02. 話合
◇ 3 ◆
あの後、老爺は説得を続けたが、女性にはまるで話が通じなかった。とうとう諦め、食事を作り、今に至る。
「これ、おいひぃ。お爺さん、最高ですぅ」
女性は幸せいっぱいな笑顔で、肉餅と野菜炒めを頬張っている。老爺は疲れきった乾いた笑いで応じる。
「ねえねえ、お爺さん。この都市、碌に水もない、隊商も来ない。なのにこの食材ってどうしたんです?」
おっと、疑問はもっともだけど、この女性、料理を箸で指し示しながら質問しちゃってるよ。本当、行儀悪いね、まったく。
「ああ、それは他の街から運んでおるんじゃよ」
「他の街? あれ? 隊商は今も来てるんですか」
「いや、もはや隊商が使う交易路は完全に変わってしもうた。この都市に来る隊商などおらんよ。
元々この辺りは良質の玉の産地として有名でな。遙か昔、まだ東西交易が細々としか行われておらなんだ時代はこの焔国で玉を掘り、周囲の都市はその玉を使った彫金鏤玉で有名じゃったそうじゃ。
今では鉱床も枯れかけておるが、まだ少しは採れるでの。世話役がその玉を使って、皆が生き延びるために必要な品を他の街で手に入れてきてくれるんじゃよ」
「世話役……。ふぅーん。でも、ここって賊の人たちが牛耳ってるんでしょ? それでよく玉とか採ったりできますね」
わーお、もっともな疑問だけど。『賊の人たち』って、なんだか気の抜ける物言いだね。
老爺は口にするのも不快そうに顔を歪めた。
「奴らもこの都市が死に絶えると都合が悪いようでの、世話役が交渉し、なんとか細々とした採掘と交易は認められたんじゃよ」
「ほわー、世話役さん大活躍ですねぇ」
女性は目も口も大きく開けて、素直に感心する。老爺はそんな女性の反応に機嫌を直したのか、くしゃりと笑った。
「ああ、そうじゃな。あの人がおらんかったら、儂らは今頃皆死んどるよ。足を向けては寝られんな」
その時、表で誰かが軽く砂を払う音が聞こえてきた。
続けて、建付けが悪くなっている入口扉が軋むような音を立てた。
目をやれば、大荷物を背負った若い男性が入ってきていた。男性は頭巾や覆面を下ろし、その人の良さそうな日に焼けた顔を晒している。
「これは珍しい。クィルグィルさん、お客人ですか」
「ああ、アルカルィクさん」
店主であるクィルグィルは、砂埃に塗れたアルカルィクに心からの歓迎の笑みを浮かべるが、女性はなにやら不思議な表情を浮かべている。
「アルカルィク……?」
「はい?」
アルカルィクは女性の傍近くまで歩み、まじまじと女性の顔を見た。途端に、驚愕に目を見開き、顔色を白く変えた。
「バイビチェ様、……いや、サニラ様、なの、ですか」
「アル兄」
サニラはにっこりと親しみを込めて、アルカルィクの名を呼んだ。その呼び名を耳にした途端、アルカルィクの表情は変わる。
「よくぞ、よくぞ生きていて下されました」
アルカルィクはサニラの前に跪き、ぼろぼろと涙を流す。
えっと、なんだい? これ。
◇ 4 ◆
一通り涙し気持ちの落ち着いたアルカルィクは席に腰掛け、今はサニラ、クィルグィルと共に卓を囲んでいる。
最初にクィルグィルが口を開いた。
「アルカルィクさん、こちらの娘さんを知っているんですか」
爺さん、良いよ。良い質問ですよ。それをとても訊きたかったんだよね。
アルカルィクは一度ちらりとサニラを見た後、クィルグィルに頷いた。
「はい。サニラ様は私がお仕えしておりました御方です」
「仕えと言うと、それは……」
クィルグィルは息を呑んだ。アルカルィクは堅く決意を宿した顔で続ける。
「そうです。この御方は十三年前の争乱で殺された領主夫妻の御息女。この焔国の正当なる主、サニラ様であらせられます」
ぬおっ、まじか。うん、いや、あのね。
アルカルィクは凄く真剣だし、クィルグィルは心臓が止まりそうなほど驚いているのに。サニラ、君、なにだらしない顔で照れてるの。そういう場面じゃないでしょ、緊張感はどうした。
いや、あれは恋慕の情か? ああ、なるほど。そういうことね。
ただ、アルカルィクはそんなサニラの態度が目に入っていないのか、変わらず真剣なまま問いかける。
「サニラ様、一体今日まで何処で如何されておられたのですか。私はあの日、皆様の姿を必死に求めましたが、サニラ様のお姿はどうしても見つけられず、私は……」
アルカルィクは自らが口にしようと仕掛けた言葉に怯え、言葉を詰まらせた。サニラはそんなアルカルィクの手にそっと触れ、労りに満ちた眼差しを向ける。
「アル兄。あの日、燃え盛る屋敷からどうやって逃れたかは、わたしもよくわからないの。気が付いたら、身体のあちこちに火傷を負って沙漠を彷徨っていたんだ」
アルカルィクは再び泣き出しそうな顔になり、火傷の痕を確かめるようにサニラを見回した。クィルグィルも痛ましさに胸を痛めている。
ちょっと、突然悲しい話を始めるないでよ、感情が付いていかないんですけど。うわー、本当、阿呆の娘なんて言ってごめん。
「自分がどうなっているのかわからない。どこに向かっているのかもわからない。ただひたすらに歩き続け、とうとう倒れて、意識が薄らいで、ああもう駄目なんだって思った時に、ある人がわたしに声を掛けたんだ。
それが師匠。わたしは師匠に助けられて、それからは唐土の霊峰で修行を積んだの」
アルカルィクは困惑した様子で問いかける。
「あの、霊峰で修行というのは……? 師匠と言われる方は一体なんの師匠なのですか?」
サニラが答える前に、クィルグィルが思い当たることを口にした。
「そういえば、姫様の拳法はかなりのものだったのう」
「サニラ様っ!」
アルカルィクは悲鳴のような声を上げた。なのに、サニラは「違う、違う」とまるで深刻さのない様子でひらひらと手を振っている。
「師匠は別に武術の師匠じゃないよ。師匠はねぇ、仙道の修行者。目下、仙人目指して修行している道士様だよ」
わーお、急に胡散臭くなってきた。ほら、アルカルィクもクィルグィルもさっきまでの悲しそうな雰囲気が霧散して、サニラが騙されているんじゃないかと心配する顔になっちゃっているよ。
「サニラ様」
アルカルィクはなにか言いかけるが、サニラは気にせず話を続ける。
「あ、でもね。わたしは別に仙人になろうとはしてないよ。師匠に教えてもらったのは体術とかだから」
ん? それって結局、武術の訓練をしていたってことじゃん。さっきの違うって言ってたのはなんだったの?
サニラはなにやら自信ありげな笑顔を浮かべ、堂々と胸を張る。
「故郷を襲った人たち全員を叩きのめしてあげるために腕を磨いたんだ」
いや、あげるためって。表情といい、表現のちぐはぐさといい、なんだかこの娘、危ういなぁ。
クィルグィルもアルカルィクも反応に困っている。なんとか自分に理解できる範囲に収めようと懸命に頭を働かせる。
クィルグィルは呟く。
「賊たちを成敗すると言ったのは、ただの思いつきではなかったんじゃな」
アルカルィクは額を抑えながら確認する。
「それはつまり、師父様に賊たちを退治するための修行をつけてもらい、実現できるだけの目処が立ったので師父様のお許しを頂いた、ということでよろしいですか」
アルカルィクはせめて師匠のお墨付きを確認し安心しようとするが、返ってきた答えは残念極まりないものだった。
「ううん、違うよ。もういいかなぁーって思って、黙って抜け出してきちゃった」
おぉう、やっぱりこの娘は阿呆の娘だ。アルカルィクもクィルグィルも完全に頭を抱え込んでしまった。
「サニラ様」
アルカルィクは深い溜息と共に呼びかけた。
「参考までにお伺いしますが、お一人でどうやってあの者たちを討伐するお考えなのですか」
サニラは質問内容が意外だったのか、きょとんとした顔で小首を傾げた。
「え? 一人ずつ順番に殴り倒して」
「なりません。問題外です」
凄いな、この娘。正気なのか。考えなしにもほどがある。
アルカルィクは再度、深々と溜息をついた。
「幼い頃は、むしろ思慮深い方だったのに、それがどうして……」
いや、違う違う。アルカルィクは君のこと褒めてないよ。心配か、呆れか、不安か知らないけど、少なくとも嬉しそうな顔するとこじゃないから。
アルカルィクもいい加減、サニラに対する幻想が薄らいで来たのか、強めの言葉で注意を行う。
「サニラ様、決してお一人で向かわないと約束して下さい。もし、サニラ様になにかあれば、私は亡きご領主夫妻に顔向けができません」
「いや、別に大丈夫と」
「駄目です。もし、サニラ様がお一人で向かわれたとわかれば、私は自らに始末をつけ、黄泉におられるご領主夫妻の元にお詫びに向かいます」
アルカルィクは決然と宣言した。この発言にクィルグィルが顔色を変えた。
「待って下され。アルカルィクさんがいなくなれば、儂らはお仕舞いじゃ。あんたが世話役として骨を折ってくれておるから、儂らはなんとか生きてこれたのじゃ。
姫様、この通りじゃ。儂らにはアルカルィクさんが必要なんじゃ。どうか、ここはアルカルィクさんの言葉に従って下され」
クィルグィルは卓に額を擦りつけ、サニラに懇願する。
うーむ、凄いなこの状況。なにも考えてなさそうなサニラも、さすがにこれは拒絶できないみたい。口を尖らせてるけど、頷いたねえ。
「わかったぁ。でも、賊の人たちを叩きのめしてあげるのは止めないからね。そのために帰ってきたんだもん」
アルカルィクはサニラの言葉に頷いた。
「はい、勿論です。ご領主夫妻の仇を討ちたいと願う気持ちは私も同じです。必ずや奴らを一掃し、焔国を取り返しましょう」
三人は額を突き合わせ、そのための方策を話し合う。