第1章 転生したら女尊世界の“献上用美少年”だった
――絹のシーツの感触。
ロアは、自分が柔らかなベッドに横たわっていることに気づき、目を開けた瞬間、呆然とした。
……ここは、どこだ?
最後の記憶は、家に帰る途中。
制御を失った大型トラックが、小さな女の子のペアへと突っ込んでいく――そんな地獄の光景だった。
考えるよりも先に、体が動いた。
走り出し、少女の手を掴んで横に引き寄せた。
その瞬間、トラックは横転。
目の前で、巨大な鉄の塊が倒れ込んでくる。
意識を失う直前、ロアは――確かに、少女を突き飛ばしたはずだ。
「自分は助からないだろう。でも、せめてあの子だけでも――」
そう思ったところで、視界は闇に沈んだ。
「……まさか、生きてるのか?」
こめかみを揉みながら、ロアはベッドから上体を起こす。
目の前に広がるのは、見たこともない部屋。
中世ヨーロッパ風の装飾。
銅鏡を備えた古風な化粧台。
木製のテーブルには精巧な瓶がずらりと並び、空気にはほのかに薫香が漂っている。
まるで、夢の中に迷い込んだみたいだった。
「……裕福な家の人に助けられたのか?」
手足を動かしてみる。痛みも傷もない。
ほっとしたのも束の間――違和感が走る。
自分の手が、やけに柔らかく、白い。
顔に触れると、滑らかな肌の感触。
そして――立ち上がった瞬間、腰まで届く青い髪がさらりと揺れた。
「……は?」
思わず自分の下を確認して、ロアは安堵した。
「いや、あるな……よし。ギリセーフ」
……いや、セーフじゃないだろこれ。
「まさか、異世界転移……? いやいや、そんな馬鹿な」
ベッドから降りると、足に力が入らず、めまいが襲う。
「この体……虚弱すぎる……!」
信じたくはなかったが、心のどこかで理解していた。
――自分は、異世界に来てしまったのだと。
ふらつきながら化粧台の前へと進み、鏡を覗き込む。
そして、息を呑んだ。
そこにいたのは――氷の肌を持つ、美しすぎる青年。
赤い唇、白い歯、儚げな肢体。
腰まで流れる青い髪が、光を受けて淡く揺れる。
「誰だよ、これ……」
そう思った瞬間、こめかみが激しく脈打った。
頭の奥で、誰かの記憶が弾けるように流れ込んできた。
――私は、ロア・イスラン。
棘罪公国の辺境を守るイスラン家の唯一の後継者――。
幼い頃の情景が脳裏をよぎる。
雪に覆われた大地、母の優しい声。
イスラン女公爵と呼ばれた母は、常に城壁の上から国境を見守っていた。
だが、永夜の戦いの勃発で、両親は戦死。
残されたのは、叔母とロアだけ。
やがて、叔母は権力を握り、ロアを幽閉した。
――「お前に外の世界は必要ないのよ、ロア」
暗い部屋に閉じ込められた日々。
昨日の食卓で、叔母はいやらしい笑みを浮かべ、ロアの頬を撫でながら囁いた。
「もうすぐよ、ロア。あなたは私の最高の作品。大公に差し出しさえすれば、私は――」
ロアは思わず吐き気を覚えた。
思い出すだけで鳥肌が立つ。
叔母は毎日の食事に、チョウセンアサガオの根から作った粉――禁薬「迷夢」を混ぜていた。
それは、体を虚弱にし、欲を蓄積させる薬。
長期服用すれば、体は美しく変化するが、一度でも肉体の快楽を知れば、欲望に飲み込まれてしまう。
そして、叔母は秘淵教――いけにえを作る邪教――から薫香と軟膏を買い集め、日々ロアに塗り込んだ。
それは、生贄を作るための魔薬だった。
結果として、ロアは人の域を超えた美貌を得た。
副作用は――魔物を惹きつけること。
「……取るに足らない副作用、か。笑わせるな」
叔母の狙いは明白だった。
七日後の棘罪大公イライザの誕生日に、ロアを“贈り物”として献上すること。
イライザ――残忍と流血で公国を支配する女大公。
噂では、美少年美少女を好むが、その手にかかった者で生き延びた者はいない。
ロアは鏡の前で顔を覆い、深く息を吐いた。
「最悪だ。女尊世界なのはまだしも、開幕から地獄ってどういうことだ……」
鏡に映る傾国の美貌。
あまりの非現実さに、自分でも目を疑う。
「これ、前世でいたら芸能界どころか神話入りしてるレベルだろ……」
苦笑混じりに呟く。
だが笑えなかった。
昨日、叔母が大公への献上を宣言した夜――この身体の前任者は、絶望の末、毒を飲んで命を絶った。
それが、彼にできる唯一の抵抗だった。
(……でも、どうやって毒を手に入れた?)
ロアは記憶の欠片を探る。
――そうだ、アンネ。
両親が残した唯一の忠実な女中、アンネ。
叔母の監視をかいくぐり、彼に毒を渡したのは彼女だった。
「アンネ……君がいたのか」
こめかみがまたズキズキと痛み始める。
ロアはゆっくりと息を吸い、顔を上げた。
「せっかく異世界に来たんだ。座して死を待つなんて、俺のスタイルじゃない」
震える足で立ち上がり、鏡に映る自分――ロア・イスランを見据えた。
「前のロアが死を選んだなら、今度は俺が“生きる”番だ。
……徹底的に、やり返してやる」
氷のような美貌の奥に、復讐の炎が灯った。