表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第3話 玉子

 雨子は再びおでん屋に向かっていた。今は十月だったが、さほど気温も低くなく、暖かい日だった。


 夜空に浮かぶ月は、昨日より少しかけていた。昨日は、屋台で食べるのは躊躇してしまったが、今日は気分が軽やかだった。


 昨日は美味しい大根を食べて、胃袋を掴まれてしまったようだ。あのスープには、何か特別な仕掛けでもあったのかと思うぐらいだったが、美味しいものは悪くない。


 きっと今まで美味しいものを食べるのを我慢して来た反動もあるのかもしれない。今日は子供の頃から貯めて来た貯金をおろし、このお金で食べる事にした。本当は働いていないのに美味しいものを食べるのは、良くないのだろう。それでも雨子は推しおでんを見つける事で、何か新しい一歩を踏み出せそうな予感があった。


 駅前から商店街へ入り、さっそく赤提灯を目指して歩く。今夜も「推しおでん」と書かれた赤提灯がほのかに灯っていた。屋台も全体的に淡い光に包まれ、薄暗い商店街の端っこで目立っていた。


「やあ、委員長」


 さっそく屋台の丸椅子に座ると、熊野に出迎えられた。今日は大きな四角いおでん鍋の様子を確認している。


 大根、玉子、ソーセージ、ちくわ、こんにゃくなどぎ色々具がある。具も惹かれるが出汁の良い香りや色の濃いスープを見ているだけで、自然と笑ってしまう。よっぽど昨日のおでんで胃袋を掴まれてしまったようだった。


 屋台でおでんを食べるなんて、緊張はして来たが、他に客もいないようなので、その点は安心できた。


「ウチは知る人ぞ知るお店だからね。もっと時間が遅くなると、残業後のサラリーマンの常連さんとかくるよ」

「へぇ」

「あと、委員長、知ってる? 久保田や浅島がさあ……」


 熊野の口から昔の同級生の近況を聞く。田舎という事もあり、さっさと結婚しているものも多いようだ。中には子供も生まれたものもいた。一方、自分は大学生活につまづき、ニートになっていた。現状、職探しもやっていない。子供が生まれた同級生は勉強など全く出来なかった。それでも家業を継ぎ、立派に親をやってるらしい。つくづく学校の勉強なんて無意味の思った。


「熊野。今日のおすすめは何?」


 おでん鍋からのふわふわとした湯気のお陰で、熊野の顔はよく見えない。この熊野だって一人でお店をやっていて立派だ。それに引き換え自分って一体なんだろう。つくづく社会から役に立っていないと感じてしまう。それどころかお荷物の可能性も大で虚しい。やっぱり学校の勉強なんてしないで、もっと生きるのに役立つ事でもやってれば良かったと後悔もする。


「今日は玉子だね。正直、インフルエンザの影響で玉子が高くて手に入り辛いだ。前は玉子は一個百円円で売ってたけど、今は他と同じ二百円でいい? これでも平飼いのいい玉子なんだ」


 最近、玉子不足は騒がれていた。こんな時世にも影響されると思うと、やっぱり飲食店は大変そうだ。そして、学校では決して学べないような仕事だとも思う。


「そっか。大変だね」

「でも、具材が一つでも欠けたらおでんじゃ無いじゃん。みんな大事だよ」


 これはおでんの話だ。自分の事なんて言われていないのに、ちょっと泣きそうになってしまった。幸い、湯気のお陰でお互いの顔はよく見えていないが。


「はい、どうぞ。玉子だよ」


 熊野は器にスープと玉子をよそい、雨子の前に置く。古くボロいテーブルの上で黒い器はちょっと映える。


 玉子はちょと色は変わっていたが、白身はぷりぷり。黄身はホロっと口の中で溶ける。スープの濃い味とあいまり、口の中は幸福感でいっぱいになる。さっそく、この玉子も推しにしても良いぐらいではないか。昨日も持ち帰って食べたが、熱々出来立ては別格だった。


「美味しい」

「それはよかったよ。玉子は完全栄養食とも言われていて、タンパク質も豊富だね。委員長は成績もよかったから、家庭科で習ったと思うけど」

「全部忘れちゃったよ、学校の勉強なんて」

「えー、問題発言だ」


 熊野が苦笑しつつ、再びおでんな鍋の様子をみる。再びふわっと出汁の良い香りが鼻をくすぐる。


「でもさ、玉子も一人じゃ独立できない。タンパク質が豊富でもビタミンCや食物繊維は不足するからね」

「そっかー」

「そこで大根はいかが?」


 意外と営業上手だ。雨子は大根も頂く事にした。


「そうだよ。いくら有能な人でも出来ない事はあるからね。本当は助けてって言える人が一番強いんだ」


 熊野は呟くように言う。元同級生で子供がいる子もワンオペで疲弊し、育児ノイローゼになっているものもいるらしい。


「そっか。助けって言える人が強いのか」

「委員長も言える?」


 わからない。それどころか、自分の気持ちでさえ掴めないところがあった。そもそも困っているのかもわからない。


「さあ。でも、このおでんは美味しい」

「うん、俺の自慢のおでんだからね!」


 熊野はドヤ顔で言う。熊野のドヤ顔を見ていたら、気が抜けてきた。完全栄養食の玉子だって不足している面がある。雨子も不足している所があっても良いかもしれない。今までは自分を過剰に責めていたが、無駄な気もしてきた。逆に出来ない事だらけの自分を受け入れる必要も感じていた。


「まあ、委員長もあんまり自分を責めちゃダメだよ。美味しいおでんを食べて、力抜きな」

「う、うん……」


 再び泣きそうになってきた。確かに自分だけでなく、他の何かを責めている人は不幸そうだ。とりあえず、今は力を抜こう。


 雨子はそう心に決め、再びおでんを食べ始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ