側室と王太子妃
沙国の第三王女が側室として入宮して一週間。
どうやら二人目の側室はなかなかに気が荒い様子だった。
泣かされている侍女の姿がちらほらと見られ、時にはその現場に居合わせてしまう事さえあった。
「遅いわ!」
そう言って侍女に熱いお茶を浴びせる第三王女の仕打ちに、さすがのわたしも黙っては居られなかった。
もう一人の側室はこれほど気が荒くはないというのに。
側仕えの者達にも慕われ、王太子に見初められたのも納得だと囁かれるほどに数々の美徳を併せ持つ心優しい女性だ。
だからこそわたしも心を許したのだ。
しかしこの姫君は気にくわないことがあれば周囲に当たり散らし、大人しいのは夫の前でのみ。
聞けば、この姫君は祖国ではたいそう甘やかされて育ち、不幸にも高慢で我が儘に育ってしまったらしい。
いくら腹が立つからといって侍女に当たるなど、もしわたしの家族の誰かが行えば母に死ぬほど怒られるだろう。
仕えてくれる者達は道具ではない
母は常にそう言っていた。
その教えのせいか、気づけばお茶を浴びせられた侍女を庇ったわたしに、側室である姫君が怒りの声を上げた。
「そこをおどきなさい!」
到底正妃に向けたものとは思えない高慢な物言い。
上から目線の言葉に、さすがの周囲も眉をひそめる。
「どうか落ち着いて下さい、王女」
相手の名前は何だっただろうか?
いや、思い出せたとしても、わたしに名前を呼ばれたが最後この王女は怒り狂うに違いない。確実に自分を上として見ているのだ。
いかに正妃であろうと、大国の出だろうと、寵愛のなくなった、しかも年上の女に窘められるにはあまりにもこの王女は気位が高すぎた。
「なんて忌々しい方なの?そんなに可愛げがないからあの方に通ってきて貰えない事が分からないのかしら?」
王女は忌々しげに私をにらみつける。
「年増で醜くて何の取り柄もないくせに、大国の姫だからって正妃になられたらこっちが迷惑なのよ!さっさと正妃から降りてしまえばいいんだわ!」
「っ」
「そんなんだから王太子に捨てられるのよ。いえ違うわね。貴方の結婚はそもそもただの政略的なもの。たまたま貴方だと都合が良かったから正妃に迎えられただけね。ほ~んと、可哀想な方」
カワイソウ
可哀想
侮蔑を露わにした言葉。
蔑み嘲笑うような言い方に、一気にわたしの中の怒りは爆発した。
気づけば、王女は床に伏していた。
手のひらがジンジンと痛む。
周囲では悲鳴が上がり、「なんて事を!」と叫ぶ声が聞こえる。
呆然としていたわたしに、凄まじい憎悪の視線が向けられた。
「能無しのくせに私を殴るなんて!」
そう叫んだ王女が私に飛びかかろうとした時だった。
「何をしている!」
聞こえてきた声に振り返ろうとするが、それより早くに王女が私の横をすり抜けていく。
靡き揺れる王女の髪に導かれるように振り返った先には、波景が居た。
その腕に、王女を抱きしめながらわたしを見つめていた。
「殿下、正妃様は酷すぎます!」
「一体何があったんですか」
「私の侍女に当たり散らしていたから止めようとしたら、突然私に殴りかかってこられて」
夫の胸に甘えるように縋り付きながら嘘ばかりの説明をする王女に、流石の周囲も困惑の表情を浮かべた。
しかし夫に向ける視線とは別に、睨み付けるような目つきに気圧されて異議を申し立てられる者はここには居なかった。
夫の視線がこちらに向けられる。
「この者が言う事は本当ですか?」
「この者だなんて殿下!私の事は麗華とお呼び下さい」
「……果那、どうなんですか?」
そう言いながら、夫は麗華王女を抱きしめる。
その光景に耐えられず、わたしはその場を走り出した。
ああ!余計なことなどするんじゃなかった!!
きっと夫は麗華王女の言うことを信じただろう。
わたしが麗華を殴ったのだと。
いや、実際には自分は麗華王女を殴った。
だが、わたしは侍女を虐げたわけではない。寧ろ助けようとして……。
けれどそんな事はもはやどうでも良かった。
どうせ何を言ったって信じて貰えるわけではないのだから。