別れと王太子妃
「また、絶対に会いに来てね」
それが、元の世界に戻るための扉をくぐり抜けたわたしに聞こえた香奈の言葉だった。
今までありがとう
人間である香奈とはもう二度と会えないだろうけど
でも、きっと忘れない
会いに行くよ
たとえ、願いが叶うか分らないけれど……時空を超えて滅びた筈の破魔大根を手に入れることが出来たならば
きっと、また会える
だから笑って――香奈
「お帰りなさい」
出迎えてくれたのは、両親に明燐様達だった。
「ようやく、戻ってきたわね」
その笑みに、わたしは母に飛びついた。
その後、破魔大根によってお義母様は目覚められた。
しかし――そのまますぐにお義父様に連行されたのは言うまでもない。
散々心配させたのは、深すぎる愛情からお義母様は一週間ほど部屋から出して貰えなかった。
そしてようやく自由になった頃、今度は波景が部屋の隅っこで体育座りをする羽目になった。
「ああ、あの髪飾りは私があげたものよ」
妻が男から貰ったと誤解した髪飾りが、実は自分の母からの贈り物だと知った時の波景の顔は……とても言うことが出来ない。
とりあえず、落ち込む波景を慰めるわたしだった。
だが、驚いたのはそれだけではなかった。
「波景様、あの人がようやく戻って来ました~。なので、側室を卒業させて貰いますね~」
そう言って、わたし達が元の時代に戻ってから十日目に、わたしの元侍女である波景の側室たる彼女はにこやかに部屋に入ってきたのだった。
「あ……はい?」
わたしは首を傾げるしかなかった。
元の時代に戻ってくる時に一番気がかかりだったのは、側室である彼女のことだった。王女はいなくなったものの、聖女と崇められる元侍女である側室たる彼女は今も王宮に残っている。
戻ればきっと……そう考えていたのに、彼女はにこにこと他の男のもとに行くと宣言したのである。
そうして呆けているわたしに、彼女はにこにこと笑った。
「果那様~、またお世話させて下さいね~」
「は、はあ……」
って、いったい何がどうなっているのか?
「まあ、私達の関係は契約上の清い関係でしかなかったという事ですよ」
「け、契約上?」
つまり、こういう事だった。
凪国にわたしが嫁いでから五年目、彼女は好きな男性が出来た。
すぐに相思相愛の仲となったものの、彼女には地位や身分に固執する叔父がおり、自分の出世の為に彼女を老年にさしかかった上に妾が数十人も居る好色ジジイに売り飛ばそうと計画していたという。そんな彼にとっては、自分が利用しようとする姪の意中の相手など邪魔でしかなく、彼に暗殺者を送りつけたという。
そうして行方不明になった彼。
叔父は姪に強引に結婚を強いようとし、力ずくでその好色ジジイのもとに送り込んだが、すんでの所で波景がかけつけ、その相手を脅して彼女を連れ帰ったのだという。というのも、彼女の好きになった相手は波景の親友だったからだ。
だが、相手の好色ジジイは諦めず、叔父も隙あらばと機会をうかがっており、このままでは強引に既成事実をつくられかねないとして、苦渋の決断のもと波景が側室として引き取ったのだという。
何でも、それまで毎日のように姪を、気に入った女を取り戻そうとして刺客が送り込んできたとか。
それほどの執念には流石のわたしも驚いてしまった。
とにかく凄かったらしい。
もはや欲しいものの為には、凪国の王太子に喧嘩を売ることも辞さない。
勿論、側室になったから諦める彼らではなかったが、一応側室として大々的に広める事で、彼女は波景の妻として周囲が認知する事で、下手に手をだせないように牽制していたのだという。
確かに、波景が表面上とはいえ寵愛する側室を略奪すれば、国民に人気の高い王太子になんて事を!!と、全国民を敵に回すことになるだろう。
実際には、その牽制に加えて、常々私から彼女を奪うものにはどんな復讐も制裁も厭わないと言い続けたことも功を奏する要因の一つとなったらしい。
そして、そんな彼らはわたし達が過去に行っている間に、明燐様達によってこの五年間の間につかみに掴みまくった不正の証拠の数々によって既に捕らえられているらしい。
一方、暗殺者に襲われた彼は、殺されかけたものの実は生きていてずっと逃げ回っていたのだという。雇い主は馬鹿だが、暗殺者の方は腕の良い人だったとかで、何度も死にかけたという。
が、それも明燐様達によって暗殺者が捕縛されてようやく戻ってこれたという。
勿論、戻ってくるや否や彼女が抱きついたのは言うまでもない。
けれど
「そ、側室ってやめられるんですか?」
自分から奪う者は許さないというほどの寵愛を注いでいたというのに、やめるなんて出来るのだろうか?
本人達は良くても、周りが許さないのでは
しかも、彼女が選んだ相手は貴族でもなんでもない一般市民だ。
身分で差別する気はないが、一度は王太子の側室となった由緒ある貴族の姫君が一般市民に嫁ぐなんて……と、彼女の親戚が怒り出さないだろうか?
「あ、それなら大丈夫ですわ」
「明燐様?」
「彼女のご両親はもともと娘が選ぶ相手ならば誰でも良いという方ですし、おじいさまに至っては、ご自身が身分の低い娘と結婚されています。また、他の親戚の方々も、今回の彼女の叔父の一件ではほとほと手を焼いていた様子で……今回の件を不問としてくれるならと諸手を挙げて喜んでいますわ。ああ、他の国民達には、今回の件は包み隠さず話してありますので大丈夫ですから」
つまり、権力欲にとりつかれた叔父に愛する人と引き離されて好色ジジイに嫁がされそうになった彼女がおり、それでも愛する人に身と心を捧げ続ける彼女を、彼女の愛した人の友人である王太子が助けた。
それは、友人への友情からと、非道なことが許せない気持ちからだ。
しかし、それでも相手の猛攻は緩まず、このままでは強引に彼女が嫁がされそうになるのも時間の問題だった。
ゆえに、好色ジジイに嫁がされないように側室として王太子が保護したという。
だが、それは契約上のものでしかなく、王太子は友人を待ち続ける彼女が安心して待ち続けられるように安全な場所を提供しただけだった。
そんな安全基地で、彼女はひたすら愛する人に身も心も捧げ続け、死んだとされた彼が帰ってくるのを待ち続けていた。
そうしてそんな願いが叶い、彼は命からがら戻ってきて彼女を迎えに来たため、王太子は彼女を愛する人の元に戻した。
「って感じですわね」
確かに、国民達は同情するだろう。
そしてそんな心温まる話に感動するだろう。
王太子は友人の愛する人を友人が帰るまで守る為に、名ばかりの側室とした。
なんてお優しい王太子様だろう――という事になる
「果那様には本当にご迷惑をおかけしました~」
そこで彼女は初めて泣きそうな顔をする。
本当はわたしにも全てを話したかったという。
しかし、彼女を奪取しようと狙う者達が常にあちこちに潜んでおり、下手に秘密を――側室が名ばかりだと知れれば、向こうが何をやらかすか分らないとして本当のことを言えなかったのだという。
「あの馬鹿ども……盗聴器なんぞしかけてましたからね……」
「と、盗聴器……」
しかも王宮のあちこちに――
「あ、でも果那の部屋のは外してますので大丈夫です」
あんな馬鹿どもに果那の声を呼吸音だけでも聞かせたくないと言い切る波景に、わたしは苦笑した。
こ、呼吸音って……
「まあ、とにかく側室の方も一件落着ですわ~」
明燐様の言葉に、気づけばわたしも微笑んでいた。
「という事で、後は思う存分いちゃついて下さいね~……っていっても、妊娠しているのであんまり激しいことは出来ないでしょうが」
「明燐様っ」
波景が抗議の声を上げるが、明燐様はクスクスと笑って立ち去ってしまった。
他の方達も「あまりやりすぎないように」と言って立ち去っていく。
しかも、彼女と彼も居なくなってしまった。
波景に聞けば、久しぶりの再会だから仕方ないと言われた。
まあ、五年間も安否が分らない状態で待ち続けたのだから当然と言えば当然だろう。
波景は言った。
何でもなさそうに見えて、本当は影で泣いていたのだと
波景につれられて、彼女達の居る場所に行き影から見れば、彼女は彼の胸の中で泣きじゃくり、彼も泣きながら抱きしめていた。
幸せになれればいいな
自然とそんな風に思った
不思議だった
あれほど側室の存在で悩んだというのに
波景様はずっとあなた様だけを愛されていましたよ
ここに戻って来てから、何度も言われた言葉
側室の事について何も語れずすまなかったと謝られるお義父様を始め、王宮の人達の謝罪を受けた
彼女の叔父達は常に彼女を狙い、何とか波景から奪い取ろうとしていた
けれど、波景はあまりにも強すぎた
だから……彼らは波景の強さを切り崩す隙を探した
どうにかして波景が抵抗できないようにと
彼にとっての弱点を探した
だから……波景はわたしから離れていたのだという
弱点だとばれれば、彼らの魔手がわたしに伸びるからか
彼らは良くないやっかいな者達と手を組んでいたらしく、波景達でも容易に手が出せなかったらしい
けれど……それももう終わり
「波景?」
波景がわたしの手を取り歩き出す。
「ついてきて下さい」
彼はふわりと笑い、わたしをあの場所へと誘ったのだった。