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死者と王太子妃


嵐の中、急斜面を滑るように駆け下りる。

人間であれば、二度と登ってこられないような場所もなんのその。

神であるわたしの身体機能は、神としては落ちこぼれているとはいえ、


一応人間の数百倍は軽くある。

そんなわたしにとっては、再びこの急斜面を登れと言われても難なく登る事は可能だろう。


もちろん、体の頑丈さだって人間とは違う。

人間界であれば、高層ビルから落ちたって、火に巻かれたって、滝壺に落ちたって死ぬどころか傷一つつかないのだから。


そうして、わたしは人間なら全身複雑骨折ものの崖を軽やかに飛び降りた。

普通であれば、あんな高さから着地すれば確実に足の骨はやられるだろうが、わたしにとっては一センチの段差を飛び降りたような衝撃しか感じられない。


神って便利だな~


今ほど神である事を感謝した時はないだろう。


そうして、藪の中を突っ切りハイマツを駆け抜けわたしは斜面を降り続ける。

ここには既に登山道はない。

が、この先にいる登山客はこの場所を降りていったのだろう。

人家も何もない山の中へと。



「確実に迷ったとみるべきでしょうか」



たぶん何処かでルートを間違えたのだろう。

しかし、それでもその登山客は来た道を戻らなかった。

それが遭難の恐ろしいところだ。

前の登山客の踏み後が消えたという事は、そのルートは間違っているという事だ。

それが分かればすぐに来た道を引き返せばいい。

しかし人間の心理というものは不思議なもので、戻るよりも進んでしまう。

このまま下っていればどこかに降りられるだろうと。

だがそれは完全な間違いだと、お母様が言っていた。

元来た道を戻り稜線に出れば、登山道を見つけられる可能性がある。

一方、下り続けて山奥に入れば登山道を見つける可能性は限りなく低くなってしまう。

よく、下り続けていたら崖にぶちあたった、滝壺だったという話を聞く。

また、下るのは簡単だったが、逆に戻るために登ろうとすれば足が滑って登れなくなったという話も聞く。



今私が駆け下りている場所は、確実に登ろうとした時に登れなくなるタイプの道だろう。

となれば、その登山客もきっと道の間違いに気づいたが、もはや戻れなくなってしまったというところか。


まさか、今の今まで自分が遭難していない事に気づいてはいないだろう……。



「昔を思い出しますね」



物心つく前から、母につれられて山に登った。

普通なら幼子を、しかも王女を連れて王妃が山登りなどとんでもないが、田舎出身の母はそのとんでもない事をよくやっていた。

山に登り、山のすばらしさと山の恐ろしさを教えてくれた。

山での生活の仕方も、山で食べられる植物、食べられない植物全てを叩き込まれた。


おかげで、十を過ぎる頃には一人で山に入る事が出来、よく果凜と二人で山をかけずり回った。


しかも、小さい頃からそうやって鍛えられていたせいか、地図が無くても自分の居る場所や方向が分かるという特技が知らず身についていた。

でなければ、いくらわたしでもこうして地図無しで山をかけずり回るなどという自殺行為には及ばない。


そんな事を考えているうちに、藪を抜け出た。

そこは広い広い原っぱだった。

但し、斜面はいまだに続いているが。


ふと、向こうに人影が見える。


登山客か?


わたしは斜面を滑り降り、人影に駆け寄る。

あの装備はやはり登山客だろう。

他に周囲に人は居らず、たぶんあの登山客が怪我をしたまま動けず遭難してしまった本人だろう。



その登山客が、こちらを振り返る。

突然のことに、わたしは思わず足を止め、十メートルほど離れたところから互いに見つめ合う。


と、登山客が動いた。


「あ、あ」


が、すぐにその場に倒れ込む。

どうやら足が立たないようだ。

慌てて駆け寄ればすぐに理由はわかった。

足の骨が折れているのだ。

これは連れて帰るのも一苦労だろう。


「大丈夫ですか?」

「……………っ」


登山客は女性だった。

と、突然わたしにしがみつく。


「……けて…助けて助けて助けてっ」

「もう大丈夫ですよ」

「お願い、わたしを早くここから助けてぇぇ!!」


絶叫ともいえる叫びと共に、女性がわたしにしがみつく力が増した。


「落ち着いて下さい、すぐに助けますから」

「いや、いや、いやぁぁ!!あいつが、あいつが来るっ」

「あいつ?」


あいつとは誰か他にもいるのだろうか?


それとも、山の獣?


「よ、夜の度にあいつが、あいつがわたしを呼ぶの!!」

「え?」


夜の度……って、この人はいつから此処に居るのだろうか?


「あの、夜の度って……いつから此処に居るんですか?」

「わ、わからない……でも、ここで怪我をしてから今回で四回目の夜なの」


四回目……と言うことは、少なくとも四日はここにいるという事か。


「しょ、食料とかは余分に持ってきてたけど……でも、足を怪我して……どんどん降りてきたら此処に来て……戻ろうとしても戻れなくて……足を滑らせて落ちて…」


足を滑らせた事で怪我をしたという事か……


「助けを求めようにも誰も居なくて……誰かが通りかかるのをずっとここで待ってたの……そしたら、ここについた日の夜から聞こえてきたの……お~いって」


自分を呼ぶ、男の人の声が――


そう告げる女性に、わたしは眉をひそめた。

普通ならば登山客とも思えるが、女性の様子からすればそれはまずあり得ない。


「最初は凄く遠くから聞こえたわ。お~い、お~い、どこだ~って……でも、次の日にも聞こえて……今度は最初よりも声が近くから聞こえてきたわ」


そして昨夜、その声は更に近くから聞こえたという。

それこそ、五十メートル以内からと思われる場所から。



五十メートル以内……わたしは辺りを見回した。

この原っぱはどう見ても、わたし達の居る場所から半径百メートルはあ


るだろう。

だが、声は聞こえても姿は見えない、しかも夜だけに聞こえてその声は


どんどん近づいている。


明らかにおかしい


わたしの中で一つの確信が生まれる


確実に、その声の主は生きた人間ではない


「ひぃぃぃっ!!」


女性が悲鳴をあげた。


「今も、今も聞こえる!!それも凄く近くからっ!!もの凄い勢いで迫ってくる!!」


そう女性が叫んだ時だった。



ミーツケタ



背後から、その声は聞こえてきた。

禍々しい気配とともに。


わたしは後ろを振り返り、相手を見た。


「おやおや~、獲物は二人だね~」


それは、登山家の格好をした男の人だった。

だが、わたしの本能がこの男が普通の人間ではない事を告げている。


「ははは、久しぶりの獲物だ。しかもどちらも女。これは食い応えがあるな~」


そう男がケラケラと笑い出した瞬間、男の顔が崩れる。

女性が悲鳴を上げる中、わたしはそれを静かに見ていた。


顔半分の肉がそげ落ち、骨が露出した。

立派だった登山服はあちこちが破れ肌を露わにする。

だが、その肌も先ほどまでのような瑞々しい肌ではなく、あちこちが血


だらけとなり、全身の肉が不乱した状態となっている。


正しく生きた屍


ゾンビ……という言葉が一番似合うだろう


「醜いだろう?そりゃそうさ……俺が死んだ時の姿だからな」


男はケラケラと笑った。


「俺もそうだった。単独で山に登り、途中で道に迷い足を滑らせて崖から落ちた。けど、それでも俺は生きていたんだ。体中の骨が折れても生きていたんだ。必死に助けを待って……でも誰も来てくれなかった。そうして俺は死んでいった。崖から落ちて何日目に死んだのかも覚えてないけどな」


男の顔が憎悪に歪む。


「けど、そんなの納得できるわけないだろう?俺はまだ若かった、沢山の未来があった。大学に入ったばかりで、恋人もいて、まだまだやりたい事だってたくさんあった。なのにどうして俺だけが死ななければならない?どうして俺だけがこんな死に方をしなければならない?理不尽だ、許せない」


憎悪にそまった呪いの言葉が次々と吐かれる。

この男の人は、自分の死を納得していないのだと気づく。

当然だ。まだまだやりたい事だってたくさんあっただろう。

なのに山で一人寂しく死んでいくなど、普通なら納得できない。


その思いが、彼を死んだ後もこのような形で存在させているのだろうか?


「許せないよな、あり得ないよな!!だから俺は願った。もう一度生きたいって……死にたくないってな!!そうしたら声が聞こえたんだ」

「声?」

「ああ、百人の人間を食らえば生き返らせてやるって」

「な?!」

「既に九十八人食ったから後は二人だ。その栄誉ある二人にお前らをしてやるよっ!!」

「ふざけないで下さい!!」


彼は悪魔と契約したのだ。

それも、最悪な条件をつきつける悪魔と。


ふと、わたしの中でその悪魔が大罪神ではないのかという考えが浮かぶ。


「煩い!!俺は死にたくない、生きたい!!生きて家に帰りたいんだっ!!」

「それは無理です!!どんなに人の命を食らおうと貴方は生き返れないっ!!」

「なんだと?!」


馬鹿なことを言うなと言うように男がわたしを睨む。


「どんなに生き返りたくても、人の命を食らって復活するなんて許されない。それに、貴方は既に間違いを犯している」

「間違いだと?」

「そう……悪魔と契約を交わした事です。たとえ、生き返ることが出来たとしても、そのまま何事もなく暮らすことなんて出来ないと思います。なぜなら、契約には代償が必要だから」


相手が悪魔か、それとも大罪神か、はたまた全く違う神か……


だが、とにかくこれだけは言える


「貴方が誰と契約を交わしたのかは分かりません。でも……」


相手の魂に絡みつく鎖を見てしまったわたしは、その事実を告げた


「その願いが叶う代償は、貴方の魂です……」

「……なんだと?」

「願いが叶い生き返った瞬間、貴方の魂は相手のものになります。たぶん、生き返ってもすぐに死んでしまうと思います」


男の顔が絶望に歪む。

今まで生き返ることだけを望み、その為に沢山の命を奪い続けてきたのに、願いが叶った瞬間に死んでしまうなんて……到底受け入れられないだろう。


「そんな……そんな……こと……」


男が叫ぶ。


「認められるかぁぁぁっ!!」


叫んだ瞬間、男が襲いかかってくる。

それを間一髪で女性を抱きしめ横によける。


「くそぉぉ!!死んで、死んでたまるかぁぁ!!寄越せ、食らわせろ、俺に食わせろぉぉ!!」


半分しか残っていない唇から出てくる禍々しい叫びに女性が悲鳴を上げる。


「逃げますよ!!」


女性を背中に背負い、わたしは走り出した。

だが、元来た道を駆け上がろうとすれば男が先回りをする。

それを避けようとしたわたしに男が攻撃してくる。


「ヨコセェェェェっ!!」


あまりの恐怖に背中の女性が暴れる。

その衝撃で、体勢が崩れた。


「きゃぁぁぁぁぁっ!!」


わたしは女性を胸に抱き、そのまま斜面を転がり落ちる。

何とか女性にダメージが行かないように、ひたすら女性を守るように抱きしめた。


どれだけ転がり続けたのだろうか?


気づけば、辺りの景色は一変していた。

辺りは木々に覆われ、湿っぽい匂いが漂う。


ふと、その中に水の匂いが混じっているような気がしたが、確認している暇はなかった。


遠くから、男の声が響く。



「ドコダァァァ!!」



枯れ木を踏み折る音が聞こえ、足音は次第に近づいてくる。

女性を胸に抱き立ち上がろうとするが、わたしも足をくじいたのか立ち上がることが出来なかった。


そうするうちに、男が私達の前に立ちふさがる。


既に血走った眼に理性はない。

口から伸びる舌を伝う唾液に、わたしは女性を強く抱きしめる。

女性は既に気を失っておりピクリともしない。

それは女性にとっては幸いとも言えよう。


クワセロ


男が私達を見てニタリと笑う。


もはや、男にとっては目の前の獲物を食らうことしかないのだろう。

たとえ、わたし達を食べても生き返る事など無理だというのに……。


生き返りたいのに、結局は死ぬために他者を食らう男に、わたしは悲しみを覚えた。


と、男が叫ぶ。


コレデオレハイキカエルコトガデキル


その中に、家族に会いたいという思いをかぎ取ったわたしは、男が襲いかかっても動けなかった。


それでもせめて女性だけを守ろうと抱き寄せ目をつぶる。

が、その時お腹が蹴られるような衝撃を感じた。


赤ちゃん


そうだ、わたしにはもう一つ守るべきものがいる。

それはわたしが死んでしまえば共に死んでしまう大切な命。



死なせられない


守らなければならない


相手が生きたいと願うのと同じぐらい、わたしはこの子を産みたい


死にたくない


わたしの中に生への渇望が生まれる


そうして、生きるために戦うべく目を開けた時だった。


わたしに襲いかかった男が見えた。

が、その体にはいくつもの触手のようなものが絡んでいる。

その触手は……自ら出来ていた。


「……あ……」


触手は全てわたしの背後から伸びているようだった。

と、男が悲鳴を上げる。


「ギャァァァァァァァ!!」


子供の腕の太さぐらいの触手が何本も体を貫く苦痛は、死者とはいえ想像を絶するモノがあるのだろう。

しかも、その触手が勢いよく抜かれたかと思うと、男の体を締め上げる。


「な、何が……」


「まったく……このようなゲスに先を越されるとはね」


心臓が口から飛び出すのではないかという驚愕がわたしを襲う。


その聞き覚えのある声と共に、背後からこちらに近づく足音にわたしは身を震わせた。


まさか


まさか


「よくも人の妻に汚い手で触れて下さいましたね?」


油を差し忘れたロボットのような動きで後ろを振り向き、わたしは固まった。


後ろにはたっぷり水をたたえる大きな池がある。

それは、あのロープウェイから見た水場の一つ。



その中央に、水面の上に浮かぶようにして佇む青年が一人。



長い白髪を頭の上で一本にまとめ、簡素な服に身を包みつつも、全身からにじみ出る高貴さと威厳、そして匂い立つような色香は隠しようもない。


そしてその神秘的な美貌


もはやこの世の物とは思えない


美形が多いとされる神族の中でも珍しいほどの清楚ささえ称える美しさはもはや凶器といってもいい


あれほど絶叫していた男ですら、その美貌を見た瞬間から体の痛みすら忘れて呆然と見つめている


ああ……やはりその美しさには誰も敵わないのだ


そんな美しいあの人だからこそ、女性はこぞってその側に侍ようとする


でも……どうして?


どうしてあの人が此処に居るの?


呆然と見つめるわたしに、彼――波景は笑った。


「迎えに来ましたよ――果那」


そう言って差し出される右手


でも……どうして?


何故その左手に、血に濡れた刀を持っているの?


どうして……


全身が血まみれなのに笑っているの?


「邪魔者の大半は片付けてきましたからね……まだ一部残ってますが……それもすぐに片付けますよ」


邪魔者って何?


一体何が


わたしの居ない間に、波景の身に何が起きたというの?


恐怖さえ覚える微笑みが、わたしを捕らえて離さなかった。




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