余命残り三日
晴天の霹靂とはまさにこの事を言うのであろう。
ツルツルの朝の日差しを反射する自身の頭を見てしまったときはショックのあまり倒れかけてしまった。
ほんの一日前まではフサフサな黒髪がこの頭に生えていたというのに、今は無惨にもごっそりと抜け落ちてしまっている。
「見事なまでにハゲ頭だな……」
そうハゲだ、若い俺の顔には似合わないであろうハゲ頭となっているのだ。
まさかの昨日のフラグ回収である。
「お師匠様どうしました?って……どちら様ですか!?」
「俺だよ!!」
「お、お師匠様!?」
エッケハルトの声であるため気がついたのかマルクは目を大きく見開いて声を出せずにいた。弟子にすら認識されなくなりメンタル崩壊もいいところである。
はぁ、それにしてもハゲか。
これじゃあ街に出たくても出れないな。
「困りましたねぇ……あ、長髪ですが、ウィッグを持っていますけどどうします?」
「そうか!その手があったか」
ウィッグを被ってしまえば髪が無くとも誤魔化すことが容易であろう。流石は俺の弟子、頼りになるなぁ。
「それで、今日はどちらに出掛けるのですか?」
「俺の故郷に日帰りだけど行こうかなーと思って」
「里帰りですね」
そう、里帰りだ……初めての里帰りがまさか最初で最後となってしまうなんてなぁ。何と言えばよいのやら。
「あぁ、じゃあ行ってくるよ」
「はい。留守番は任せてください」
マルクに手を降りながら俺は家をあとにした。
◆◇◆
一面に広がるのは黄金色の揺らめく小麦畑、その奥には深い緑の木々に隠れるように小さな農村がぽつんぽつんと屋根を覗かせていた。
生まれ育った故郷の空気を胸いっぱいに取り込んではゆっくりと息を吐く。撫でるように穏やかな農村の空気は王都の肌寒く乾燥した空気とは違い、どこか暖かくてすっと肌に馴染んだ。
それは決して剥げだからではない。多分。
人里離れた丘の上へと歩いていくと一本だけ大きく伸びたオレンジの木が立っている。そしてその木の根元には手入れのされていない墓がぽつんと置かれていた。
そこに眠っているのはエッケハルトにとっての恩人だ。
恩人であり、唯一の家族であり、何よりも大切な人であった。
「生きているうちに会っておこうかと思ってな。」
手に添えていた花を墓に手向けながらその場に腰を下ろす。誰もいないこの場所は静寂に包まれており、この場には自分ひとりしかいない物寂しさを感じた。
墓石に刻まれた名はマーガレット。幼かった俺の養母だった人だ。
――俺は所謂孤児であった。親の顔も見たことがなかった。
俺が生まれて始めてみた光景は汚い路地裏の塵の廃棄場であった。
孤児の俺に頼る人も頼れる人も信頼できる人間も誰も存在せず、身一つでの暮らしも限界が来ていた。食べるものも満足に寝ることもできない。幼いながらにして死というものを感じ取っていた。
そんな俺に救いの手を差し伸べてくれた人間がマーガレットという【魔女】だったんだ。
はじめは魔女の材料にされると、拾われてからの数日間は警戒を緩めることはなかった。しかし、そんな俺の行動に腹を立てることも叱ることもなくただただ俺のために親身に世話をしてくれた。
生まれて初めて触れた人の優しさは暖かくて心地よくて、その瞬間を俺は一生忘れないだろう。
『マーガレットなんで僕を助けてくれたの?』
『さぁ?なんでだろうね、でも確実に言えることはそこに君が居たからかな』
マーガレットと過ごせた時間は長いようで短く、今振り返ると実にあっという間に終わりを告げられたようであった。
『マーガレット、大丈夫?』
『けほ……うん、大丈夫だよ。すぐ元気になるからいい子で待っていてね』
『わかった!いい子で待っているからマーガレット早く元気になってね!』
『うん、うん…頑張るよ』
そして数日後、彼女は「今日は気分がいいからお散歩しようか」と庭にでて俺と最後の会話を交わした。
翌日の朝は雪が少し降り積もっていて、彼女の体もまるで雪のようにひんやりとしていた。別れの言葉を告げることすらなく、彼女は静かに息を引き取っていた。
彼女と過ごした日々は幼少期の儚い思い出として残されている。
「――俺ももうすぐそっちに行くからさ、そのときは俺の好きな物でも用意して待っててくれると嬉しいな」
脳裏に映るのは焦げ茶色の髪を揺らしながら大きな食器にアップルパイを乗せて運ぶマーガレットの姿。
使い古したローブの褪せた色、薬の調合を良くしていた彼女の染み付いた薬草の香りまで鮮明に思い出される。
「あ、そうだ。見てくれよマーガレット!このハゲ具合!本当に信じられないよなぁ」
ふと思い出し、被っていたかつらを脱いで墓前にてピカピカに輝くハゲ頭をさらす。返事は勿論……あった。
「わぁ!本当だ〜お兄ちゃん髪の毛ないね!」
「こ、こら!すみません子供がお邪魔してしまい」
「あ、いえ。お気になさらず……」
勿論子供が悪いわけではない。周りに人が居ないか確認をせずにかつらを脱いだ自分が悪い。
しかし、なんだろう……心が抉られたような感覚に陥ったのは、確かであった。
◆◇◆
「お師匠様〜帰ってきてから元気がありませんね?」
「うん、大丈夫大丈夫だ。全く全然気にしてないから……」
残された時間は残り二日……。
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次回も楽しんでいただけたら幸いです。