堤防補強と苦労の代償
「わかったわかった。山で神獣にあったんだろ」
あの神獣とあった日、酒場で森の中に入ったハンターグループのリーダ、ナムカが周りの飲み仲間に今日あったことを話し、『あの山には気を付けろ』と教えてやった結果がこれだ。
「あの虎の魔獣を一撃で仕留めるなら、俺たちじゃ、その黒い蜘蛛に会ったら手の打ちようがないだろ」
「森の中に10mだか20mだかの蜘蛛がいたとして木と木の間隔が10mも無いだろう?
普通に考えればおかしい話だ」
「人を化かす魔獣にからかわれたんじゃないか?」
「そう言われるとそうなんだが……、実際に見たんだ」
ナムカの説明に、諦めてるやつや存在自体を疑っているやつもいる。
「森が割れて、道ができてたって言うけど、それ、昔の『海が割れた』伝説みたいなもんじゃないか?」
「おおー、その話は聞いたことはあるが、ほんとだとしたらそれは神様だな」
「だから神獣だと言ってるだろ!」
話が広がりすぎてまとまりがつかない中、ナムカは少し疲れたように飲み物を煽る。
盛り上がってる戦士系職と違い魔法系職は静かに飲んでいた。
「お前たちが羨ましいよ。全てを見透かすような、底知れぬ冷たい光を宿す目を見てないんだから」
一応ギルドにも大型魔獣剣歯虎は巨大な黒クモに倒されて、もう現れないことを報告したが、黒蜘蛛のことはあまり信じてないみたいだ。
夜は静かにだが確実に更けて次の日へと替わってゆく。
日が変わって、ナムカはギルドの依頼掲示板に今日の請ける仕事を確認しに行く。
≪ギルド依頼内容≫
・山崩れに備える擁壁の補強
・河川の決壊予防のための護岸工事(補強)
・海岸の堤防補強
……
(何だこの依頼……
今日は土木作業ばっかりだ。普段なら魔物退治とか護衛依頼が少しはあるんだが……)
「なんだよ、護岸工事(補強)の手伝いって、これギルドで受ける仕事か?」
ニコニコしながら受付嬢のセレーネが答える。
「そうよ。嵐が来るから、その対策。
ギルドってある意味何でも屋だし、送迎の馬車は出るし、王都からの補助も出るから手当はそこらの依頼よりずっといいわよ」
判ってはいるが営業スマイルでいつも以上にプッシュしてきている。
(……王都からギルドにも販促金か何かがでてるんじゃないか?)
「……そりゃそーだろーけどもよ」
「それにゴーレムを使って集中的に護岸工事してて魔力持ちを割り増し料金でそこらじゅうから根こそぎかき集めてるみたいよ。
魔法職は優遇してくれるわ」
仲間に仕事を請けるか相談しに戻る背中にセレーネがさらに追い打ちの声を掛ける。
「泊りで仕事請けるなら宿賃もだしてくれるってきいてるわ」
仕事を請ければ斡旋したギルドにも手数料が入り、もちろん担当の受付嬢は歩合の報酬も出る。
勧誘が必死になるのは当然ではあるのだが……
(あいつ金の話しかしてなかったな。人の心も金で買えると思ってそうだ。
なんとも露骨すぎる)
ナムカは仲間に話を持って行きながら、昨日あの黒蜘蛛を見たばかりだと山には入りたくない、近づきたくもないという仲間がいるこちらとしては願ったりだとも思っていた。
ゴーレム動かすにも魔力がいるので魔法職は魔力提供、要するに、ゴーレムの餌ということだ。
肉体労働の剣士や戦士は土木作業だとやはりプライド的に思うところがあるらしい。
他にも魔法職のほうが手当てが良かったり、目立つからだろう……
(まー、ゴーレムとは勝負にならないか)
結局、サーベルタイガーも討伐できなかった俺たちは持ち金の話もあって、この依頼を請けることにした。
人数制限もなかったのでギルドの人間はほとんど参加している。
王都まで馬車で送られ、そこからは職ごとに振り分けられる。
戦士なんかの近接職は力仕事だ。
俺たちの中でも特に腕力がある奴らが、ゴーレムに負けじと突貫工事に汗を流してる。
「遠見が言うには明日あたりから少し荒れるらしいから今日が最後だと思って気合い入れていけー!」
「「「おー!!」」」
「俺たちがいるから町の安全が守られてると自負を持て―」
「「「おー!!」」」
「予定以上の出来高に関しては陛下から特別に報奨頂けると話してらしたぞー」
「「「おおおーーー!!!!」」」
土木用のゴーレムも手が空いているときは腕を振り上げ同じように唸っている。
不平を言ってた戦士たちも、生き生きと土を掘り返し、ゴーレムに負けじと岩を積んでいる。
何だかんだで、みんな肉体を動かすのは楽しい。
(あの監督カリスマすごいな……
俺もあんな風に人を鼓舞できたらもっと士気も上がるんだが……)
ハンターのリーダも一緒に雄叫んでいた。
特別報奨は魅力的だが、王都のため、人を守るために働いているというのもあり、一緒に雄たけびを上げるゴーレムも王都を守るなかまだ。
「ギルドの思うつぼにはまってる気もするが、終わるまでこの依頼付き合うか……」
ナムカはそう言いながらまだ青い空を見上げた。
河川のカーブに長い木材が丁寧に積み上げられる。
護岸工事の現場では、基礎までは手が回らないが、斜めに打ち込んだ補強材がしっかりと支えている。
ゴーレムは巨岩を両手で持ち上げると、まるで積み木を積むように正確無比に補強材の後ろに配置していく。
地面が震え、まわりに埃が舞い上がる。
その姿はまるで巨人が地形を彫刻しているかのようだ。
今回は土木用ゴーレムの他に軍から提供されたイェルクのゴーレムも工事を手伝っている。
軍用なだけに戦闘にも耐えうる堅牢な仕様で、大きさも普通の土木用の倍以上ある。
普段の土木用ゴーレムでは到底持てないような岩を、軍用ゴーレムがおもちゃを運ぶように片手で軽々と運び、滑らかな動作で岩を積む姿は、人間よりも人間らしい。
監督がその様子を見て感心している。
「普段使ってる土木用じゃ到底持てない岩を簡単に運んで、精度も馬鹿みたいに高く、しかも速いんだから、やっぱ軍用ってのは別格だな」
土木用ゴーレムを動かすのは魔力を持つ魔術師たちで、彼らはゴーレムを操縦するというよりも魔力の供給源となっている状態だ。
これが『ゴーレムの餌』と揶揄される理由だが、それだけの労力をかけてもゴーレムの力は現場では絶大な効果を発揮する。
「ここ抜かれると市街半分が水没するから、根性入れて積め―!」
「「「おおおーーー」」」
監督の檄が工事現場に響き渡り作業者が応える。
護岸工事の重要性を知る全員が、手を止める事もなく、全力で作業を進める。
「……」「……」「……」
軍から操縦者込みで提供されているゴーレムは軍務として命令で来ているからか、喋らず、淡々と寡黙に自分の職務に忠実にこなしている。
まぁ、唸るぐらいはできるらしいのだが……
「……なんだよ、ノリが悪いな。
まぁ、動かしてるのは硬い仕事の軍人さんだからな」
監督がさみしそうにつぶやく。
補強工事は次の日もその次の日も続き、ナムカ達を含む労働力を用いて護岸整備、山の土砂崩れ対策など危ないところの対応が進んでいった。
2日後、いよいよ近づいてくる嵐に、王城では対策会議が様々な部門主導で行われている。
しかし、現場と違い冷えた雰囲気だ
「これで一応準備は万全……だといいんじゃが」
「はっきり言って来てみない事にはどうなるか分からないのがのぅ……」
「……」
部屋の中に重い沈黙が落ちた。
今朝から窓の外では、雨が降り、雷鳴がとどろき、時折吹く強い風が城壁に唸り声を響かせている。
かなり遠い場所にいるはずなのに4日ほど前から海岸では風がうねりを上げ、岸壁に叩きつける波は、砕ける度に白い霧を巻き上げていた。
「……遠見の報告によれば、波はすでに10mを超えているとのことです」
土木建設大臣が口を開く。
「満潮と重なれば堤防が越えられる可能性も十分ある」
「嵐の規模は記録的かもしれん。だが、この短期間でやれるだけのことはやったのじゃ」
ひとりが肩を落としつつも言葉を絞り出した。
遠見の魔法で観測された海の荒れ具合は、誰もが未曾有の災害を予感させるものであった。
「ゴーレムを使った土木・補修工事は順調でしたし、よほどの嵐でなければ大丈夫と思いますが」
「神に祈っておくか……」
イェルク邸ではイェルクが執務室から外の様子を覗い、その雨の激しさに何気ない一言を漏らしていた。
「昨日から雨がすごいな」
ふいにエレナが呟いている。
「わたしに力があれば勢力を弱めるとかもできたんですけど……」
エレナは水の精霊だから『できたかもしれないが、国土全部は無理じゃないか』と思うが言わない。
「ま、治水も一応やってるわけだし、エレナが心配しなくても大丈夫じゃないか?」
いつもは屋敷の警備している軍の兵士が緊迫した顔でイェルクに説明してくる。
「もしもの場合、避難していただくか、お屋敷の高層階への退避していただくかもしれません」
なんでもゴーレムが堤防を守っていて、山沿いではがけ崩れも発生しているらしい。
(この辺迄来ないと思うが、決壊浸水となると地下工房はまずいな)
「なぁ、オフェリナ」
白蜘蛛状態で一緒に執務室の机の上の王国の地図を見ているオフェリナに問いかける。
「なぁ~に?」
「山崩れを防ぐため、山裾を見てまわって崩れそうなとこを補強できないか?」
「できないことはないと思うけど……範囲が広すぎるかも?」
確かに山に囲まれた立地の王国なため山全部を見てまわるのは時間がかかりすぎる。
人的被害だけ抑える方向で考えるか……
地図を確認すると人の居住地域に近くで、特に危険なのは3か所ほどだ。
≪ゲート≫を使えば距離の遠近は関係ない。
「山の方の数を絞ったら川の方も対応してくれるか?」
オフェリナは気楽そうに頷いた。
「そんなに数多くないなら」
「じゃあ、よろしく頼む。
場所の選定はこっちでやって近くへ≪ゲート≫で繋げるから」
「はいはい」
指示がないエレナが訊いてくる。
「わたしは何をすればいいですか?」
「留守番を頼む。しばらく姿を見せられないから、私はゴーレム作ってるとでも言って、メアリーを引き留めててくれ」
今はオフェリナも執務室で話しているが、メアリーの気配が近づくとガラスの飼育容器に入って、中に入れられている木の陰に隠れている。
出かけている間にメアリーが蜘蛛が脱走したと騒がないように瓜二つの人形を用意し、いつもの隠れているように配置する。
「じゃあ工房へいくか」
「はーい」
地下工房へ移動し、白蜘蛛が工房の奥に立て掛けられている大きな黒蜘蛛によじ登っていった。
溶けるように吸い込まれ黒蜘蛛が動き出す。
イェルクに寄ってきた巨大黒蜘蛛がのたまう。
「雨に濡れたくなーーい」
「歪曲空間張って雨に濡れないように空間曲げればいいだろ?」
「それだと作業できないかも?」
上からだけの雨なら何とかなるが嵐だから無理か、フィールドを張ってる方向には干渉できない。
「確かにそうか……
すまないが、1ポイント目に行くぞ」
≪ゲート≫を補強予定の地点のそばに繋げる。
暗雲が立ち込め、風雨が激しさを増している。
風が木々を悲鳴を上げるようにしなり、雨粒が地面を叩きつけていた。
遠くで稲光が一瞬光り、土砂が小さく崩れ始めている崖を照らした。その音が遅れて耳をつんざく。
これはチョット立ってるだけでも危ない。
「父様、危ないから私の上に乗ってて」
オフェリナは前脚で器用にイェルクをつまみ、黒蜘蛛の上に乗せ誇らしげにしている。
(私の目の届く範囲で、父様を雨粒一つでも濡らすなんて許されないわ)
本来は8本の脚のためのフィールド全てをイェルクの周囲に集中させ、イェルクの周囲だけは一滴の雨もそよ風もない。
フィールドをイェルクに割り振ったオフェリナ自身は雨や飛んでくる破片をまともに受けていた。
「オフェリナ、フィールド全部こっちに向けないで、自分にもむけろ」
オフェリナはイェルクの話をわざと完全に無視していたが、やっと口を開く。
「父様のほうがすぐ傷つくのだからフィールドで守ってないと。
それにこの体は戦闘もできる外装でしょ?」
フィールドを父様から外すなどオフェリナには許されざる行為だ。
本当は雨や風などフィールドの出力は2%もいらないが、全力で保護している。
周りを見渡すと確かに地図で確認した通りかなり高低差がある場所がすぐそばにあった。
そこが崩れれば、大量の土砂が押し寄せ、すぐそばにある村落が周囲の地形を飲み込むのは確実だ。
「あの辺を補強すればいいのね」
そう言うと崖の下の木々に腹部の終端から糸をかけていく。
崩れた後の保護柵にするようだ。
山ごと動かれて木を根こそぎ持っていかれるとまずいが、それでも勢いはかなり落ちるだろう。
それが終わるとオフェリナは崖の状態をじっと見つめ、どう対策するか考えていた。
雨に濡れる崖の面を包むように糸を伸ばし、岩や風に揺れる木々、土砂の隙間も彼女の糸でしっかりとつなぎ止められていく。
まるで大きな網を編むかのように、器用に糸を張り巡らせながら地面を補強していく。
その動作は、蜘蛛ならではの滑らかさで一切の無駄がない。
最後に崖の上部に移動し、もう一度全体を確認すると、オフェリナは満足げに頷いた。
「こんなものかしら?」
「さすが、うまいものだ。≪ゲート≫のとこに戻ってくれ。山の方はあと2カ所だ」
崖の補強を終えたオフェリナは、雨の中でひときわ目立つ黒い影だった。その背中には目には見えないが嵐の中でも揺るぎない光を放っているように見えた。
……
イェルクとオフェリナが山の補強を終わらせ、一旦地下工房に帰って、川の補強ポイントを確認する。
「あー、これはウチのそばが一番ヤバいとこだな。急いだほうが良い」
「はいはい。でもウチのそばって人がた~くさん頑張ってない?
目撃されちゃってもいいの?
それにゴーレムもいると思うけど……」
イェルクが少し考えるが嵐の中だし、工事関係者だけならそんなに問題ないかと考えた。
「もしゴーレムで襲ってきても、お前には蚊が飛んでるくらいにしか思えないだろう。
あまり気にするな」
「相手にしなくていいのね」
ゴーレムと強化外装を着たオフェリナを比べれば大人と子供以上に体格差がある。
ゴーレムに恐怖心とかは無いから、もし戦闘になれば怯まないのは少し面倒だが、3体程度のゴーレムならオフェリナの脚を軽く一振りすれば沈黙するだろう。
糸に絡められ、積まれた軍の白銀のゴーレム達の上に立ち、陽の光がスポットライトのように注がれているオフェリナ、触腕をふり上げ、勝利宣言をしている黒い外装が雨に濡れて鈍く光り、8つの赤い目を鋭く光らせる。
(悪役が似合いすぎる……)
イェルクの脳裏に浮かぶ勝利宣言している姿に思わず口元を引きつらせる。
問題はその修理は製作者である私、イェルクのところにまわってくるということだが……
補強予定の地点から少し離れたところに≪ゲート≫を開く。
「今回はゲートを回収してから補強に入ってくれ」
オフェリナはイェルクを背中に乗せた後、≪ゲート≫の魔道具をイェルクの隣に置き、ゴーレム達が決壊しないように抑えている場所に近づいていく。
「やってるやってる」
「これは凄いな。
当たり前だが山に降った雨が全て来てるのか」
茶色い濁流が途方もない力をもって目の前を流れている。
川幅は20mを越えていて、10mくらいある軍のゴーレムでも巻き込まれたら、そのまま海まで流され終わりだ。
河のカーブのアウト側で決壊しないよう軍のゴーレム3体全員が氾濫しないよう川岸の擁壁を押さえているが、さすがに山からも来る水の量に少しづつ力負けして決壊は時間の問題のように見える。
普通の土木ゴーレムは動かすのは魔力の確保が難しいからか安全を考慮したのか、退避させたようだ。
オフェリナが軍のゴーレムを見ながら、どう対処するかイェルクに確認してくる。
「どーする?このままゴーレムごと私の糸で川岸の補強しちゃっていい?」
「できればゴーレムは梱包しないでほしいが……、無理そうならそれでもいい」
「わたしが基礎を作ってれば大丈夫だと思うけど、基礎ごと持ってかれるとマズイわね。
重しに何か持ってきたほうが良いかも?」
言うが早いかイェルクを背中に乗せたまま、街はずれまで行き、埋まっていた自分と同じくらいのサイズを持つ巨岩をカーブの対岸に設置するとそれと対岸の杭を一個一個糸で結ぶ。
川を両岸を行きかう時に激しい奔流の中に脚を置いて着地してもビクともしないのはさすがだ。
周囲でまだ残って作業をしていた作業者が指さして振り返ることもなく走り去り、指揮官が取り残されたように叫んでいるが、その声も激しい雨音にかき消される。
「あれは……怪物か!?」
「逃げろ!」
叫び声が雨風の中からかすかに聞こえてくる。
そんな周囲には頓着せずオフェリナは補強作業を繰り返しながら、まだその場で川岸の補強材を押さえているゴーレムを前足で掴んで優しくわきにどけ、また同じことを繰り返す。
ゴーレムはフィールド経由で瞬発力は逃がせても、持続的な力には耐えられない。
まるでお母さんが『はいはい、ここにいるとちょっと邪魔になるから、こっちでおとなしく見ててね』とやさしく子供の背中を押して場所を開けさせているようだ。
杭が浅くてグラついてるものは更に深く打ち込んで念を入れ、あっという間にその作業も終わった。
「こんなものでいい?」
「OKだ」
地面を歩けないところは家の屋根を飛び跳ねながら、人の気配が途絶える山側へ向かう。
視界が開けたところで≪ゲート≫を展開し、オフェリナは大きな体を小さく変化させ秘密工房に帰った。
静寂に包まれる地下の秘密工房でイェルクが雨に濡れ泥に汚れている苦労してきたオフェリナを労う。
「ごくろうさん、一応やれることはやったし後は天候次第か。
まずは一緒に風呂に入って体を洗って泥をながそう。そうしたらゆっくりしてくれ。
もうちょっとだけ我慢だ」
「はいはい、って父様といっしょお?!」
夜になり外の嵐は完全に山場を迎えている頃、屋敷の湯殿では小さめになった黒蜘蛛の強化外装が浴室で洗われている。
オフェリナが小声でイェルクに訊く
「ねぇ、父様、この状況って大丈夫?」
「心配ない。『エレナと風呂に入るから、誰も近づかないように』と厳命したし、
エレナにも黒蜘蛛のことは話さないように言ってある」
「たぶん私の心配してることと違う気がするなぁ……」
オフェリナはエレナと父様が二人で風呂に入って、人払い迄したことで屋敷の人間に変な誤解をされるのを心配していたが、イェルクにはそんな考えは浮かばなかったようだ。
(あらぬ噂がたたないといいけど……)
エレナも泡まみれの手でゴシゴシと黒蜘蛛の脚を洗うのを手伝い、楽しそうに笑っている。
「こんなに大きいと、洗うのも大変です」
イェルクが軍のゴーレム製作で忙しいという名目でいなかったため、エレナは一日メアリーとお話ししたり、本を読んでいたので、こんなことでも楽しそうだ。
黒蜘蛛の強化外装はいろいろ役に立つがさすがに自分で洗える範囲が狭い。
(元々蜘蛛は脱皮するから汚れる頃には新しくなるからな。
強化外装だと基本的にはフィールド張ってるから汚れないはずだが、今回、雨に当たって作業とかもしたしな)
イェルクが黒蜘蛛の強化外装のお尻を洗い終わり、風呂桶でお湯をかけてすすいでいる。
「あとはお湯をかけて流そう。
しかし大きな尻で洗うのは大変だが形はよくて私は好きだ。
個人的には蜘蛛は細い尻より丸い尻のほうが好みだからな。
流したら湯船につかれよ」
オフェリナが湯船に浸かり、わずかに俯いたように見える。
黒い体色のせいで赤面しているかはわからないが、オフェリナが湯船につかりながら満足げに呟いている。
「……雨の中でも頑張ったのも、無駄じゃなかったわね」
湯けむりの中、黒い体色の大きな蜘蛛のオフェリナは静かに目を閉じ、ふっと息をついた。
・
・
・
翌日メアリーがエレナにそれとな~く訊いてみた。
「エレナ様、昨日のお風呂、旦那様とどうでした?」
エレナは少し得意げに、無邪気な笑顔で答える。
「大きくて大変でした。
色が黒いから、もっと汚れてるのかと思いましたが、意外ときれいでした」
その瞬間、メアリーの脳内に雷が落ちた――
(大きい?大きいって旦那様のこと?
……大きいんだ)
いや、でもエレナちゃんから見て大きいってことかも……
メアリーの思考がどんどんおかしな方向に向かっている。
(え?!な、な、私、何考えてるの!?
『大きい』って何?!旦那様の…まさかその…)
メアリーの脳内が完全に暴走する中、エレナは無邪気に続ける。
「あと、お父様が『形がいい』とか『大きくて好き』って言ってました」
その追い打ちで、メアリーは椅子から転げ落ちそうになる。
『お父様には黒蜘蛛の事はメアリーには秘密だから』と言われたから、「黒蜘蛛は」を外したし大丈夫♪とエレナは無邪気に思っている。
椅子に何とか踏みとどまってメアリーが小さく叫ぶ。
「え?!えーーーーー」
(昨日のお風呂…旦那様、エレナちゃんと一緒だったよね
旦那様が言う『大きくて好き』って……エレナちゃんのことだよね?
大きい?エレナちゃんって意外と……いや、そんなはず……
お尻のこと?…形がいい…?えっ、何が?!どこが?!どっちの話??)
混乱したメアリーは顔が真っ赤にしながら、エレナをまじまじと見る。
夜、ベッドに入った後もメアリーの想像は止まらなかった。
(旦那様って……大きいのが好きなの?
え?でもエレナ様って大きい??
まだ私の方が……いや、でも私は細いし…)
メアリーは今夜も眠れなかった。




