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第4話 ソーセージ

 今日も夜、再び熊野のおでん屋に向かっていた。実は数日間、おでん屋には行けていなかった。雨が降り、グズグズと風邪気味で体調が悪かった。


 ゆっくり休んで入れは良いとも思うが、体調が悪いとかえって焦ってしまった。バイトの求人情報や婚活カウンセラーのブログなどを見て、メンタルが悪くなっていた。


 こうして風邪が長引き、ようやく回復して熊野のおでん屋に向かっていた。見上げる夜空は、もう月はかなり細くなっていた。月ですらこんなに変化しているのに、自分は焦る気持ちだけ増してしまった。


 駅前から商店街の奥まで歩く。おでん屋の赤提灯がほのかに灯っていた。北風が吹き抜け、おでん屋の明かりを見ていたら、なんだか身に沁染みてきた。自分の心があのおでん鍋に浸かったら、温かくなって幸せになれそうだった。そんな妄想をしつつ、屋台の席に腰を下ろした。


 丸椅子は座り心地は良くはないが、出汁のよい香りと柔らかな湯気のお陰で、あまり気にならない。今日も客は雨子だけで、他に誰もいなかった。


「よお、委員長」


 熊野はおでん鍋の様子を見ながら、雨子に声をけた。数日開いたが、熊野は相変わらずだった。


「実は風邪を引いちゃってね」

「おー、だったら温かくしないとダメだ」

「もう治ったけど」

「だったら温かいおでんを食べるのが一番だよ!」


 熊野は勝手に器におでんをよそりはじめた。大根、玉子、それにソーセージ。スープもたっぷりと注ぎ、雨子の前に置く。湯気が雨子の顔を覆う。ほこほこと柔らかな湯気だった。湯気と混ざり、出汁の良い香りに雨子の理性も乱される。


 大根はスープに浸り、くったりと柔らかくなっていた。玉子も白身がぷるっとし、店のオレンジ色の灯りに照らされていた。そしてソーセージ。変わった具だ。チラリとおでん鍋を見ると、はんぺん、ちくわなどの練り物が入っていた。練り物ではなく、洋風のソーセージが出てくるとは意外だった。


「なんでソーセージ?」


 雨子はスプーンでスープを啜り、聞いてみる。スープは濃いめだが、後味はすっきりとしていてくどく無い。むしろ寒い中、濃い味と温かさが染みる。寒い時はなぜか濃い味が食べたくなってしまう。


「たまにはいいじゃん?」


 熊野の目尻をよく見ると、皺ができている。笑い皺だ。きっとこの人はいつも笑っているんだろうと思うと、自分との差を思い知らされた。


「まあ、たまには……」


 割り箸を割り、パキンと音が響く。静か夜で、こんな音も目立つ。熊野は屋台の調理台で、アジフライや唐揚げなども作りはじめ、揚げ物が揚がる音も響く。ジュワジュワと軽やかな音だった。


 器によそられたソーセージを見てみる。そう言えば、ソーセージは親に禁止されていた。両親ともに医者だったせいか、妙に食生活に厳しく育てられた。ソーセージだけでなく、お菓子や市販のパンも禁止されていた。そういうものかと思い込んでいたが、禁止されていると、余計に美味しそうにみえる。この美味しいスープに浸かったソーセージは、どんな味がするのか想像力が掻き立てられる。


「委員長、食べないの?」

「いや、ソーセージは親によく禁止されててね。添加物はいっぱい入っているんだって」


 なぜか苦笑してしまう。今も親の言う事に縛られれいるとは、情け無い。


「へえ。まあ、毎日大量に食べなきゃ大丈夫。そんな人間の体は弱くないよ」

「そうかな?」

「さあ、ソーセージをお食べ」


 熊野に促され、おそるおそる割り箸でソーセージを取る。小指ほどの大きさのソーセージなのに、何か悪い事をしている気分だ。これでお酒まで飲んだら、背徳感もするかも知れない。


 思い切って口に入れたソーセージは、皮が柔らかくなっていたが、意外と歯応えがあった。ジュワッと肉の味がする。口に残ったスープの出汁と良い感じに混じりあっていた。美味しいので、何度も咀嚼してしまう。おでんのソーセージもアリかもしれない。噛み締める度にもう自分は子供ではないとも感じていた。好きな食べ物も自分で選んで良いのかもしれない。


「ソーセージは、鍋に入れるタイミングがあるんだよね。早く入れすぎてもスープが不味くなるし、早すぎても美味しくない」

「へえ」

「うん。何事も最適なタイミングがあるわけよ。委員長もソーセージを禁止されていたから、今食べると美味しいだろ。実はソーセージは汁物にいれるより、パリッと焼いて食べたい派も多くて、意見が分かれるんだよ」

「へえ。私はどっちでもいいって言うか、おでんに入れた方がいいと思ったよ」


 まだ口の中に残っているソーセージの味、それに出汁の味を思うと、悪くは思えない。


「まあ、食い方もタイミングも人それぞれだよ。委員長にも良いタイミングがあるよ?」

「何が?」

「なんだろうね?」


 熊野は子供のように笑い、その答えは言わなかった。これは自分で見つけるものなのかもしれない。


「しかし、揚げ物の匂いもいいね」


おでんの出汁の香りも素晴らしいが、揚げ物の匂いも理性を乱されていた。


「食べる?唐揚げ。揚げたてのグッドタイミングだね?」


 熊野はあまり色気があるタイプでも無いのに、そう言う顔は魅力的だった。


「レモンもつけて、どうぞ!」


 こうして揚げたての唐揚げも食べた。まだ熱々で、雨子の口の中は幸福感でいっぱいになってしまった。


 熊野によると、揚げ物は気がむいた時にしか作らないらしい。いわゆる裏メニューだという。これは、良いタイミングだったのかもしれない。


 唐揚げも美味しく、ついつい食欲が刺激され、おでんもお代わりしてしまった。


「美味しい」

「だろう?」


 熊野はドヤ顔を見せる。


 最近は風邪を引いたり、メンタルも悪くしていたが、何事もタイミングかもしれない。ソーセージだって間違ったタイミングで煮たら、美味しくないらしい。


 焦る必要は無いのかもしれない。今は行動するタイミングでは無いのかもしれないし。


 そう思うと、心も軽くなってきた。もしかしたら、今日はお酒を飲んでも良いタイミングかもしれない。風邪がぶり返さないように温かい日本酒を飲みタイミングかも?


「熊野、お酒頼んでいい?」

「おー、今日の委員長は冒険者だ。いいぜ、呑もう!」


 熊野の笑顔を見ながら、雨子の心も軽くなってきた。こういう夜も悪くない。


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