仮に如水に
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南九州辺りで百万石与えたなら、多分、島津辺りと手を組み、たちまち九州はおろか、中国・四国まで平定してしまっただろう。如水は『軍師官兵衛』でも描かれている通り、戦上手。知略とそれから派生する戦術で勝ち残っていける人間なのである。だから、秀吉も如水を恐れて、豊前中津十二万石しか与えなかった。いわゆる豊臣家の脅威だったのである。
如水はドラマでも描かれているように、秀吉や家康と堂々と渡り合っている。おそらく凄まじかったのだろう。当時の人間の中でも人並み以上に器量が大きい。三成や淀殿、秀頼など豊臣政権の中枢の人間たちだけでなく、武断派と呼ばれた加藤清正や福島正則よりも、だ。
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以前も申し上げたように、今年は『軍師官兵衛』を通じて家康に惚れ込んだ。やはり天下を取る人間は違う。あのドラマの中でも如水より、家康の方に目が行った。家康は待ち続けたのである。天下が転がり込んでくるのを。そして大動乱を経て、掴み取った。あと数回放送があるのだが、ボクにとって、如水よりも家康の方が格段に大きく見える。スケールが、だ。
軍師など一人大名がいれば、大勢いる。武田家や真田家、尼子家、毛利家などにもいたのだし、如水は単なる秀吉の一軍師である。ただ、才覚ではずば抜けていたということだ。世を見る力に長けていた。先をくっきりと見通したのだ。織田の次は豊臣、そして徳川へ移ると。乱世を生き残っていくのにしぶとく、強かったと言えるだろう。
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秀吉は如水を家臣として扱いながらも、同時に敵に回せば恐ろしいと思っていたのだろう。だから、あえて多くの禄高を与えなかった。極自然な成り行きである。如水が他の大名たちと結託し、決起して動けば、天下も騒乱の時代となるのは目に見えていた。家康でさえも、如水の策略は恐れただろう。もちろん、黒田家も最終的には徳川に従ったのだが……。
如水のことに関してはいろんな作家が描き、小説だけでなく、映画や舞台などもある。今年は大河ドラマで扱われ、好評を博したから、多数の日本人が如水のことを知っただろう。あの波乱に満ちた生涯は凄い。それに前述した通り、ドラマの視聴者であるボクも如水より返って家康の方に惹かれ、あの武将を改めて見直した。如水も戦国の世において、稀に見る戦上手なのだが、家康はそれと匹敵するか、上回るぐらいだ。
まあ、もうすぐ『軍師官兵衛』も終わるので、また来年の作品に期待を掛けたい。ちなみに前述したことに付け加えておくと、秀吉と如水は主従関係にありながらも、武士としての器量は如水の方が上だったと思える。もちろん、秀吉を天下人に押し上げた如水は、裏方としては最高級の武将なのだし、紛れもなく天才軍師なのだが……。
ひとまず一筆書かせていただきました。
ではまた。
(了)