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父の正体

 零士が床に座り込んでいた時、どこからか声が聞こえてきた──


「お、お前、零士なのか!?」


 慌てて立ち上がった零士は、声のした方を向く。

 そこにいたのは、父の統志郎だった。青ざめた表情で、息子を凝視していた。

 そんな父親に、零士は声を震わせながら迫る。


「父さん、これはどういうことなの?」


「お前、なぜここにいる!? どうやって来たんだ!?」


 聞き返してきた父だったが、零士は構わず怒鳴りつける。


「そんなことはどうでもいい! 聞いているのは、こっちだよ! あの人たちは何なの!? 父さんは、ここで何をしてるの!?」


 言われた統志郎は、神妙な顔つきで下を向く。

 零士は、体を震わせながら父を睨む。刑事の木下も言っていたのだ。この島では、大勢の人が殺されているかもしれない……と。ひょっとしたら、先ほど見た人たちもまた、殺されるために独房に入れられているのかもしれない。

 ややあって、統志郎は顔を上げた。零士の目を真っ直ぐ見すえ、口を開く。


「零士、よく聞くんだ。この島には、二種類の住民がいる」


「どういうこと?」


「ひとつは人間だ。こちらは、説明の必要はないだろう」


 ということは、人間でない者がいるのか。いったい何者がいるというのか。

 その答えは、すぐに明かされた。


「もうひとつは、鬼と呼ばれる種族だ」


「お、鬼……」


 その単語を、何度聞いただろう。全て、ペドロから聞かされたのだ。

 まさか、父の口からも聞くことになるとは……。


「そうだ。この夜禍島には、遥か昔から鬼が住んでいた。鬼は、人間の肉を食べる。どういう仕組みなのかはわからないが、人間の肉でなければ食料として消化できないらしいんだ」


 その時、零士の口から奇妙な声が漏れる。笑い声だ。クスクス笑いながら、零士は父を見つめる。

 こんな話、冗談に決まっている。本当であるはずがない。全ては、父の悪い冗談だ。たちの悪い作り話、手のこんだドッキリなのだ。こんな話が現実だったら、自分はおかしくなってしまう……。

 笑う零士の前で、父は真顔で語り続ける。


「鬼は、人間を食べる。だが、人間の方は食われたくはない。だからこそ、この島には長らく人間が近づかなかった」


「父さん、もういい。わかったから。冗談はいいよ」


 零士は、笑いながら父の体に触れた。いつの間にか、目から涙が流れている。彼は、泣きながら笑っていたのだ。

 しかし、統志郎はやめようとしない。


「ところが、いつからか人間と鬼とは交流するようになった。きっかけが何なのかは不明だが、江戸時代には既に鬼との取引がされていたんだよ」


「だから! もう冗談はやめようよ! たちが悪すぎるよ!」


 我慢できなくなった零士は、父の襟首を掴んだ。思い切り揺するが、統志郎はびくともしない。真剣な表情で語り続ける。


「冗談じゃないんだよ。これは、全て現実なんだ。鬼は、人間たちと取り引きをしていたんだよ」 


「どんな……取り引きをしてたの?」


 震える声で、零士は尋ねる。彼はようやく理解した。これは現実なのだ。

 どんな悪夢よりも、遥かにおぞましい現実──


「まず彼らは、鬼の住む島に罪人を送った。食料にするためさ。様々な品を送ることにしたんだよ。その代わりに、鬼たちはあるものを与えた」


「な、何を……」


「女だ。鬼の女は、とても美しい。だからこそ、男たちは鬼女を求めた」


「で、でも、鬼は人間を食べるんでしょ。敵同士じゃないか」


「そうだ。だから、鬼たちは人間と協定を結んだ。本土の偉い男たちが、鬼の女と寝る。代わりに、本土で極悪な罪を犯した者たちを、食料として島に運んでくる。鬼たちは、その罪人たちを地下に閉じ込め、餌を与えて繁殖させた。結果、島の地下には人間牧場が出来た」


「そ、そんなの間違ってる! 人間を食べるために養殖するなんて、そんなことやっちゃ駄目だよ!」


 絶叫する零士。

 彼は、もう耐えられなかったのだ。人間を食料にするため、こんな場所に閉じ込め飼育するなど、完全に狂っている。何よりつらいのは、そんな恐ろしい事業に統志郎がかかわっていることだ。

 零士が愛した父が、こんなおぞましい仕事にかかわっていた……そんなことは、あって欲しくない。出来ることなら、今すぐやめさせたかった。

 しかし、統志郎に引き下がる気配はない。


「じゃあ、逆に聞こう。これの何が間違っているんだ?」


「えっ……」


 尋ねた統志郎の表情からは、確固たる自信が感じられた。零士は、咄嗟に言葉が出ず口ごもる。

 そこに、統志郎は畳みかけてきた。


「人間は、鶏や牛や豚を飼う。飼って、必要とあれば殺して食べている。それは、間違っていることなのか? 違うだろう。お前だって、牛肉や豚肉を食べるはずだ」


 確かに、その通りだ。人間は牛肉や豚肉を食べる。だが、人間を食べることとは違うはずだ。


「でも、食べられるのは、僕たちと同じ人間なんだよ! 誰だって、殺されて食べられるのは嫌なはずだ!」


「どんな生き物だって、殺されるのは嫌なんだよ。お前は、牛や豚なら殺されて食べられても平気だと思っているのか? 人間はかわいそうだが、豚はかわいそうじゃない。だから殺して食べていいと言うのか?」


 詰め寄る統志郎の迫力に、零士は後ずさる。父の言葉からは、はっきりとした信念が感じられた。


「生物が生きていくには、他の命を犠牲にしなくてはならないんだ。これは動物だけのことじゃない。植物だって生きているし、そこには命があるんだ。研究によれば、植物もまた痛みを感じている可能性があるらしいんだよ。その植物を、人間は殺して食べている。生きていくためには、どんな生き物も他の命を食らわなければならない」


 言われるまで、考えたこともなかった事実だ。生物が生きていくことの厳しさを知らされ、零士は一言も出せなかった。


「あの部屋にいるのは、鬼に食べられるために養殖されている人間だ。彼らは、ここで何不自由なく生活し、成長していく。やがては、肉として然るべき場所へと送られるんだ。牧場にいる牛や豚や鶏と、全く同じだよ。彼らには戸籍もない。だから、この日本では存在していない人間なんだ。人権もないんだよ」


 なんと恐ろしい話なのだ。

 ここにいる人間たちは、暗い地下の世界に生まれて育ち、最後には鬼に食べられるのだ。同じ人間でありながら、そんな恐ろしい運命があっていいのだろうか。

 だが、牧場にいる牛や豚も同じ運命を辿る。先ほど、父は言った。


(人間はかわいそうだが、豚はかわいそうじゃない。だから殺して食べていいと言うのか?)


 その問いに、零士は答えることが出来ない。そもそも、こんな種族が存在することなど、学校では教えてくれなかった。

 しかも、父から続けて放たれた言葉に、零士はさらなる衝撃を受ける。


「それだけじゃない。大橋さんや上野さんも、そのことを知っていたんだ。知った上で、鬼と共存する生き方を選んでいたんだよ」


「う、上野さんや大橋さんが?」


「そうだ。それに、うちに来ていたメイドの女の子だがな、彼女たちも鬼なんだ」


「そ、そんな……」


 零士は、その場に崩れ落ちそうになった。

 メイトの若い娘たちは、確かに普通の人間とは違う雰囲気を漂わせていた。顔は美しく、動く姿やひとつひとつの仕草からは得も言われぬ魅力を感じさせた。

 まさか、鬼だったとは……。


「お前も見ただろう。彼女の見た目は、人間とはとんど変わらない。人間と同じように考え、感じ、行動する。密かに、夜中に悪夢を見てうなされるお前を心配し、見守ってくれてもいたんだ。鬼と人間の違いなど、本当に僅かなものなんだよ。鬼よりも悪い人間など、探せばいくらでも見つかるぞ」


 そこで、統志郎は言葉を止め天井を指さす。


「今も地上のどこかでは、人種の違いで殺し合う者がいる。思想の違いで殺し合う者もいる。信教の違いで殺し合う者もいる。人間の世界では、思想や信仰の違いすら乗り越えられていないんだ。しかし、この島では鬼と人間が共存できている。本来なら天敵である種族同士が、ここでは手を取り合って協力し生活しているんだ」


 統志郎の力と熱を帯びた言葉に、零士は圧倒され聞き入っていた。これまで、見たこともなかった父の堂々たる姿。まさに、島のリーダーに相応しいものだった。


「それだけじゃない。ここには、鬼と夫婦になった人間もいるんだ」


「夫婦!? そんなこと……」


 言ったきり、零士は口ごもる。

 そんな話があるのだろうか。鬼は、人間を食べる。食う者と食われる者、その両者が愛し合い結婚するなど、考えられない。

 しかし、統志郎は語り続ける。


「彼らは、お互いの考え方の違いや偏見を乗り越え、愛し合った。さらには、ここで結婚し夫婦として暮らしている。彼らは、鬼と人間という種族の違いを超越したんだ」


 聞いている時、零士はメイドと大橋のことを思い出していた。

 メイドは、大橋と普通に会話をしていた。大橋もまた、メイドに対し他の人と同じように接していた。そこには、鬼に対する恐れも(さげす)みもない。差別意識など、全く存在していなかった。


「零士、鬼だって生きているんだ。ずっと昔から、この地で生き続けてきた。鬼たちにも感情がある。人間と同じように、嬉しいことがあれば笑うし、悲しいことがあれば泣く。仲間として認めた人間のことは、絶対に裏切らない。人間と鬼は、わかりあえるし共存も可能なんだ。人肉を食べるからといって、敵と見なして殺していいのか?」


 言った後、統志郎は両手を伸ばし零士の肩をがっちりと掴む。


「俺は、自分が間違ったことをしているとは思わない。それに、これは俺の宿命でもある。お前も、己の宿命を受け入れてくれ。お前にとっても、他人事じゃないんだ」


「ど、どういうこと?」


「零士、お前は父さんの血を引いている。父さんと同じなんだよ。出来ることなら、中学を卒業するまでは普通の人間として生きて欲しかった。だが、こうなった以上はお前も真実を知らねばならない」


「ちょっと待ってよ。だから、どういう意味なの!? ちゃんと説明してよ!」


「零士、お前は……」


 そこで、統志郎は口を閉じた。ハッとした表情で、零士から視線を外す。

 零士も、父の視線が向けられた先を見た。途端に、息を呑む。

 突然、乱入してきたのはペドロであった。肩に何かを担いだ状態で、すたすたと歩いて来る。

 ふたりから五メートルほど離れた位置で、ペドロは立ち止まった。担いでいるものを、どさりと床に降ろす。

 それは、大橋だった──


「申し訳ないが、邪魔をするので死んでもらったよ」


 事もなげに言ったペドロだったが、零士は表情を歪める。

 この男は、大橋を殺したのだ。

 上野に続き、大橋まで死んでしまった──


「き、貴様!」


 叫ぶと同時に、統志郎はペドロに掴みかかる。だが、ペドロの対応の方が早かった。瞬時に、懐から何かを出す。

 同時に、轟音が鳴り響いた──


 耳をつんざくような音が鳴った。乾いたパンパンという音……銃声である。

 それも、一度で終わりではない。立て続けに、何度も何度も鳴り響いた。

 零士は、思わず両手で耳を塞ぐ。もはや、何が起きているのかわからない。自分が、どう反応すべきかもわからなくなっていた。

 大橋が、目の前で死体と化して倒れている。しかも、それをやったのはペドロらしい。そして今は、父が腹を押さえて倒れていた。

 にもかかわらず、怒りは湧いて来なかった。恐怖も感じない。一切の感情が湧いてこないのだ。十三歳の少年の理解できる許容量を、遥かに超える事態が次々と起きている。

 もう、何も見たくないし聞きたくない。出来ることなら、外界からの情報を全てシャットアウトし、自身の内にこもってしまいたい。零士は目をつぶり、その場にしゃがみ込む。

 しかし、零士を取り巻く世界はそれを許してくれなかった。


 不意に、髪の毛を掴まれた。同時に、凄まじい腕力で引き上げられる。

 ペドロだった。左手で零士の髪を掴んでいる。右手には、黒光りするものが握られていた。かなり大きく、禍々しい匂いを発している。

 あれは拳銃だ。ペドロは、拳銃で統志郎を撃ったのだ──

 

「申し訳ないが、君は逃げられないのだよ。さあ、見たまえ」


 言いながら、ペドロは無理やり零士の顔の向きを変えた。

 そこには、統志郎が倒れている。だが、少年の目の前でゆっくりと上体を起こした。

 しかも、その体が変わりつつある──


「よく見るんだ。これが、君の父親の正体だ。あの姿には、見覚えがあるのではないかな」


「あ、あれが父さん……」


 零士は、呆然とした表情で呟く。

 父は、変貌を遂げていた。緑色の皮膚、紅く光る目、口から伸びた鋭い犬歯、手には鉤爪……。

 そこにいたのは人間ではない。人外の者であった。零士が、何度となく夢で見てきた怪物。母を殺した者の姿へと変わっていたのだ。異形の怪物はペドロを睨みつけ、ゆっくりと立ち上がる。

 零士は、ショックのあまり再び崩れ落ちた。と同時に、体内で何かが弾け飛ぶ。今までは、どうにか耐えていたはずだった。しかし、父の変わり果てた姿を見たことが、とどめの一撃となってしまったのだ。

 体の奥底から、形容の出来ない何かが出ていこうとしている。これまで、封印していたもの。絶対に、外に出してはならないはずのものだ。誰に教わったわけでもなく、本能が告げていた。()()を解き放ってはいけない、と。

 しかし今、()()を繋ぐ鎖が断ち切れようとしていた──


 父さんは、人間じゃなかった。

 母さんを殺し、その肉を食らった怪物……。

 ずっと、僕を騙していたのか──







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