朝の三十分
壊れそうな自分が、いつか報われるように
朝の駐車場。
誰もいない時間帯の白線は、ただそこにある。
軽トラの運転席。
エンジンを切る。
鍵が回り、
音が消えると、辺りは一段静かになる。
お気に入りのクッションを抱き、膝に古い膝掛けをかける。
あたたかさは足りない。
でも、十分だ。
ここでは何も決めなくていい。
誰の間違いも拾わなくていい。
責任を、
しがらみを、
絶望を、
三十分だけ置いていける。
寒さが来る。
はっきりしていて、わかりやすい。
寒いと思うことは悪いことだ。
思ううちは、まだ体がここにいる。
休日はうまく休めない。
廊下の隅にいると落ち着く日もある。
自分を雑に扱うと、音が遠くなるから。
それでも週末は、こたつに入る。
母がいるから、という理由は、
私にとって十分な理由だ。
年老いた母は言う。
これだけあれば、まだ大丈夫だと。
通帳は軽くて、数字も軽い。
会社では、私はちゃんとしている。
だから朝の三十分が必要だ。
狭い箱に身を収め、呼吸を数える。
住宅街が近いから、エンジンはかけない。
誰かを起こさないように。
誰にも起こされないように。
人間はめんどくさい。
私はそう思う。
全部決められた生活が、たまに羨ましい。
選ばなくていい日々。
判断しない朝。
たまによぎる。
母さえいなければ、という言葉が、頭によぎる。
私はそれを拾い上げない。
責めもしない。
疲労が口をきいただけだと。
今日のよかったことは、
先を譲った車が、ハザードを点けてくれたこと。
母のお古が回ってきて洗い替えができたこと。
小さすぎて、
叫び出したくなることがある。
ーーー駄目だ。
まだ、無には遠い。
三十分が終わる。
私はクッションを置き、ドアを開ける。
冷たい空気が、一度だけ頬を撫でる。
生きる理由は、今日は探さない。
決めない。
ただ、今日を終えるための形を選ぶ。
白線の上を歩きながら、
私は思う。
完全に何も感じられなくなるまで、
寒い、と言える自分でいよう。
今は、それで十分だ。
私は今どんな気持ちで読んでいますか。




