表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/34

白虎食事会

ハイキング(装備の試験)中にオフェリナが苦労して夕食のために狩ってきた剣歯虎。

料理長に夕食に出すようにイェルクは言った後、ハイキングに戻っていった。


「キツネでもウサギでも魚でも旦那様が捕ってきたものくらい、心配しなくても、ちゃんとさばいて料理してみせますよ」


料理長はそう言って旦那様に大見えを切った以上、納得してもらえる完璧な料理を時間までに並べなければならないが……

まずは助っ人を呼ぶしかない。

そこは小さな酒場だが知ってる人間には名の通った場所だ。

店内には、腕が確かなものの、何かしらの理由で普通の店では働けない料理人たちが集まっている。

貴族のパーティーなど大規模な仕事の際、臨時で料理人が必要に料理を手伝ってもらうなど人手がいるときには頼れる場所だ。

ラインベルク自身もかつてはこの酒場で、ある意味その日暮しの生活をしていた時期があった。

今、ここにいるのは、夜の時間が空いている料理人で、ここで臨時の仕事が入らないか待っている。

扉を開けると、酒場にしては異様な静けさが漂っている。

酒も煙草もまだ誰も口にしていない。

今はまだ時間が早すぎるからだ。

舌の感覚を鈍らせないように、皆水を飲んでいる。

酒を早々に口にするような者は三流だというのが、この店の流儀だ。


「おう、ラインベルク、しばらくご無沙汰だったじゃねーか。今日はどうした?」


その問いに、ラインベルクは少しためらった後、冷静に告げた。


「誰か、丸ごと一頭の肉食獣を解体できる奴はいないか?

あとそこからの肉料理を手伝ってくれ。二人いれば上等だが・・・」


料理人たちの視線がラインベルクに集中した。

ここにいる奴なら貴族のパーティでメインになる肉料理くらいは難なくこなせる。

十分自慢できるものが作れるだろう。


もちろん、ラインベルクにも作ることができるし、みんなそのことを知ってる。

少し経った後、不思議がる連中から声がかかる。


「肉食獣くらい誰でも捌けるだろ。何をビビってるんだ?」


ラインベルクが一呼吸した後に答えた。


「物は猫科の獣だが、大体熊の2倍くらいの大きさだ。

お前らのいま想像してるブツを越えてることは俺が保証する」


室内の空気が一瞬で静まり返る。

さすがに対象がそれほどのモノと思わなかったようだ。

ひそひそと誰ともつかない声が聞こえる。

この場にいる人間の8割くらいは信じてない感じだ、残り2割も半分くらいは信じてない。


「どんな化け物だよ・・・」


普通の熊の解体でも数時間かかる。

大体、そんな仕事は卸業者に頼むものだ。さらにそれが大きな獣なら、誰もが躊躇するのも無理はない。

手間と時間がかかりすぎる上、危険も伴うからだ。


沈黙を破ったのは、背の高い男だった。


「ある程度解体した後の処理なら手伝うぜ」


男は興味深そうに名乗りを上げた。

ラインベルクは短く「頼んだ」と返し、周囲を見渡したが、他に名乗り出る者はいなかった。

すぐに屋敷に戻る準備を始める。

名乗り出た料理人を連れ、急ぎの馬車で屋敷に帰る途中、助っ人の男マルコが事情を訊いてくる。


「どんだけでかいブツかワクワクするぜ。

ブツが大きくて手間取るのは分かるが、ラインベルクの旦那が焦って助っ人を求めてくるって珍しいな。

パーティに呼んでる相手はよっぽど名前の通った貴族なのかい?」

「いや、貴族相手じゃない」

「じゃあ誰だ?」

「屋敷の人間だよ。従業員全員、30人弱の夕食会だ」


マルコの動きが一瞬止まる。


「……本気か?」


マルコが何とも言えない顔をしている。

ラインベルクは淡々とした表情で繰り返す。


「人数は少ないが屋敷の従業員全員に、旦那様が感謝の気持ちを込めての夕食会だ。

それだけに中途半端なものは出せない」


マルコはラインベルクの言っている内容が信じられなかった。

普通、屋敷の主人が従業員を労う事などほとんどない。

みんな仕事としてやっていて給金も出している。

せいぜい特別な日に簡単な酒が振る舞われるくらいだ。

それを肉食獣一頭使って感謝の夕食会だなんて……。


ただでも肉は単価が高い贅沢品だ。

それが肉食獣一頭ともなれば、いったいどれだけの価値がかかるのか……。

聞いた大きさの獣の肉を市場に出せばそれだけでひと財産作れる。

それを従業員に振る舞うなんて、よほどの金持ちか、あるいは金銭感覚が狂っているとしか思えない。


「なんかすごい主人みたいだな。尊敬するべきか、それとも呆れるべきか……」


マルコはそう呟き、わからないといった風に首を振った。

しばらく考えた後にラインベルクに提案する。


「従業員の夕食会だと言うなら、煌びやかさより質や量を重視した方が良さそうだな」

「なるほど・・・

確かにその方が良いかもしれないな」


ラインベルクはしばらく考え込む、確かにマルコの言うように貴族向けのメニューよりも質と量のほうが屋敷の人間には喜ばれるだろう。

ただ、量を作るとなると今日の夕食に出せる分で考えてたメニューをほとんど切り替えないといけないし、時間が圧倒的に足りない。

それも難しい問題だが、まず目先の問題は料理できる状態まで持って行けるかだ。

ラインベルクが屋敷に帰ると肉の卸業者から派遣された解体人や革剥ぎ人、冷蔵魔法を使う魔法使いがちょうど到着していた。

小山の様な巨大な肉食獣の現物を見たマルコが目を見開いて小さく唸っている。


「ぉぉぉー」


マルコの顔を見て、ラインベルクは『その気持ち、よくわかるぞ・・・』と内心で呟く。

叫ばないだけ大したやつだ。


肉の卸業者から派遣された職人たちもさすがにこれだけの大物は見たことないらしく、息を呑み、言葉も出ない様子で肉塊を見つめ固まっていた。

恐らくこの物を見た人間すべてが、こんな素晴らしいものを見れた光栄に感謝していることだろう。


解体の為、ブツが厨房の天井からチェーンで吊るそうとしても肉は重すぎて浮き上がる気配もない。

いち早く現実に戻り、処理のプランを考えていた革剥ぎ職人が、早速ラインベルクにどうするのか訊いてくる。


「これだけのブツだ。敷物にでもするか?」

「ああ、そうしてくれ」

「こんな上物、今まで見たこともない。

こりゃ、出来上がった敷物の値段もすごいが、手数料もものすごいぞ。

失敗できねぇな」


美しい毛皮に覆われた巨大な肉塊が目の前に横たわっている。

前足だけでいくらになるか分からない程上等なコートが作れる毛皮だ。

手を伸ばすのも躊躇ってしまう。

革剥ぎ職人が静かに慎重にナイフを入れ器用に皮をはぎ始めながら呟く。


「ナイフを入れるだけでビビるなんて一体何時(いつ)以来だ。

……まるで若い頃に戻ったみたいだ」


ラインベルクは煮込んだシチューやステーキといった考え直したメニューを料理人たちに説明する。


提供は3日後として、今日から特製煮込みは作るが、肉は熟成させ、当日朝から本格的な仕込みを始め、今日の夕食はいつも通り提供する。

作業の量を考えた料理人たちが呆然としている。

3日後に設定しても時間的な猶予はほとんどない。


作業が始まると、厨房内はまるで戦場さながらの忙しさだった。

いつもの夕食に加え、3日後の夕食会の仕込みや肉の解体が並行で進んでいく。

まずは鮮度を保つためにワタを取り出していく。取り出されたワタや皮をはいだ肉はすぐに解体され、部位ごとに整理されていく。

さすがに肉塊だけになるとサイズはともかく、普段目にしている者と変わらないせいか職人の動きが滑らかに変わっていく。

すじ肉やスネ肉など硬い部位は炙られたあと煮込みの材料として渡されていく。

包丁がまな板を叩く音が響き、声が飛び交う。


マルコも解体職人がノコギリで切断した肉のブロックを手に、保管用と調理用に分けていく。

マルコくらいの料理人なら作るメニューを聞けばどの部位を保存するかは何も言わなくても心得ている。

使わないものは切り分けたそばから冷蔵魔法で冷やして保管庫へ消えていくが、何より量が多い。

いくら人手が揃っていても、夕食時には解体すら終わってなさそうだ。

保管場で解体しない状態でも吊っておけるかを確認し、今日解体が終わらなかったら、そのまま冷蔵魔法をかけてもらい吊るしておこうと算段を立てる。

ラインベルクは時計を一瞥する。時間が経つのが速いうえに、作業はまだ始まったばかりだ。

肩をすくめ、自分に活を入れる。


(・・・メニューを切り替えた時に既に決断したんだろ)


中途半端なものを出して旦那様に失望されるよりも、納得できるものを出す為に期日をずらす決断をしたのだ。

重い足取りで旦那様の執務室へ向かい、ドアをノックするとイェルクが入室を促した。

執務室のドアをゆっくり開き、ラインベルクが入室する。

入室してきた料理長を見るといつも冷静で自信にあふれる彼がいささか緊張した面持ちで立ち、話し始める。


「・・・お願いがございます」


3日後の夕食時、屋敷で働くものは全員、従業員用食堂に集まるようにというイェルクの指示で、食堂はざわめいている。

この屋敷は元々、廃嫡した貴族の物だ。

いまでは従業員用食堂となっているが、ここも元はダンスホールか何かで、無駄に広い。

イェルクとしては元々田舎で自動人製作をやってたので質素な家でも問題なかったが、自動人形の販売先はメインが裕福な貴族で展示スペースやショールームも必要であまり粗末な物件にするのは問題があった。

その上、製作や整備のための工廠も必要だ。

どうしても広い立派な屋敷になってしまう。

自動人形のメンテナンスのための配送や資材の管理、屋敷の運営、警備など、売り物にならない自動人形で省力化しても結構な大所帯になっている。


屋敷の者はいきなり全員集合が掛かり、一部では『ついに資金難で全員解雇か』と落ち着かなかったが、イェルクが姿を現し、上座に位置すると皆静かになる。

イェルクが話しを始める。


「この一年、金銭的に苦しい時期が続き、給金も抑え気味、他の屋敷に比べ色々と見劣りなどしたりと皆に心配をかけた。

しかし、もう大丈夫だ。

いままでは自動人形の売り上げだけでしのいできたが、軍のゴーレム製作の仕事が成功し、その功績で叙勲を受け、王陛下から貴族位もいただいた。

これは、本当に苦しい時期にも文句を言わず、私についてきてくれた皆のおかげだ。


感謝の印として、今日は特別な夕食を用意した。

全員にいきわたるので争わなくてもいい。

足りなかったら言ってくれ。

食材を前に腕を振るってくれた料理長や料理人にも感謝してくれ」


と言い、食事会前に前の方に集まっているようにと言われ、並んでいた料理長や料理人に向かいイェルクが拍手すると館の者すべてが拍手した。


「では、遠慮なく食べてくれ」


今まで静かに聞いていたものが一変、食堂は大騒ぎである。

普段の食事に肉が出ることはまれで出ても量が少ないが、今回は山盛りで出ている。

シチューやパン、付け合わせやサラダなども不足することはなさそうだ。


「え、……これ全部食べてもいいの?」

「すごい、こんなに大きな肉……」

「これ、どうやって食べるの?」


最初はおそるおそる口にした肉を、一口味わうと目を輝かせる者もいれば、立ち上がって大声で乾杯を叫ぶ者もいる。

年配の者たちは感慨深げに静かに頷きながら食事を口に運んでいる。


一応、夕食会の前に料理長が『この料理で出してもいいでしょうか?』お伺いを立ててきた時に試食しているので味に心配はない。

挨拶が終わり、自らも夕食を確認する。

用意されたシチューは芳醇な香りが広がり、大きな肉が入っている。

他にも肉の表面が黄金色に輝く肉厚のステーキや肉と小麦粉を絡めた油で揚げたものもある。

イェルクが目の前の肉に感嘆の声を上げる。


「おー、これは豪勢だな」


横についた料理長(ラインベルク)が説明する。


「お持ちになられた肉を香辛料を使い、じっくり煮込んでみました。

煮込みすぎると固くなるのでそこは注意しています」


シチューからは香辛料と濃厚な旨みの香りが立ち上り食欲をそそる。

一口含むと肉が口の中でほろりとほどける。


「さすがだ。うまい」


隣でエレナも静かにシチューを飲んでいて、おいしかったのか、微笑んでいる。

本来、サーベルタイガーを狩ってきた一番の功労者であるオフェリナがここで口にできないのが残念だ。

やはり、どうにかしよう。

そしてある意味、関係者のメアリーはメイドが集まっているところで肉をおいしそうに頬張っている。


あの日、料理長が『今日ではなく、期日をずらしてはダメでしょうか』と申し訳なさそうにお伺いを立ててきた時はかなり驚いたが、確かにこれほどの料理を作るなら日にちが必要だろう。

無理強いせずに『いつがいい?』と訊いて正解だった。


食べている間も食堂には笑い声と『うまい』という感想が響きラインベルクも思わず顔をほころばせる。

その姿を見た私は、彼にこの機会を与えられたことを心から嬉しく思った。


翌日、自動人形のメンテナンス作業を工廠で続け、気分転換に屋敷の庭に出たイェルクに庭氏の爺さんが遠慮がちに話しかけてくる。


「旦那様、昨日はありがとうございます。とてもおいしぅいただきました

あまりのおいしさに何歳か若返ったような感じがします」


夕食前に屋敷のものを集めて、今までの苦労の礼としてアレの肉をふるまった件だ。

料理の腕が良かったのか筋肉質っぽかったが、すごく柔らかかった。

昨日今日と屋敷の者に会うたびに同じようなお礼の言葉を聞く。

まさかここまで感謝されるとは思わなかったが、実際うまかった。

ちなみに若返った感じというのは魔獣の肉に含まれていた魔力(マナ)のせいかもしれない。


「いつも世話をかけてるからな、ささやかだが感謝の気持ちだ」

「旦那様はいつもわしらに本当によくしてくださって・・・

ありがたいことです」


ここ何日かは晴れて風もそんなになかったが、今日は少し風が強い。

時折吹く風に庭師の爺さんは長年の勘で何か感じるのか空を見ながら呟いている。


「・・・今日の午後からは昨日とは打って変わって荒れてきそうです。

雲の流れが速い」


庭師の爺さんの言う通り、夕方頃から降り始めた雨は深夜には本格的な土砂降りになっていた。

あわせて風も強くなり、嵐の始まりを感じさせる。

窓の外では木々が激しく揺れ、雨がガラスに叩きつける音が響く。

その様子を見ながらイェルクが呟いた。


「始まったばっかりで、この降り・・・

ちょっとヤバいかもしれんな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ