二日酔いの神様の実験室
イェルクは持って帰ってきた剣歯虎の頭部をどうするか、悩んでいた。
生物は専門ではないのでどうすればいいか分からないが、解体して大きな牙を魔法の触媒や材料にするのも良い。
魔道具へ加工してもいいだろう。
牙をイミテーションにして頭蓋骨を蒐集家に売るのも金になりそうだ。
保存魔法を使い、悩んでいたが、人造生物を専門でやっている魔法使いに相談してみた。
彼女はすぐに地下工房に現れ、保存魔法をかけていた頭部を円柱水槽に放り込み、生き延びさせるための溶液を作り出した。
ぷかぷかと浮かぶ頭部は、元気に生き延びている。
隅の方でオフェリナがフラに手を振って元気にしていることをアピールしている。
オフェリナの白い蜘蛛の身体を作る際、アーキテクトやアルゴリズムは私が決めたが、実際に使ったマテリアル(人造筋肉や人造の内臓)はフラのものだ。彼女も製作者の一人と言えるだろう。
「保存魔法も万能じゃないから、できるなら養生液で生かしておいたほうがいいわ。
よく判らないけど精神が蒸発しちゃって無気力になるのよ。
養生液で生かしてると精神が折れちゃうことがあるけど……」
今や水槽の中から絶え間なく威嚇する頭部に対し、フラララシーは手を近づけたり、周囲で指をくるくると回し、挑発するような仕草で頭部をからかって楽しげに眺めている。
「これ、すっごい可愛くない?凶暴そうだけど。
なんか自分が一番で恐れを知らず、すべてを憎んでるって感じ。
人造生物ってここまで激しいのはできないのよねー」
からかっているのが分かるのか、頭だけの剣歯虎が牙をむき出しにして保存液の中、牙でフラのからかっている手をかみちぎろうと激しく威嚇している。
水槽の中で唸っているのだろうが、音は泡に飲まれ、何も聞こえない。
イェルクは心の中でため息をつきながら、フラの無邪気な挑発に驚くこともなく見守っていた。
水槽の中でぷかぷかと浮かびながらも、剣歯虎の頭部はまるで全身があるかのような錯覚を抱かせるほど、凄まじい迫力を放ち、たまに牙が培養槽のガラス容器とぶつかり『ガッコーン、ガッコーン』と音がしている。
どうやら自分の状態を理解してないらしい。
(…相当に凶暴そうだ。
こいつはこのまま水槽に閉じ込めてたほうが良い気がする)
両腕で抱えきれないほどの頭部が牙をむき出しに威嚇してくる。
ガラス越しで相手に攻撃手段がないとはいえ、両腕に抱えきれないほどの頭部に威嚇されても、フラはまるで気にした様子がない。
「あんまりからかって興奮させないでくれ……」
フラララシーは目を輝かせ、期待に満ちた声で訊いてくる。
「このあと、コレ、どうするつもり?
使わないなら私が貰っていってもいい?」
「ちょっと待ってくれないか?どう使うかどうかはまだ決めていない」
「OK~、これだけの逸品だもの悩むのも当然よね~」
フラにはオフェリナの身体を作るときに世話になってるから強く言われると断りづらいが、そこまで本気で言ってるわけでもないらしい。
「凶暴そうだし、コイツはこのままオブジェとして飾ってたほうが良くないか?
ちょっと不憫だが……」
「そうね~、確かに身体を作って暴れられたらイヤよね~
脳だけ抜き取って、カタツムリとかウミウシかイソギンチャクに入れちゃう?」
(フラだと実際にそれくらいできるし、やりそうなのが怖い
そうなったらコイツのプライドは持つだろうか……)
「確かにそれならあまり脅威はなさそうだが……
さすがにどうかと思うぞ。せめて手足はついてたほうがいいんじゃないか?」
オフェリナはフラの大胆な提案を聞いて、小さな声で『それはちょっと……』と呟いている。
フラララシーは悪戯っぽく笑いながら続けた。
「んー、そっか、ならイモリとかカエルとか?
何を作るにしても身体作るんなら、もちろん私も混ぜてよね」
(人造生物か……
虎型で性能が良いのが出来たら軍に貸し出してもいい。
ゴーレムみたいに人が制御するでもいいが、それでは敏捷性や機動力が半減してしまう……
だが制御できないで暴れられたら大惨事になってしまうしな。
やっぱり力を持つものの制御は難しいな)
確かに人造のふわふわの白虎に埋まって寝たらすごく気持ちいい気がするが、威嚇している頭部を見るとそんな平和な関係は無理そうだ……
それに元の大きさが4mもある剣歯虎だ、身体を作ると言っても大変だろう。
ふと、イェルクの頭の中に一筋の閃光が走った。
「別件でちょっと思いついたんだが、コイツみたいな人造のおとなしい剣歯虎って作れるか?」
「え?それくらいできるけど、大きさがあるから値段も高いわよ?
あと脅威度も大きいから中に入れる性格もかなり厳選しないと危ないし……」
イェルクは、ふと目を細めて付け加えた。
「強面の虎が執務室にいれば、変な奴が入ってこれないだろう。
見た目だけで威嚇になるし、4mもあればふわっふわのベッド代わりにもなる」
「あー、それいいわね~、私も遊びに来て寝ころびたい」
「……まぁ、たまにならいいぞ、たまになら」
「執務室においてモフモフを楽しむ用だから力はいらないし、基本寝転がっていればいいので、一日に5歩歩けるくらいの体力でいい。」
「なるほど~、モフモフ専用の剣歯虎ね。威嚇はするけど襲わないってわけか。
ふふっ、面白そうじゃない!」
フラは目を輝かせながら、手のひらで軽く宙をなぞる。
どうやら彼女の頭の中には、既に設計図のようなものが浮かび上がっているらしい。
「うーん、そうねぇ……見た目はやっぱり本物そっくりがいい?
それとも少しデフォルメして可愛くする?」
「見た目は本物そっくりで頼む。
威嚇や警備の効果も兼ねてるからな。
だが、重要なのは“触り心地”だ。ふわふわの毛並みが絶対条件だぞ。
そういえば元の毛皮が保管されているから、アレを被せてもいいな。
頭はないから作らないといけないが……」
「じゃあ中身だけ作ればいいのね♪ ただ、完全に本物っぽくするなら毛並みの維持がちょっと大変かもよ?」
「それはいい。メンテナンスくらいなら時間を割く。
自動人形に頼んでもいいし」
しばらく後、イェルクとエレナは、様子を見にフラララシーの屋敷に遊びに来てみた。
オフェリナが不満そうに言うのを何とかなだめてエレナと一緒に来ることになった。
「オフェリナ、すまないが、今回は屋敷で待っててくれ。
あそこにお前を連れていくと改造されそうで怖い」
「え~、私はお留守番~」
姿形が白色の蜘蛛なのでよく判らないが、オフェリナが頬をふくらませて、不満をあらわにしてる気がする。
「ぶー、ぶー、私も一緒に遊びに行きたかったな~」
「すまない。だが、その身体に羽生やされたり、角つけられたりするとせっかく綺麗に整ってるデザインが台無しになるだろう?」
「この姿がきれい?」
オフェリナの声には、驚きと少しの照れが混じっているように聞こえた。
「すごく綺麗だと思うが……ちがうか?」
「そ、そう? なら……お留守番してる」
少し不満げだったオフェリナの姿勢がふっと緩み、その白い体を揺らしながら静かに下がっていく。
彼女の声にはほんのりと嬉しそうな響きが残っていた。
フラの屋敷に向かうイェルクとエレナを見送りながら、オフェリナは複雑な表情を浮かべていた。
フラに恩を感じつつも、彼女の『改造』趣味には警戒心を抱いている。
留守番をする間、そっと窓越しに二人の背中を見送りながら、彼女は小さく息を吐いた。
フラにはオフェリナの元の身体の治療や今の身体の製作でずいぶんと世話になった。
だが、彼女はオフェリナの身体の事を知っているがゆえに、下手に連れてくると翼や角を生やしたり何かしらの「改造」を施されてしまいそうだ。
フラは由緒正しい貴族に生まれついているので、ウチの借屋敷に比べ大きな屋敷を所有している、代々の魔法使いの家系だ。
フットマンに促されエントランスホールでフラの出迎えを待っている。
(いつ来ても思うが、さすが古い家柄の貴族のエントランスホール。歴史の重みが違う。
ウチも自動人形の実演や展示の為、お客である貴族の入る部分は、ある程度見栄えは整えているが、飾り気のない新参の館と、長い年月を紡いできた家の存在感は、どうしても埋まらない溝がある……
本来なら私がこんな貴族の屋敷に来ることも身分違いなのだが……)
高くそびえる天井には、黄金と銀の細工が施された豪華なシャンデリアが輝き、その光が飾ってある周囲の彫刻や絵画、敷物を柔らかく照らしている。
絵画には代々のフラ家の当主が描かれており、その中には歴史的な事件を収めたと思われる壮大な場面も含まれている。
彫刻は、伝説の魔法使いの姿を象ったもので、いずれも堂々とした姿勢と力強い魔法陣を抱える手が印象的だった。
敷物は何層にも織り込まれた見事なペルシャ模様が施されており、足元の大理石の床は磨き抜かれた光沢を持ち、まるで鏡のように光を反射している。
この光景に目を奪われ、歴史の重みをひしひしと感じながら立ち尽くしていると、フラが軽やかに現れた。
「は~い、いらっしゃい♪ イェルクにエレナちゃん」
彼女の微笑みには、貴族らしい気品と親しみやすさがある。
「邪魔しに来た」
「すみません。お邪魔しますー」
「すぐ実験室見るでしょ?こっちよ~」
案内されながらイェルクが話しかける。
「少し暇ができたから、連絡した通り、前に頼んだ剣歯虎がどんな感じか見に来たんだ。
後は何か面白いことしてないかの偵察だな」
「そうね~、私はイェルクと違ってそんなに面白いことしてないわよ~」
「どうだかな……」
長い廊下を歩き本館から実験棟に移動していくと、豪華な装飾が消え、代わりに実用的なタイル張りの壁が目につく。
重厚な木製の家具はなくなり、無機質で無骨で頑丈そうな扉が部屋への入り口を閉ざし、雰囲気が一変した。
(この丈夫そうな扉の向こうにはどんな生き物がいるのか……)
オフェリナの身体を治療するときにかいだ薬草とケミカルな臭いを濃くしたものが鼻を突くようになる。
(さすがに本館にこの匂いは届かないようにしてるんだな……)
扉の向こうから漏れ聞こえるコポコポと水の中を空気の泡がのぼる音が絶え間なく聞こえてくる。
エレナは不安になったのか、控えめにイェルクの袖を軽く引っ張った。
「……フラさんのところ、何だか賑やかですね」
「ウチと違って魔法生物が専門だから、生き物相手だし、ずっと世話しないといけないからな」
時折、廊下に置いてある大きな水槽やガラスケースの中には生息環境が再現され、無害そうな不思議な生き物たちが姿を見せている。
その一つのアクアテラリウム(水を張った部分と陸地の部分がある)の中で透き通った水色の綺麗なトンボの羽の生えたカエルが小さな羽音を立てながらふわりと飛び上がる。
イェルクがそのカエルを見て小さな声でつぶやく。
「なぜ魔法生物を作る者は羽や角、追加の腕を生やしたがるんだろう……」
その声には、呆れと興味がないまぜになっている。
彼の視線は、水槽の中のカエルの羽に一瞬留まったが、その後すぐに興味を逸らすように先を急いだ。
確かに羽を付ければ空を飛べるようになるかもしれない。
それが良いかはよく分からないとイェルクは思っている。
その横には大きな鼻に何本もの脚が付いたよく判らない生き物や30cmほどのドラゴンの鱗を持つ奇妙な人型の植物が、まるで糸のような葉を風に揺らして埋まっている。
エレナは廊下に置かれた水槽に目を奪われた。
(本当に、こんな生物が存在するの?)
足を止めて水槽のガラスの向こうに広がる未知の世界に生きる奇妙な生き物をのぞき込んで目を丸くしている。
『自然』ではあり得ない生き物を目の当たりにした彼女の胸には、その矛盾した存在に、どうしようもない違和感を覚えていた。
エレナは自然の動物や植物は見慣れているが、魔法生物を見るのは初めてで、その矛盾やメチャメチャさに慣れてないから恐れと興味があるようだ。
まるで二日酔いの神様が思いつきで創造したような、そんな生物たちに慣れるほうがおかしいとも思うが……
「今日はあの喋るキャベツはいないのか?」
喋るキャベツは、植物を賢くする実験の過程で偶然生まれ、予想外に賢くなってしまって、会話ができるまでに至った。
冗談や皮肉も言ってきて、たまにフラがやり込められていたが、今日はその声が聞こえない。
「あ~、あれね……」
フラが肩をすくめて笑う。
「残念なんだけど、ちょっと目を離した隙に海水の中で生活するようにエラをつける改造実験した芋虫に食べられてしまったの。
あのキャベツ、冗談ばかり言うけど、いなくなると寂しいわね。
芋虫は海水から出れない筈だったんだけど、どうやらそれも克服しちゃったみたいで……」
イェルクは眉間に皺を寄せた。
「そうか……それは残念だったな。
もうあのキャベツに歌はきけないか」
イェルクが残念そうにつぶやく。
「やめて!あのキャベツの歌が聞きたいとか、イェルクは音楽の才能はどこかに捨ててきてるでしょ!」
「そうか?あの音程を思い切り外した明るい歌を聞くと、自分はまだ歌が上手いんだと思えていいと思うんだが……」
フラは思わず後ずさった。
「私なんて、あれを聞いた後は、どの音が本当の音程が分からなくなりそうだったわ!
あの自分の音感が破壊されていく感じ……
アレを聞いてたら、絶対自分の歌が下手になるわ!」
「キャベツの歌の影響力がそんなに大きいとはな。
次は楽器でも持たせるか?」
「やめて! 想像しただけで頭が痛い!」
時折、何かが爆ぜるような音や聞いたこともない生き物の声が屋敷に響くが、イェルクは眉ひとつ動かさず足を進める。
「お父様、今の音……」
イェルクは振り返りもせず、淡々と歩き続ける。
「気にするな。実験室ではよくあることだ。」
その言葉に一瞬安心しかけたが、次の瞬間、通り過ぎてきた扉の向こうから、甲高い叫び声のような音が響いた。
まるで何かが苦しんでいるようなその音に、エレナは顔をしかめる。
(よくあることだなんて……)
フラが突き当りの実験室の扉を開けると、中はカラフルな薬品の瓶、不思議な機械部品があふれていた。
ムッとする高い湿度の生暖かい空気が流れ出てくる。
部屋にはカラフルな薬品の瓶が並び、不思議な形の機械部品があふれ、所々で蒸気が噴き出している。
培養槽には見たこともない生物やいかにも筋肉や心臓、目といった部位が培養槽の中でゆらゆらと揺れいる。
その前で、実験室の無秩序さの中で異彩を放つ白銀色に輝く4本腕の自動人形が、いくつもある培養槽の調整をしていた。
イェルクがオフェリナの体躯の治療や製作手伝いの”お礼”として作り、フラに贈った特別製の人形だ。
「イェルクに貰った自動人形、”ウル”って呼んでるけど、働き者で助かってるわ~」
「それは良かった。オフェリナの身体では私もかなり助けられた。
ま、お相子だ。
役に立っているなら良かった」
イェルクの短い言葉の裏に、わずかに満足げな響きがあった。
彼は自分の作ったものがフラの役に立っていることを確認し、少しでもオフェリナの件のお返しができたことに安堵を感じた。
(確かに日々の調整は自動人形に任せるのが効率的で手間も省けるな。
他所の自動人形なら卑金属で、すぐに錆びてしまいそうだが、うちのは素材にも凝ってるからな)
フラがウルの銀色の肩を軽く叩くと、”ウル”がイェルクに向かい礼儀正しくお辞儀をした後、仕事に戻っていく。
(ちょっと真面目過ぎる気がするな。
冗談しか言わないフラとうまくやれていればいいが……)
エレナは後ろで実験室の状態に凍り付いたように動かなくなっている。
透明な液体の中で筋肉や心臓、目といった部位がまるで生き物のように微かに動いている。
見たこともない生物がゆっくりと体をくねらせ、薄い膜の向こうからじっとこちらを見ている気がした。
「こ、これって……」
「培養中の組織のこと?
単純に培養しているだけだから、すごくもなんともないわ。
ここのは実験に使ってる分で別の棟で販売用に大量生産してるわよ~
こういうの見たの初めて?」
「……はい」
「表面覆われてるから判らないけど、エレナちゃんもイェルクも肌の下には同じようなのが入って動くのを実現してるわ」
イェルクには、夕食の食材の肉と変わらない少し生々しいただの素材にしか見えなかったが、エレナには少し刺激が強かったみたいだ。
「エレナ、大丈夫か?」
「はい……」
部屋の中央には巨大な虎の骨格が実際の骨格に比較すると簡略化され、鈍い色を放つ金属で組み立てられている。
材質はオリハルコンか?
イェルクは骨格を一瞥しながら言った。
「頼んだ虎型人造生物の骨格はこれか?
すごいな」
「そうそう!まだ骨格を作っているところなの。
大きいでしょ?」
フラは振り返り、満面の笑みを浮かべ得意げに胸を張る。
「でも、これはただの試作品よ~。
今回は骨にもしなやかさを入れようと思ってるから。
出来たら私もたまにモフモフしに行く予定だから傑作にしないと。
今はまだ動かないし、骨しかないから可愛くないけどね」
肉の付いてない骨だけの姿では剣歯虎は確かに牙が長く特徴的だが、猫とあまり変わりが無いように思える。
細かく観察しているイェルクが眉を上げ少し疑念を抱いたように見えた……
「なぁ、フラ、牙とか歯とか爪とか危ないから柔らかくしてくれないか
あと、気のせいでなければ背中というか肩甲骨に何か外した跡があるんだが……
まさか羽を生やそうとかしてないよな?」
「え?、羽を生やそうなんて、そ、そんなわけないじゃない!
あはははは、いやだなぁ、もう~」
「そうか?それならいいんだが……」
「で、でも、羽とか角とか生やしたら素敵じゃない?」
納得しきってないイェルクが睨むとフラが目をそらしている。
その間にエレナは、虎の骨格に近づき、そっと手を伸ばして冷たい金属の表面に触れた。
その感触が指先を伝わってくる。
「……本当に大きいですね。
これが動いたら、迫力がすごそうです」
そのつぶらな瞳が、どこか興味を示しているようだった。
まるでエレナの言葉に闇の中に光を見たようにフラの目が輝く。
「さすがエレナちゃん、よくわかってる!」
「エレナ、怖くはないのか?」
イェルクが少し心配そうに尋ねると、エレナは小さく首を振った。
「怖くありません。
これは……ただの“身体”ですよね?魂が宿る前の」
フラはエレナの言葉に目を輝かせた。
「そうそう、これはまだ“器”に過ぎないのよ~。
本当の命を吹き込むには、まだまだ時間がかかるわ♪」
イェルクは虎の頭部を見つめながら、腕を組んだ。
「で、これの魂はどうするのか訊いても良いかな?
人造の魂をいれるのか?」
植物の魂を加工し人造の魂として人造の生物や自動人形の魂として使うのは割と一般的だ。
植物の時間と我々の時間の経過が違うため、ちょっと反応が悪かったりするが、素直な性格のあまり裏表のない魂に加工できる。
フラは悪戯っぽく笑い、イェルクにウィンクをする。
「イェルクが許してくれるなら、あの首だけになった虎の魂魄をね――」
フラはわざと間を置き、指を2本立てた。
「魂と魄に分離して、魂だけを入れようかなって思ってるの!
普通、どっちも必要なんだけど、片方だけにしたらどうなるか興味ない?
魂だけを入れることで、純粋な善の存在ができるのか試してみたいの!」
「純粋な善か……」
フラは楽しそうに笑いながら言った。
魂っていうのは主に善とされる部分で、魄は悪とされる部分だ。
「普通は魂と魄を合わせて一つの生き物を作るんだけど、もし魂だけなら、本当に『正しい』ってどんなことなのか、見てみたいと思わない?」
彼女の声には、純粋な好奇心と期待感が滲んでいた。
イェルクは眉間に皺を寄せながら、ため息混じりに呟いた。
(果たして純粋な善や悪と言うのは存在するのだろうか……)
「……嫌な予感しかしない。
そんなに綺麗に分離できるか?
それに残った魄の部分をどうする?
悪い部分だけが集まった感じだぞ」
イェルクは眉間に皺を寄せる。
(善と悪は表裏一体で、その物事をどのベクトルから見たかの違いでしかないんじゃないか?)
フラの無茶苦茶な発想にはいつも手を焼くが、これまで何度も成功している。
それだけに確認してみたい気持ちもあった。
「そうなのよねー、魄だけでカタツムリか、また喋るキャベツつくる?
あ、どうしてもというならカタツムリに羽を生やしてもいいわ」
「それはどんな生き物だ!
そんな副産物ができるくらいなら、植物の魂を入れておいた方が面白みはないがましだろう……」
イェルクはため息をつきながら、頭を押さえた。
さすがに生首状態の虎が不憫になってくる……
それに聞いてるとフラはあの虎をカタツムリにするのを推してるとしかおもえない。
エレナは少し首をかしげ、まだ金属の骨だけの虎の頭部に向かってぽつりと言った。
「……この子、モフモフになったら、撫でてもいいですか?」
(この虎は力強く優しい存在になるのだろうか?)
その瞬間、フラの目がさらに輝いた。
「もちろんよ~!毛並みも最高にふわふわになる予定だから、エレナちゃんもモフモフしていいのよ!」
エレナの目がわずかに輝き、イェルクもそれを見て、ほんの少し笑みを浮かべた。
魔法生物については専門外なのでイェルクにはよく判らないが、基本的な考え方や細かい仕様の話し合いがすすんだ。
エントランスで馬車に乗りながらフラに分かれの挨拶をする。
「じゃ、大体できたら連絡をくれ、被せる毛皮を送ろう。
あと魂についてはまた相談しよう」
「は~い、ふわふわの剣歯虎、楽しみに待ってて。
アレだけの大物、私も久しぶりだしたのしいわ~」
その日の夕方、イェルクたちは屋敷へと戻るため、馬車に揺られていた。
エレナは窓から外の景色を眺め、頬に風を受けている。
「……エレナ、どうした?疲れたのか?」
(いつも屋敷に閉じ籠っているから連れ出してみたのだが、変な生き物もいたし、エレナをフラの屋敷に連れてきたのは失敗だったかもしれないな)
イェルクが静かに声をかけると、エレナは振り返って微笑んだ。
「大丈夫です。外の景色がとても綺麗で……」
「そうか」
エレナの見ている先では沈みかけている夕陽が金色に輝いていて、木々の葉が風に揺れている。
「フラララシーさんは何で生き物を改造してるんでしょう?
何か目標があるんでしょうか?」
「そうだなぁ、何をすればいいか、まだ迷ってるのかもな」
「迷う?」
「目標は判らないが、必要な時に必要な対応ができるように今はいろいろやってるんだろう。
失敗や成功もそのために必要なんだろう。
そういう試行錯誤があったからこそ、エレナやオフェリナの身体を作ることができたのは事実だ」
「そうなんですか。よくわかりませんが……」
まだ少し納得してなさそうな顔でエレナがうなづいた後、笑顔で話しかけてくる。
「虎、早くできるといいですね。
ふわふわの毛並みを触るのが楽しみです。
きっと、ふわふわで大きくて……抱きしめると暖かいんでしょうね!」
「そうだな。ふわふわの虎の上で一緒に寝るのが楽しみだ」




