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1 ゲット・オフ・マイ・クラウド

―――じりりりり!と、けたたましい目覚まし時計の音が鳴り響いて目が覚めた。

この目覚ましはもう永い事、私が毎朝最初に耳にする音を鳴らし続けている。

最近では電子音の耳心地のよいアラームの目覚ましも売っているとは聞いているが、私はこの古風なベルの音の方が好みである。

これから始まる一日に最初に耳にする音だからこそ、規律正しい物が求められるべきなのだ。朝から心地よい音など耳にすれば、その一日もたるんだものになりかねない。

志賀君は「文ちゃん先輩は堅すぎますよ」などと言ってくれるのだが、私にとってこの音は、日々を充実した物にさせるための儀式の様な物なのだ。

キミの心遣いには感謝するが、変えるつもりはない。分かってほしいとその場で彼には伝えた。

 志賀しが義治よしはる君。

一学年下の彼とは先日、とある事件で知り合い、「すてでぃ」な関係になった。

私とはあまりにも価値観の違う彼だが、そこがよい。

「鬼橋 文は堅苦しい。頑固だ。偏屈者だ」

誰もが私に抱く印象は、きっとそんな所だろう。

それは私も否定しない。自分でもそういった面があることは承知している。

とはいえ、その部分も含めて「私」という存在を形作っているのも、また事実なのだ。

この性格のおかげで、これまではごく一部を除いて、私に親しくしてくれる様な奇特な友人はいなかった。

私はそれを己が性分からくる当然の帰結だと理解していたし、理解していたから孤独感といった物も感じることもなかったのだ。

「私の性格ではそれが当然なのだ」と、垣根を作って自分に言い聞かせていたのだと思う。

ところが一体どうした事か、志賀君は初めて会った時からそんな垣根をあっさりと乗り越えてきた。

私としても、いつしか彼に対してだけは、それまで抱いたことのない様な不思議な親しみを感じる様になった。

変り者同士、よほど気が合ったのかもしれない。

最初は、生徒会長の責務としての出会いだった。

とある事件に関わった彼に、色々と聞きたいことがあったのだ。

その後、鮎子おねえちゃん…御主様の「秘密」を知ってしまった彼の命を狙った。

その頃にはもう、彼に対して憎からずな感情もあったが、私が「鬼橋 文」である以上、それも仕方ない事だと割り切ったのだ。

皮肉な運命を嘆くだけの己が感情を封印するために、私は自身に暗示をかけた。

「御主様の秘密を知ってしまった彼には、死んでもらうしかない。それが『鬼橋 文』の名を継いだこの私の果たさなければならない責務なのである」…と。

感情を切り離した私は、愛用のフェッチ棒を手にして、彼の教室に向かった。

彼を失う悲しみは、後で存分に泣けばいい。

きっと一生後悔する事になるだろうけれども、どうせ「鬼橋 文」の人生はそう永い物ではないだろうし。

私が死んだら、あの世で彼に謝ろう。

何度も何度も謝って、その後は彼に尽くそう。

彼が私を拒絶したっていい、いつまでも、どこまでも彼に尽くして尽くして、私の本当の気持ちを伝えよう。

そんな韜晦とうかいした決意を胸に、私は彼が一人でいる放課後の教室に向かったのだが。

―――ところが、である。


…なぜか、彼に唇を奪われてしまった。


わ…私だって、一応は…女だ。

歳相応の知識だってあるし…その…彼の気持ちも知ることができて、正直な所嬉しかったのも事実だが…もちろん戸惑いだってあった。

…愚かな暗示なんて、一瞬で吹き飛んでしまった。

だから私は、彼に甘えることで、全てをうやむやにするしかできなかった。

その後で、彼らしからぬあの大胆な行動が、全て鮎子おねえちゃんの入れ知恵だったことを知って腹が立つ様な、呆れた様な、同時に安堵した様な…何とも言えない気持ちになってしまった。

少なくとも、彼に対する殺気めいた感情は、いつの間にか雲散霧消してしまっていた。

彼と私が深く関わってしまった「あの出来事」が終わった時。

…彼はもう、私にとって「特別な存在」になっていた。

あの時の事を思うと、今でも我ながら恥ずかしいくらいに胸が高鳴る。

…実に私らしくもない事だが。


ベッドの中でそんな事を考えている間も、目覚ましのベルは鳴り続けていた。

手を伸ばして停止ボタンを押す。しかしベルは鳴りやまない。

かち、という確かな感触はあったのにも関わらず。

「…む?」

押し方が悪かったのだろうと思ったので、もう一度しっかり押してみた。

まだ鳴っている。

私は不審に思い、上半身を起こして時計を手にしてみた。

じりりり!じりりり!じりりり!じりりり!

何度ボタンを押しても、時計は一向に鳴りやまない。

「むむむ…?」

これが電池式ならば、電池を抜くという最終手段も使えたのだが、まことに残念な事に、この水色の時計は古式ゆかしいゼンマイ式だった。

慌てた私は、時計の裏側にあるゼンマイを逆側に回してみた。

…後で考えれば、時刻合わせのツマミの方をちょっとずらしてしまえば、すぐに音も鳴りやんだことだろうと後悔することしきりだが、その時の私は狼狽してしまい、最悪の選択を取ってしまったのだった。

元々、私は機械という物にはさして詳しい方ではない。

「鬼橋 文」は代々魔法を旨とする「魔導師」なのだから、魔法があればこんな機械風情に頼る必要など無用―――というのは単なる言い訳に過ぎない。

昭和も、もうすぐ60年になる。旧式の目覚まし時計ひとつ扱えないというのは、機械文明が浸透しきったこの時代に生きる現代人としては恥じるべき失点であろう。

ゼンマイを力任せに逆方向に巻くというのは、冷静に考えれば決して褒められた対処方法ではない。

しまった!と思った時には遅かった。

ぱきん!と嫌な音を立てて、ゼンマイは根元から千切れてしまったのだった。

「あ」

一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

しかし次の瞬間、私は今起きた事実を理解した。

「あ、あ、あ」

…やってしまった。

永い間、私のために時を刻んでくれていた大切なパートナーに対して、私はおよそ最低の仕打ちを犯してしまったのだった。

「あー、ついに壊れちゃったねー」

いつの間にか私の部屋のドアが開いていて、フライパンを片手にしたママが、呆れた様なお顔をしてこちらを見ていた。

「いつもはベルが鳴ってきっちり十秒で止まるのに、今朝はいつまでもずっと音がするからと思ってきてみたんだけど」

「あ…ママ、おはようございます。…申し訳ありません…私の不注意で時計を壊してしまいました」

私はママに向かって謝罪した。

この時計は、元々はママの物だった。

ママがまだ和歌山のご本家にいた頃から愛用してきた物だという。こちらに嫁いできた時に持ってきた、ママの思い出の品でもあるのだ。とても申し訳ない気にもなる。

ところがママは、

「あー、いいっていいって。それも、もう大分くたびれてたからね。きっと、そろそろ寿命だったのよ。文ちゃんは気にしなくてもいいの」

と笑顔で答えた。

「…気を遣ってくれてませんか?」

「ませんません。それより朝ごはん食べちゃいなさい」

「あ…はい…」

私はベッドから出て着替えた。洗面所に行って顔を洗い、髪を整える。

食卓の自分の席の前には、美味しそうな香りを漂わせているハムエッグが置かれていた。

私の好物である。

いつもならば無邪気に「感謝いたします。いただきます」と箸をつけるのだが、今朝は食指が動かない。

「どうしたの?お腹でも痛い?」とママ。

「…いえ、そういう訳ではありません」と私。

「あー、もしかしてさっきの時計のこと気にしてる?」

「…はい。私の不注意で、ママの大切な物を壊してしまいました。…私はどうやって償えばよいのでしょうか?」

「うーん…気にしなければいいいんじゃない?」

「そういう訳にも…」

「気にしなければいいの。文ちゃんはいい子だけど、ちょっと真面目すぎるなあ」

「そうでしょうか」

「そうそう!…ほら、この間ウチにきた子」

「…志賀君の事ですか?」

「その志賀君も言ってたわよ?『文ちゃん先輩には頭が下がります』って」

「たしかにそう言ってましたね」

ぽかり。

ママは、丸めた新聞紙で私の頭を軽く叩いてきた。

…どこに隠していたのだろう。

暗器の扱いは、さすが鬼橋の家の出だけのことはある、と感心させられはしたが。

「ほら、カレシにそういう事を言わせちゃだーめ」

「…は?」

「カレシの前じゃ、ちったぁ可愛い所も見せてあげないとだめよ?」

高崎に嫁いで20年。紀州生まれのママだが、今では微妙に上州弁が混ざっている。

「…しっかりした所を見せてあげる方が、彼は喜ぶのではありませんか?」

完璧とまではゆかないが、不出来な様を見せるよりはよいと思うのだが。

「…うーん。悪い事ではないけれど…志賀君は息が詰まるだろうなあ」

「そういうものなのですか」

「そういうもの、そういうもの」

ママは無邪気に笑ったが、私にはどうも実感がわかない。

「…『男を立てる』という、古式ゆかしい婦女子の心得でしょうか?」

「文ちゃん?文ちゃんはいつの時代の子?」

ママは少々呆れた様な表情になった。

「昭和の戦後生まれです」

「そうそう。ロケットもとっくに月に着陸したしね。文ちゃんはそういう時代の子でしょ?」

「はあ」

「そんなカビの生えた価値観なんて、今どき悠久堂にも売ってないわよ?」

「そうはおっしゃいますが」

「ほらそこ!」

「どこですか?」

ママは呆れた様な顔になった。

「自分のお腹を痛めた子とはいえ、文ちゃんは変わった子よね」

「変わっているとは自覚しています」

「…先代様は、もうちょっと洒落が分かったけどなあ」

先代の鬼橋 文は、今の私の歳、17歳でこの世を去ったというが、彼女がどんな方だったのかは、記憶を受け継いでいないこの身には知る由もない。

「まぁ、先代様の事は置いておくとして…文ちゃんって、親しくなる程、その相手には丁寧な言葉遣いになってくるんだよねえ」

「…いけない事なのでしょうか?」

どこが悪いのか分からない。

大切に思う相手だからこそ、胡乱な態度を取ったり、疎かにしてはいけないと思うのだが。

「悪くはないんだけどね。…この前、志賀君が聞いてきたよ?『文ちゃん先輩、だんだん僕に敬語を使ってくる様になってきたんですけど…嫌われちゃったんでしょうか?』って」

…何と!?彼はその様な不安を抱いていたというのか。

それはまったくの誤解である。私が彼を嫌いになるなんてありえない。

…むしろ、彼が私に愛想を尽かさないかどうか不安なくらいなのに。

そうかそうか。これは嬉しい情報を知ることができた。

不安を抱いていたのは、私だけではなかったのだ。「すてでぃ」な二人が、期せずして同じ感情を抱いていた…というのは、やはり嬉しいものである。

つい先日まの私には想定すらできなかった感情の機微という物が、今ではとても身近な物に感じてしまう。

それにしても。

そうか、志賀君はそんな不安を抱いていたのか。可愛い奴だ。

今日、学校であったら、ここは年上の私が、余裕をもって優しく甘えさせてあげようではないか。

現金な話だが、急にお腹がすいてきた。

私は箸を手にしてハムエッグを頬張ったのだった。

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