8 初登校
「ふぅ、朝日が目に眩しいぜ……」
部屋の窓から差し込んでくる朝日を感じて思わずそう零しました。
今日はいよいよ王立学院の新学期が始まる日、つまり、私が初めて学院に登校する初登校の日です。
私はあれからシェリーさんの猛特訓を受けることになりました。
この2日の間に学院や御嬢様のご学友の情報もインプットする必要があり、その情報をしこたま頭に詰め込まれました。
スペックの低い私の頭ではなかなか処理が追いつかず、一方で所作についての特訓も行われました。
所作の特訓は最終日、文字通り寝る間も惜しんで行われ、睡眠不足で今日この日を迎えることになったわけです。
「一晩寝ないくらいの方が本物の御嬢様の顔色に近いみたいで却って良かったですね」とシェリーさんの談。
御嬢様は1学年の終盤は御病気の影響で体調をかなり崩していらっしゃったので、ご学友にもそのことは印象付けられているのでしょう。
そんな中で元気いっぱい腹いっぱいの私が明るく登校しようものなら驚かれてしまうのでげっそりした感じでトボトボ登校するくらいがちょうどいいのかもしれません。
「ふあぁ~~~~あ」
「……眠そうだな」
用意された学院の制服に身を包んだ私は学院へ向かう馬車の中、一つ大きなあくびをしたところでそうお兄様に突っ込まれました。
いえ、本当に眠たいのです。
皆さん知っていますか?
小鳥たちは夜が明けきる前からチュンチュンと鳴いて一日が始まっているのです。
自然界は大変シビアなところなのです。
小鳥の鳴き声を聞いたシェリーさんは「時間がありませんね。もう少しできる限り詰め込んで置かないと」と私へのムチを加速させました。
すみません。
私の頭は旅行鞄じゃないのでそんなに押し込んでも簡単に入りませんよ?
ダメっ、漏れちゃう漏れちゃうっ!
まあ、人間の世界も自然界以上に厳しいことはよくわかりましたけどね。
「初めての学院なのだろう? ちょっとは緊張したりしないのか?」
おお、確かにそうです。
しかし、ここまで来てジタバタしても始まりません。
「いえ、それはまぁ、なるようにしかなりませんから」
「ただのバカ野郎か希代の傑物かだな。それはそうとセレナのためだ、頼んだぞ」
本音を言えば寝不足で頭がボーっとしてそんなことを考える余裕がないのです。
それはそれとして私は野郎ではありませんけどね、と心の中で一つ反論したところで馬車が止まりました。
「着いたな、僕が先に降りてエスコートする。あと、2年生の教室までは今日は一緒に行こう」
「ありがとうございます、お兄様」
私はニッコリと微笑みました。
そうです、私は今や平民のエマではありません。
ルサリア伯爵家の御令嬢、セレナ・ルサリアなのですから。
先に馬車から降りたお兄様が下で待ってくれています。
私はお兄様の手を取って一段一段、馬車のステップを降りていきます。
そして目の前に現れたのは王立学院の立派な建物でした。
ふぁ~~~~。
伯爵家の別邸もご立派でしたが、こちらはさすがに王国中の貴族の子女が学ばれるという場所だけあって、規模も作りもそれ以上にご立派でした。
周りは見渡せば、通学時間帯ということもあってか、次々と立派な馬車がやってきます。
でもそれにしては数が少ないようですが……。
「ああ、学院の敷地の中にまで馬車で入れるのは伯爵家以上の家なんだ。男爵家や子爵家は学院の門で降りないといけないんだよ」
私の疑問を察したお兄様がそう教えて下さいました。
まあっ!
同じ貴族とはいえ、そんな嫌らしい格差があるんですね。
私たちは事情も事情ですので早めに学院にやってきてお兄様に学院の中を案内してもらうことになっています。
事前に学院の情報は無理やり詰め込まれましたが、やはり実際に目にしておいた方がいいだろうということで今日は早出だったわけです。
学院の正面玄関を入って右側に行くと私たちが学ぶ教室が、左に行くと特別教室や食堂に休憩所といった施設があります。
「外にはオープンカフェもあるし、武闘場や魔法訓練場もあるよ」
廊下を歩きながらお兄様がそう補足して下さいました。
貴族はいざというとき王のため、そして民のために戦うということがこの国の貴族の伝統と言われているそうです。
初めて聞きましたが、本当に貴族って美味しいものを食べるだけの気楽なお仕事ではないのですね。
ただ、最近は形骸化しつつあるそうで目下それが王国でも悩みの種になっているとかいないとか。
でも1年お付き合いするだけの私には全然関係ないよね。
そんなことを思いながら学院の売店と呼ばれる場所にやってきました。
さすがは貴族の子女が通う学院の売店です。
中は広々としていて商品もきれいに陳列されていました。
「あら、セレナ様?」
思わず名前を呼ばれてその声の主の顔を見ます。
ちょうど売店から出て来られたのは私と同じくらいの背丈の御令嬢でした。
――誰!?
いきなりピンチ!
いや、落ち着け私。
心配はいらない、大丈夫だ。
私にはこの2日の間に叩き込まれた御嬢様に関しての知識がある。
目の前の御令嬢の容姿をチェック&私の頭の中にある情報と照合。
蒼みがかったややウェーブのかかった髪。
おっとりとした穏やかな菫色の瞳。
向かって右側の目の下に小さなほくろ。
私が導き出した答えは――
「あら、ロザリア様、御機嫌よう。ご無沙汰しておりましたが、お元気でしたか?」
「御機嫌ようセレナ様、つつがなく休みを過ごしておりましたわ。セレナ様こそお加減いかがかしら?」
「ええ、しっかりと休ませていただきましたので体調もかなりよくなりましたの」
私は手の甲を口に近づけるとオホホホホと笑いながらロザリア様と談笑しました。
そう、この手の曲げ具合がなかなか難しいのです。
何度もリテイクさせられて今やかなり自然にできるようになったはずです。
ちょっと売店を覗いて参りますので、とロザリア様にはまた後で言ってその場で別れました。
「……乗り切った」
「いや、よくできていたよ。無理そうなら僕から声を掛けようとかと思ったけど大丈夫だったね」
どっと疲れの出た私にお兄様がそう労ってくれました。
たった今談笑したお方は同じクラスでセレナ御嬢様とも懇意にしているという伯爵家の御令嬢のロザリア様。
名前に自信がなければ名前は呼ばずにごまかすこともできましたがロザリア様は容姿にかなり特徴のある御方でしたので思い切って名前を呼んでみました。
そんな近しい方に疑われることなくやり過ごせたことで私もかなり自信がつきました、えっへん。
そんな私はロザリア様には売店を覗くと言った手前がありますのでお兄様と一緒にしばらく売店を冷やかしてから私の教室に向かいました。
この学院は、貴族の身分に応じたクラス分けがされているため進級時のクラス替えというのはないそうなのです。
私といいますかセレナ様のクラスはB組。
上から2番目のクラスということで先ほどのロザリア様も同じクラスです。
「頑張ってね」
お兄様に叱咤され私は教室へと入りました。
「セレナ様、御機嫌よう」
「おはようございます、セレナ様」
私に気付いたクラスの皆様がそうお声掛け下さいます。
「皆様、御機嫌よう、いい朝ですわね」
私は個人を特定することなくそう挨拶を返しました。
私の頭では同時並行的に情報を処理するのはなかなか難しいので個別での対応を求めるのでしたら一人一人でお願いします。
初日から長話をして墓穴を掘ることを避けるため私は自分の席を探そうとキョロキョロしてしまいました。
「セレナ様、席は前に掲示されていますわ」
茶色の髪を巻き巻きに巻いた親切な御嬢様がそう教えて下さいました。
いや、ホントそれどうやって巻いてるの?
朝からすごく時間がかかってるよね、という感想をおくびにも出す訳にはいきません。
私はその親切な御令嬢に軽く頭を下げて謝意を示してから教室の前の黒板に掲示してある座席表を確認しました。
私の席は廊下側の一番後ろの席でした。
人目に付きにくいところで私としては願ったり叶ったりな場所です。
「ふ~」
席について手に持った鞄を下ろしますと思わず声が漏れました。
こうして教室の中を見ますと流石はお貴族様の子女の皆様が集まっているだけあって大変華やかです。
(ここで1年間過ごすのか~)
身バレすることなく乗り切るため、私は教室の中にいる方々を観察して、私に詰め込まれた情報を確認することにしました。
鞄から取り出したるは1冊のノート。
このノートにはセレナ御嬢様についての様々な情報が纏められています。
といいますかシェリーさんに教わったことを一度に覚えることができるほどハイスペックな頭脳は持ち合わせてはいませんのでノートに情報を纏めて読み返していたりします。
そして、いま開いているのはセレナ御嬢様の御学友、クラスメイトの皆様についてまとめられているページです。
「さっきのロザリア様はSなんだよねぇ~」
先ほど売店でお会いしたロザリア様。
性格がドSとかそんな危険な意味ではありません。
コリンズ伯爵家の御令嬢でセレナ様とはよくいっしょにいてお話される御友人ということで押さえておくべきランキング最上位のSランクという意味で情報を叩き込まれていました。
(それにしても婚約者の話題がNGかぁ~)
お貴族様ともなると早い段階から家と家との婚約を結んでいるらしく、このロザリア様にもそういうお相手がいます。ただ、当人同士の関係は微妙でこの話題には触れないとノートには書かれていました。
そして先ほど私に座席表のことを教えてくれた巻き巻き御嬢様は子爵家の御令嬢のカサンドラ様。
このクラスは主に伯爵家と子爵家の上位の子女で構成されているそうです。
お貴族様は下から男爵、子爵、伯爵、辺境伯≒侯爵、公爵の順となっています。
うん、これはもう最初の最初に叩き込まれたからばっちりだ。
庶民にとってお貴族様はお貴族様だから正直言えば上でも下でも一緒なんだよね。
ただ、この世界に入ったからにはそうは言っていられない。
カサンドラ様についてはノートには「いい人」って書かれています。
でも生来的に本当にいい人なのかどうかはわからないよね。
カサンドラ様の子爵家よりうちの方が上ってことだしさっきのも我が伯爵家に対するアレな可能性もあるわけですよ。
さすがは貴族の子女、抜け目ないみたいな。
セレナ様は御嬢様だし生来的にいい人なのかそれとも打算なのかは見極められないでしょうから、このエマちゃんがしっかり見極めて教えてあげることにしよう。
うんうん、頼まれたこと以上の仕事をしてこそだよね。
「セレナ様、何をしていらっしゃるの?」
どっきーん!
急に声を掛けられた視線の先にはロザリア様。
「えっ、ええ、私は勉強が遅れていますので復習をと思いまして……」
「まあっ、それはご立派なことですわ。もしわからないことがありましたらおっしゃって下さいね」
ふう、危ないところだった。
こんなこともあろうかと先に言い訳を考えておいて正解だった。
できるだけノートは広げないようにしたいんだけどやっぱり最初から全部覚えるとか無理だからなー。
そんなことを思いながら先生が教室に入ってくるまでノートの情報と皆様のお顔や様子とを確認する作業をしました。
「あー、疲れた……」
一日が終わり、今や私の自宅となった伯爵家の別邸に戻ると私はぐったりとしてしまいました。
今日は初日ということもあって簡単なオリエンテーションくらいで終わり、学院は午前中で終わりました。
私は部屋に戻ると直ぐに今日一日のことを日記帳に事細かに書いていきます。
これは私がいつどこで誰と会って何をしたかをセレナ御嬢様に伝えるためです。
この後、御嬢様にお会いして直接今日の出来事をお話しして、注意事項がないかを確認することになっています。
「……以上が今日の出来事です」
「ふふっ、ロザリア様も気付かないなんて、嬉しい反面少し複雑ですわね」
セレナ御嬢様はそう言うと何とも言えない表情をされました。
自分と仲が良いと思っているご友人が自分と赤の他人との入れ替わりに気付かないというのは確かに本当の自分を見てもらえていないようでその気持ちもわかるような気がします。
私も御嬢様が私のフリをしてカインさんに会って、気が付いてくれなかったらちょっと微妙な気がしますもの。
私は御嬢様からクラスメイトの方々の話を聞いてさらにエマちゃんノートの充実をはかるのでした。
今日も大丈夫だったんだから明日からもきっと大丈夫だよね。