悲劇と王太子妃
せめてわたしが神であれば――
それは大根の願い
幼い頃からわたしは思ってきた。どうしてわたしは神様になんて産まれてきたのだろうと。
いや、王女に産まれてしまったのだろうと。
けれどそれらは全て大根の願いが叶ったものだったのだ
地位も身分もなく、種族さえ違った大根が……愛した人に相応しくありたいと思い、欲したものを生まれ変わりであるわたしが得てしまった
でも大根
誰もが認める地位も身分も手に入れたのに
同じ神として産まれたのに
わたしは幸せにはなれなかった
なぜなら
わたし自身が酷く醜く落ちこぼれていたから
こんな事なら、また人間に産まれていれば良かった
愛した人と一生再会すること無く過ごせる場所で産まれ、生きていきたかった
「大根」
緑葉がわたしに覆い被さる。
彼は大根とわたしを呼び、わたしの体を好きにする。
身籠もっているから無理矢理奪われる事はないけれど、それでも体中をまさぐる手がわたしを強引に高ぶらせていく。
それが嫌で抵抗すれば、緑葉はわたしを更に押さえつけた。
「抵抗するな」
少しでも動けば彼は怒り出す。
まるで自分から逃げだそうとしているように受け取り、わたしを戒める。
一度は大根に逃げ切られた彼
けれど二度はないだろう
二度目を期待するには、彼はあまりにも優秀すぎた
「果那か……」
緑葉が小さく呟く。
もしや、わたしを果那と認めてくれたのだろうか?
そんな淡い期待を抱く。
「大根、果那、別に呼び名はどちらでも構わない。私が緑葉であり波景であるのと同じだからな」
「それは違います!!わたしは果那で、その体は波景のものです!!」
どちらでも良くない。
大根は大根でしかあり得ないし、わたしは果那でしかない。
それと同じく、緑葉は緑葉以外の何者にもなれず、波景は緑葉にはなれないのだ。
「わたしは確かに前世では大根だったけど、でも今は違う。今のわたしは果那。もう大根はいないんです!!」
その言葉が、緑葉の機嫌を損ねた。
かみつくような口づけに襲われ無我夢中で抵抗する。
「黙れ」
「緑葉」
ようやく自由になった口で名を呼べば、緑葉は嬉しそうに笑う。
「そうだ、私は緑葉だ。そしてお前は大根だ。それは誰にも否定などさせない」
いっそ泣きそうなほど切ない声で緑葉は囁く。
「お前がここに来たのは、私と出会うためだ。私と、もう一度ここでやり直す為だ」
「違う!!わたしがここに来たのは――」
そこまで言って、わたしは言葉に詰まった。
わたしが此処に来た理由は一体何だったのだろう?
だが、すぐにわたしは破魔大根の事を思い出す。
既にわたし達の生きる時代で全滅した破魔大根をお義母様へと届るためだ。
その為にわたしはここに来たのだ。
「わたしは破魔大根を波景のお義母様に持ち帰る為に此処にきたんです!!」
「違う」
「違いません」
「黙れ!!破魔大根だと?」
緑波の言葉が憎悪に満ちる。
「あの花のせいでお前は死んだというのにお前はそれに再び関わろうとするのか?!」
「死んだ?」
あの花のせいで死んだ?
それはどういう事なのか?
「ど、どういう事ですか?!それはっ」
「煩い!!あの花など滅びてしまえばいいんだ!!あんなもののせいでお前は、俺は……」
「緑葉っ!」
しかし、彼はそれ以上語ろうとせずそのまま寝台から降りてしまう。
後を追おうとするが、わたしの足を戒める鎖がそれを阻む。
「お前は此処で静かにしていろ。必要なものは全て用意させる」
「ま、待って何処に行くの?!」
「力を取り戻すだけだ。そう……あの昔のような美しい山を取り戻す」
「ま、待って緑葉!!」
だが、緑葉は一度もこちらを振り向くことなく部屋から出て行ってしまった。後に残されたのは、わたしと緑葉が用意した侍女達だった。
「大根様、お茶の準備が整いました」
侍女達がそう言って促すが、わたしは寝台の上から動かなかった。
足の鎖は部屋の中を歩き回るには十分の長さがあった。
ならば何故緑葉を追いかけられなかったかと言うと、どうやら部屋の外に出ようとしたり、緑葉の望まぬ行動を取ろうとすると、鎖の重さや長さが変化するようだった。
部屋は広く、わたしが凪国で与えられている部屋と同じ広さがあった。
生活に必要なものは全てそろっており、女性ならば誰もが夢見る美しい部屋である。
しかし、そんな豪華な調度品もわたしの目には入らない。
なぜなら、この部屋は所詮わたしを閉じ込める牢獄でしかないのだから。
「大根様」
再度促されるも、わたしは応えなかった。
先にわたしを無視したのは侍女達だ。
此処から出して、緑葉を止めてとどれだけ騒いでも、彼女達は決して動こうとはせず、ただわたしの世話に没頭した。
わたしはそんな事望んでない。
わたしが望んでいたのは、彼を、緑葉を止める事だ。
彼を止めなければ、波景が傷つく。
波景の体で酷いことをしないで。貴方が波景の前世というならば尚更だ。大根はそんな事を望んでいなかった。
わたしも望んでいない。なのにどうして……。
その時、わたしの前にお茶とお茶菓子が差し出される。
「どうぞ……この山でとれた薬草を使ったものです。お腹の子に宜しいですから」
年老いた侍女が言う。
彼女は、大根を直接育ててくれた人であり、大根が正妃になった後も何かと世話をしてくれた。
厳しくも、口に出さない優しさがあった人。
大根は彼女を心の底で慕っていた。
その慕わしい気持ちからか、わたしはその侍女を見ているうちにポツリと呟いた。
「生きていたんですね……」
山貴神とは違い、彼女達は生きていたのだ。
だが――
「いえ、大根様」
彼女は悲しそうに首を横に振った。
「私達は生きてはおりません」
「え?」
「私達は既に死した者達でございます……そう、この宮にいる者達は全て、貴方様が亡くなった後に、皆死にました」
「それはどういう……」
ふと、緑葉が殺したのではないかという考えが浮かぶ。
「いえ、違いますよ」
彼女が否定する。
「私達を殺したのはあの方ではございません」
「違うんですか?」
「ええ……寧ろ、あの方は私達を守って下さいました。そう……あのお方は最後まで……貴方様もそうでしたね」
彼女が悲しげに笑う。
「子供が出来ず悩まれ、最後には貴方様は全てを後任となる姫君に譲り姿を眩まされた。そうして貴方は人間界に……麓の村へと戻り、時折山に生える薬草を採り、それを調合しては薬師のような仕事をして暮らしておられた」
「薬師……」
……そう……そうだ、わたしは……いや、大根は薬師をして生活をしていた。
「貴方様の居場所を探し当てられた山貴神様の戻れという再度の願いも拒み、貴方様は一人で村からも離れた小さな小屋で暮らし続けましたね……」
「十和……」
わたしは彼女の名を呼ぶ。
大根が何度も呼んで来た名だ。
十和が嬉しそうに微笑む。
「ようやく呼んで下さいましたね……」
「十和……わたしは……」
「あの時、貴方様が逃げ出すのを見て見ぬふりしなければ……果たして未来は変わっていたのでしょうか?」
「え?」
「貴方様が逃げた時、私達は知っていました。でも、誰も止めなかった。寧ろ、貴方様が逃げてくれることを願った。そうすれば、山貴神様は新たな妃を娶ることが出来ると。今度こそ、身分も地位も持った正統なる天上の女神であり、世継ぎを産んでくれる美しく優秀な姫が山貴神様の妻になられると……」
「十和……」
だから……大根は逃げ切れたのだと、わたしは納得した。
あれほど普段は警備が厳重だというのに、あの日、大根はあっさりと逃げ切ることが出来た。
だが、それも全ては見て見ぬふりをしていただけならば当然だ。
つまり、彼女達にとっては大根ではなく別の姫を正妃に迎えたかったという事だ。
それは酷く悲しいが、将来を思えば当然の事とも言えよう。
けれど……十和は後悔している。
でなければ、見て見ぬふりしなければ――なんて言葉は出てこない。
「十和……貴方は後悔しているの?」
「……ええ、死ぬほど」
「……どうして?」
十和が悲しげに微笑んだ。
「貴方様を失った事で、山貴神様は……そして、この山は……」
「この山は?」
「ああ……貴方様は知りません。ええ、知らない筈です。知る前に貴方様は死なれましたから……そう、あの方に殺されてしまった」
「え?」
「全ては破魔大根から始まります。あの化石のような種から、滅びた筈の花を蘇らせた貴方を、天界は高く評価していた。そう……なぜなら、あの破魔大根は遙か昔、古代の原初神の時代に生まれたものですから」
十和の言うことがよく分からない。
「破魔大根……その古来の名前を知っていますか?」
「え……う、ううん」
「オオネと呼ばれていました」
「え?」
「もともとの名前です。あの花は邪悪なる眠りから目覚めさせる以外に、命を根付かせる花なのです」
「命を根付かせる花?」
「そう……荒廃した大地に大いなる根を深く張る事のできるもの……その昔、多くの世界で見られました」
命無き世界に、沢山の命を根付かせる為に
そして沢山の命が根付いた時、その花は役目を終え眠りについた
「破魔大根を目覚めさせる事が出来るのは、『実り』の力を持つ者。但し、今まで『実り』の力を持つ神は多くいましたが、その中の誰一人として破魔大根を目覚めさせる事は出来ませんでした」
なのに、元人間である大根がそれを成し遂げてしまった。
それは子供を、世継ぎをつくるよりも凄いことだ。
「私達がそれを聞いたのは、貴方様が去り、新たな妃が山貴神様に与えられた後でした。新しい正妃様は……とても高慢な方で……そんな噂が許せなかったのでしょう。しかも、破魔大根は貴方様が居なくなった後、その数を減らしました。やはり貴方様でなければ破魔大根は咲かない。そんな声も聞かれ始めた頃です。新しい正妃様が暴挙に出られたのは」
「暴挙?」
「そう……貴方様を暗殺する事です」
「っ?!」
「山貴神様は新たな正妃様を愛さなかった。なぜなら、大根を愛していたからです。貴方様が去った後に、あの方はそれに気づかれた」
「…………」
「あの方は可哀想な方なのです」
十和は緑葉の過去を語った。
緑葉は愛というものを知らなかった。
自堕落に生き、多くの女性達と縁を結んでいたその裏で、彼は孤独な神だったという。
それは全て彼の幼少時が原因だという。
緑葉は天界でも有名な名家の家の出だった。
けれど温かい家庭からはほど遠く、両親がそれぞれ愛人をつくり多くの異母兄弟、異父兄弟が居た。もっぱら両親の愛情は愛人との子供に注がれていた。当たり前だ。両親は政略結婚であり、愛人こそそれぞれが心から愛した人だったからだ。
彼は跡継ぎとしては大切にされたけど、ただそれだけだった。
しかも大切というよりは、ただ家名を継がせるだけの存在として育てられた。
その横で、真に愛情を受ける半分だけ血の繋がった兄弟を見ながら。
緑葉は孤独だった。
彼は愛し方を知らなかった。大切にする方法を知らなかった。
体をつなぐしか思いを表現する方法を知らず、言葉にする方法は全く分からなかった。
彼の乳母だった十和が不憫に思い愛情を注ごうとするも、そんなものは邪魔だと彼の祖父母が厳しく叱咤する。
彼らにとって大切なのは家であり、緑葉ではなかった。
彼は道具だった。ただ家を存続させるだけの。
愛などいらない。愛などこの家の跡継ぎにはいらない。
そんなものは相手につけいらせる隙にしかならないと、祖父母は緑葉に愛情を注ぐような者達がいれば即座に解雇した。
だから……彼は大根に恋した事も、愛している事にも気づかなかった。そしてたとえ気づいても、それを表現する方法もわからなかった。
ただ思うがままに手に入れ、側に置くしか思いつかなかったのだ。
他の者達が欲してやまないものを、正妃の座を与えればそれでいいのだと思ってしまったのだ。
大根が欲しかったものはそんなものではなかったのに
けれどそれに気づけるだけの経験を、緑葉は何一つ持っていなかった
せめて、ただ一つでも愛しいものがあれば
大切にする術を一つだけでも知っていれば
だが、今更そんな事を言ってもどうしようもない。
「山貴神様が別の女性を……しかも元人間を思っているのが許せなかったのでしょう。新たな正妃様は、大根を葬るために、麓の村を利用しました」
麓の村に疫病を蒔き、人をやって噂を流した。
大根という薬師が持つ破魔大根という薬草があれば助かる――と。
村人達は大根のもとに殺到した。
その時は、大根が持っていた分でなんとかなったらしい。
だが、新たな正妃は更に別の村でも疫病をはやらせた。
そうしてその村人達が殺到すると、そこにはもう破魔大根はなかった。
だが、殺気だった村人達は大根が破魔大根を隠しているのだと騒ぎだし、それでもないと分かると探してこいといって大根を山へとせき立てた。
だが、やはり時期外れで山にも破魔大根はなかった。
そこに新たな正妃が現れて囁いたのだ。
破魔大根を咲かせる方法があると
それは、大根の命を捧げることだった。
大根の血をまく事で、破魔大根は咲くと。
当然の如く戸惑う大根に、新たな正妃は密かに山に入らせていた近隣の村人達に言った。
この女はお前達の命などどうでもいいのだと
この女の血があれば、破魔大根は再び咲き乱れるのに――と
疫病の被害にあい、愛しい者達の命がかかっている者達にはなんのためらいもなかった
村人達は大根をよってたかってなぶり殺しにし、その血を破魔大根へとまいたのだ
その一部始終を
大根の命が消えゆく瞬間にかけつけた緑葉の前で、村人達はバラバラにした大根の頭と四肢を手に破魔大根へと紅い血を振りまいた
大根は破魔大根を咲かせる為に殺された
緑葉がそう思っても仕方ない
いや、実際にその通りなのだから
しかも……実際に破魔大根は咲いてしまったのだ
愛しい人の命と引き替えに咲いた花を、緑葉は心底憎んだ
そして大根を殺した者達を憎んだ
「ですが、それでもあの方はなんとか理性を保っておられました」
山貴神として、彼は必死に自分を保った。
自分が狂う事の恐ろしさを、力あるものが狂う恐ろしさを彼は知っていたから。
それに、彼はその時は知らなかった。
村人達をそそのかした後、緑葉の気配を感じるや否やそそくさと逃げ去った新たな正妃こそが、大根を殺したという事を。
知れば、彼は即座に新たな正妃を手にかけていただろう。
しかし……そんな彼の必死の忍耐すらも彼の新たな正妃は土足で踏み荒らしたと十和は言った。
「大根を殺したところで、山貴神様の心が変わる筈もなく、それを不満に思われた新たな正妃は身勝手な行動をとり続けました」
山を荒れさせ、獣を操り山に入る者達を襲わせて楽しんだ。
そればかりか、近隣の村に生け贄を要求し、その生け贄を獣達に襲わせて楽しんでいた。
それは古来、獣と人間を戦わせて楽しむ者達を思わせる行動だった。
「新たな正妃様にとって、人間はただのおもちゃでした。いえ、自分より下位のものは全てただの道具です」
そうして、やりたい放題をしつくした新たな正妃。
そればかりか、他の山神に目をつけては強引に相手をさせたり、妻と別れさせたりとその所行は留まることはなかった。
それにとうとう怒りの声を上げたのは、人間達だった。
彼らは山を切り崩すことを決めた。
なんて恐れ多い者達だ
人間達の行動に怒りを覚えた新たな正妃は、自分のした事を棚に上げて彼らを罰する事にした。
それが、後に知れ渡る近隣の村人大量遭難事件である。
彼らは遭難とされているが、実際には山に誘い込まれて獣達に殺されたのである。
その数は、およそ数千に及ぶ。
甘やかされ、選民意識を叩き込まれ、全ては自分の思いどおりに動くと思い込んでいた新たな正妃様。
地位と身分がなければただの道具でしかない。
そんな高慢かつ傲慢な思いのもと楽しみ続けた彼女も、とうとう罰せられる時が来た。
けれど……実際に罰せられる事になったのは、山貴神だった。
彼女の父親が、自分の権力と人脈を使い、娘を助けようとして山貴神を生け贄に差し出したのだ。
妻のやることの全てを尻拭いさせられただけではなく、何とかして妻の魔手から人々を救おうと必死に動いてきたにも関わらず、彼は大罪神の烙印を押された。
「これ以上ない不名誉を背負わされた山貴神様……けれど、あの方はそれを受け入れられた」
全ては自分が妻を止められなかったせいだと、緑葉は己に与えられた罪を受け入れたという。
ただ、それでも宮にいる者達だけには罪が及ばないようにと懇願し続けた。
悪いのは、妻を止められなかった自分だ
本当は、他の山神達は皆知っていた。
山貴神ではなく、新たな正妃が全ての原因だと。
けれど、当時腐敗した天界の上層部は、同じく上層部に所属する新たな正妃の父の意見を尊重し、他の者達の意見を全て退けた。
逆らうならば死刑とさえ言われた。
これ以上の犠牲が出てはならない
山貴神はそう言って他の者達に黙秘するように命じた
そうして誰もが涙と真実を飲み込んだ
「そんな……」
わたしは何も言えなかった。
緑葉が……大根が死んだ後に、そんな目にあわされていたなんて……。
「ですが、あの方は幸せそうでした」
多くの者達の命を救えなかった後悔に苦しみながらも、自分に刑が下される事をなにより望んでいた。
なぜなら、刑が下されれば自分は自由になれる。
神としての位を失い、命を失い冥府に渡れば大根に会えるかも知れない
そんな儚い願いを抱いていた
「そうしてあの方は刑の執行を待っていました」
けれど、その直前に新たな正妃はやってきた。
彼女は別の男性に嫁ぐことになっていた。
だが、自分を愛さず別の女性を愛していた元夫に一言言ってやりたかったのだろう。
そうして彼女は緑葉のもとに行き、余計な事を言ったのだ。
すなわち、自分が村人達をそそのかして大根を殺したのだと
愕然とする緑葉に気づく事もなく、彼女は笑い続けたという。
それどころか、たかが人間で多くの人間達を救うべく命を散らせた事は寧ろ光栄ではないかとさえ言い切った。
しかも、破魔大根という貴重な薬草を咲かせる為に命を捧げられて幸せだったに違いないと――
寧ろ、人間のくせに破魔大根を咲かせることが出来るなど、人間のくせに身の程知らずだとさえ言って罵った
『破魔大根を咲かせなければ、もう少し生きていられたかもね』
緑葉の怒りが臨界点を超えたのは言うまでもない。
この女のせいで
この女の戯言で
そして破魔大根のせいで
真に憎むべきは新たな正妃だが、緑葉にとっては大根が殺された時の光景が焼き付いていた
大根の血を浴びて咲き誇ったあの破魔大根の姿を
自分をあれだけ大切に育てこの世に蘇らせたものの血で、あの破魔大根は咲いた
大根の犠牲で、破魔大根は咲いた
村人達の言葉が蘇る
『やっぱり、この女を殺して正解だったな』
正解?
大根が死ぬのが正解なのか?
そしてそんな事を言わせた破魔大根が憎かった
許さない
大根が愛し育てた大切な植物も、もはや緑葉には憎い存在でしかなかった
そして緑葉は枷を解き放ち牢を壊し、人間界に逃げた新たな正妃とその父親、そして彼の冤罪を密かに晴らそうと動いていた宮の者達を惨殺し、全てを闇に葬ろうとした者達を殺戮したのだった。
「十和……」
宮の者達は殺された。
新たな正妃を守り、緑葉を陥れた者達に。
「貴方達は……」
「私達の事はお気になさらずに。全ては自業自得です。ただ、他の山神様達に累が及ばなくて良かった……」
あの時、他の山神達も宮に集まっていたが、攻め込まれた時、十和を始めとした宮に仕える者達が盾となり遠くに逃がしたという。
「けれど……そのせいで、誰も山貴神様を止める事は出来なくなったのです」
怒り狂い、最後には完全に狂った緑葉は大量の神を殺害した。
そればかりか、魔へと落ちた彼は山の生気を食らい多くの生け贄を求めるようになった。
そう……後に伝えられる大罪神の出来上がりである。
彼は狂った。
身勝手な者達の身勝手な行いのせいで。
そして……大根の死のせいで……
「わたし……は……」
「どうか、どうか此処に留まって下さいませ大根様」
「十和……」
「他の者達の命が大切ならば留まって下さいませ」
「で、でもこんな……こんな事は間違ってる!!」
「それでもです!」
十和の叫びにわたしは身をすくませた。
「山貴神様が狂ったのは、全てあいつらのせいです。なのに、山貴神様がいかにも悪いかのように吹聴してまわり、とうとう山貴神様は封印されてしまった……なぜ、どうして、山貴神様を狂わせたのは奴らだというのに!!」
新たな正妃と父親、そして関係者を殺しても、上層部自体は生き残っていた。腐敗した上層部は全ての罪を山貴神に着せ、彼を葬らせたの――彼の異母弟に。
そうして……彼の異母弟が新たな山貴神となった。
そう――香奈達がいる山の神として、現在まで君臨する事となったのだ。
「許せません……山貴神様を散々苦しませたものが、山貴神様を差し置いて山貴神になる事も」
きっと異母弟は愉快だっただろうと十和は憎々しい眼差しを浮かべて叫ぶ
緑葉に与えられるはずの母の愛を一心に受けた異母弟
その異母弟は、山貴神の地位すらも兄から奪った
「きっと大変愉快だった筈です!!何もかも兄君から奪い取れたのですからね!!」
そうして狂ったように笑う十和だったが、ふと聞こえてきた声に冷や水を浴びせられたかのように固まった。
「それは違うよ、十和」
その声に、わたしは部屋の扉を見る。
それが勢いよく開き、中に入ってきた人達にわたしは言葉を失った。
「どんな思いで今の山貴神が兄を封じたか……どんな思いで、彼を封じなければならなかったか……」
「何を……」
「香奈のお父様……」
香奈のお父様がゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる。
侍女達が、わたしを守るように立ちふさがる。
「大根様に近づくな!!」
「うん、近づかないよ~僕はね」
そう香奈のお父様が笑った時だった。
突然、わたしの足を戒めていた鎖が音を立てて壊れる。
「きゃっ?!」
鎖の破片から身を守ろうと縮こまったわたしに、少し怒ったような声が聞こえてきた。
「蒼花!!手加減しなさいって言ったでしょう!!」
「あぁんお姉様!怒った顔も痺れますわ!!」
その声も聞き覚えのある声である。
おそるおそる顔を上げたわたしは、あんぐりと口を開けた。
「……蒼麗公主様、蒼花公主様?!」
そこに居たのは、見た目はそっくりの双子の姉妹。
とはいえ、似ているのは見た目だけ。
同じ容姿なのに驚くほど地味でのろまで平凡な印象しか抱けない姉と、天界の華と称されるほどの神々しい美しさと色香を持つ妹。
しかも、妹姫の凄さはそれだけではなく、目があった相手はほぼ確実に悩殺されて気絶し、彼女の歩いた後は悩殺されて気絶した者達が倒れ伏すばかりか、その姿を目にした瞬間どんなに彼女に悪意を持っていてもその虜となり、庇護欲がかき立てられるという。
確かに、妹の蒼花公主様は噂通りの方だ。
因みに、そんな蒼花公主様にはもう一つ噂がある。
それはごく身近な一部の者達だけが知る噂。
それすなわち
「お姉様、蒼花は頑張りましたから今日は一緒に寝ましょうね~!!」
「だぁぁ!!抱きつくなぁぁ!!」
双子の姉――蒼麗に対して妄執とも言えるほどのシスコン女王
それが蒼花公主様のもう一つの噂だった。