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第5話 じゃがいも

 熊野のおでん屋に通うようになってから、バイト探しをするようになった。本心では、引きこもり生活を延長したかったが、おでん代ぐらいは稼ぎたくなった。昼夜逆転している事をいい事に夜勤のあるバイトを適当に応募していた。


 ただ、面接してもなかなか働けなかった。夜勤で人手不足のコンビニや介護施設なども全部落ちてしまった。何か呪われているんじゃないかと思うほどだった。


「という訳で、バイトすら受からない。美容院行ってメイクだってして行ったのに」


 ついついおでん屋のカウンターで熊野に愚痴ってしまった。さすがにここで愚痴を溢しながら、お酒を飲むのは良くないと思い、温かい甘酒を飲んでいた。甘酒といってもアルコールは入っていない。しっとりとした落ち着いた甘みに、雨子の心も落ち着いてきたが。


「まあ、今は不況だし、ロボットや機械に頼った方がコスパいいからね」

「そっか……」


 生産性の無い愚痴でも熊野は聞いてくれた。それだけでも嬉しくなってきた。おでんの鍋からは、ふわふわと湯気が溢れていた。湯気に乗って出汁の良い香りがする。この匂いだけでも食欲がそそられ、とりあえず大根を頼んだ。さっそく熊野は器に盛り付けて、雨子の前に置く。大根はスープが染み込み、透明になっていた。割り箸で割ると、ほろっと崩れた。


「美味しい」


 味が染み込んだ大根は、雨子の口の中も幸せにしていた。


「ところで、推しおでんは決まったかい?」


 すっかり忘れていた。推しおでんの具材は、今も見つかっていない。今の段階だったら、大根。いや、玉子も捨てきれない。ソーセージもたまに食べると美味しい。


 そう考えると煮詰まってしまい、考えは全く纏まらんかった。


「実はおでんの具の選挙をやろうと思ってるんだ。常連さんの投票して貰って、上位の具は増やそうかと」

「え、人気がないのは?」

「引退かな。悲しいけど、人気が無いものは、そういう運命」


 熊野はちょっと悲しそうな表情をしていたが、雨子も微妙な気持ちになってきた。人気が無いものが引退とは、今の自分の状況と被ってしまう。バイトが決まらないのも自分の需要が無いからだと思うと、涙目になりそう。急いで甘酒を啜り、気持ちを落ち着かせた。


「まあ、人気が無いのが悪いわけじゃないよ。それでもお客様に強烈に好かれていたら、メニューに残す」

「強烈に?」

「買う人はいれば、提供するよ。ウチのじゃがいももあんまり人気ないんだけどね」


 熊野は残念そうな表情でおでん鍋をのぞいていた。今日もぎっしりと色んな具材が煮込まれていたが、じゃがいもは少ないようだった。そう思うと、同情してしまい、じゃがいもを注文する事にした。


「はい、どうぞ!」

「ありがとう」


 器に楕円型のじゃがいもが一つ入っていた。スープが染み、じゃがいもは半透明になっていた。屋台のオレンジ色の灯りを浴び、綺麗な色のじゃがいもに見えた。


「じゃがいもは煮崩れするから。最後に入れる。あとは弱火でコトコト煮ると美味しんだ」

「へえ」

「うん。あとメークインの方がおでん向きだね。これもメークイン!」


 熊野の声を聞きながら、じゃがいもを割り箸で崩す。ほろっと解けるように割れた。


「バターいる?」

「バターあるの?」

「うん!」


 ぽとっとバターのカケラがじゃがいもの上に落とされた。これは、醤油ベースのスープが染み込んだくじゃがいもと味が合うんじゃないか?


 その予想は当たり、バターとよくあった。


「美味しい!」

「だろう? このバターつきのじゃがいもは、常連さんの一人で超ファンがいるんだよ。ま、バイトもこれと同じだね。大勢に好かれるタイプを目指していいけど、ニッチ需要も試してみたら?」


 熊野のアドバイスに、確かにそうかもしれないと頷いてしまう。バイトの面接では、不自然に愛想良くし過ぎて、嘘っぽいと思われていたのかもしれない。確かに採用する側からすれば、嘘くさい笑顔の人間はとりたく無いのかもしれない。自分は相手側に立って考える視点も欠けていたと思わされた。


「まあ、大丈夫。おでんでも結局、どの具材もファンがいるからね」

「引退はさせないで」


 なぜか雨子の声は必死だった。


「うん、やっぱり引退はさせないよ。お客さんが求めるなら、提供するのが俺の仕事さ」


 熊野はそう言い、再びおでん鍋を見ていた。その目は子供を見守る親のようだった。大根も玉子もソーセージもじゃがいもも全部平等に愛している事は伝わってくる。


 それに、こんなに美味しいおでんの具でも人によって好き嫌いがある。全員に好かれるのは無理かもしれないし、バイトの面接も「好かれよう」と肩に力が入っていた。全員に好かれるのは、無理だ。そこは諦める所だった。


「なんか気が抜けてきた」

「だったら嬉しいよ。あと、ゆで卵の殻剥いてくれない? 全部やってくれたら、今日は奢るよ」

「いいの?」

「面接落ちて落ち込んでいる人から、お金取るのもね……」


 手を消毒し、手袋をつけてゆで玉子の殻を剥いていった。


「そうそう、うまい!」


 ゆで卵の殻剥きなんて誰にでも出来る作業だが、熊野に褒められたら、良い気分になってあっという間に作業を終わらせてしまった。


 作業が終わり、再びじゃがいもを食べた。作業後に食べるじゃがいもは美味しかった。今度は自分で稼いで美味しいじゃがいもを食べたい。そう強く思ってしまった。万が一じゃがいもが引退の危機にあっても、雨子が応援すれば、免れるかもしれない。


 じゃがいもの為にバイト探しする?


 とんでも無い動機だが、今はそれで良いのかもしれない。


 こうして満腹になり、帰る事にした。帰り道に見た月は、すっかり細くなっていたが、気分は明るくなってきた。

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