惨劇と王太子妃
あの人のもとを離れてからどれほどの時が流れただろう――
緑葉のもとを離れてから、1ヶ月余り。
大根は、麓の村から離れた小さな庵で暮らしていた。
もともと大根は麓の村出身だった。
けれど、そこはもう大根が居た時の村ではない。
大根が生け贄に出されてから、その村では百年以上の時が流れており、当時の事を知る者達ももはやこの世にいなかった。
村の人達はとても気さくで優しい人達だった。
どんな移り変わりがあったのか……村には、多くの移民が居た。
戦で村を失い移住してきた者達だ。
普通ならば戦で全てを失えば、自身も賊に堕ちるのが多いが、彼らは賊に堕ちるのではなく、昔の生活を取り戻す事を望んだ。
そんな彼らは、ふらりと村を訪れた大根を歓迎した。
けれど、大根は彼らとは住まずに村から少し離れた場所で一人生活をした。
仮にも神となった身である。
何かあれば、心優しい村人達も巻き込んでしまうからと……大根は一人で生活する事を望んだ。
生活の糧としては、山で学んだ知識を使って薬師として働く事だった。
山で神として生きてきた間に大根が学んだ事は数多く、村人達は大根を重宝した。
そんな大根のもとに、今日も客がやってくる。
「大根、ありがとう!」
熱を出した赤ん坊を抱いた老夫婦が泣きながら大根の手を取る。
年老いた彼らにとってようやく出来た初めての我が子。
連日続く熱にもはや駄目かと思われたが、わらにもすがる思いで大根のところにやってきた彼らに、大根は薬を調合して与えた。
すると、みるみるうちに赤ん坊は回復したのだ。
「この子が助かって良かった!!ああ、大根のおかげよっ」
「いえ、そんな……」
大根が照れたように笑う。
「しばらくは栄養のあるものを食べさせて下さい」
「わかりました」
とはいえ、裕福とはいえない村で栄養のあるものを手に入れるのは難しい。
だから、大根は老夫婦に言う。
「山に少し入ったところに、滋養にいい茸が多くありますから、それを与えるのもいいでしょう。但し、その場所は道に迷いやすいですから、天気の良い日に数人で行くようにして下さい。また――」
山で迷わないように色々と注意をし、更には地図まで書く。
それを受け取った老夫婦は何度も頭を下げた。
「ありがとう、大根……お前が居てくれて本当に良かった」
「本当に……ああ、これで大根が村に来てくれればもっと嬉しいのに……って、いや、別に大根が薬師だからというわけではないのよ!」
それは心からの言葉だと、大根は知っていた。
まだ年若い娘である大根を心配して言ってくれているのだ。
それに感謝しつつ、大根は首を横に振った。
「すいません……それは…」
「いや、大根が望まないなら仕方ないよ」
「そうね……でも、いつでも村に来て良いのよ?」
村……人間だった頃の自分が生まれ育った場所。
そして……自分を山の生け贄として差し出した人達が住んでいた場所。
恨みがあるかと言われれば、そんな事はない。
というか、そうしなければどうしようもなかったのだ。
貧しい村だった。誰もが生きるので必死だった。
自分の守るべきものの為に、他者を利用しなければ生きることは出来なかった。
たまたま、自分が選ばれただけだ。
家族を失い、孤児となった自分が、たまたま失っても惜しくないとして選ばれたにすぎない。
もし自分に両親が居れば、他の子供が犠牲になっていたかもしれない。
けれど――自分の場合はそこまで運が悪かったわけではない。
確かに雨の中置き去りにされたが、そこで自分は緑葉と出会った。
飢えに苦しむ事もなくなり、神として迎えられた。
最後には緑葉のもとから去ってしまったが……それでも、自分は恵まれていると思う。
きっと今頃は緑葉には新しい妻がいるのだろう
自分が妻として側に居た時にも、彼は多くの女性達に囲まれていた。
だから、妻が居なくなった今、彼が別の女性を妻に迎えていてもなんら不思議ではない。
「大根?」
老夫婦が自分を呼び、大根は我に返る。
「な、なんでしょうか?!」
「いや……その、お前、どこか体調が悪いのではないかい?」
「え?」
「いや、真っ青な顔をしていたから……それに……」
老夫婦が顔を見合わせた後、妻の方が心配そうに口を開く。
「他の者達も言っていたが、ここのところ、あまり食事も取っていないのでしょう?」
食生活まで知られている事に、自分は戸惑った。
本当に人の噂というものは早い。
確かに、ここ最近は食事量はかなり減っていた。
しかも言われるとおり体調も良くなく、食事を用意する事すら大変だった。食材を見るだけで吐き気がしてくるのだ。
それに体が酷くだるい。
たぶん、遅い夏バテか何かだろうが。
「お前は働き者だからねぇ……少しはゆっくり休んだ方が良いよ?あれなら、食事は村に食べに来ればいい」
裕福ではないが、それでも今年は豊作に恵まれた村は現在かなり余裕があった。
だから、しばらく食事を提供するぐらい大丈夫だと言う老夫婦に、大根は力なく笑った。
「いえ、大丈夫ですよ。それより、赤ちゃんにしっかり食べさせて下さい」
自分のはただの夏ばてだ。
秋に入ったとはいえ、まだまだ残暑も厳しい。
だが、そのうち気候もよくなり体調も戻るだろう。
「さあ、はやく赤ちゃんを休ませてあげて下さいね」
そう言う大根に、老夫婦はしばし迷ったが、終には子供を連れて戻っていった。
老夫婦を見送った大根は、庵にもどり台所にたつ。
朝も昼も食べずに働いていた為、これから遅い食事を作るのだ。
だが――
「やっぱり駄目……」
食事を作っている途中、とうとう耐えきれずに大根は火を消して庵から飛び出した。いつもは心が弾む美味しい料理の匂いも、今の大根には悪臭としか思えない。
やはり、夏バテが体に負荷をかけているに違いない。
「このままだったら……どんどんやせて、村の人達を心配させてしまいますね……」
何とか食べられるものはないだろうか?
と、そこに庵の中から外へと流れてくる料理の匂いに再び吐き気を催す。
駄目だ、もう少し離れないと
大根は庵の裏側へと回った。
夕闇に生える幾つもの白が大根を歓迎するように風に揺れているのが見えた。
「破魔大根……」
そこには、大根が山を下りる時に持ってきた破魔大根が咲き乱れていた。最初に持ってきたのは、十株ほどだったが、この1ヶ月で驚くほど増えたのだ。
その数、およそ十倍近く。
これには大根も驚いた。確かに、毎日世話をしていたが、これほど増えるとはその生命力は並大抵ではないだろう。
「でも……わたしは好きです」
貴重な花だった。
自分が初めて咲かせた花で、離れがたかった。
だから、内緒で十株だけ持ってきた。
それでもきっと枯れるに違いないと思っていた。
清浄なる聖地で咲く花は、そこでしか咲けないという。
だから、下界の大地に植えてもすぐに枯れてしまうだろうと思っていた。
なのに……破魔大根は美しく咲き誇る。
その凛とした姿は大根には眩しくて……同時に酷く羨ましかった。
たとえ清浄なる土地から堕とされても、新たな大地にしっかりと根付き咲く破魔大根に、勇気がわいてきた。
どんな場所に行こうとも、しっかり根付く事は可能なのだと
もともと自分は人間として下界で暮らしていた。
それがたまたま不思議な縁で神として迎えられ聖地にて暮らしたものの、そこで根付く事は最後まで出来なかった。
自分と破魔大根は違う。
自分はもと居た場所に戻ってきただけ。
けれど……長らく離れていた下界もまた、自分には馴染めなかった。
聖地と同じく、自分が居ることが許されないという気さえした。
しかし……どんな場所でも気高く咲き誇る破魔大根を見ていると、自分はただ臆病なだけな気がしてきた。
どんな場所でも住めば都という言葉がある。
自分に足りないのは度胸なのかもしれない。
そう……頑張って住んでいれば、いつかそこは自分にとっての故郷となる。
「……住んでみようかな……」
今は無理かも知れないが、いつか村に住むのもいいかもしれない。
自分を心配してくれる人達に甘えてみるのもいいかもしれない。
「どんな場所でも精一杯……生きることは出来るよね?」
大根は静かに破魔大根に語りかけた。
新しい未来に大根が思いを馳せた瞬間だった
と、その時、ガサガサと茂みが揺れた。
思わず身構えた大根のもとに、転がり出てきたのは一人の女性だった。
その腕には子どもを抱いている。
が、すぐに大根はその異常事態に気づいた。
子どもが息をしていないのだ。
「どうしたの?!」
そう叫んで近づき、大根はハッとした。
その女性の衣服はかなり乱れていた。
暴行された跡も見られる。
だが、それよりも今は子どもだ。
女性も、そこでようやく子どもが息をしていない事が分かったらしく、狂ったように泣き叫んでいる。
「しっかりして!」
すぐに子どもを横たわらせて胸を圧し、息を吹き込む。
それで息を吹き返さなければ何度も行った。
汗が流れ呼吸が乱れる。そうしてどれほどの時間を行ったか。
子どもがようやく息を吹き返したのだ。
その後、女性からその身を襲った不幸を聞いた。
子どもを背負って山に山菜採りに入っていたところを山賊に襲われたのだという。
だが、服をはぎ取られかけたところで山の獣が現れた為、その隙をついて逃げ出したらしい。
そうして逃げ込んだ先が此処だったという事だった。
子どもの息が止まっていた理由は、女性を襲う際に泣き喚く子どもに苛立った山賊の一人が子どもの鼻と口を強く押さえつけていたらしく、たぶんそれが原因だろうと大根は思った。
いまだ恐怖に震える彼女を落ち着かせ、大根は彼女達を彼女達が住まう村へと送った。
「ありがとうございます!いつかお礼に来ますからっ」
女性は何度も何度も頭を下げ、そして子どもと共に村へと戻った。
村は夜にも関わらず沢山の光がついていた事、そして女性達が村に戻った後に聞こえてきた声から、彼女達を探していた事が分かった。
もう大丈夫――
大根は暗い夜道を一人で庵まで戻ったのだった。
それから、十日ほど経った頃だ。
村人数人が大根のところに駆け込んできた。
「疫病?」
「ああ、とにかくみてやってくれ!」
村人達に案内されて村に向かえば、そこは地獄絵図と化していた。
体中に紫色の発疹を出して苦しむ村人達の姿。
痛みに、苦しみにのたうち回り悲鳴をあげる。
それは大根が今まで見たことのない病状だった。
「これは……いつから?」
「二,三日前だ!最初は数人だったのに、昨日になってあっという間に増えて……ど、どうしたらいいんだっ」
村人の男が頭を抱える。
彼はまだ発病していないようだが、彼の妻と幼い子供は今にも死にかけていた。
他にも、発病していない一部の村人達は死にかけている家族に縋り付いている。
ふと、大根はある一角に目を向けた。
そこにはピクリともせずに横たわっている紫色の発疹を体中に作った村人達の姿がある。
「彼らは……」
「あいつらは……最初の病人だ……一昨日から目覚めなくなっちまった」
目覚めない……それはつまり
「いや、死んだわけじゃない。息もしてる。でも、どんなに起こしても起きないんだ」
まるで死んだように眠っているのだという。
つまり、今苦しんでいる者達もじきにそうなるという事だ。
「ど、どうすればいい?!どうすれば助かるんだ?!」
あちこちで絶叫があがる中、大根の中に一つの打開策が生まれた。
「破魔大根……」
確かあの花には、悪しき力による眠りを打ち砕く力があるという。
とはいえ、その力は術によるものが一般的とされているが、もしかしたら同じく眠りに陥ってしまうこの疫病に対してなんらかの効果を及ぼすかも知れない。
大根はすぐに村人達数人をつれて自分の庵へと戻った。
そして破魔大根を摘取り、その実から取った液体を村人達に与えていく。
するとどうだろう
村人達の病状が改善傾向に向かい始めたのだ。
それから数日もせずに、村人達は回復した。
破魔大根は全て使い切ったが、村人達が回復した事に大根は安堵し、村人達は大根に感謝した。
そうして疫病から救われた村として、村は祝いに包まれる。
だが――それから一ヶ月もせずに悲劇は訪れた。
家がなぎ倒され、村が破壊されていく。
どこかで破魔大根の噂を聞きつけた近隣の村人が押し寄せてきたのだ。
彼らの村もまた、麓の村と同じ疫病に襲われていた。
彼らは死にものぐるいで破魔大根をわけて貰おうとしてきたのだ。
だが、もう破魔大根はなかった。
それを大根が説明したが、大切な家族が危機に瀕している彼らがそれで納得する筈もない。
「もう破魔大根は無いんです」
ならば山で取ってこいと言うが、それも出来なかった。
というのも、一週間ほど前に破魔大根の時期は終わっていたからだ。
他の植物とは違い、時季外れというものは長きに渡って発見されていない破魔大根にそれを期待するのも無理だった。
だが、近隣の村人達は納得しない。
ここで破魔大根を手に入れて帰らなければ村は全滅する。
近隣の村人達はその恐怖に、ついに暴走した。
「大根、逃げなさい!!」
麓の村人達が大根を逃がそうとする。
だが、近隣の村人達はそんな彼らを切りつけていく。
「その女を寄越せ!!」
「破魔大根を出せ!」
麓の村人達が殺害されていく中、大根は数人の子供達を連れて山へと逃げた。本当は彼らと戦いたかったが、体調が優れない大根は戦力にはならず、更には子供達を逃がして欲しいと頼まれれば断る事は出来なかった。自分一人だけならばまだしも、子供達まで巻き込む事は出来ない。
そうして山の中を逃げ回るも、近隣の村人達の追っ手は弱まるどころか更に数を増やして大根達を追いかけ回す。
そしてとうとう大根は追い詰められた。
そこは、すでに花も実も終わった破魔大根の群生地だった。
近隣の村人達はそれを見て苛立ちの声を上げる。
そして大根にどうにかするように怒鳴り声を上げる。
だが、大根にだってどうにかする事なんて無理だ。
全ての生物には時期というものがある。その時期を逃せばどうにもならない。
しかし、それに納得出来なかった村人の一人が大根に襲い掛かる。
それを大根の後ろで見ていた子供が、止めようと間に割って入った。
「邪魔だ!!」
村人が子供を殴る。
殴って、蹴って、叩いて
四肢が居れ、首がおかしな方向に曲がった子供を地面へと投げ捨てた
ピクピクと痙攣する幼い子供に大根は悲鳴をあげる
その悲鳴に応じたのか、木々が揺れた。
大地が声をあげ、風が吹き荒れる。
お願い!子供達を助けて!!
大根の叫びに、精霊達が応じる。
大地がパックリと穴を開け、子ども達を飲み込んでいく。
あの、瀕死の子どもも。
けれど、その手が大根をもすくい上げようとした時、大地が絶叫した。
何か強い力が大地の精霊を痛めつけたのだと分った。
続いて、全てからこの場が遮断される感覚に、大根は逃げ場がない事を悟った。
だが、それでも子ども達だけは無事だという思いに、大根は安堵していた。たとえここで殺されても、悔いはない。
守るべきものの安全を確保された大根は心からそう思っていた。
だから、その後の村人達のした仕打ちにも必死に耐えた。
殴る、蹴る、切りつける。
そうして彼らは何とか破魔大根を手に入れようと大根を痛めつけた。
ああ、きっとこのままわたしは死ぬんだろう
大根は赤ん坊のように小さく縮こまりながら、必死に暴行に耐えていた。
その時だった。
「やめてぇ!お父様!」
聞こえてきた女性の声に、大根はうっすらと目を開ける。
見覚えのある女性が、村人達をまとめ上げている男へと飛びかかっていた。
「何をする!」
「やめて、この人を傷つけないで!この人は私と子どもを助けてくれた人よ!」
その言葉に、そしてその見覚えのある顔に、大根はこの前自分が助けた親子の母親だと分った。
彼女は必死に父親や村人達を説得する。
「やめて、やめてっ!」
「邪魔をするな!」
「この人を殺さないで!この人がいなかったら私達は死んでいたわっ」
「わしらとてさっさと破魔大根を出していればこんな事はしないわっ」
そこで初めて、女性の父親が苦しそうな声をあげた。
「村人の殆どは既に疫病にかかっている。お前の子もだ!このままでは皆死んでしまう。それを助ける方法があるのに、このままだまって見ているなどできるはずがないっ」
「だからといって、よってたかってこの人に酷いことをするのが許されるわけがないわっ!」
「ならばお前からも言ってくれ!この人に破魔大根を渡して欲しいと!破魔大根さえ手に入ればわしらだってこんな事はしたくないんだっ」
だから……もう破魔大根はないの
いや、もしかしたらどこかに生えているかもしれない。
そう……山頂ならば。
だが、それは再びあの辛い場所に向かうと言うことだ。
しかし……そうも言っていられない。
自分の命ではなく、村人達が自分を痛めつけてでも他の村人達を救うべく求めている破魔大根を……手に入れられる手段がまだ残っているなら、自分は……。
「お前だって子どもが大切だろう?!死なせたくないだろう?!」
「そ、それは……」
父の説得に、女性が戸惑う。
「お前からもこの人を説得してくれ!」
「お、お父様……」
迷った末に、女性がわたしを抱き起こす。
「お願い……です……破魔大根を」
その時だった。
女性が苦痛の声を上げてぐらりと倒れる。
「あぁっ!」
その時、女性の体に紫色の発疹を見つけた。
それは急速に数を増やし、彼女の白い肌を覆い尽くす。
「お前っ!」
父親が娘に縋り付く。
彼女も発症したのだ。
「ああ、なんて事だ!」
そんな父親にも、紫色の発疹が現れるのを大根は見た。
ああ、この父親も……
と、父親がわたしを見る。
その瞳は哀願に満ちていた。
「お願いだ、助けてくれ、助けてくれ!この子だけでも、子ども達だけでも助けてくれ!!」
「…………っ」
「お願いだ、この子はまだ若い。それにこの子は子どもを身籠もっているんだ!」
子ども――
「それにもう一人子どもが居る!まだ幼くて母が必要なんだ。お願いだ、破魔大根を渡してくれ!」
必死な思い
見れば、他の村人達も必死に懇願していた。
そうだ……彼らだって、こんな事したくてしているわけではない
ただ平穏に暮らしていて……そこに突然不幸が襲ってきて
大切なものが死にかけているのを見ているだけしか出来ない悔しさに襲われて
そこに助かるかもしれないという噂を聞きつければ、誰だって必死になる
どんな方法を使ったって助けたいと願うだろう
けれど……だからといって麓の村の人達が犠牲になってもいいのだろうか?
彼らの言い分は理解出来た。
でも、だからといって麓の村人達を犠牲にしていいわけではない。
「お願いだ、破魔大根を分けてくれ!そうすればすぐに俺たちは帰るっ」
帰る?帰っても、もう麓の村人達は死んでしまっただろう。
今更帰られても、もう村人達は生き返らない。
「……麓の村人達は死んでしまったのに、貴方達だけが助かるんですか?」
怒りが、憎悪が生まれる
確かに助けたかっただろう
けれど、それで殺されていった麓の村人達はどうなのだ?!
あまりにも可哀想ではないかっ!
「貴方達がっ」
「殺させたのは貴方じゃない」
聞こえてきた声に、大根が言葉を失う。
その玉響のような響きの中に姿を見せる憎悪が大根を貫く。
「だ、誰ですか?」
現れたのは、美しい女性だった。
「ふふ……誰とはとんだ高慢な物言いね?まあ、でも貴方が私を知らなくても当然ではあるけれど」
「え?」
「緑葉の現正妃よ」
緑葉の正妃
その言葉に、大根は衝撃を受けた。
確かに緑葉には新たな妃がいるだろうと思っていた
けれど、その当の本人に実際に会った衝撃は大根をズタズタに引き裂いた。
「あ……あ……」
「まあ、感動の対面はここまでよ。どうせ貴方はこの後死ぬんですから」
「っ?!」
「ふふ……破魔大根がないですって?嘘ばっかり」
緑葉の新たな正妃はクスクスと嘲りの笑いを浮かべる。
「確かに時季外れではあるでしょうけど、今すぐ破魔大根を咲かせる方法はあるのに」
破魔大根を咲かせる方法がある?
「それを出し惜しみにするから、こうなるんじゃない。ねぇ、大根?貴方は近隣の村人達を恨みに思っているらしいけど、麓の村人達を殺したのは貴方よ?」
「え?」
「それもそうじゃない。貴方は聖地に隠されている筈の破魔大根を下界へと持ち込み、それで人間どもの命を助けたわ。本来死ぬべき運命だった者達の命をね。貴方は神の力を持って人の命を操作した。そう……なんて大罪人かしら」
神の力で人の命を操作した
本来人は人の力で生きる
それをわたしは……
その事実に、大根は力なく座り込んだ。
「貴方が全て悪いのよ。神の力で助けたのだから。分るでしょう?一部の者達だけが神の力で助かったとすれば、他の者達が黙っている筈がない。自分達にも寄越せと騒ぐのは必至よ。だから、神の力を持ち込む事は禁止されていたのに」
「あ……」
「だから貴方が殺したのよ、麓の村人達を。可哀想な人間達。元人間の神に命を弄ばれてしまうなんてね」
「あ……」
「貴方は償わなきゃね――大根」
償う?
「そうよ……償うの。その命で」
緑葉の新たな正妃がその言葉を紡ぐ。
「貴方の持ち込んだ破魔大根を咲かせるのよ」
「咲かせる……」
「そう。貴方の命を捧げればすぐに咲くわ」
ざわりと周囲が殺気じみるのを感じた。
「大根、貴方の血を破魔大根に蒔くことで破魔大根は咲き誇るわ」
本当か?という声があちこちであがる。
一方、大根は戸惑いを隠せなかった。
「だから、早く死んであげて?」
はい――と、小刀を渡される。
それで首を切り裂けと正妃は囁いた。
だが……いつまで立っても立ち尽くす大根に、正妃は苛立ちを覚えたらしくヒステリックに叫んだ。
「なんて女なのかしら!自分で多くの者達の運命を狂わせながらその責務から逃げるなんて!はっ!見てよお前達!所詮この女はお前達の命などどうでもいいという事らしいわよ」
村人達の顔が憎悪に歪む。
「本当に……この女の血があれば、破魔大根は再び咲き乱れるのにねえ」
わたしの命で
わたしが麓の村人達の運命を狂わせた
わたしが破魔大根を下界に持ち込んだから
だから
だから殺されてしまった
全てわたしのせいなのだ
この人達が、麓の村人達を殺してしまったのも
わたしは小刀を強く握る。
もう取り返しはつかないけれど、それでもまだ事態を良い方向にする方法がある。
わたしの命で
そうして首を切り裂こうとしたわたしだが、その時、腹部から小さな鼓動が聞こえてきた気がした
え?
驚き、小刀を持つ手を降ろした次の瞬間
ドス――
腹部に熱い痛みを感じた
「あ……」
「お前さえ死ねば……」
女性の父親がわたしの腹部を刺し貫いていた。
「お前さえ勝手なことをしなければこんな事にはならなかった!」
わたしさえ……
「お前など死んでしまえ!死んで償え!こうなったのも全てはお前の責任だっ!」
口々に村人達が叫ぶ。
「お前なんて死んだって誰も悲しまない!」
「そうだっ!お前さえ死ねば全てが上手くいくっ!」
「俺たちの為にも死んでくれっ!」
酷い言葉の数々だった
だが、彼らの運命をも狂わせたのもわたし
わたしが破魔大根を下界に持ち込んだから
ならばせめて償おう
破魔大根
わたしの命を捧げるから、どうか咲き誇りその実をつけて
あなたを待ち望む多くの者達の手に届くように
沢山の花を咲かせて実らせて
もう守るべきものは何一つとして残されていないわたしに出来る唯一のこと
わたしは両手をジッと見る
助けたかった
この手で多くの人達を助けたつもりだった
けれど、実際には助けたのではなくわたし殺してしまった
そんなわたしにお似合いなのは、こうして死ぬことだけだ
破魔大根を咲かせるべく、この命を捧げることだ
もう……どうでも良かった
どうせ、自分には守るべきものなんて何もないのだから
それに……こんな罪深いわたしに生きる資格なんてない
生きる理由なんてない
生きていたくない
「お前なんて死んで当然なんだっ!」
その叫びと共に、四肢が切り落とされ、わたしの首は宙を舞った――
涙がこぼれる。
大根はただ助けたかっただけなのに
なのに、大根のした事は罪だと言われた
破魔大根を持ち込んだ事がそもそもの始まりと言われ
大根は大罪人とされた
村人達が咲いた破魔大根を喜々として持ち帰り、大根が殺されるところから一部始終を見ていた緑葉が、口から血を出し握りしめた拳から血を流し、茫然自失のままふらふらと立ち去る
そして大根が目覚めた
肉体を失い、魂だけがこの場に留まる
一輪も無くなった破魔大根の咲いている場所を大根はぼんやりと見ていた。
――これで……少しは償えたのかな……
粉々にされた自分の肉体が地面に散らばっている。
これは自分の体のどの部分だっただろう?
もう分らない
顔なのか、手足なのか、それとも胴体なのか
持ち上げて確かめることも出来ない
――わたしにお似合いの最期ね……
とはいえ、悔いはない。
全てはわたしの責任だから。
だから、わたしが殺されても当然なのだ。
そうして大根はふらりと歩き続け、破魔大根が群生していた場所の中央まで来た時だった。
そこに埋まっている少し大きめの肉欠に目を丸くする。
あれは……たぶん胴体だろう。
へその部分が見える。
――そういえば……あれはなんだったんだろう?
自分が自害しようとした時に、腹部に感じた鼓動
まるで自分のやる事を止めようとするように脈打った鼓動は、一体……
そうして、大根はその胴体の……下腹部だったらしき場所の前に立ち……愕然とした。
だが、それ以上に驚いたのは、その部分にふよふよと浮かぶ小さな小さな光だ。
それに引き寄せられるように触れた大根は、みるみるうちに顔をゆがめて絶叫した。
ワ タ シ ハ ナ ン テ コ ト ヲ
その光は汚れ無き小さな魂
それが腹部の上で留まっていたところの意味するところ
そして……自分が自害しようとした瞬間感じた鼓動
それらが一瞬にして繋がった
――まさか、そんな、そんなっ!
そんな筈がなかった。
けれど、目の前の光景はその考えを打ち砕く。
大根は絶望した。
自分はなんて事をしてしまったのか。
死んでもいいと思っていた。
いや、自分は死ぬはずだと思っていた。
自分一人の命で償えるならば安いものだと。
全ては、自分だけの犠牲ですむからと安心さえしていた。
決して、決して道連れにする気なんてなかった!
知ってさえいれば、どんな事をしても守り抜いたのにっ!
その魂を、腕に抱こうと大根が動く。
だが、その光を抱く寸前に、魂が大根の側からすり抜けた。
――待って!
魂を手にしていたのは、いつもは山の闇に身を潜める魔だった。
彼らは麓におりては子どもを浚いその魂を食らう。
それが、今、肉体を離れた幼い魂を大根から奪い取った。
――返して!!
慌てて追いかけようとするが、すぐに異変に気づく。
破魔大根があった場所の群生地から動けないのだ。
その間にも、魔は魂を持って逃げていく。
やめて、お願い、やめてっ!
だが、魔は見えなくなった。
一人残された大根はその場で泣き崩れる。
わたしは罪を犯した
沢山の罪を
その後、緑葉が狂い、また天界の上層部によって山に仕える神の殆どが殺し尽くされるのを見て更に大根は泣き崩れた
わたしのせい
わたしが全てを狂わせた
でも、その中でももっとも重い罪がある
魔に浚われた魂を思い、大根は泣き続けた
あの子はどうしているだろう?
もう食われてしまっただろうか?
本当なら生まれ愛されるべき命
今思えばその予兆はあった
なのに気づかずにわたしは
わたしが……わたしがあの子を
その最後まで聞き取る前に、急速に意識が覚醒へと浮上する感覚に引かれながら、果那も泣いていた。
思い出す
沢山の罪を犯してきた中で、大根がもっとも強く後悔しているその罪を。
どの罪も罪深い事だが、中でもそれだけは
たとえどの罪からも許されたとしても
その罪だけはきっと、大根は永遠に自分を許せないだろう
あの子に謝りたい
その願いを胸に、果那の意識は過去から現実へと引き戻されていった。