表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/46

オシノビの王太子妃2


服を着替えるように、心も変えられればいいのに


水浴びをするのも、服を着替えるのも全て一人で行った。

わたし自身驚くほどの手際の良さだった。


そうして身なりを整えたわたしは、そのまま部屋を出た。

部屋にいれば、きっと誰かかれかが訪れてくるだろう。

だが今は誰とも会いたくなかった。


とにかく一人になりたくて、人気のない場所を歩き回ったわたしは、いつの間にかお義母様とお忍び歩きに行くときに使う抜け道に来ていた。


ここは一人の時には近づいてはいけない


そう何度も教えられていた。


けれど、気づけば足は勝手に抜け道へと進んでいた。

何処か遠くに行きたい。

わたしの素性を知らない人達のいるところに。

その思いが、わたしを抜け道へと進ませる。


抜け道を越えてたどり着く先――王都であればきっとわたしの事を知っている相手などいない筈。


民達は王妃の惨めな境遇は知っていても、わたしの惨めな境遇を知る者など何処にもいない筈だ。


そんな思いはわたしの足取りをしっかりしたものへと変えて行った。


そうしてわたしは、お義母様との約束を破ったのだった。



久しぶりに来る王都はまた様子を変えていた。

沢山の人々、沢山の店。

賑わいは前に来た時以上だった。


「凄い……」


素直にそう思った。

本当に、人々の熱気は凄まじかった。


笑った怒ったり泣いたり。

人々が思いのままに浮かべる表情が、明るい声が、わたしの傷ついた心に優しく染みこんでくる。


いつしか沈んだ気持ちは上向きとなり、高揚さえしてきた。


「今日は何処に行こう」


金銭は少しだけ持っている。

前にお忍びに来た時にお義母様から貰ったものだ。

食事と安い買い物をするぐらいなら余裕で間に合うだろう。


ああ、気晴らしに前にお義母様と一緒に行ったお店で食事をするのもいいかもしれない。


わたしは店を目指して歩き出した。


だが、所詮数回しか来た事のない場所だ。

しかも前に来たのは何週間も前であり、当然の如くわたしは道に迷った。


「ここ……どこ?」


気づけば知らない場所に居た。


迷ったのだと悟るものの、すでにどうにもならない。


「ど、どうしよう……」


誰かに道を聞こうか?


幸にも、ここも表通りらしく行き交う人々は多かった。

とりあえず現在位置だけでも確認しようと周囲を見回した時だった。


ボスンと何かが足にぶつかる。


「へ?」

「ママ~!」


ママ?


思いもかけない呼ばれかたに思わず視線を下ろせば、足に小さな女の子がしがみついていた。

女の子がわたしを見上げる。


「……ママ……じゃない?」


みるみるうちに女の子の瞳に涙が溢れてくる。

どうやらわたしを母親と間違えたらしい。


「あ、あの」


どうすればいいのか。

とりあえず宥めようとするも遅く、女の子は泣き出してしまった。


「ママ~!」


どうやら迷子のようだ。

早く母親を捜してあげなければ。

とそこでわたしは自分も迷子だった事を思い出す。


だが、だからといってこのままにはしておけない。


「あの、お名前は?」

「カナ」

「え?」


女の子はカナと名乗った。

驚き言葉を失うわたしだったが、遠くから聞こえてくる声にハッと振り向いた。


「カナ~」


それは女の子の父親のものだった。

女の子はみるみるうちに顔を輝かせ、声の聞こえる方向へと走っていく。が、そんなに行かないうちに走ってきた父親が女の子を抱きしめた。


「こんなところに居たのか?!良かった、パパもママも心配したんだぞっ」


泣きじゃくる娘を抱きしめる父親の姿に、わたしはいつしか祖国の父を思い出した。


陰口を叩かれてシクシク泣いていた幼い頃。

物陰に隠れて泣くわたしを、父はいつも簡単に見つけ出した。


そして言うのだ。


『お前は誰よりも幸せになれるよ』


自分に似なかった失敗作であるただ一人の娘であるわたしに、父はいつもそう言った。


誰よりも幸せになれるよ


でもお父様


今のわたしはとんでもなく不幸です


誰よりも不幸だなんて事は言わない。

衣食住に困らない生活を保証されているわたしは、きっと平均的に見ればとんでもなく恵まれているだろう。


津国の第三王女として、飢えることのない生活を保証されてきた。

だからこれ以上望めばバチが当たる。

文句なんて言ったら、怒られる。


でも……わたしは幸せだと思えない


愛する人に愛されないこの身が


愛する人が他の女性を側室として迎えるのを見ているだけしか出来ない自分が


愛する人を満足させられない自分が


憎くてたまらなかった


気づけば女の子と父親の姿はなかった。

きっと母親のもとに行ったのだろう。


羨ましいと思った。

帰る場所があって。

いや、帰ることが出来て。


わたしは何処にも帰れない。


『一時的に帰ることは出来るよ』


お義母様の言葉が蘇る。


帰ったらお願いしてみようか。

しばらくの間、津国に帰らせて下さいって。


このままこの国に居るには辛すぎた。

このままではこの国を憎んでしまうかもしれない。


トボトボと歩きながら、わたしの心は津国へと飛んでいた。

帰りたい……家に帰りたい。


あの国でも厄介者扱いはされていたけれど、少なくとも愛する人が別の女性と幸せそうにしている姿を見ることはない。


流れる涙が視界をゆがめる。

その時、足が何かにつまずき体のバランスが崩れた。

あっと思った時には前に倒れていた。


そのまま、前にいた誰かにぶつかった。


「痛ぇなおいっ!」

「ご、ごめんなさいっ」


相手の男性がわたしを睨み付けるのが見えた。

身なりは良さそうだが、中身の方は紳士とは言い難い様子だった。

その証拠に、謝るわたしの手を相手の男性が強く掴む。


「人にぶつかっといて、ただ謝るだけか?」

「あ、あの」


この人は一体何を言い出すのだろう?

自分に非があれば謝るのは当然だ。

しかし口だけの謝罪で誠意など伝わらないと毒突く。


「ちょうど良い、むしゃくしゃしてたんだ。少し付き合って貰おうか」

「ど、どこまでですか?」


そんなわたしの反応に、相手が小馬鹿にしたように笑う。


「はっ!お前、とことん箱入りのようだな!ったく、どうやら地味な見た目とは違って、良いとこのお嬢さんといったところか……身につけているものも地味だが素材は上等だしな。はっ!いいカモを捕まえたもんだ」


その言葉に、わたしは罠にかけられた事を悟った。

どうやらこの男は獲物となる相手を探していて、それにわたしがたまたまひっかかったのだろう。


すぐさま逃げようとするが、捕まれた腕を引っ張られて引き寄せられる。


「っ!」

「逃げるなよ。俺と楽しもうぜ?なに、金なら腐るほどあるんだからな」

「離して!」

「おいおい、普通は感謝するべきところだぞ?ここは。俺としてもお前みたいな地味な女なんて相手にしたくないがな。今日は他に良い女も見つからないし、お前みたいなのでも相手にしてやるって言うんだ。俺みたいな金持ちの相手になれて嬉しいだろう?」

「やだ、離してぇ!」


確かに金持ちだろうし、見た目も整っているが、だからといってこんな事をしていい理由にはならない。


というか相手の貞操観念や倫理は一体どうなっているのか?


とにかく逃げなければという思いのままに暴れるが、相手の力は強くあっという間に路地裏へと引っ張られていった。


「この、大人しくしろっ!」

「やだやだぁ!」

「ちっ!今までだったら良いところの娘ならすぐに大人しくなったって言うのによ!」


男が吐き捨てるように言う。

良いところの娘が大人しくなる理由。

それは恥や外聞を気にしての事だろう。

特に世間体を重んじる家では、娘が酷いことをされても、それを隠そうとする傾向が強い。


「観念しろよ!どうせ逃げられないんだからな」

「いやぁ!」

「あれか?許嫁とかにバレるのが怖いのか?安心しろよ、機嫌が良ければ黙ったままでいてやるからさ」


醜く笑った相手が、わたしを地面に押し倒し、首筋に顔を埋める。

そのおぞましさにわたしは金切り声をあげた。


「煩せぇっぎゃぁ!」


顔を上げた相手の顔面にわたしの拳が入った。

悲鳴をあげ顔を覆って転げ回る相手を気にせずわたしは走り出した。


後ろから怒声が聞こえるが、立ち止まらず無我夢中で走り続けた。

捕まったらもっと酷いことをされる。

その恐怖に怯えながら、心臓が破裂しそうなほど走り続けたわたしは、気づけば王宮に戻る抜け道の前に立っていた。


どうやら無事に逃げ出せたらしい。


いまだ震える体をかき抱くように抱きしめながら、わたしは抜け道を駆け抜けた。


ああ、お義母様との約束を破ったバチがあたったのだ


あれほど一人で外に出てはいけないと言われていたのに、わたしはそれを破ってしまった


だからあんな怖い目にあったのだ


それでも、無事に逃げおおせる事が出来たのは、本当に運が良かったからだろう。

もし一歩間違えれば、わたしはあのままあの男性に……。


ぶるりと恐怖が全身を駆け抜ける。


男性の触った場所が酷く汚らわしいものに思え、すぐにでも水浴びがしたくなった。いや、お風呂で徹底的に体を洗いたい。


が、とりあえずそれには自分の部屋に戻らなければと、わたしは自室を目指して歩いた。


既に辺りは日が落ちていた。


夕闇がわたしの姿を隠してくれる事に安堵しつつ、吹き抜けの回廊を通り抜け、自室のある宮殿へと入っていく。


だが、自室に戻って愕然としてしまった。

そこには、居るはずのない相手――波景が居たからだ。


「随分……お楽しみだったようで」


そう言った波景は、今まで見たことのないほど凄まじい形相でわたしを睨み付けていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ