05. 決戦
この物語には、残酷な描写ありのタグがついております。ご注意下さい。
◆ 7 ◆
賊たちの根城に足を踏み入れたサニラは奥歯を噛みしめる。
うわっ、これは酷い。中は外観以上に荒らされ、壊されている。
なにより、焔国を滅ぼした張本人である賊どもが我が物顔で屯しているんだから、誰であっても血が沸騰しそうになっちゃうね。よく、サニラとアルカルィクは我慢できてるもんだ。
今、サニラの頭を過ぎるは、思い出。幼かったサニラを肩車してくれた父親の、おままごとに付き合ってくれた優しかった母親の、和気藹々と楽しそうに働いていた多くの使用人の、その思い出。
そして、それを奪い、今も穢す賊どもへの怒り。
縄を打たれていなければそのまま飛び出していたことだろう。戒めのお陰でぎりぎりのところで理性を保つ。
見張り役がそうであったように、根城内にいる者たちもサニラを連行する姿を見かけ声を掛けてくる。見張り役は首領に報告すると答え、適当に往なし奥へと進んでいく。
そして、辿り着く。最奥、嘗て領主が政務を執っていた広間へと。
広間の扉は壊れ、中の様子が見て取れる。大勢の賊たちがそこかしこで好き勝手に呑み食いし広間を汚している。
一段高くなった場所、燃え残った領主の座で一人の人物が酒瓶に口を付け、豪快に酒を掻っ喰らっている。見張り役は中に入り、その人物に話しかける。
「首領、ちっといいっスか」
「あーん、吴か。んだよ、どうした」
首領の目は酒に淀んでいる。その目付きは淀み濁っているが、力強い。だらしなく座るその姿も猛獣が蹲っている様を幻視させる。悪逆非道の賊たちの頂点に立つ人物だけのことはある。
「なんか、こいつら、この女にやられちまったらしいんスよ。十人掛かりでふん縛ったらしいんスが、口も利けねぇぐれぇやられたみてぇで。この女、どうしやす」
そこら中でだらだら過ごす賊どもは厭らしい顔で口々に、女をどう使うかなんざぁ決まってんだろと笑い合う。その中でも、いかにも女に飢えているといった男がサニラに近づき、舌舐めずりしながら手を伸ばす。
アルカルィクが顔色を変え、なんとかせねばと声を出そうとした時。勢いよく酒瓶が飛んできて、男の頭を搗ち割った。
広間は静まりかえる。
「おい」
首領がゆっくりと立ち上がる。広間が重苦しい圧に覆われ、皆が唾を呑み込み、喉を鳴らした。
首領は一歩ずつゆっくりとサニラたちへと向かってくる。アルカルィクは首領からもその手に持つ剣からも目が離せない。なにか助け船を出さねばと気持ちは焦るが、首領に対する恐怖から、なにを言っていいのかまるで頭が働かない。
アルカルィクは目を逸らすことなく、凝らしていた。なのに。気付けなかった。
突然、サニラを連行していた繰人符で操られる賊たちの首から血が噴き出した。アルカルィクは震えを止められない。首領が抜く手も見せず、賊たちの首を飛ばしたのだ。
「俺の手下に情けねえ奴なぞいらん」
首領はじろりとサニラに目を向ける。
「小娘。手前ぇ、なんなんだ」
「ふふっ、ふっふふふっ」
サニラは笑う。縛っていた縄が落ち、広間に入ってから伏せていた顔を上げた。
そこにはわずかな緩みも暖かさも存在しない。あるのは冷ややかな目差しのみ。サニラは冷たく射貫くような目付きを向ける。
「その顔、手前ぇどこかで……」
「わたしがなにかと訊いたのか。良いでしょう、教えてあげましょう。わたしは復讐者、お前たちに終わりを齎す者」
「はあ?」
首領は眉を上げ、賊たちは嗤った。ここには百人近くの悪逆非道の賊たちがいる。たった一人の女性になにができるのか。
「ただのいかれ女か」
首領はつまらなそうに吐き捨てた。
「我が父ショールクと我が母バイビチェの名にかけて、お前たちに殺された焔国の民たちの怨みを晴らす」
「ほう。手前ぇ、領主の娘か」
四人ばかりの賊がサニラを始末しようと立ち上がり、段平を突きつけた。
「大人しく息を潜めてりゃ、死なずに済んだのによ」
「親父たちの下に送ってやるよ」
「一人でなにができる。ちっとは現実見ろよ」
「俺たちを殺りたきゃ、大軍でも呼んできな」
サニラは鼻で笑った。
「大軍? 今、大軍と言った? お前たちには見えないのかしら。ここにお前たちへの復讐を願う多くの者たちが犇めいていることに」
「はあ? なに言ってんだ」
「マジいかれてるぜ、この小娘」
「やべぇな、こいつ」
「良いから、死んどけ」
賊たちは無造作に段平を振るった。サニラは素早くしゃがみ刃を避ける。包囲の輪から抜け出しながら、腰の道具入れから霊符の束を取り出した。霊符を宙に放り投げれば、霊符は舞い上がり広間中へと広がっていく。
サニラは印を切り、高らかに宣言する。
「鬼たちよ、甦れ。復讐の刻は今なるぞ」
一陣の鬼風が広間を吹き抜け、一枚一枚の霊符が形を変えていく。それぞれが人の姿に、嘗てこの地で生き、暮らし、そして殺された人々の姿へと変わっていく。広間は賊たちを上回る数の鬼で満ちあふれる。
鬼たちのある者は首がなく、ある者は焼かれたままの身体を晒し、全ての鬼が強い怨みに歪んだ顔を、あるいは深い怨嗟の声を示している。
一人一人のことなど記憶になくとも、賊たちにとって全て身に覚えのある姿。その様に賊たちは恐れ慄き、悲鳴を上げる。
鬼たちのうち、理性を残す一体がついっとサニラへ近づき、手を合わせた。
ありがとう、姫様。貴女は最初から僕たちの姿が見え、声が聞こえていたのですね。
「ええ、そうよ。わたしには生まれつき鬼が見える視鬼術の才能があった。鬼たちがいろいろ教えてくれたお陰で、幼い頃は大人顔負けの物知りで聡明な子供と言われたものだったわね。
そしてその才を活かし、師匠の下で使人見鬼の術を身につけた。全てはこの日、この刻のため。さあ、皆。今こそ怨みを晴らしなさい」
鬼たちは一斉に賊へと襲いかかった。
賊たちは必死に武器を振るが、まるで意味をなさない。鬼を斬り、突こうとしたところでただの武器は鬼には効かない。虚しく空を斬る。
阿鼻叫喚。ある者は喉を切り裂かれ、ある者は腸を喰い千切られ、ある者は生きたまま貪り喰われる。
広間では地獄絵図が繰り広げられ、助けを求め赦しを請う賊たちの悲鳴が満ちる。
そして、最も多くの鬼が殺到するは賊の首領相手。群がった鬼は山となり、首領を取り囲む。だが。囲む鬼たちは斬られ、崩壊した。
次々と鬼は襲いかかる。しかし、そのどれもが首領によって斬り捨てられていく。
その剣技は達人の域。だが、どれほど腕が立とうとも、それだけでは鬼を斬ることはできない筈だ。なぜできるのか。その理由は。
サニラは目を細め、呟いた。
「その剣。我が家の家宝、神剣テングリね」
「くくくっ。ああ、こいつは実に良い剣だな。どれだけ斬っても刃毀れせず、こうして人外を斬ることもできる」
「返せ」
「ふん。お前の腰抜け親父はこれほどの剣を持ちながら、抜こうともしなかった。飾るだけの剣になど、なんの意味がある」
「馬鹿め。神剣と言えども、武器とは不祥の器。抜かぬことにこそ意味がある。そんなこともわからないのか。これ以上、我が家の家宝を穢すな」
「くかかっ、くだらねぇな。そんなに欲しけりゃ、お前が取り返してみろよ」
「良いわ。お前たちは手を出すな」
サニラはなおも襲いかかろうとする鬼たちを押しとどめた。確かに動きが鈍い鬼たちでは、神剣を振るい達人の腕を持つ首領の相手は無理だ。
「お前だけはわたしの手で倒すと決めていた」
「面白ぇ。やれるもんならやってみな、小娘」
サニラは素早く腰の道具入れから、身体能力向上の符と身体制御補助の符を取り出し、その身に貼り付けた。
さらにもう一枚。別の霊符と、懐から短剣を取り出した。短剣で取り出した霊符を突き刺し、首領へと攻めかかる。
首領は高笑いをしながら、サニラの頭を狙い剣を振り下ろした。サニラは短剣を翳す。
首領が振るうは神剣テングリ。ただの剣では受けることはできない。
しかし、サニラは受け止めた。それは霊符の効果。短剣に霊気をまとわせることで神剣とでも打ち合わせることができるようになる。
サニラは短剣を振るい、拳を繰り出す。その動きはクィルグィルの店で兄貴分の賊と戦った時より、さらに速く鋭い。
ただし、首領はその全てを避け、受けてみせる。兄貴分の賊が首領にかかれば自分など一捻りだと言っていた言葉に嘘はなかった。首領もまた、兄貴分よりも圧倒的に速く力強い。
サニラは攻撃を上半身へと集中させる。首領は鬱陶しそうに、強く剣を振る。
サニラは膝を曲げ、腰を落とし剣を避ける。そのまま鳩尾を肘打ち。
首領は息を乱すが、堪えた様子はない。再びサニラの頭を狙い剣を振る。
狙い通り。首領の意識が上に集中した一瞬を狙い、サニラは首領の足を払った。
首領は倒れ、腰を打つ。
サニラは止めと、床に転がる首領の心臓を狙う。首領は無造作に剣を振るった。その無造作に振るう剣でサニラは大きく吹き飛ばされた。
二人は止まらない。何度も剣を打ち合わせる。その度に、少しずつサニラの短剣の刃は欠けていく。
霊符により霊気をまとわせているとはいえ、サニラの持つ短剣はただの短剣。特別な器物ではない。
サニラは苛ただしげに舌を鳴らした。両者は距離を取り、息を整える。
サニラは覚悟を決める。首領にもその覚悟は伝わる。応じるように首領も闘志を高める。二人にはわかっている。次こそが最後の攻防となると。
サニラは精神を集中させるように印を切る。首領は大きく深く息を吸う。両者は武器持つ手に力を籠め、互いに向け飛び出した。
が、しかし。
「は?」
首領は間抜けな声を出した。なにかに足が取られ、首領は盛大に転んだ。サニラはその背から心臓を突き刺した。
「がはっ、な゛にが」
首領は自分の足下に目を向けた。そこにあるは床から伸びる鬼の手。鬼が首領の足を掴んでいたのだ。
「でめぇ。グゾ、な゛んだごれ」
首領はサニラに鬼もかくやという怒りと怨みの籠もった目を向けた。
サニラは馬鹿に仕切った、舌足らずでとてつもなくかわい子ぶった表情と仕草で答えてみせた。
「えぇー、なにがぁ。ひょぉっとしてぇ、わたしがぁ鬼たちに手を出すなぁって言ったのぉ信じちゃってたのぉ? わーお、純情さん」
「でめ゛ぇ」
「仇相手に正々堂々に拘るとでも思ったの? 馬鹿じゃない」
「グゾが」
首領は恨み言を零しながら、踠き苦しみ絶命した。
サニラが首領を倒すと共に、鬼たちも最後に残った賊を倒し終わった。怨みを晴らした鬼たちはその怨みに歪んだ陰惨の気が消え、次々とサニラに礼の言葉を述べ、輪廻へと還って行く。
最後の一体が礼を述べ消えていった時、どこからかサニラを呼ぶ声が聞こえた。
「サニラ様」
それはアルカルィク。物陰から首を覗かせ、サニラの名を呼んでいる。戦闘では役に立たないアルカルィクは、闘いが始まると同時に邪魔にならないようにと物陰へと避難していたのだ。
闘いが終わったことを見て取り、アルカルィクは涙を溢れさせながら、サニラの下へと歩み寄る。
「アル兄。終わったよ」
「よくぞ成し遂げられました。きっと亡きご両親もお喜び下されていることでしょう」
アルカルィクは感極まったように、身を屈ませその泣き腫らす顔を両手で覆った。
「ちょっと、アル兄。大袈裟過ぎるよ。ほら、笑ってよ」
「サニラ様。…………。そうだ、ご領主様の席ですが」
「ん? 父上の? どうしたの」
サニラがさっきまで首領が腰掛けていた席を振り返った、その時。サニラは衝撃を感じた。
「……え?」
サニラの腹に短剣が深々と突き立てられた。