07.人への階段
まずは、エレナがきちんと動けるかどうかを確認する必要があった。
作業台の固定具を丁寧に外しながら、イェルクはエネルギーを背中のパイプを通じてゆっくりと送り込み、問いかける。
「動けるか?」
エレナはしばらくじっとしていたが、やがて全身の各所が痙攣のような動きを始めた。
その瞬間、イェルクの心に安堵が広がった。
「いいぞ、その調子だ。まずは手の感覚を掴んでみてくれ。指を少しずつ動かせるか?
場所はこの辺だ」
言いながら彼女の指に触れる。
彼の指示を受けて、全身の動きが止まり、指先だけがかすかに震えた。
今のエレナは視線や首を動かすことができないので確認ができないことに気がつく。
「ちょっと待て、姿見を持ってこよう」
「姿見?」
姿見を用意し、イェルクがそれをエレナの前に立てるとエレナは不思議なものを見るような目で見ている。
まだ姿見に映る姿が自分と認識できてないようだ。
一応、姿見の説明をしてみる。
「これで今時分がどういう状態か見ることができる」
エレナはしばらく。
彼女は初めて目にした自分の姿に片方の瞼を閉じたり開いたりフェイントをかけたりしてして確認している。
そしてやっと納得したのか姿見に写っているのが自分だと認識した。
(これが私?)
鏡に映る自分の姿は、見知らぬ存在のようにも思えたが、それでも確かに自分であるという感覚が徐々に湧き上がってきた。
彼女の中に、霊的存在としての過去とこの新しい肉体の間で揺れる感情が渦巻く。
彼女はこれまで感じたことのない重みや温度、指先に感じる微かな感覚、そのどれもが彼女に新しい世界だが、その感覚に少しづつ慣れてきていた。
その後は、手を動かすのに戻って自分の手のどこにあるのか確認するかのように、どう動くのかを模索していた。
どこか不安を感じつつも、エレナの中には新しい体験への好奇心が少しずつ芽生え、時間をかけてその動きは徐々に滑らかさを増していく。
「いいぞ、次は腕だ。肘を曲げたり、手首を回したりしてみてくれ。」
彼女の少しぎこちなく、腕をゆっくりと上げたが、思った通りには動かなかった。
肘がゆっくりと曲がっていく。
動作はまだぎこちない。
「よし、それでいい。大丈夫だ、少しずつ慣れていけばいい。」
エレナは指を閉じたり開いたりと、手の動作を確認している。
指先が自分の意志で動くという感覚をつかもうとしているようだ。
指の動きはまだどこかぎこちない。
(重い・・・)
エレナはそう感じた。
実際には魔力がどこからか供給されているので何の苦もなかったが、これまでは霊的な存在で身体というものが無かったのでそう感じてしまう。
手の感覚を大体マスターしたので、次は足を動かそうとするが、やはり慣れてないので「重い」と感じてしまう。
動作に不慣れな様子で、台に手をついて支えながら、慎重に片足をわずかに持ち上げては、そっと下ろす動作を繰り返していた。
2日間、エレナは体の各部を一つずつ確認しながら、少しずつ慣れていった。
今ではあまり意識しなくても身体を動かせるようになって、手の動きはスムーズになり、足も少しずつではあるがしっかりと地に着けるようになり、支えがあれば歩くことも可能になってきた。
視線や首も動かせるようになり、うなずく、首をふる、微笑むなどの基本的なボディランゲージを身につけ、ますます「人間らしい」動きができるようになってきた。
(視線の動きも自然になってきたし、首も動くようになったか……)
イェルクは、エレナが首を傾けたり、微笑んだりといった基本的なボディランゲージを覚えていく様子を見守っていた。
ただ、顔の表情を無意識に作るのはまだ難しいらしく、無表情なことが多い。
たまに違和感があるが、人間にも無表情なやつはいるので問題はない。
「……大丈夫そうです。お父様」
彼女の言葉にイェルクは内心、少し安堵したものの、見た目の問題が頭をよぎった。
彼女はまるで生きた娘のように話しかけてくるが、『お父様』と無邪気にそう呼ぶたびに、今の白銀の少女という見た目は異質さを強調していた。
「白銀の少女」――その姿は美しくも冷たく、現実離れしている。
イェルクは彼女の圧倒的な美しさと、他者には理解できないだろう異質さを前に、彼女が自分の最高傑作だと確信しつつも、同時にその存在を世間の目から隠さねばならないという思いがますます強くなった。
彼女を世間の目から隠し、彼女が持つ圧倒的な美しさと異質さを、他者に見せないように調整する必要がある。
まずは人に似せるために表面を肌色にすれば、まるで本物の少女のように見えるのではないか、とイェルクは考える。
エレナ自身は精霊だったため、羞恥心などはなさそうだが、自分で作ったとは言え、ずっと裸で置いておくのも問題がある。
貴族に売った銀色の自動人形もメンテで買われた先に訪れると服を着ているものが大半だった。
(・・・やはり裸は私が困ることになりそうだ)
「まずはこれを羽織ってくれるか」
イェルクは持ってきていたローブを手に取り、エレナに渡すが、エレナはローブをじっと見つめ、その指先で慎重に布の端をつまんだ。
まるでその存在に驚いているかのように、布の質感を不思議そうに撫でていた。
その顔には、疑問とも驚きともつかない無垢な表情が浮かんでいる。
彼女はまるで「これをどうしろと?」といっているように見えた。
二人ともどういう状態かわからないという戸惑いが漂っていた。。
((?))
イェルクはローブをじっと見つめるエレナを見て、はたと気づいた。
彼女は『服を着る意味すら知らない』のだ、と。
精霊だった彼女には、それは無縁の行為だったのだろう。
確かによほど高位の精霊以外はただの光の玉のような存在でしかない。
光の玉に服の概念がないのも当然だろう。
「そうか、今までは服を着る必要がなかったのか……」
彼は少し微笑み、そっとエレナにローブを羽織らせた。
エレナは相変わらず困惑した表情を浮かべていたが、素直に彼の手に従った。
エレナは、初めて身に纏うローブの感触に戸惑っているように見える。
不思議そうにその柔らかな感触を確認している。
彼女はその布が肌に触れる感覚に驚き、そして少しずつ慣れようとしているかのようだ。
イェルクは微笑みながら、次の作業に取りかかった。
エレナの外装は魔法付与を容易にするためににミスリル銀で覆われている。
その輝く銀色の表面に魔法陣を描き込み、魔力を加えると、冷たい金属が徐々に柔らかな肌色の肌に変わっていく。
普通の人の肌色くらいに調整した後、ふと考え込む。
(いや、もう少し白くしよう)
外装の色合いが整った後、イェルクは彼女の容姿をエルフに似せる事に決めていた。
エルフの姿を模す理由は、人に詳しい事情を聞かれるのを避けるためであった。
人間の子供として設定した場合、誰との子供かという根本的な疑問から始まり、なぜ今まで一緒に暮らしていなかったのか、相手は今どうしていると次々と疑問が生じる。
エルフであれば、「エルフとの子です」と言えば、何故かそれ以上は追求されない。
それにエレナの美しさもエルフであれば普通のこととして処理される。
エルフが人の目から見て美しいのは当然で、その神秘的な美しさは人々に畏敬の念を抱かせる。
もしエレナが普通の少女であれば、周囲の者たちはその異質さに対して、より多くの疑念を抱くかもしれない。
しかし、エルフの姿を持つことで、彼女の存在は不可侵の神聖なものとして受け入れられるだろう、とイェルクは考えた。
これは、エレナが目立ちすぎず、同時に不審がられないための完璧な選択だ。
彼は古い文献を手に取り、そこに描かれていた典型的なエルフの姿を模してエレナの外見を調整していった。
髪色はハニーブロンドのロングヘアに、瞳の色は深い緑色に染め上げた。
特徴的な耳は、少し尖らせることで、よりエルフらしさを強調していく。
身体の大きさについては、もともとの自動人形をベースにコンパクトにまとめ直しているため、エレナは少し小柄に見える。しかし、イェルクはこれで良いと判断していた。
エルフの姿を持つ子供ならば、多少の不自然さがあっても人間社会には違和感なく溶け込めるだろう。
これは、資材を少しでも節約し、コストを抑えるための工夫だったが、実際には強度の問題が生じ、結局は普通に作るよりも高価になってしまった。
結果的には小柄な子供という設定のおかげで多少の不自然は問題なくなるので、これで良かったと思える。
(綺麗だ…)
彼は満足げに心の中で呟いた。
結局のところ、多くの人間は、外見が美しい人を見れば、その人の背景や本質を深く追求しない。
例えば、華やかな容姿の人がちょっとした怪しさを持っていても、多くはその美しさに目を奪われてしまう。
少々怪しい存在であっても美しければ怪しいことを追求しないのだ。
エレナが異質な存在であっても、その美しさによって多くの疑問はかき消されるだろう。
それに、エレナにはこれから「普通の存在」として人間社会で生きていく機会が必要だ。
だからこそ、彼はこの外見に決めたのだ。
ただ、彼女の美しさが予定よりも美しすぎるために、周囲の人々から不必要な注目を浴びることが心配だった。
美しすぎる者は、時に不必要な注目を集める。
嫉妬や羨望は彼女に危険をもたらす可能性がある。
エレナの存在が、単なる美しい人形ではなく、その美貌ゆえに人々の欲望の的となることを、イェルクは少なからず恐れていた。
彼は心の中で、この美しさが、彼女を守る盾になってくれることを願った。
細かい外観については、精霊であるエレナ自身が無意識に調整しているのか、少しずつ変化していった。
元々の顔の造形は自動人形の造形と変わらず、ごく標準的な顔貌だったが、今のエレナは幼さは残るが大きな目と柔らかな口元を持つ、バランスの取れた美しい顔立ちへと変化していた。
プロポーションはそれほど起伏がなく、どこかあどけない雰囲気をまとっている。
この辺は精霊時代に見た人間の容姿を参考にしているのだろうか?
イェルクは、ただの白銀のマネキンだったものが、徐々に笑顔や感情を持つ『人』に近づいていく姿に、驚きを隠せなかった。
ローブ姿のエレナは今や、まるで本当に生きている少女のようだ。
(ローブ姿もいいが、やっぱりちゃんとした服を着せないとな…)
彼は思案に暮れた。
あまり準備をしてない状態で呼び出しに成功してしまったため、イェルクはエレナを連れて買い物に行くことすら難しい状況にある。
彼女には「外出用の服」がなく、もし彼が一人でそれを買いに行ったら、怪しまれることは間違いない。
(しばらくは問題ないが、ここからエレナを出さなければ・・・
ずっとここにい続けるわけにもいかんしな…)
彼は眉間にしわを寄せた。地下の工房にずっと隠しておくのも限界がある。
今の状態でエレナの存在が知れ渡れば、誘拐を疑われ大騒ぎになるに違いない。
不安が胸をよぎり、思わず天井を見上げる。
エレナを人目から隠し、彼女のために適切な衣服を用意する方法が思いつかない。
(どうしたものか・・・)
ふと、頭に浮かんだのはひそかに重用しているメイド、メアリーのことだった。
彼女なら、この状況を理解し、手助けしてくれるかもしれない。
「メアリーに頼むか…」
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