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16 婚約

 創立記念パーティーがあった日から1か月。


 私は表面的には変わらない生活を送っていました。


 しかし、私の周りでは、なんと私、いえ正確にはセレナお嬢様が第一王子殿下の婚約者候補、しかもその大本命とまで囁かれていたのです。



「はぁ~、どうしてこんなことに……」


 私ではありますが、私ではない私にそんな感情を向けてどうしようというのでしょうか?


 それはそれとして、実は今日、来客がある予定なのです。


 それは……。


「エマさん、来客ですよ。準備をお願いします」

「あっ、は~い」


 シェリーさんが私の部屋にやって来て足早にそう告げていきました。


 いったい何の用件だろうか?


 私は伯爵家当主のクライスさんとともにそのお客様の元へと向かいました。




「失礼、お待たせしたね」

「失礼致します」


 来客対応のために別邸に来ていたクライスさんとともに応接室へと入るとそこには一人の男が来ていました。


「お時間をとっていただきありがとうございます」


 そう言って応接室のソファーから立ち上がり頭を下げたのは私の幼馴染の彼でした。



「それで今日はいったいどんなご用件かな」


 クライスさんと彼とは初対面ということでお互いに自己紹介をしたところで本題に入ります。


 そもそも私がこの席に同席する意味もわかりませんがそれは彼が望んだことのようです。


 私はローテーブルに出されたお茶請けのクッキーに手を伸ばしてから紅茶の入ったカップに口を付けました。


 この御屋敷に来てからそれなりに所作を指導されたのでそれなりの御令嬢のように見えるはずです。


「…………」


 彼に視線を送れば彼はじっと私の方を見ています。


 落ち着かない。


 私は視線を合わせないようにしてプイと顔を背けました。


「それでお話というのは?」


 クライスさんのその言葉に彼は一つ大きく息を吸い込むとクライスさんの顔をしっかりと見て、そして今度は私の顔に視線を移すと口を開きました。


「私はこちらにいらっしゃる御嬢様のことが好きです。是非、婚約をさせていただきたく……」

「ぶっ……」


 思いがけない言葉に飲みかけの紅茶を噴き出してしまいました。


 何とか口に手を回して最悪の事態は避けることができましたが彼はいったい何を言い出すんでしょうか。


「あまりにも突然のお話ですな。そのお話は貴方の父君もご存知なのですか?」


 クライスさんは表情を崩さずに淡々と返します。


「はい、父の了承もとっています。父は領地から離れられませんので私が当主である父の代理として今日はお話させていただいています」


 彼も今では男爵家の嫡男。


 話は貴族の家と貴族の家との話だ。


 彼は何を思ってセレナ御嬢様と結婚したいと思ったのだろう。


 御嬢様のご実家である伯爵家との関係を強化したいと思ったのか、それとも御嬢様を見て、というか御嬢様にそっくりな私を見て御嬢様に惚れたのか。


 後者であれば私の成りすましも成功だったということだろう。


 貴族の御令嬢として求婚されるだけのクオリティはあったということだろうから。


「当家としては貴家との婚姻にメリットは感じられませんな。本人同士が好き合っているのであればともかく、そうでないのであれば……」

「失礼致します。旦那様、急ぎの来客が!」


 クライスさんの話を遮るようにメイドさんの一人が慌てた様子で応接室に駆け込んできました。


 その様子からかなり急いでいるようです。


「いま来客中だ! 無礼だろう、あとにしなさい」

「しっ、しかし……」

「なんだ? どうした?」


 メイドさんの様子を訝しく思ったのかクライスさんがそう問い掛けます。


 メイドさんは一つ大きく呼吸をするとはっきりと言いました。


「王宮から使者の方がお見えです」

「なんだとっ?」


 応接室にクライスさんの大きな声が響きました。





「……いったいなんだというのだ」


 クライスさんはぐったりした表情を浮かべると彼に中座することを告げて王宮からの使者様に対応するため部屋を出ていかれました。


「…………」

「…………」


 応接室に残された私たちは無言で向かい合っています。



(あ~、クライスさん、早く帰ってこないかな~)



 重たい空気にいたたまれず私は俯いたまま何気なく自分の長い髪の毛の先をクルクルと指で弄んでしまっていました。



「くくっ……」


 そのとき、彼の口から聞こえてきたのは噴き出すような笑い声。


「?」


 思わず視線を向けると彼と目がばっちりと合いました。


 彼はさっきまでの固い表情ではなく、何というか隠れていた野性味が溢れたかのような豊かな表情です。


 それは私の記憶にあるかつての彼を彷彿とさせるものでした。


「やっぱりエマだ。その髪を弄る癖、全然変わってないんだな」


「……えっ!?」


「いまこの部屋には俺以外にいない。正直に答えてくれ、お前はここの貴族の娘セレナ・ルサリアじゃない。平民のエマだろ?」


 私の目を彼の薄茶色の瞳が覗き込みます。


 しかし、私は今はセレナ御嬢様の身代わりをしている身。


 そんなあっさりと正体を明かすわけにはいきません。


 違う、と否定をするべきなのに私の口からはその声が出ませんでした。


「…………」


「…………」


 お互い無言の時間が続きました。


 その時間は本当は1、2分くらいだったのでしょうが私には1時間にも2時間にも感じました。


「エマ、このことは誰にも話さない。だから俺を信じて本当のことを言って欲しい。もう一度聞く、お前は平民のエマだろう?」


 彼は私の目を見てそう言いました。


 小さいときから変わらない澄んだ真っすぐな瞳です。


 その瞳は真剣そのもので『嘘は一切認めない!』という強い意思を感じました。


「……はい」


 私は思わず蚊の鳴くような声を漏らしてしまいした。


「そうか、やっぱりな。まあ、お前にも何か事情があるんだろう、それは今は聞かないでおく」


 彼は私の返事に満足したのか、どかっとソファーの背もたれに身体を預けました。


「どうして……」


「んっ?」


「どうして私が本物のセレナ御嬢様じゃないってわかったの?」


 彼はさっき「やっぱり」と言いました。


 となると彼はここに来る以前から学院に通う私のことをセレナ御嬢様ではなく平民のエマだと気付いていた、いや確信していたということになります。


 彼は学院で私と最初に会ったときに私のことは伯爵令嬢のセレナ・ルサリアだと説明を受けて納得したはずです。


 その証拠に彼はこの御屋敷へ謝罪に来ているわけですから。


 そして私も貴族の御令嬢としての所作は付け焼刃ではありましたが他の皆様に指摘を受けるようなことはありませんでした。


 そもそも彼は元平民で貴族になったばかり。


 もしも私のつたない所作から気付いたというのであればそれもどこか引っ掛かります。


「それは……」


 私の言葉に彼は照れたのか顔を赤くしてそっぽを向きました。


 私はそんな彼の次の言葉を黙って待ったのですがそのとき彼は右手で頬を掻く仕草をしたのですがなるほど。


 たしかに彼は幼い時分にもこんな仕草をしていたことがありました。


 人間の癖というのはなかなか変わらないのだということを今さらながらに感じることができます。


「すっ、好きな女の顔を見間違うわけがないだろっ!」


「ほえっ?」


 彼の言葉に思わず変な声が出てしまいました。


 そんな私に彼は続けます。


「俺はエマが好きだ、ずっと好きだった。だからこうして婚約して欲しいと頼みに来たんだ!」


「ええっ、でも、貴方はセレナ御嬢様に……」


 彼は一体何を言っているのか!


 彼はセレナ御嬢様と婚約するために今こうしてこの場にいるのではないのか?


 私の頭の中はグルグルと混乱してしまいそうです。


「俺は最初からこの家の御令嬢であるセレナ様との婚約を申し込みに来たんじゃない。俺はこう言ったぞ『こちらにいらっしゃる御嬢様』のことが好きです、ってな」


「あっ!」


 そうだ。


 たしかに彼はそう言った。


 目の前にいた私を確認した上でたしかに彼はそう言った。


「……なんで、あなた、セレナ御嬢様のことが好きなんじゃなかったの?」


「ああ、一度この御屋敷に謝罪に来たときにお見掛けした方だな。たしかにエマにそっくりだったけどお会いしたのはその1回だけだ。それでなんで俺がその人のことを好きになるんだよ」


「だって、伯爵家の御嬢様よ? 教養もあって所作も綺麗だし、マナーも完璧。見た目が私と同じならセレナ御嬢様の方が……」


 そんな私を見て彼は「は~」っと大きく溜息をつきました。


「エマ、勿論身分も貴族としての教養や所作も大事だ。でもな、俺はエマという女の子が好きなんだ。食いしん坊で料理が好きでときどきお節介だったりやんちゃなことをするけど、やっぱり女の子で気が利くけど悲しいことがあったら泣く。俺はそんなエマのことが大好きなんだ」


「嘘……」


「嘘じゃない、だって約束しただろ」


 彼は頬を掻きながら私に向けていたその視線をわずかに逸らしました。


「約束?」


「ああ、俺は言ったぞ『ずっと一緒にいる』ってな」


「ああっ……」


 彼は覚えていた。

 

 あの日に私と交わした約束を。


 もう忘れられたのだと思っていた。


「その……、迎えにくるまでに時間が掛かったのは悪かったと思ってるけど……」


 あの時の言葉は彼が私を泣き止ますために言ったその場しのぎの言葉だったのだと諦めていた。


 私の視界が涙で滲む。


 もう目の前がぐじゃぐじゃで何も目に入らない。


「おっ、おい。泣くなよ」


「なっ、な゛い゛でな゛んがな゛い゛もん……」


 そんな私の言葉とは裏腹にとめどなく涙が溢れて止まりません。


 私はもう目の前の彼の姿がまったく見えないのですが雰囲気から彼が困っている様子であることはわかりました。


「エマ、泣くな。俺はお前とずっと一緒にいる。だからもう泣くな」


 困った彼が私に掛けた言葉はあの日と同じ言葉でした。


 しかし、あの日とは違い私の涙が止まることはありませんでした。

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