忘れた罪と王太子妃
「行きましょう」
彼は名前を言う代わりに、そう言ってわたしの手を掴んだ。
「あの王女の力は、この山では絶対的ですが、一度山を離れれば大丈夫」
「山を……離れる?」
「ええ……その為の道もきちんと用意してあります……いえ、用意して下さった」
「……誰が?」
「蒼麗様と蒼花様ですよ」
何から何まで……
わたしは、お二人に感謝した。
「彼女達が支えてくれています。崩壊寸前のこの山を」
「崩壊?」
「ええ……山の生気が殆ど奪われたこの山は、すでに形を維持出来なくなっている。それを、あのお二人は瞬時に見抜き、この山に力が向かうようにして下さいました」
山が形を維持出来るように、他の生気に漲る山の気をこの山に流し込んでいるのだという。
もちろん、それには他の山々の山神達の許可が必要だが、彼らも快く了承してくれたとか。
しかし、いくら了承してくれても、力を流すルートがなければ力は流れない。
それを蒼花様が形成して下さっているのだ。
但し、ルートといってもただ力を流すだけではなく、その力の調節もしなければならない。
生気が多く流れすぎても少なすぎても山は崩壊する。
しかも、この山は多くの山々の要でもあり、この山の崩壊は遅かれ早かれ他の山々への崩壊にも繋がる。
「蒼花様……」
やはり、あの方は十二王家が一つ――星家の姫にして、天帝陛下がご子息たる皇太子様の許嫁の君。
そして
「凄かったですよ、本当に。蒼麗様が蒼花様を強引に動かす様は」
蒼麗様、グッジョブです。
わたしは心の中で合掌する。
蒼花様が動かれる裏には蒼麗様有り――それが、天界上層部の常識。
一応、十二王家のすぐ下に位置する実家の津国や嫁ぎ先である凪国の上層部もそれは知っている。
たとえ世界が危機に陥っても笑ってみているだろう蒼花様が世界を救うべく動かれるときは、必ずや蒼麗様が動かれている。
蒼麗様、ナイスです!!
たぶん、真の意味での救世主は蒼麗様だろう。
あの方が常識的な方で本当に良かった。
『蒼花、謝りなさい!!』
『いやですわ!!』
二人のやりとりが思い出され、わたしはそっと涙をぬぐった。
大抵、蒼麗様が妹の暴挙に謝罪し、更には妹を謝罪させる様は、一種の名物と言ってもいい。
と、二人の事が思い出されるにつれ、蒼麗様がわたしを庇われた時の事が思い出される。
怪我をした蒼麗様に狂われかけた蒼花様。
そしてそんな蒼花様の脅威から山に居る人達を助けようとした波景。
早く……みんなに会いたい
それに、わたしを助ける為に一人十和達のもとに戻った香奈のお父様に、ウェン・カムイに立ちはだかったキムン・カムイにも
そして……香奈と香奈のお母様にも
「香奈……」
沢山の会いたい人達の中で、わたしの口をついて出た名はあの少女のものだった。
人間界に、しかも過去に飛ばされてきたわたしを一番最初に見つけてくれた香奈。
けれど、香奈は
「果那さん……」
職員さんがわたしを呼ぶが、わたしは顔を上げられなかった。
香奈……わたしが巻き込んでしまった……あんなに幼い子を……
あの子に巻き付いていた白い糸が酷く厭わしい
出来るならば、今すぐ戻って香奈を助け出したかった。
けれど……
『生き延びましょう』
そう言ってくれた職員さんや、わたしを逃がす為に戦ってくれている人達の事を思えば、このまま逃げた方が良いのかもしれない。
でも……
「香奈……」
わたしを助けたばっかりに巻き込まれたあの子を助けたい気持ちが強まる
「なら、助けてみればいいわ」
聞こえてきた声にギョッと振り向いたわたしは、後ろから職員さんに引っ張られた。
先ほどまでいた場所に突き刺さる刀。
それを握りしめる相手に、絶句した。
「……香奈?」
四肢と首に巻き付いた糸に操られた香奈が刀を抜く。
その瞳は虚ろで、わたしの姿はおろか誰の姿も移していない。
「たまたま手に入れた玩具だけど、貴方の知っている子ならば別よ」
「あなたはっ!」
森の奥から現れたのは、王女だった。
相変わらず妖艶な美しさを称え、妖しい笑みを浮かべている。
昔はその笑みに酷くコンプレックスを刺激されたが、今では腹立たしさしかない。
なぜなら、彼女は香奈を利用するからだ。
「香奈を離して下さいっ」
「嫌よ。こんな楽しい玩具を離せるものですか。まあ、最初は殺してしまおうと思ったんだけど」
え?
「この子ね、私に刃向かったのよ。結界を切り崩し、山頂を攻め入った時に、他の人間を逃がそうとこの子は私に刃向かってきた。たかが人間のくせに、そんな事が許されるはずがないじゃない」
だから、散々いたぶって糸で操ってやったのだと言う王女にわたしは絶句した。
「なんて……事を」
確かに王女がいたぶったのか、香奈の体は傷だらけだ。
中には血が流れている大きな傷もある。
「これでも耐えた方よ?この子のせいで三分の一ほどの人間には逃げられてしまったんですもの。でも、それもすぐに捕まえるわ。ふふ!獣の餌にでもしてあげましょうかしら」
「王女!」
「汚らわしい!!私を呼ばないでっ」
まるでゴミでも見るような目つきで彼女はわたしを睨み付ける。
「ふんっ!もう貴方を守るものはいないわよ?」
すると、職員さんがわたしを守るように前に立つ。
「あら?誰かしら、あなた。もしかしてその女の間男?」
「果那さんを侮辱しないで下さい」
「侮辱なんてしてないわ。ただ真実を述べているだけよ」
王女が笑う。
「もういいわ。それよりとっとと死んで下さいな。そのお腹の子供ごとね!」
その言葉と共に、糸に操られた香奈がわたし達に襲い掛かる。
「香奈ちゃんっ」
まるで壊れた人形のように刀を振り回す香奈は直視するのも惨い姿だった。
香奈を……わたしの大切な友人を、あの王女は利用する。
「あら?怒ったの?ならとっとと死になさいな。貴方が死ねばこの子は解放してあげる。ついでにあの世にも送ってあげるわ」
「お黙りなさい!香奈を離してっ」
「私に命令をするなっ!」
王女が香奈にわたしを殺せとヒステリックに命じ、香奈はそれに忠実に従おうとする。
「反撃するならすればいいわ!でも、そうすれば傷つくのはこの子よ?それに、さっさと死なないとこの子の体が持たないわよ?」
「王女!!」
怒りに我を忘れた。
職員さんの手を振り払い、わたしは王女へと向かう。
どこにそんな力があったのか、わたしは王女を捕まえた。
「あんた」
「香奈ちゃんを離してぇぇ」
そう叫んだわたしに、王女がニタリと笑う。
「あ、手が滑っちゃった」
ゴキン――と、鈍い音が聞こえた。
まるで……何かが折れた音
わたしは不気味な静寂の中、必死にその光景を打ち消そうとした。
打ち消そうとしたのに――
振り向いたわたしの瞳は、それを写し込む。
「なんで……」
ピクピクと痙攣する体が
変な方向にねじ曲がった手足が
そして……折れた首が
「香奈ぁぁあああっ!」
「貴方がさっさと死なないからよ」
『お前がさっさと死なないからよ』
ふいに過去が蘇る。
ああ……そうだ
これは昔と同じ光景
「お優しい王太子妃様」
王女は嘲るようにわたしに囁く。
「どうする?このままだと香奈は死ぬわよ?」
香奈が死ぬ
わたしは香奈を見た。
確かに香奈は死にかけている。
瀕死の状態で……あと少し力が加えられれば、あの子は……。
なのに、あの子を瀕死に追い遣った首と四肢の糸は緩まず、今にもあの子の首と四肢をねじ切りそうになっている。
「あな……た…は……」
「ただ手が滑っただけよ~」
手が滑った?
手が滑って……あの子をあんな風にしたんですか?
「それより、どうするの?何とかしないと大変よ?」
「あなたは……」
「さあ、どうする?どうやって助ける?怪我を治す?でも、糸が絡みついている限りはあの子はまたあんな風になるわよ?ふふ、永遠の繰り返し」
「っ!」
「でも、一つだけ方法があるわ」
「果那さん、聞かないでっ」
そう叫ぶのは職員さんだ。
彼は悔しそうにこちらと香奈を交互に見ている。
本当は香奈のもとに行きたいのだろうが、近づけば香奈の四肢と首がねじ切られかねないとなれば下手に近づく事も出来ない。
そうこうするうちに、王女がわたしの耳元で囁いた。
「その方法を知りたくない?」
「…………」
聞いては駄目だと思っても、強く掴まれた腕は離れない。
でも、王女の言うことなんて分ってる。
「貴方が代わりに死ねばいいのよ」
予想通りの言葉だった。
けれど……その先に続く言葉は
「昔と同じく、命を捧げればいいのよ。だって昔はそうしたじゃない?そのお優しい聖女のような志で、貴方は自分の命と引き替えに破魔大根を咲かせたんですもの」
「破魔大根……」
大根の命と引き替えに咲いた花
「ほ~んと、昔はご立派なものだったらしいけど、所詮は生け贄の血で咲いた悪魔の花ね」
「黙れ!!」
「お前には聞いてないわっ!」
糸が怒りを露わにする職員さんに絡みつき、その体を締め上げる。
悲鳴を上げ、駆け寄ろうとするも王女がそれを許さなかった。
「それ以上近づいたらあの子もあの男も殺すわ」
「っ!」
「ふふ、それよりどうするの?ああ、どうせならまた破魔大根に貴方の血を注ぎましょうか?子供付きだし、きっと昔と同じようにあの花は復活するんじゃないかしら」
見せてあげたかったわ――と王女が笑う。
「大根の血肉で満開になった破魔大根の花を」
大根の血で咲いた花
そう……それが、緑葉に破魔大根に対する深すぎる憎悪を抱かせた
大根の血で咲いた破魔大根
大根の血で実った破魔大根
どうして……咲き実ってしまったの?
その事で、大根の死が肯定されてしまった
せめて……破魔大根さえ咲かなければ
なぜ咲くのに血を必要としたの?
血がなければ咲かなかったの?
大根が死ななければ咲けなかったの?!
――違うわ
「っ?!」
驚いたわたしがハッと気づけば、目の前に大根が立っていた。
「大根……」
――違う……破魔大根は……
「違うってなんですか?!だって、破魔大根は大根の血が降り注いだ後に咲いたんですよね?!」
だからこそ、村人達は大根を殺して良かったと思ってしまった。
その命で大勢の者達が救われたと。だから……自分達のやった事は正しかったと。
けれど、殺された方からすればとんでもない。
その痛みを、苦しみを、辛さを全てわたしは覚えている。
殺されるその瞬間を、わたしは――
――思い出して
「大根?」
――わたしは……望んだの
「望んだ?」
――そう……転生して忘れていても……心の何処かで覚えている
大根が泣きそうな笑みを浮かべた。
――そう……わたしは……助けたかったの
「大根……」
――でも……わたしはそのせいで大きな罪を侵した
それは、緑葉を狂わせた事だろう。
緑葉を狂わせ、この山にいる神々の殆どが殺された。
それは、大根が侵した大いなる罪。
大根を見つめたわたしに、彼女の瞳から涙がこぼれる。
「苦しかったね……悲しかったね……」
死んでからも、貴方はずっと囚われ続けていた。
転生してもなお、貴方はこの山に囚われている。
――それはわたしの罪
「大根……」
――わたしは罪深い存在……あの人を狂わせ、この山の神達や多くの命が失われるきっかけを作った……でも
「でも?」
――わたしが侵した罪はまだあるわ
「罪?」
――そう……わたしの罪……その中でも……最も重いもの
「その罪って……」
けれど……大根がそれに答えることはなく、まるで自分で思い出してと言わんばかりに、わたしの意識は過去へと誘われたのだった。