記憶と王太子妃2
大根が泣いている。
大根が山貴神に体を奪われ眷属となった事はすぐに他の者達にも知られた。多くの者達は大根を眷属として受け入れたが、当然中には彼女の眷属入りを拒否する者達も居た。
主に、山貴神と過去に関係のあった者達やその親族だ。
彼らは大根に冷たく当たった。
時には嫌がらせをし、影である事ない事を噂し大根を貶めようとする。
一方、山貴神は大根のもとへ毎夜は通ってこない。
訪れない日は別の女性のもとへ通っていた。
それがまた他の女性達を増長させ、つけあがらせていた。
身分ある男性が複数の女性を囲うのは当然のこととする者達もいるが、だからといって愛しい存在が別の女性を大切にしているという事実に納得するのは容易なことではないだろう。
証拠に、大根は人知れず泣いていた。
誰かに本音を暴露すれば、多くを望みすぎだと言われる
だから一人で泣くしかなかった
果たして大根は多くを望んでいたのだろうか?
彼女が望んでいたのはただ一つ
山貴神の心だけ
疲れ果てた大根は、宮での煩わしさを嫌って少しずつ宮の外へと出るようになっていった
「大根様は何処にいかれたのだ?」
「部屋には居られないのか?」
「全く、何処に行ったのやら」
自分を捜す者達がため息をつく中、大根は今日も一人で山頂の宮を抜け出す。
少し行くと、茂みから一頭の熊が姿をみせた。
『大根様』
「キンム・カムイ」
彼もまた神だった。
もとは山に住まう熊であり、永き時を生きて神となった存在である。
この山では長老的存在の一人であり、彼は大根を見て微笑む。
山貴神の妃の座を望む姫君達に虐められ大根が一人泣いていた時に、それを心配して様子を見に来てくれたのが出会いのきっかけだった。
また、大根が一人で宮を抜け出すようになってからもこうして共をしてくれるようになっていた。
『またあそこに行かれるのですか?』
「ええ」
ならばお乗り下さいとキンム・カムイが大根に言うと、よっこいしょとその背に乗る。
『しっかりと捕まっていて下さい』
キンム・カムイが大根を乗せたまま茂みへと姿を消す。
と同時に場面が変わり、わたしは見覚えのある花が咲き誇る場所にいた。
木々が開けた場所であるそこは、およそ山の中とは思えないところだった。
日当たりもよく、水はけもよいそこには白い花が咲き誇っている。
その花を見てわたしは驚いた。
なぜならそれは、あの破魔大根だったからだ。
花だけではなく、実をつけているものもある。
「前よりも数が増えましたね」
『大根様のおかげでしょう』
「そんな事ないわ。山貴神様のお力のおかげよ」
山にみなぎる力が山の植物達を豊かに実らせる。
そう呟く大根に、キンム・カムイが首を横に振った。
『確かに力は必要です。力の枯れた土地では植物は成長しません。ですがこの植物のような、特殊な場所にしか生えないものは、それを育てようとする者の強い意志が必要なのです』
「買いかぶりすぎです」
『大根様は謙虚すぎます』
キンム・カムイの言葉に大根が照れたように頬を染めた。
『それにしても見事なものですな……しかも、この植物は太古の昔に滅んだものだというのに』
「そうね……もの凄い奇跡ね」
『種を見つけられたのもそうですが、ここまで成長させるとは本当に素晴らしい』
大根が破魔大根の種と出会ったのは、キンム・カムイと出会ってから少し経った頃だ。
まるで小石のような種は、宮の宝物庫の片隅に捨てられるようにして転がっていた。
もはや実ることのないただの化石の種だと言う山貴神の言葉を余所にそれをもらい受け、大根はそれを育てることにした。
もともと、まだ村で人として暮らしてきた時には畑で作物を育ててきた事もあり、何かを育てるという事は好きだった。
それに、何か別のことに意識を向けることで山貴神や自分を罵倒する者達から逃れたかったのかもしれない。
その時に、たまたま見つけた種に何か心惹かれるようなものを感じ、大根はその種をまき育てたのだ。
そして種は見事な花を咲かせ実を実らせた。
それは古代に滅んだ植物であり、その事実を知った宮の者達は誰もが驚き呆然とした。
同時に、その植物を蘇らせた大根を賛美する声が上がる。
と同時に、大根は神となった事でどんな種でも植えれば育つという能力を身につけていた事が知れ渡った。
それは『実り』の力。
山にとっては無くてはならない力であり、流石は山貴神の眷属だと誰もが称えた。
おかげで、大根は太古に滅んだいくつかの植物の種も与えられ、それを育てる事を任されたのだった。
そうして蘇らせるように育てた植物は数百に及ぶ。
だが、やはり自分で見つけて育てた植物が一番気になるのか、大根はこの場所に一番足を運んでいた。
風に揺れる破魔大根達が、まるで大根を出迎えるように風に揺れる。
大根が一番最初に育てた植物は、破魔大根と呼ばれていた。
理由は、発見し育てた大根の名を取り入れたのと、またその植物が邪悪なる力にる眠りを打ち砕く力を持っていたからだ。
そう――それが後のわたし達の生きる世界でも名だけは受け継がれている。
ふと、大根が破魔大根の咲き乱れる奥に流れる川を見つめた。
「あの川は……」
『この山の山頂から流れているものです。麓まで続いています』
そこまで言って、キンム・カムイはしまったという表情をした。
大根は麓の村出身の元人間。しかも、大根はその村のために生け贄にされた身だ。聞かされて嬉しい話ではないだろう。
だが、大根は嫌な顔はしなかった。
『大根様?』
ただ静かに川を見つめる大根にキンム・カムイが恐る恐る声をかける。
『その、もう戻り』
「此処に居たのか」
『っ?!山貴神様』
その声にわたしが振り返ると、山貴神が木によりかかるようにして立っていた。
「姿が見えないと思えば……」
「山貴神様」
「他の者達が心配している。帰るぞ」
そう言うと、山貴神は大根の腕を掴みそのまま宮へと引きずっていった。
それから大根はあまり宮から出して貰えなくなった。
大根の立場もまた変わっていった。
山貴神のお手つきから、正式な側室となっていた。
山貴神にはいまだ正室はおらず、また側室の地位にいる者もいなかった為、大根の側室入りは大変な騒ぎとなった。
喜ぶ者、悔しがる者、楽しむ者、怒る者と実に様々だったが、山貴神の命に逆らえる者は居ない。
また山貴神は大根が側に居なければ疳積を起こす為、大根は常に自室にいるように求められた。
自由を奪われた小鳥。
美しく気高く勇猛ながらも、何処か子供っぽくて一度疳積を起こせば誰も手がつけられなくなる。
山に共をもたらし多くの命を育む神でありながら、同時に死をもたらす山貴神を怒らせないようにと、多くの者達が大根に忠告した。
お前は恵まれている
その恵みは全て山貴神から貰ったものだと
だから、お前は山貴神様の心が安らぐようにしなければならないと
だが大根が拒もうどうしようと、山貴神は自分の思いどおりにした
怖くて泣きじゃくる大根を押し倒し、その身を貪る
その光景が、香奈達のところに来るまでにわたしの身に降りかかったものと同じで
わたしは思わず目を閉じ耳をふさいだ
「正妃……様ですか?」
大根の呆然とした声に、わたしは目を開けた。
「そうですよ。天界のとある名家の姫君で、うちの若様とはまさにお似合いですわ!!」
嬉しそうに言う侍女。
その隣で、他の侍女が慌てて口をふさごうとする。
だが、今更一度口から出た言葉が戻るわけでもない。
それは大根には分かっていた事だった。
元人間である側室が一人いるのみで正室のいない山貴神がいつまでもこのままでいられるわけがない。
寧ろ、これほどの条件の整った男が今まで独り身で居られた事がまれなのだ。
誰もが、娘の婿にと彼を望む。
そうして天界からもたらされた縁談。
神々の住まう楽園からの、願ってもみない光栄なる話に宮は沸き立った。
だが、山貴神はその話を断る。
「妻ならもう居る。大根でいい」
そうして、山貴神は天界の姫を断り元人間である大根を正妃へと据えてしまったのだった。