4 御嬢様
当主のクライスさん、執事長のレイモンドさんの後をついて部屋を出ました。
2階のクライスさんの部屋のちょうど反対側、邸宅の中心から対称となる場所にある部屋がセレナ御嬢様の部屋だということです。
廊下を歩いて直ぐ、私たちはセレナ御嬢様の部屋とおぼしきドアの前に着きました。
「セレナ、入るぞ」
クライスさんが申し訳程度のノックをして部屋の中からの返事を聞かずに直ぐにドアを開けました。
クライスさんに続いてレイモンドさんも部屋の中へと入っていきます。
恐らくこの時間に私と一緒に来ることを事前に伝えていたのでしょう。
「うわっ……」
入った部屋はさっきのクライスさんの執務室の2倍はあるでしょうか。
とても広いお部屋でした。
壁紙は一面薄いピンク色でいかにも女の子の部屋らしい明るい雰囲気です。
私の前に部屋に入った2人は部屋に入ると直ぐに横にそっと逸れました。
二人の壁が取り払われて私の目の前に現れたのはこの部屋に最初からいたのであろう一人の女の子の姿。
その姿を見たとき私は心臓が止まるかと思うほどびっくりしました。
「……わたし?」
目の前の女の子も私と同じ様にびっくりした表情をしています。
こうなると本当に目の前にいる女の子は私を写した鏡ではないかと錯覚してしまいそうです。
しかし、そんなことはありません。
目の前にいる女の子は確かに現実に存在している生身の女の子です。
明るい茶色の髪はきれいに梳かれていて長さは背中くらいまであります。
目はブルーサファイアの澄んだ瞳で大きくぱっちりとしていて愛らしい。
眉毛はちょっと太めでまだまだ幼さを残しています。
鼻は残念ながら高くはなくどちらかと言えば低めでちょっとぺちゃ鼻だったりします。
しかし、それが愛嬌といえば愛嬌だと私は強く信じています。
唇は薄ピンク色で厚くも薄くもない。わずかにぷっくりしている程度。
肌は色白でシミや吹き出物一つない滑らかさ。
平民であっても鏡の一つくらいは持っています。
年頃の娘である私も、あまり質は良くないながらも小さな手鏡を持っていて毎日自分の顔は見ています。
食堂で働く客商売なので身だしなみにはそれなりに気を付けているつもりです。
そんな訳で自分の顔は飽きる程にこれまで見てきたわけでして……。
そんな私が思うのですよ。
ああっ、目の前にいるのは自分だ、と。
私が右手を上げると目の前のわたしは左手を上げます。
目の前のわたしが右手を前に出したので私も思わず左手を前に出しました。
ニッと歯を出して笑ってみると目の前のわたしも同じ様な表情を作りました。
「お二人とも、お遊びはそこまでにしていただけますか?」
女の子の斜め後ろに控えていた女性。
眼鏡を掛けていてメイド服に身を包んでいる黒髪をアップにした女性がそう言いました。
恐らくセレナ御嬢様付きのメイドさんなのでしょう。
「はっ、初めまして御嬢様。私はエマと申します。下町の食堂で働いていました平民です」
「御挨拶痛み入ります、初めましてエマ様。ルサリア伯爵家、クライス・ルサリアの長女、セレナ・ルサリアでございます。お会いできてうれしく存じます」
御嬢様はそう言って身に着けていらっしゃるフリフリレースの付いたワンピースタイプの部屋着の裾をちょこんと摘まみ、わずかに腰を落として優雅に頭を下げられました。
これは確か女性のお貴族様がするカーテシーとかいう挨拶のはずです。
庶民向けの物語に登場する御嬢様がお茶会やパーティーでする挨拶です。
うわー、ホンモノだ~、初めて見た。
「ふむ、こうして二人が並ぶと本当にどっちがどちらなのか見分けがつかないな」
「御嬢様は体調を崩されていらっしゃいますので、お顔の色が優れないくらいの違いはございますが……、せいぜいがそれくらいだと思われます」
クライスさんとレイモンドさんの二人は小声でそう感想を言い合っています。
うん、私もその意見に賛成だ。
「お二人の顔合わせも済みました。あとはわたしが仔細についてお話し致しましょう」
メイドさんがそう言って私の方に目を向けました。
「まずは御挨拶を。ルサリア伯爵家にお仕えしておりますメイドのシェリーと申します。今は御嬢様付きメイドを拝命し、あと、エマ様の教育係でもあります。お見知り置きを」
シェリーさんはそういって綺麗な姿勢で私にお辞儀しました。
んっ?
今ちょっと不穏な言葉が聞こえたぞ。
「あのっ……」
「はい、なんでしょう?」
シェリーさんが私を見てそう返されました。
「今、私の教育係という話が聞こえましたが……」
「ええ、平民のエマ様が貴族の御令嬢であられる御嬢様に成り代わり学院に通われるのです。貴族の子女の所作、平たく言いますとマナーや身のこなしを身に付けていらっしゃるとは思えません。できましたらその一挙手一投足に至るまで御嬢様を完璧にトレースしていただきたいくらいです。他にも御嬢様がバカにされないよう知識と教養も……」
「え゛っ!?」
「……何か?」
「あの、貴族ってそんなに大変なんですか?」
私はシェリーさんだけでなく、クライスさんやレイモンドさんの顔に順に視線を送りました。
みんな『?』という表情を浮かべています。
「貴族っておいしいものを食べるだけの気楽なお仕事じゃないんですか!?」
「「「そんなわけないだろうっ(でしょうっ)!!!」」」
御嬢様以外の3人の声が揃い、御嬢様は目を細めてニコニコと微笑んでいます。
あー、御嬢様マジかわいいわ。
えっ、私もかわいいって?
そう?
照れるな~。
「は~、まさかその様な世迷言をおっしゃるとは盲点でした。わたしも貴族社会での生活が長くなり過ぎた様です。そんなことをおっしゃるとは予想だにしておりませんでした」
えっ、それって何かバカにしてる?
バカにしてるよね?
「旦那様。学院が始まるまで明日と明後日のあと2日しかありません。早速ですがこの後直ぐにでもエマ様に対する最低限度の教育を始めたいと思います。申し訳ございませんが準備のため失礼致します」
そう言ってシェリーさんは急いで部屋から出て行ってしまいました。
何か大事になりそうな予感がして正直悪寒がします。
「では、エマ様、準備が整うまでの間、この家の中をご案内します。まずは貴女のお部屋をご案内しましょう。御嬢様はお疲れでしょうからお休み下さい」
「ありがとう、では失礼して横にならせていただくわ」
御嬢様はスススとベッドに向かわれると、直ぐにベッドに横になられました。
天蓋付きの大きなベッドで枕も布団も見るからにふっかふかの高級品です。
当主のクライスさんはお仕事があるからと直ぐに部屋を出られどこかへ行ってしまわれました。
どうやら本当にお貴族様はおいしいものを食べるだけの仕事ではないようだ。
ちぇっ!
「御嬢様、やっぱり体調がお悪いんですね」
「ええ、早く良くなられるといいのですが……」
御嬢様のお部屋から執事のレイモンドさんと一緒に廊下に出て小声でそう囁き合いました。
その想いは私も同じでした。




