冥界の皇子と王太子妃
「って事だから、お父さん、お母さん」
ごく簡潔に、いや、簡潔すぎるほどの説明をした後、わたしを家に置くと言い切った香奈に、わたしは開いた口がふさがらなかった。
もちろん、それはご両親も一緒だったようで……
「とりあえず、香奈。お父さん達はこの人とお話があるから、先に部屋に戻ってなさい」
詳しい説明を聞くべく、香奈はご両親によって部屋に追い立てられた。
そうして残されたわたしは、ご両親の前で落ち着き無く視線をさまよわせるも、そもそも顔を上げられなかった。
はっきりいってわたしは不審人物以外の何者でもないだろう。
突然現れて連れてきた知らない相手を軽々と家に上げるほど不用心ではないだろう。
きっと困っているはずだ。
香奈は居ても良いと言ってくれたが、それに甘えて居座るわけにはいかない。
「あ、あの」
ここは人間界。
見知らぬ世界で行く場所なんてないが、とにかくここに迷惑はかけられないと口を開いた時だった。
「君、神だよね?」
「っ?!」
突然の言葉に、わたしは驚愕のあまり目を見開いて相手を見た。
「ああ、やっぱり」
「冥界の方なの?」
「いや、この神気は天界の方だ」
渦巻き眼鏡をキラリと光らせ断言する夫に、妻がのんびりと納得するように頷いた。
「しかも、この時代の神じゃないな……時空を超えた名残がある」
「え?え?」
「過去のものではない……となると、ああ、未来からだな。これは珍しいお客さんだ」
「あ、あの」
「ん?どうしてそんな事まで知ってるかって?僕はこう見えても」
「うちの旦那も神だから」
「酷いよ奥さん!先に言うなんてっ」
「か、神?!」
「冥界の方の神様なんだけどね」
冥界――死者達の向かう世界であり、どの世界に居ようと死ねばこの世界に向かう。そして永い時をかけて魂を休め次の生を待つ世界である。
「うちの人、こう見えても冥界の帝の息子なのよね」
その言葉に、あんぐりと口を開けた。
あの、冥界大帝の子息?!
「あ、でもでも末弟だから王位継承権は無きに等しいんだけど」
「よく言うわよ。数多居る兄弟達の中で最も優秀で最も美しい天才公子だったくせに」
「そんなの関係ないし」
「……あの」
とりあえず、わたしはふと浮かんだ疑問を口にした。
「その、どうして冥界のご子息がここに?」
「妻の家に婿入りしたから」
簡潔な答えが返ってきた。
っていうか、冥界大帝の子息が婿入り?
しかも最も美しく秀でた天才公子と呼ばれる方が婿入り?!
「お、奥様の家は」
冥界大帝の家に匹敵する名家なのだろうか?
と、当の奥様がパタパタと手を顔の前で横にふる。
「いやいや、私は普通の人間よ」
「え?で、でも」
「驚くかもしれないけど、私は正真正銘の人間にすぎないわ」
「そして僕の奥さんだけどね」
にこにこと妻を抱きしめる冥界大帝の子息。
と、そんな彼が眼鏡を外した。
「だ、大丈夫?」
ハッと我に返れば、香奈のお母様がわたしを揺さぶっていた。
一体何が……あ、そうだ、確か香奈のお父様が眼鏡を外されて……と、視線をずらした先には、やはり立っていた。
思わず意識を飛ばしてしまうほど、美しく色香のある青年が。
到底子持ちとは思えないほどの匂い立つような色香と妖艶な美貌にわたしはまた意識を飛ばしかけた。
美しいという言葉では、到底表しきれない美貌がそこにはあった。
「馬鹿連理!なんてことするのよっ!」
「ただ眼鏡を外しただけだけど。清奈が煩く言うから眼鏡にしてるけど、こんなダサイのは僕の趣味じゃないんだけどね」
「仕方ないじゃない!あんたの容姿と色気はある意味凶器よりも恐ろしいんだからっ!それが嫌ならとっとと冥界に帰りなさい!」
「帰るなら、清奈と香奈をつれて帰るよ。僕の大切な奥さんと可愛い娘を残して帰れるわけがないだろう?」
「あ、あ、あああの」
「はっ!大丈夫?あの馬鹿は私がどうにかするから安心して」
「馬鹿とは酷いな~」
「……仲が宜しいんですね」
とりあえずそれだけ言うと、清奈と呼ばれた香奈のお母様は心底嫌そうに、逆に連理と呼ばれた香奈のお父様はにこにことしだした。
「ま、君は僕達に害をなすような存在じゃないから、此処に居ても構わないよ」
「え、えっと」
「私も構わないわ。好きなだけ居ていいわよ」
あまりにもあっけらかんとした言葉。
神という素性は見抜かれたが、それでも――
「わたし自身の素性は……どうしてここに来る事になったのか……聞かないんですか?」
「聞いた方がいい?」
「あ……」
「話したいなら話せばいいよ。でも、話したくないなら話さなくていい。別にそれで此処から追い出すとかはないからね」
「そうよ。何か事情はあるんだろうけど、別に構わないわ、トラブルなら慣れているからね」
「で、でも」
「いいんだよ。お姫様は王子様が来るのを待つのが基本だろうから」
香奈のお父様の言葉に、ドキンと心臓が飛び跳ねる。
その瞳がまるで全てを見抜いているかのようで、思わず視線をそらせてしまった。
「うちは貧乏だから、そうおもてなしは出来ないけど」
「あ、いえ、そんなおもてなしだなんて……」
「それでも、妊婦さんを飢えさせない程度には稼いでるから大丈夫」
え?
呆然と香奈のお父様を見れば、にこにことした笑みが向けられていた。
「神気が二つ分。それも、一つはお腹に宿ってるからね~」
「に、妊婦なの?!この子っ」
「うん、僕が見間違えるはずがないよ」
「……ご迷惑ですよね」
「いや……迷惑じゃないけど……もしかして、そのお腹の子が原因なの?」
「清奈」
「ご、ごめんなさいっ」
夫に窘められた香奈のお母様が慌てて謝罪する。
だが、わたしは首を横に振った。
「いえ、構いません。そうです……わたしはこの子を守りたくて……逃げたんですから」
逃げたという言葉に、清奈のお母様が眉をひそめる。
「そして……追っ手も来るかも知れません……いえ、きっと来ます」
ここは過去の世界だと言う。
つまり私の居た世界とは世界だけでなく時代も違う。
けれど、それでも私の中には追っ手が来るという予感があった。
そうなれば、この家族を巻き込んでしまう。
「……やっぱり、わたし此処を出て行きます」
「待って!」
香奈のお母様がわたしの腕を掴んだ。
「それなら、余計に出て行かせられないわ」
「でもっ」
「同じ子を持つ母としても絶対に認められない」
母という言葉に、わたしはハッとした。
「母……」
「そうよ。お腹の子を守る為という事は、その追っ手は子供を害するんでしょう?」
追っ手が子供を害する
その考えに、わたしは慌てて首を横に振った。
「いえ、それはないです!だってこの子は跡継ぎだからっ」
「え?」
しまったと思った時にはもう遅い。
そのまま、わたしは香奈のお母様にこれまでの経緯を白状させられてしまったのだった。
ってか……何も言わずに此処に居て良いよって言ってくれたのに……
そして全てを聞いた香奈のお母様は大きなため息をつかれた。
「……男っていうのは……本当に最悪なんだから」
「清奈、それって僕も含まれてる?」
「当然でしょう?数多居る婚約者候補達の嫌がらせの対象へと私を追いやったんだから、あんたは」
「僕のせいじゃないよ~。だって僕は清奈しかいらないって言ったんだから」
「そのせいでたかが人間でしかない私は死ぬほど虐められた挙げ句、毎回死ぬような目に遭わされてきたんじゃない!」
「あははははは!それをやった人達は全員葬ってあげたじゃん」
「しかも冥界大帝様や帝妃様が私を思って言って下さる助言は全て無視するし!」
「清奈を僕以外の男と結婚させようとして怒らないわけがないじゃん」
「普通の人間として幸せになれるチャンスを悉く潰したお前に言われたくないわぁぁ!くぅぅ!あの時、あの時にあんな事をしなければっ」
ギャンギャンと騒ぐ香奈のお母様に、わたしはついつい質問した。
「あの……お二人の出会いって」
人間と冥界大帝の子息が出会うなんてそうそうないだろう。
死後の世界――冥界ならばまだしも。
「それはもう愛溢れる運命の出会い」
「私が間違って召還したのが運の尽きよ」
正反対の答えを返された。
「間違って召還?」
とりあえず香奈のお母様の言葉を取った。
つまり、こういう事らしい。
ある事件で友人を助けるべく、香奈のお母様は実家に伝わる陣を使用したらしい。
香奈のお母様の実家は陣というものを操る霊能力一族の本家であり、香奈のお母様は微弱ながらもその力を引いていた。
本来は炎の陣が得意だが、それでは相手に歯が立たず、禁忌とされていた召還陣を使ったところ、なんと召還されてしまったのが香奈のお父様だったとか。
香奈のお父様が召還され、二人が出会った時、香奈のお母様は全力で思ったという。
色々と間違ったものを召還してしまった――と
それというのも、香奈のお父様は、どこぞの公爵夫人との情事直後の淫猥で淫靡かつ背徳的で怠惰という壮絶なまでの色香を放った――胸元が露わという状態だったそうだから――
「私に力さえあればぁぁ!」
「あははは~、無くて何よりだよ~」
全ては香奈のお父様を召還してしまったがゆえの不幸だと嘆く香奈のお母様に、わたしは言いようのない近親感を抱いてしまったのは内緒である。