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第9章 荊棘の姫装――血と羞恥の儀式

血牲(けっせい)――。

心のどこかで予感していたとはいえ、民の間でささやかれていた「大公にまつわる黒い噂」が、まさか真実だったとは。

その瞬間、ロアは言葉を失った。

これほど広大な公国を支配する統治者が、実際には汚れた邪教徒と何ら変わらぬ行いをしているなど――信じたくなかった。

「……まさか、そんな」

表面上は驚きを装いながらも、胸の奥では冷たい絶望が広がっていく。

対するイランダニは、ゆっくりと身をかがめ、ロアの首筋に顔を寄せる。

彼の肌から漂う、ほのかに甘い香りを吸い込むたび、彼女の内側でうごめく「渇き」が疼いた。

「連れて行ってあげるわ。あの女が今どんな姿になっているか……見せてあげる」

「そうすれば、私が嘘をついていないってわかるはずよ」

囁きとともに、イランダニはロアの耳元に熱い息を吹きかけた。

くすぐったさにロアは思わず顔を背けるが、その顎を白い指先で掴まれ、動きを封じられる。

「……先に離れてくれないか」

不安が胸を満たす。

イランダニの淡紅色の瞳には、まるで心臓を握り潰すような、狂気に似た熱が宿っていた。

このまま自分は「ここで成敗される」のでは――そう錯覚するほどに。

しかし意外にも、イランダニは手を緩めた。

ゆるやかに立ち上がり、何事もなかったかのように服を整えるその所作は、貴族の優雅さそのものだった。

「どう? 一緒に大公に謁見しに行かない? 信じて。あなたが想像しているのとは少し違うと思うわ」

柔らかな誘い。

けれど、ロアの心は晴れなかった。

――狂っていると言っていた相手に、どうやって会うつもりなんだ?

ロアの疑念を見透かしたように、イランダニの唇に艶やかな笑みが浮かぶ。

「遠くから見るだけでも、きっとわかるわ」

それでもロアは布団にくるまったまま、動かなかった。

その様子を見たイランダニが、わざとらしく肩をすくめる。

「どうしたの? 見に行きたくないの?」

挑発めいた声。

布団の下で裸のロアは、顔を真っ赤にしながら唇を噛んだ。

動けるはずがない――。

「……まず、服を貸してくれ!」

耐えきれずに叫ぶ。

布団を握りしめる指が震えた。

前世で男だった時でも、女性の前で裸を晒したことは一度もない。

ましてや今、この“男女が逆転した世界”で長く生きてきたロアにとって、それは死ぬほどの屈辱だった。

イランダニは、まるでその言葉を待っていたかのように、背後から一着の服を取り出した。

白を基調に、血のような深紅の荊棘(いばら)が刺繍された礼服。

ロアはその精緻な意匠に思わず見とれ、好奇心から手に取った。

だが、広げてみてすぐに違和感を覚える。

「……スカート?」

「当然でしょ? ここは私の部屋。男性用なんて置いてないわ。これは私が子どもの頃に着ていた服なの」

イランダニはにこやかに答えた。

ロアはそれを受け取ろうと手を伸ばしたが、イランダニはくすりと笑い、服を引っ込めた。

「着方がわからないのね? なら、私が手伝ってあげる」

その瞬間――イランダニの瞳が妖しく光った。

ロアが思考する間もなく、布団を掴まれ、一気に引き剥がされる。

「やっ……!」

抵抗する間もなく、体が軽々と押さえつけられる。

ロアは観念し、目を閉じた。

せめて早く終わってくれと願いながら――。

やがて、彼の細い腕に柔らかな布が通されていく。

イランダニの指先が肌を滑るたび、背筋がぞくりと震えた。

羞恥と恐怖とが入り混じり、頭の中が真っ白になる。

――死にたい。

着付けが終わる頃、ロアは魂が抜け落ちたように虚ろだった。

イランダニに支えられ、全身鏡の前へと立たされる。

そして――見た。

鏡の中に立っていたのは、自分ではない「少女」だった。

白い上衣は彼の華奢な体を完璧に包み、襟元の深紅の刺繍が鎖骨を際立たせる。

裾には純白のスカート。

さらに、イランダニがどこからともなく取り出した白いストッキングを履かされ――。

「……終わった」

ロアは両手で顔を覆った。

これでもう、元には戻れない。

それでも、鏡に映る“彼女”は息をのむほど美しかった。

完璧で、無垢で、どこか神聖ですらある。

思わず口をついて出た言葉――

「……俺、マジで可愛いな……」

イランダニの唇が満足げに歪む。

「そう。こんなに可愛いのに、あの女に壊されるのはもったいないわね……」

その声には、いつもの冷たさとは違う熱が混じっていた。

鏡の中で並ぶ二人――まるで姉妹のよう。

姉は奔放で妖艶、妹は純粋で恥じらいを帯びた聖花のよう。

ロアの肩が小刻みに震えたとき、イランダニの瞳に閃く一筋の光。

「もし彼が生き残ったら――」

荊棘宮(いばらきゅう)で飼ってやろう。きっと、なかなか良い玩物(がんぶつ)になるわ……」

その声音は甘く、しかし地獄のように冷たかった。

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