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虜囚の王太子妃


美しく気高い美神に見初められた人間の少女はその後幸せに暮らしました――


おとぎ話ならば最後はそう締めくくられるだろう


けれど、現実では人間の女の子は幸せどころか不幸のうちに生涯を終えました――



大根の悲しみが流れ込んでくる。

大根は不幸だった。


元は人間で、たまたま山貴神の気まぐれで拾われ、眷属にされ、側室にされた彼女。

しかしそれだけで終わらず、大根は山貴神の正妃の座に据えられた。


山貴神の気まぐれにも困った者だ。


だが、どれだけ山貴神の行いを認められなくても、誰も山貴神に直接言うことは出来ず、周囲の不満は大根に直接ぶつけられた。


なのに、山貴神はそれに気づこうともしない。

普段は他の女性と遊び回り、時折大根のもとを訪れては嫌みを言って帰っていく。

大根を正妃に据えたのは貴方ではないか。


大根が苦しんでいるのは、貴方の気まぐれのせいではないか。


どうして大根を正妃にしたの?


どうしてあのままで居させてくれなかったの?


こんな風に捨て置くぐらいならどうしてあの時……


あの時、わたしを正妃に望んだの?!


大根の心が重なる


悲しみと苦しみが……それでも愛しい人を愛し憎みきれない心が


どんなに憎んでも、最後にはやはり愛し許してしまう思いが


わたしと大根は一緒だ


まるで互いの心が溶け込むように


もうどちらの思いで涙を流しているのかさえ分からない


この涙はわたしの思い?それとも大根の思い?


捨て置いてくれれば良かったのに


見つけ出さないでくれれば良かったのに


そのままひっそりと居させてくれれば良かった


なのに……どうして手折ったのか?!


「どうして……どうして……」


わたしの口から漏れる言葉はいつしか悲鳴に変わる。


「どうしてそのままで居させてくれなかったのよぉぉぉ!!」


こんな風にわたしをボロボロにするぐらいなら、どうしてそっとしておいてくれなかったのか?!


そうすれば、わたしは貴方を愛している事さえ気づかずにすんだのに


涙で視界が歪む。

大根も泣いている。

山貴神の妻の座を狙う女性達の罵詈雑言や嫌がらせに耐えながら、影でひっそりと泣き続ける。


帰りたい


大根が呟く。


帰りたい


家族の元に


大根にはもう家族はいない。

けれど、それでも帰りたかった。

孤児になる前に住んでいた家で、ひっそりと暮らしたい。


既に人間界では百年近い時が流れ、もう麓の村には大根を知っている者は居ないだろう。


ならばもう帰ってもいいのではないか?


いや、たとえ村に戻れなくても、この神々の住まう場所から逃げ出したい


人として限りある時を生きたい


山貴神の眷属として永遠を貰ったが、そんなものはいらなかった。

なぜなら、大根にとっての永遠は、苦しみが永遠に続くという事だから。


永遠は良いことばかりではない。

苦しい事や不便なことがあれば、それもまた永遠に続くという事だ。


大根は永遠を呪った。


神である事を呪った。


でも、山貴神を憎むことは出来なかった


自分を助けてくれてた優しい人


たとえ気まぐれでも、大根の命を助けあらゆるものをくれた


ただ一つ――その心だけを除いて


ふと、大根の心に変化が生まれる。

今まで山貴神は気まぐれとはいえ沢山のものをくれた。

いや、山貴神だけではない。彼の命令を受けたという前提はあるものの、この宮の人達も大根を育ててくれた。


けれど、わたしはその人達に何かを返しただろうか?


大根は気づいた。

自分はまだ何も返していないのだと。


貰うだけ貰って何も返さずにいなくなるのは一番最低である。


だから大根は決意する。


今まで貰った分、働こうと。

働いて、いつか今まで貰った分を全て返しきれるぐらい働いたら……その時は、潔く此処を出て行こうと。


そうして大根は動き出す。

今まで何もしなかった分を取り戻すように、山貴神の正妃として努力し続けたのだ。


それから数年。

努力のかいもあり、少しずつ周囲が大根を認め出す。

あの時は山貴神の気まぐれに憤ったが、これほど元人間であった彼女が頑張るならば、元の出自がなんであれ正妃として認めてもいいのではないか――と。


だが……皆が認め出す中、ただ一つ――運命だけは違った。

ほどなく、彼女は最大の不幸に遭遇する。



皆がそろそろ世継ぎをと切望し出した時に判明した残酷なる事実。


大根は子供が産めない体だった――




目覚めた時、わたしの前には波景が居た。

だが、すぐに表に出ているのが波景に憑依した山貴神である事に気づいたのは、彼がわたしを大根と呼んだからだ。


「大根……」


先ほどまで居た山の中ではなく、どこかの建物の中らしい。

絢爛豪華な内装が酷く場違いに思えながら、部屋の中央にある寝台の上に押し倒されたわたしに山貴神が馬乗りになる。


「大根、会いたかった」


違う!わたしは大根ではない


けれど、山貴神は有無を言わさずわたしの唇を奪う。

違う、違うのだ。

わたしは大根ではない。


わたしは果那だ!!


「離してぇぇ!!」


波景に憑依する山貴神を突き飛ばし、わたしは寝台から逃げだそうとし、何かに引っ張られるようにしてシーツの上に突っ伏す。

驚いて振り返れば、足には鎖がつけられていた。


「な、何……これ……」

「言っただろう?ニガサナイって」


そう言って見せた笑みは恐ろしいほど艶麗であったが、わたしには恐怖しか感じられなかった。


「もうニガサナイ、大根。これからずっと一緒に暮らすんだ」

「ちが、私は大根じゃない!」

「ならば誰だと言うんだ?」

「わたしは果那、津国の王女です」


そう叫ぶも、山貴神はおかしそうに笑うだけだった。


「その気の強さも大根そのものだ。お前は大根だ。大根以外の何者でもない」


そう言うと、山貴神は指を鳴らす。

すると、どこからともなく現れた数人の女性達。

そこに見覚えのある者達の顔を見つけ、わたしは呆然とした。


「あ、あなたは……」


女性達をとりまとめるように一歩前に出た年老いた女性。

彼女こそ、山貴神が初めて大根を連れてきた時に託したあの侍女だった。


「お前の侍女達だ」

「じ……じょ?」

「そう。正妃であるお前が恙なく暮らせるように世話をしてくれる。そうだ、子供が産まれたら乳母も選ばなくてはな」

「乳母?」

「そうだ。別に全てを乳母に任せるわけではないぞ。お前は子供を自分の手で育てたがっていたからな。だから補佐的な役割をしてもらうだけだ」


この人は一体何を言っているのだろう?


わたしは大根ではないし、この子供は山貴神の子供でもない。

この子は、波景の。


「私の子供だ」


まるでわたしの考えを読んだかのように、山貴神がわたしを腕の檻に閉じ込めその耳元で囁く。


「そう……この子供さえ無事に産まれれば大丈夫」

「だい……じょうぶ?」

「そう……子供さえ……子供さえ産まれれば」


もう自分達を引き裂くものは何もない


静かな声なのに、そこには狂ったような歓喜が満ちあふれる。

山貴神は本心から子供を望んでいる。

まるで子供さえ産まれれば全てが上手く行くというかのように。



子供



そうだ、と私は大根の過去の最後に見た光景を思い出す。

必死に正妃としての仕事を頑張っていた大根。

けれど、彼女は正妃としての最大の仕事だけは行うことが出来なかった。


すなわち、山貴神の子供を、世継ぎを産めなかったのだ


そしてそれは、大根を更なる不幸のどん底へとたたき落とした


あの後、大根はどうしたのだろう?


必死になって頑張って、少しずつでも周囲から認められてきた矢先に、彼女は子供を産めない事が分かった。


正妃として最も大切な仕事をする事が出来ない。


けれどそれ以上に、大根は家族を望んでいた。

女として産まれた自分に許された子を産む特権を使い、彼女は新たな家族を欲していた。


たとえ山貴神に愛されなくても、山貴神との間に産まれる子を望んでいた。それは正妃としての地位を安泰にする為ではなく、ただ純粋に愛した人との子が欲しかったからだ。


子供さえ産まれればもう一人ではない


愛した人との子がいれば、自分は強く生きられる


たとえ……愛した人が自分を愛さなくても


離れて暮らす事になっても


けれど……そんなささやかな願いさえ、大根には過ぎた願いだと言うかのように叶うことはなかった。


あの後、大根はどうしたのだろう?


香奈のお父様の言葉が蘇る。


『大罪神……いや、『山貴神』いくら君が望んでも……もう大根オオネは戻ってこないんだよ?』


実をつける前に去った人はもう戻らない


そう……大根は去ったのだ。

山貴神の元を。



それに、あの光景――


わたしが山で意識を失う前、大根が走り去る光景が見えた。


大根は山貴神の元から去った。


子を産めない役立たずの妃は相応しくないとして、大根は神の世界から姿をくらましたのだ。


「大根……私の側に居てくれ」


波景に憑依した山貴神がわたしを抱きしめる。


「もう誰にも傷つけさせない。もう私はお前の側を離れない。だから……愛してる、大根」


ああ……貴方はようやくその思いに気づいたのね……


山貴神は大根が去った後にその思いに気づいたのだ。

けれど、どれだけ気づいてももはや大根は戻らなかった。


どれほど探しても彼女は見つからなかった


神の力を持ってしても


だから彼は……山貴神は狂った


そう……大根が居なくなり愛する人を失った事で、誉れ高き偉大なる山神の長は狂気に堕ちたのだ


その後の事はもはや考えるまでもない。

彼は史上最大の悪神の一人、大罪神にまで堕ち、多くの贄を食らう存在となった。


ああ……どうしてもっと早くに気づかなかったの?


もっと早くに気づいていれば、大根は逃げなかったのに


どうして……彼女を愛している事に気づかなかったの?


「ああ、今度こそ私達は一緒だ」


わたしはその言葉を、涙を流しながら聞く。


「泣かないで……大丈夫、もう誰にも邪魔をさせない。だから……早く完全に目覚めなければ」

「え?」

「沢山の贄を食わなければ」

「贄を……食う?」


誰が?山貴神が?でも山貴神は波景に――


わたしは恐ろしさに言葉を失った。

今の山貴神は波景に憑依している。となれば、その状態で贄を食らうという事は、すなわち波景が贄を食らうという事になる。


「やめてぇぇ!!」


波景にそんな事をさせないで


綺麗な波景


誰もが触れることをためらうほど美しく気高い


触れれば溶けて消える雪の結晶のように汚れ一つない波景に


そんな酷いことをさせないで


縋り付き必死に止めようとするわたしに、山貴神が優しく微笑む。


「私が完全に目覚めるには沢山の贄が必要だ。今度こそ、誰にも邪魔をさせない為に」

「違う、貴方は、今の貴方は波景に、わたしは大根じゃないっ」

「お前は大根だ。そして私は緑葉だ」

「りょく…は?」

「そう……お前に教えた、私の本当の名。山貴神は地位の名であり、私の名ではない。緑葉……そう、私の名前。お前だけに呼ぶことを許した名」

「それは……わたしじゃない……わたしは違う……」

「いや、お前が大根だ」


山貴神は笑った。


「破魔大根」

「え?」

「懐かしいと思っただろう?あの花を。そうさ……懐かしい筈だ。お前が見つけてお前がこの世に蘇らせた花だからな」


違う、大根が蘇らせたのだ。


「お前は最後まで破魔大根の世話をしていた……まるでこれは自分であるかのように……」

「…………」

「たとえどんなに沢山の植物があっても、お前は一番最初に破魔大根を見つける。そう……今回のように」

「今回?」

「見つけただろう?沢山の植物が咲き誇る中で、破魔大根を」

「…………」

「お前は大根だ。昔と同じように、お前は見つけた。そう……私の生まれ変わりが、真っ先に私が封じられている場所に来たように」


――え?


「私は憑依などしていない。お前が波景と呼ぶ相手は、私だ」

「……どういう事?」

「波景は、私の来世だ」


ワタシノライセ?


その言葉の意味が上手く飲み込めない。

ライセ?来世?


それって……


「あの時、封じられた魂は半分。残り半分は冥府へと旅だった。その残りが転生し、波景となった」

「てん……せい……」

「そう……冥府の川ではあらかた流されたようだが、全ては流し切れなかったようだ。そう……残っていたから、私の呼びかけに応えた」


この時代にやってきた彼は、迷わず魂の片割れが封印されている場所に赴き、そこで呼びかけに応えたと山貴神は言う。


「魂は戻った。後は力だけ」


力さえ戻ればもう何も怖いものはない


「今度こそ、誰にも邪魔はさせない」


私から大根奪っただけでは飽きたらず、この私を狂った神として葬った者達全てを殺してやる!!


部屋をふるわす怒声に、わたしは腹部を守るように身をすくませる。

そうして目を瞑り耳を塞ぐも、その声は聞こえてきた。


誰かの泣き声


ごめんなさい


ごめんなさい……緑葉……


ああ、この声


あの時も聞こえた


そうか……あの声は


わたしの中から聞こえてきたものだったのね――





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