お茶会と王太子妃
初めてお義母様にお忍びに誘われてから一ヶ月が経った。
その間に、五、六回ほどお義母様とお忍びをした。
王都の中だけだったけど、それでも凪国の王都は広く、わたしが飽きることはなかった。
それどころか、日に日にその姿を変える王都にわたしは王宮に戻らなければならない時間が来るたびに残念な思いでいっぱいになった。
お忍びは、午後の暇な時間から日が暮れるまで。
だからあまり遠くにはいけない。
特に公務なんて入れば丸一日潰れてしまい、お忍びどころではなかった。
しかもお義母様は凪国の王妃だ。
わたしなんかよりもずっとずっと忙しいのが普通である。
それにも関わらず、こうしてわたしのお忍びに付き合ってくれるお義母様に感謝するも、心は次のお忍びへと旅立っていく。
早く次のお忍びが出来ないだろうか。
しかし……最後のお忍びから二週間。
お義母様の公務やわたしの公務やらが次々と入り、お忍びどころではなくなってしまった。
「はぁ……」
わたしは自室の窓から外を眺めた。
王宮の奥深く――王族の住まう場所は、王宮の中でも一際見晴らしの良い場所に立っている。
その中でも、上階にあるわたしの部屋の眺めはかなり良かった。
だが、ここからでも王宮の外を眺めることは出来ない。
「外に行きたいな……」
王宮内の中で最も高い建物である塔に登る事もあったが、そこから王都を眺めれば余計にお忍び熱は急上昇した。
外に出たい
お忍びに行きたい
色々なものを見て回りたい
今までは趣味といえばもっぱら読書が殆どだった。
けれど今はお忍び歩きという新しい趣味が出来た。
お忍び歩きはわたしに色々なものをもたらしてくれた。
民達の生活を知るだけではなく、話だけでしか聞いたことのない物をこの目で見ることが出来た。
今まで自分はいかに箱入りの世間知らずで生きてきたのかがよく分かる。
もっといろんな事を知りたい。
しかし、それにはお義母様と一緒でなければならない。
お義母様とお忍びを続ける上でこれだけは守って欲しいと誓わされたのは、お忍びをする時はお義母様と一緒の時だけにする事。
それ以外の時は行っては駄目だと言われた。
お義母様の心配も当たり前だ。
わたしは世間知らずだし、きっと一人で歩き回ればすぐに迷ってしまうだろう。それに、外に居る人達は全員がいい人ばかりではない。
時にはか弱い子女を売り飛ばすような輩だっていると聞く。
しかもわたしは王太子妃だ。
もし一人で出かけてそこで何かあれば、いかに王太子から相手にされていない王太子妃でも、確実に国際問題となる。
だから、どんなにお忍びに行きたくても一人では行ってはいけない。
夫の寵愛は全て側室に奪われ、お飾りの妃でしかなくても、わたしは自分の価値を知っていた。
どんなに普通の少女のように振る舞いたいと思っても、わたしが津国の第三王女であり、この国の王太子妃である事は変えようのない事実なのだ。
そうしてわたしは必死にお忍びをしたいという思いを封じ込めた。
それから数日後の事だ。
沙国の第三王女主催のお茶会が開かれる事になった。
参加者はわたしともう一人の側室だ。それに、年頃の姫君達も参加した。
最初は断ろうと思ったが、あの疳積持ちの沙国の第三王女の事だ。
自分の思いどおりにならなければきっと周囲に当たり散らすだろうと考え、重い腰を上げた。
だが、すぐに出席して後悔した。
「それで、殿下ったら」
勝ち誇ったように、波景との事を語ってくる第三王女に、普段は噂好きの姫君達でさえうんざりとした様子を見せた。
一方、第三王女の侍女達も大きく態度が分かれていた。
主に腰巾着と思われる侍女達は目を輝かせて主に同意し、そうでない侍女達は主の礼儀をわきまえない態度に恥ずかしさを覚えていた。
というか、正妃であるわたしや、古参の側室である彼女よりも新しく来たばかりの第三王女の侍女が一番多いとはどういう事だろう?
いや、別にわたしとしてはそういった事は気にしないが、わたしのところの侍女が二,三人とすれば、古参の側室は四,五人。
しかし、第三王女の侍女は二十人以上――いや、三十人はいるだろう。
どう考えてもおかしい。というか、普通はそんなに連れてこないだろう。
寧ろわたしなんて一人も連れて行きたくないぐらいなのだ――って、それはそれで高貴な姫君としてはおかしいと言われるだろうが。
箱入りだが、母からは自分で出来ることは自分でやりなさいと、身支度から始まり家事炊事など大抵の事は一人で出来るように叩き込まれている。
そんなわたしにとって、むしろ侍女は世話をしてくれる者達というよりは、心を許せる話し相手という立場であり、祖国から連れてきた侍女達もそれを重々承知してくれていた。
この国の侍女達に至っては、お義母様からの言葉や、最初の時にその事をしっかりと伝えているため、世話をするといっても最低限度の事にとどめてくれていた。
しかし……沙国の第三王女ときたら、何から何まで侍女に世話をされていた。
あれでは人間――いや、神として駄目になると思うほどの過保護っぷりに、彼女の神生が心配になった。
が、そんなわたしの視線が気にくわなかったのか、それとも自分が思ったよりもたいして傷ついた様子を見せていない事が不満なのか、第三王女はわたしを睨み付けてきた。
「ずいぶん余裕ですこと」
「いや、そんな事は……」
彼女の自慢話は確かにわたしにとっては傷つく話だ。
だが、それ以上に彼女の神生が心配になるような光景を目の当たりにさせられてしまえば、当然そちらに意識が向いてしまう。
というか、彼女の話の八割も耳に入っていなかったのだ、ただ単純に。
「ふんっ!今は貴方が正妃かもしれませんが、それも長くはありませんわよ!」
「王女」
元侍女である側室が窘めるように口を開けば、第三王女は烈火の如く怒り出した。
「お黙りなさい!貴方など最初の側室といえどただの侍女上がりじゃない!いくら寵愛が深くたって今に捨てられて終わるわ!」
傲慢な言葉にわたしはカチンと来た。
元侍女である彼女には裏切られたという思いを始め、色々な思いがある。だが、だからといって第三王女である彼女にここまで貶められる謂われはない。
それに、確かに彼女は侍女だが、実家は津国でも有力な貴族の家柄である。いや、たとえ庶民だとしても、王太子に望まれて側室となった時点で立場は同じなのだ。
そこに身分の優劣の差はない。
確かに後見問題などは関わってくるだろうが、それら全てを抜きにしても、数多居た側室候補の姫君達を蹴ってでも側室にと望まれた元侍女は、わたしから見ても本当に素晴らしい存在だった。
品位を極め、慎ましくあり、誰にたいしても優しい彼女。
上を敬い下を労る心を持ち、常に自分を心身ともに磨く事に力を注ぐ姿は、そんな彼女だから側室に選ばれたのだと思う。
いや、もし自分が正妃でなければ、彼女こそが正妃に選ばれた筈。
今も、第三王女の罵詈雑言にたいして必死に耐える元侍女の側室を見て思う。と同時に、そんな素晴らしい人を選ぶだけの目がありながら、どうして新たな側室はこの第三王女なのかと不思議に思った。
甘やかされ、高慢かつ傲慢にして我が儘で仕える者達をまるで道具のように扱う第三王女。
それどころか、既にこの国の税金を使って贅沢を始めている。
その話を聞いた時、思わずあきれかえった。
国の税金は、国民が頑張って収めてくれる血税だ。
それらは国のために使われるべきものであって、贅沢三昧の為に使われるものではない。
「お母様だったら今頃殴っているわね……」
津国の賢后と名高い母は贅沢を好まない。
寧ろ清貧が服を着て歩いているかのようだ。
かといってケチというわけでもなく、国民にとって必要なものがあればどんどん散財する。
この前だって洪水が多くて農作物の被害が多い場所にどんと予算を与えてしまった。
何処の予算を増やして何処を削るか。
それを瞬時に判断し、いくつもの政策を打ち出す母に憧れる国民は多い。
が、母はそんな賛美の声にいつもこう答えていた。
『私は報酬に見合うだけの仕事をしているだけよ』
王妃として与えられる全ての権利を考えれば、これぐらいは当然だと言う母。しかし、わたしは知っている。
その当然だという事をする為に、母がどれだけ影で努力をしているかを。
口癖はめんどくさい
でも、その裏での努力の量は、きっと誰にも負けないだろう。
そんな母だからこそ、父も周囲も心から信頼していた。
たとえ自分達が国を空けても、母がいれば大丈夫。
わたしも母に憧れ、母のような女性になりたいと思っていた。
だからこの国に来たとき、母のような立派な王太子妃になろうと思った。
母のような、そしてこの国の勇后と名高いお義母様のようになりたい。
しかし……どうやら夢は夢のままで終わりそうだと、心の中で苦笑する。こんな風に夫に捨て置かれているわたしに求められているのは、ただ人形のように座っているお飾りの王太子妃である。
夫を支え慰める役は、元侍女の側室である彼女にこそ相応しい。
――と、気づけば第三王女が顔を真っ赤に染めていた。
「あんたなんか主君を裏切って殿下に取入った女狐のくせにっ!」
その言葉に、思い出したくない過去を引きずり出される。
だが、第三王女が手を振り上げたのを見て、思わず体が動いていた。
ガシャンと大きな音と共に、私はテーブルの上に倒れた。
そのままテーブルはひっくり返り、上に載っていたケーキなどのお菓子やお茶が私の上にふりかかる。
「果那様!」
「王太子妃様?!」
ようやく目を開けたわたしは、自分の姿に気づいた。
体中にケーキがこびりつき、お茶でずぶ濡れとなった姿は酷く無様なものだろう。
しかも強く体を打ち付けたのか、あちこちが痛かった。
それでも体をずらそうとして、掌にぬるりとした感触を感じる。
見れば、掌が割れた食器でスッパリ切れているらしく、紅い血が流れ落ちていた。
が、そんな事を口に出せばもっと騒動が大きくなるとして黙ったわたしに、嘲笑うような声が聞こえてきた。
「まあ!なんて凄いんでしょう!王太子妃様ともなればケーキも使って自分を装われるなんて」
視線を向ければ、第三王女が侮蔑の視線を向けていた。
「でもまあ、殿下に見捨てられた貴方にとってはお似合いの姿でしょうね。ふふ、まるで生ゴミみたい」
その言葉に、悲しさよりも恥ずかしさを覚える。
いまだかつて生ゴミ扱いされた事はない。
しかも間の悪いことに、騒ぎを聞きつけて他の者達がやってきてしまった。官吏達に武官達、侍女や女官、侍従。
そして
波景
ケーキとお茶まみれになったわたしを呆然とした様子で見ている。
「これは……」
「正妃様ってばおっちょこちょいね!ご自分で転んでこんな風になってしまうなんて」
先ほどまでの侮蔑の視線はどこにいったのやら。
波景に甘えるように縋り付く沙国の第三王女。
しかも、彼女の腰巾着の侍女達が主君の言葉むを肯定するような話を始めてしまう。
これでは、本当にわたしがただのドジで馬鹿な存在としか思われないだろう。
もちろん、反論しようとしてくれた侍女達も居たが、第三王女の睨みは凄まじく、言いたい言葉全てを飲み込ませてしまった。
それでも勇敢に立ち向かおうとした者達も居たが、首を横に振ることで止めた。ここで下手に反論すれば、あとでどんな報復が待ち受けているか分からない。
その間にも、第三王女や腰巾着の侍女達からの侮蔑と嘲りに満ちた視線と笑みが向けられる。
お前などお呼びではないのだと
お前にはそんな姿がお似合いなのだと
その視線に耐えきれず、わたしは立ち上がり口早に言った。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。すぐに着替えて参ります」
そう言うと、足早にその場から立ち去る。
後ろから悲鳴があがるのが聞こえた。
きっと掌の傷が見えたのだろう。
だがここで引き留められてなるものかと、わたしは全てを無視した。
とにかく誰も居ないところに行きたかったのだ。
そしてわたしは彼らから見えないところまで来ると、一気に自室へと向かって走り出したのだった。