に瓶の中の液体がこぼれて飛び散った。
『きゃっ!?』
「慰撫」は慌てて身をかわしたが間に合わず、その液体を頭から被ってしまった。
『な…何これ?…油?』
「そう。それはただのサラダオイルなのだけど。…『炎』」
私が発した力ある言葉――魔法によって、「慰撫」のドレスから炎が生まれた。
『くっ…魔法なんて、”文字”であるわたくしには効かない…え?』
「そうだろう。お前の身体には魔力なんて効かない。でも、その安っぽいドレスはどうだろう」
今度は「慰撫」が狼狽する番だった。
『くっ…馬鹿にしてぇ!覚えていなさい』
「慰撫」は慌てて窓の外の手摺を掴もうとしたのだが、油で滑ってバランスを崩して転落した。
「ふぁぁぁぁ…。文ちゃん、賑やかねぇ…あらフェッチ棒?」
落下していった「慰撫」と入れ替わりに、寝ぼけ眼のママが部屋に入ってきた。
「ごめんなさいママ。詳しくは後ほどお話します」
私は部屋の棚からとある道具を持ちだすと、魔導師の必需品である黒いマントを見に纏い、そのまま窓の外に飛び出した。
「文ちゃーん?パジャマだと風邪引いちゃうわよー」
何とも呑気なママの声を後ろに聞きながら、私は2月の月明かりの下に躍り出る。
私の部屋は2階にある。陰風が身に染みた。
眼下には、中々消えない炎に悪戦苦闘しながら地面を這っている「慰撫」の姿が確認できた。私はその前に着地する。
『このっ!このっ!何で消えてくれないのよ!?』
「それは、お前のドレスがナイロン製だからだ」
『な…ナイロン?』
ナイロンなど一部の化学繊維は高い熱可塑性を持つ。熱可塑性とは過熱により変形しやすくなり、冷えると凝固する性質の事だ。
この性質のため、炎で加熱されたナイロンはみるみるうちに溶解・凝固して皮膚にこびり付いてしまう。こうなると炎は表面フラッシュ現象を引き起こして、瞬く間に広範囲に拡がり、大火傷につながる。これを「着衣着火」という。
ちなみにポリアミド合成繊維の一種であるナイロンの引火点は500度。
植物油の平均的な引火点はおよそ300度ちょっとだが、加熱分解した場合はその限りではない。
本当ならば揮発性の高いガソリンにしたかったのだが、キッチンに降りた時に咄嗟に手に入れられたのはこれくらいだったのだ。
本来は逃亡を図るであろう「慰撫」を、夜でも一目で確認できる様に炎上させるつもりだったのだが、思いの他、効果は大きかったみたいだ。
『こ…こんな事くらいで…このわたくしを倒せる…とでも?貴方の魔法なんて、しょせんは単純図式化された文字の…脆弱な魔力でしかないじゃない…原初の文字であるわたくしには…効くわけないじゃないの…』
地面をのたうち回りながらも、「慰撫」はまだ負け惜しみめいた口をきいている。
「もちろん、これで倒せるなんて思ってはいない。…だから」
『だから何…って、ええっ!それはっ‥!?』
「慰撫」は、私の手にしている道具を目にして驚愕している。
私の手には、やや大きめの木槌が握られていたのだ。
ママが最近はじめた趣味の袋物細工用に、近所のホームセンターから買ってきた物だ。
たかが木槌とはいえ、永い年月を経て劣化しているアンティーク・ドールの頭を叩き潰すくらいには十分だろう。
『ちょ…ちょっと待って!御免なさいっ!もうしません!もうしませんからっ!』
「五月蝿い黙れ」
私は片手で握りしめたフェッチ棒を一閃した。
…ごり。
意外に重い手ごたえがあって、「慰撫」の首が胴体から切り落とされた。
ごろごろと地面を転がる「慰撫」の首は、やがて横倒しになった状態で止まった。
『何て酷い事をするのこの欠陥品!鬼!悪魔!人でなし!!…え?あ、あ、あ、あ!?』
首だけになっても口汚く私を罵る「慰撫」の頭を、私は容赦なく木槌で叩き潰した。
かつては美しい微笑みを浮かべていたお人形の顔は、もはや見る影もない。
「絶望するのはお前の方だったみたいだな」
まだ燃えている胴体の方を見ると、内部の空洞から、小さな黒い線――原初の象形文字「オンナ」が何とか抜け出そうとしているのが見えたのだが、熱可塑性で溶けたナイロンがこびりついて抜け出せなくなっていた。
首のない胴体は、それでもまだ地面を這いつくばり…道路脇の狭い側溝に転がり落ちていった。
一度だけ、ばちゃん!という小さな水飛沫の音がして、静けさが戻った。
「…よかったな。これでやっと火が消えたぞ」
まだ燻臭い煙を上げているお人形の残骸に、私は語りかけた。
私は粉々になった「慰撫」の頭部と黒焦げの胴体を拾い集めて、無造作にビニール袋の中に放り込んだ。
…これで終わったわけではない。まだやる事は残っている。
この魔人形の残骸は、厳重に封印して和歌山のご本家に送り届けよう。従妹の真礼は優秀な傀儡師だ。きっとうまく処分してくれるだろう。
それと、もうひとつ。
私はある決意を胸に秘め、如月のよく晴れた月明かりの下を駆け出した。




