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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

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星を孕んださかなたち

作者: 雨宮 叶月
掲載日:2026/02/01

「生まれ変わったら何になりたい?」

 ふと、彼女にそう聞いたことがあった。

「星かなぁ」

 彼女は少し迷った素振りを見せたあと、そう答えた。

「星?」

「うん。私、もし次の人生があるなら、痛みも、苦しみも感じたくないの。それに、星って綺麗でしょう?たくさんの人の記憶に『美しいもの』として残る、それってとっても素敵だと思うの」

 毎回彼女はそう言って微笑む。私は気付いていないふりをして視線をそらす。

 この世界は、もうすぐ滅亡する。いや、正確には滅亡するといわれている。

 恐らくは、星によって。


 それがなんという名前だったのかは忘れた。人々は混乱に陥ってはいたけれど、そのときすでに私たちは出会っていて、なおかつ世界の滅亡なんてどうでもよかったのだ。ただ、二人で一緒にいられたらそれで良かった。

「梅」

 彼女が私の名前を呼ぶ。それはいつも、彼女が体を重ねたいという意思の表れだった。

 彼女の肌は白くて柔らかい。私はぞっとするほど冷たい手に触れながら、いつもと同じように彼女が夜の黒に押しつぶされないか不安になる。


「神様って、いると思う?」

 熱気に包まれた部屋。お湯が沸く音。

「さあ」私はとぼける。彼女と私の目が合った。

「神様はいないわ。たとえいたとしても、神様は私から目をそらした。私は、幼い頃から神様に強く願ってたの。はやくこの現実から救われますように、誰かが助けてくれますように、って。……私はこれからもずっと良いことをして、勉強も頑張るし、今の仕打ちからは耐えるから、って」

 私は彼女の手を強く握る。声が漏れた。

「……私は毎日泣いていた。別に構ってほしいわけでも、慰めてほしいわけでもない、ただ、その地獄から打開する方法を知りたかっただけだった」

 彼女の瞳が揺れた。

「でもね、梅のことは、とても綺麗だと思ったの」

 彼女はそれ以上何も言わなかった。それがどういう目的で発せられたのか、はたまた過去の自分と私を比較しているのかは分からなかった。

 空気が銀色に染まり、ふっと弾けた。

 彼女が目を閉じて眠っている間、私はベランダに出た。何もすることがなくて煙草を吸った。

 もう一度、ライターに火をつけた。そのまま空にかざして曖昧に息を吐く。赤と黒が対照的で、ああまるで私たちのようだと空っぽになった頭で思った。


『貴方の生きる理由には、私がなります』

 それが私の告白だったのかもしれない。

『じゃあ、私がこの世界を壊したいって願ったら、梅は一緒に壊してくれる?』

 私は何て返しただろうか。いや、恐らく肯定した。

『何もかも気が済むまで壊して、そのあと全部この理不尽な世界のせいにして、二人で終わりましょう』

 彼女は珍しく微笑んでいた。

『私、この世で一番好きな人間は梅よ』

 それが、彼女の答えだった。


 実際私たちはこの世界から逃げて、片隅でひっそりと息をしている。きっと、このまま二人で終わるのだろう。

 後ろで物音がする。私は振り返らずに言った。

「ねえ菊、一緒に海でも見に行こうよ」


 外に出たのは数時間後で、雨はまだ止んでいなかった。まだ何も食べていなかった私たちはまず腹を満たし、ぼんやりと手を繋いだ。そして、傘もささずに水たまりを蹴った。


「あ、水槽」

 最初に家を出た目的は海を見に行くことだったというのに、いつの間にか私たちはショッピングモールに来ていた。いつも行きつけの店。近々水族館がオープンするそうで、少しだけ展示が行われていた。

「綺麗だね」

 菊が軽く水槽を覗く。その数秒が、なぜか私に永遠を錯覚させた。

 横に小さくプレートが置いてあって、魚の名前や習性が書かれている。私は興味がなくて辺りを見つめる。

 展示名は『星を孕んださかなたち』だ。こんな世の中でそんな名前を付けるなんて正気でないと思ったが、意外と私は良いと思った。

「……この世界も、水槽みたいね」

「水槽?」

「空という硝子に囲まれて、もがいているから。私たちは沈んでいっているけれど」

 菊が振り返る。

 それと同時に、爆音が流れた。

「地下へ逃げろ!星が落ちてくるぞ!」

 わああ、と叫び声が遠くで聞こえる。最近はなかったのになあと思う。

 菊は動かなかった。まるで、そこだけ時が止まっているように、微動だにしなかった。

「菊」

 菊が小さな水槽を手に取った。私は驚いて、伸ばしかけた手を止めた。

「え……それ大丈夫なの?」

「だって、もっと広い景色を見せてあげたいから」

 菊は私の声を聞き流して歩き始めた。

「ついてきて。いい場所知ってるの」


 網のように入り組んだ道をぐるぐると歩いて、真っ赤に染まった空と対面した。雨はいつの間にか止んでいた。

「綺麗ね。」菊は水槽を足元に置き、くるくると指で水を揺らした。

「星の欠片って、どんなのだろうね」

「さあ。でも興味ないわ」菊は口元を緩めたまま目を伏せた。その瞳の陰りを、風でなびいた黒髪が隠していた。

 菊は屋上のフェンスにゆっくりと近付く。真っ赤な空と、淡い菊の後ろ姿は別世界のもののようだった。

 菊は、真っ直ぐ空に向けて人差し指を指した。

「星が落ちるまで、5秒前!」

 ご、よん、さん、に、いち、と思い浮かべる。

 目の前が白く光って、弾けた。

「知ってる?この世界は、美しく変わるの」

 菊は、崩壊した街を見つめて言った。

「星に飲み込まれて、ぐちゃぐちゃになって、弾けて、混ざって、そして私と貴方は手を繋ぐ。何もかも原型を留めなくなったころ、私たちはひとつになって、ひとつのガラスにレモンソーダとして満ちる。誰かに飲み込まれたあと、そこはまた新しい世界」

 菊は優しく笑った。

「ほら、レモンの匂い」

 崩壊世界は、レモンの後味。

 魚たちは、ゆらゆらと星に変わっていた。


 しゅわしゅわと木の葉が音を立てる。

 今度こそ、私たちは海に来ていた。特別な理由はない、ただの気まぐれだ。

 外には誰もいなかった。そして、再度雨が降り出した。

「冷たい」

 菊が水を両手ですくう。

 髪から滴る雫が落ちるその姿は、ただ雨が降る静寂に見惚れるほど似合っていた。

「潮と、雨と、レモンの匂い」

 靴を脱いで、私も菊のそばにしゃがむ。波の音が心地よくて、ぼんやりとしているだけでも無限の時間が流れていくようだった。

 気付けば、波打ち際の小石が足に刺さっていた。

 私は立ち上がり、むしろ一歩ずつ海の中へ入っていく。

「菊、海冷たいね」

 返ってきたのは静寂だった。波の音がやけに鮮明に響いている。

「菊?」

 私は菊に手を伸ばした。

「……あぁ、いや、梅はやっぱり綺麗だなぁって」

「何それ」

 私は思わず笑みがこぼれた。

「一緒に入ろう」

 菊が、氷のような指先を私の指先に重ねた。


 一度私は波に足をすくわれて転び、手を繋いでいた菊も私のほうに倒れた。びしょ濡れになっても笑いあう時間は、まるで世界に二人きりのような感覚で、いつまでもいつまでも続いて欲しいと思った。眠く優しくなるたびにレモンの匂いで覚醒する。

 オレンジに染まりきった太陽が私たちを照らすころ、菊は太陽がひとつになった私たちのようだと馬鹿なことを言って、でも地面まで真っ直ぐに伸びる、色がほんのりついているのかついていないのか曖昧な光が菊に溶けていて、口元をほころばせた。

「帰ろう」

 私は頷く。靴を持って、二人裸足のまま歩き出した。光が眩しい。

 瓦礫を踏んで少し背が高くなった私たちは、世界の頂点に立っていた。端から見ればおかしな女たち。でもそれでいい。私たちは女である。

 電車もバスも、空気も止まっていた。今はこんなに静かでも、3日経てばすぐに賑やかになる。人間は脆くて弱くて、光みたいで、簡単に失うくせに完全には壊れない。

 誰もいなくなったコンビニでレモンソーダを二つ手に取った。キャップを緩めるとぷしゅと音がして、私たちは新しい世界を作る。

「あはは」

 何も面白くはないが、笑う。なんとなく。灰と白と黒の世界。今星が落ちてきたら不完全のまま二人で終われる。

 私たちが家に戻るときには星はまだ落ちてこなくって、レモンソーダは炭酸が抜けていた。


 びしょ濡れだった私たちはまずシャワーを浴び、レモンソーダの残りを飲んだ。

 ぬるりとした汗と、あたたかい光。

 窓の外では、真っ赤な一番星が夜空を支配していた。


 夢を見た。

 私はぼんやりとしながらキッチンへと向かい、熱い紅茶をガラスにとくとくと注ぐ。猫舌な私は時間が経つのを待つ少しの間、夢の内容を思い出そうとする。しかし、やはり思い出すことはできない。

 ただ、純粋で美しくて、醜かった。菊が死んでしまった世界。あるいは、そうであったかもしれない現実。私は何をしたのだろう。もう二度と手に入ることのない幸せだった日々とか、いつか見た優しい物語のストーリーを思い出したあと、今自分が生きていることを改めて強く実感するような、そんな気持ちになる。

 角砂糖を1個紅茶に入れ、スプーンでくるくると回した。朝の光は大嫌い。そんな気まぐれを思って、すぐ忘れる。

 私が紅茶に口をつけたころ、菊が起きた気配がした。

「今日は何をする?」

 私は朝の挨拶もなしにそう聞く。

「オムライスが食べたい」

「了解。一緒にスーパー行こう」

 あたたかい部屋の中にいたいと言う菊に厚手の上着を着せて、外に出る。星が落ちてくると知ったときから、外の気温は下がった。おかげで、季節問わず息が白い。

「あ、見て。薔薇が1本落ちてる」

「本当だ」

 花束から落ちただけのような、圧倒的な美。これを選んだ人は、一体どんな気持ちだっただろう。風や騒動で落としただけか、それとも生きていた証か。この世界では、そんなことも判断できない。

「花言葉は……あなたしかいない。運命の出会い、だって」

「ふーん」

「まるで私たちみたいね」

 菊が薔薇を拾う。

「私たちが出会ったのも、こうして一緒にいるのも、今の私の気持ちも。全部、運命なんじゃないかって」

 薔薇が、口元に運ばれる。花びらが一枚舞った。

「はい。あげる」

 私は言われるがまま受け取った。誰かの愛で回っている地球。

「行こう」

「うん」

 私たちは歩き出した。なんにも変わっていないふりをして。

 スーパーについて私はまず、子供に薔薇をあげた。ありがとうと喜ぶ笑顔をあとに私たちはお手洗いに入り、誰に見せるわけでもない前髪を整えた。さっきのは浮気じゃないかと私を軽く睨む菊が可愛くて、黒髪にくちづけした。

 最初はオムライスの材料だけ買うつもりが、あれもこれもとカゴに入れてしまった。だって焼き鳥食べたかったんだもん。菊はバニラのクッキーをこっそりと入れていた。私見てたから。

 帰り道は二人で肩を寄せ合う。他愛無い話をして吹き出す、そんな馬鹿みたいな時間。時間はあっという間に過ぎる。世界が滅亡するまでのカウントダウンが。

 部屋に入り、袋から買ったものを出した。つんとしたレモンの匂い。崩壊の合図と日常が、曖昧に混ざり合う。

 爆音が流れた。こんなに間隔を空けず星の欠片が落ちてくることなんてなかったのに。

 私は手に握ったレモンを見つめる。そしてそのまま、口を開いた。

「菊、どうする?」

 菊は珍しく少し考えたあと、消えそうな笑顔を見せた。

「森に行きましょう」


 私たちは鞄に色々なものを詰め込んだ。タオル、レモンソーダ、読み終わっていない漫画、スマホ。鍵は部屋の中に置いてきた。なんでだろう。なんでだろうね。私たちは今をなんとなく生きている。でも、本当は悟っていたのかもしれない。

 私の手には、レモンがあった。


 外では、ちらほらと人々が逃げ回っていた。せいぜい頑張って生きてくださいね、と皮肉を心の中で呟く。

 まだ星の欠片は落ちない。落ちて欲しくない、と思うのはおかしいだろうか。

 私たちは森の中に入っていった。深い、深い場所まで。

「ここまで来たら、大丈夫なんじゃないかって思うの。」

「……どういう意味?」

 声が震える。私は今、きっと不安でたまらない顔をしているだろう。

「大丈夫。大丈夫よ、梅。私がいるから」

 私は菊に抱きしめられ、頭を撫でられた。私もその背中に手を回して、菊の名前を呼ぶ。

「……落ちる」

 反応しようとしたとき、温もりが遠くなった。視界が白く染まる。

 気が遠くなるような、レモンの匂い。

 ふわっ、と宙に浮かんだ。

「がはぁっ!うっ……ぐっ……」

 草が生い茂る地面にたたきつけられる。全身が痛くて、動けなかった。

 それよりも、自分のことよりも気になったのは菊のことだった。

 レモンの匂いが強くなる。吐き気を感じた。崩壊。その二文字しか、浮かばない。少なくとも、私にとっての世界は。

「菊……菊」

 私はふらふらと這う。

 返事はない。

 視界が明るさを帯びて、私は辺りを見回した。

「あ……あ……あああああ!」

 菊、菊、と何度も何度も名前を呼ぶ。

 菊は木にもたれかかっていた。でも、胸に枝が刺さっている。

 どくどくと流れる真っ赤な血を、持ってきたタオルで拭った。白に、じわじわと広がっていく。鮮明な光。

「なんで……なんでよ……」

「梅」

 菊が手を伸ばした。

「知ってる……?菊の花が落ちるのって、『舞う』っていうの。梅は『こぼれる』。私はこぼれた貴方をすくいあげて、一緒に舞うの。気が済むまで、ずっと二人で……」

「死なないよね?生きるよね!?ここなら、大丈夫って」

「梅」

 菊が、私の髪に軽くくちづけする。

「レモンソーダ、飲ませて」

 私はレモンソーダを口に含み、菊の唇にくちづけした。そして、そのまま流し込む。

 喉が動いた。

「梅、私楽しかったわ。生きていて、本当に、良いと思った」

 何度目だろうか、この終末は。

 どんな選択をしても、梅は死ぬ。でも、今回でもう終わりだ。

 星は落ちてくるから。

 目の前に歪な星の欠片が現われた。前回も、前々回も、そうだった。

 でも今は、光がない。

 私は記憶を口に含み、噛み砕いた。細かく細かく、まるでこの世界を壊すように。

 そしてもう一口、レモンソーダと共に菊の唇をはむ。荒い息。

 この行為に、意味があると思いたい。星で満ちた世界。それは一体、どんなに美しいだろう。

「私が星になったら、梅、必ず私を見つけてね」

 毎回、菊はそう言った。視界が滲む。

 ああ、私たちを失って、この世界に何の価値があるというのだ。

「菊」

 返事はない。

 相変わらず冷たい菊の手を握って、私はかつての愛にもたれかかる。しがみつく。

 愛の言葉だって、空中に消えた。

 目を瞑る。

 ああ星よ、はやく落ちてきてください。

 そして、私たちを壊して、二人で終わらせて。


 炸裂した花がこぼれ、静寂に花びらが舞った。










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